黒田武士ヨーロッパの古城を訪ねる

2008-08-29 10:52:15 | Weblog
この度、明明後日の9月1日~11日まで豊前国中津黒田武士顕彰会有志でヨーロッパのお城巡りに行くことになった。ドイツのライン川沿いに点在するアウフ・シェーンブルク城等の古城を望みつつローレライの歌に耳を澄ませ古城街道をハイデルベルグからロマンチック街道で有名なローテンブルグ、ディンケルスヴュールそして悲劇の王ルートヴィッヒ候のノイシュヴァンシュタイン城からミュンヘンへ。後、国境を越え行き美しいスイスアルプスの至宝ユングフラウ、アイガー北壁を眼前に見れる麓の町グリンデルヴァルド、マッターホルンの麓の町ツエルマットを訪ねレマン湖畔のシオン城でバイロンの詩を口ずさみジュネーヴから華の都パリへ抜けノートルダム寺院や凱旋門、モンマルトルの丘を周遊し海上に浮かぶ大寺院モンサンミッシェルを尋ねる予定。日本のお城と違ってヨーロッパの城は如何に?という訳です。その間、本場のドイツビールとワイン、ソーセージやハム、スイスのチーズフオンデュ、パリのエスカルゴ料理なんぞも味わってこようと思っています。何時の日かその旅行記はご披露したいと思っていますが、、、。黒田如水は小寺家の家老であった若き日、岐阜城の織田信長に拝謁せんとはるばる姫路より訪ねた折、布教中のキリシタンに会い興味を持ち信者となった。洗礼名を「ドン・シメオン」といい「josuisimeon」という丸印が残っている。入信の動機はわからないが好奇心溢れるところからキリシタンによってもたらされた外国の異文化や豊富な世界の情報に大いなる興味を持ったことと思われる。秀吉のバテレン追放令や徳川幕府のキリシタン弾圧があったので黒田家の歴史書からキリシタン臭が一掃されたので今となっては如水がキリシタンであったことは抹消されているが、実は如水はキリシタンとして逝去しその折教会にかなりの寄付をしたと当時の宣教師の書物に残されている。何はともあれ外国を見聞するというのは大いに興味をそそられることであるらしい。それでは我々も如水公が果たせなかった異文化を見聞せんと行って来ます。帰国した折には全員キリシタンになって洗礼名をもらっているかも?
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山城探訪会と城井谷黒田の向城

2008-08-25 11:10:01 | Weblog
豊前宇都宮氏の研究家では第一人者であるる則松弘明先生より「城跡歩き 古今東西」という書籍が贈られてきた。昨年11月先生に誘われて福岡県築上町主催の城跡見学会が催され宇都宮氏の居城である城井谷を訪ねた。天正15年、黒田長政は黒田如水が不在の折、老臣の止めるのも聞かず宇都宮鎮房の篭る城井谷を攻めたが九死に一生を得るほどに大敗した。後に黒田如水はその城井宇都宮鎮房の居城を包囲し向城である小河内城を築いた。宇都宮氏の篭る城井谷はやっとひと一人が通れるほどの山道で攻めるにも難儀をする要塞であった。日頃外を歩き回ることの少ない小生にとってこの山登りはかなり堪えたが同行の30名ほどの方々に迷惑をかけることなくふうふう言いながら殿にくっついて行ったのも懐かしい思い出である。則松先生は宇都宮氏と同じ城井谷の出身で幼少より宇都宮氏のことについて見聞するうちにその歴史に興味を持たれ考古学的研究をされつつ実際に城井谷に散在する城跡を調査され郷土史を紐解かれてきた方です。お話をお聞きするとその造詣の深さに学ぶところ多く小生の友人である赤壁で有名な合元寺の村上住職とも昵懇の仲だということがわかり殊更親しくさせて頂いております。今後益々の研究のご発展を祈念する次第です。皆さんの中で豊前・城井宇都宮氏についてご興味のある方、調べたい方がいらっしゃいましたら則松弘明先生にお尋ねになると良いと思います。因みにこの書籍の表表紙上半分に載っている写真は小河内城探訪のときの写真です。小生の後姿も載っているのがなんとも嬉しい限りです。
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黒田長政と二十四騎展 3

2008-08-20 11:04:06 | Weblog
先日の読売新聞に黒田長政と二十四騎展の広告記事が載っていた。関が原の合戦の功績により徳川家康から所領を与えられた大名の中で260年もの間の江戸時代を通じて多くの藩が転封や改易、取り潰しになったが筑前黒田藩は安泰であった。それは関が原の天下分け目の合戦で黒田長政の武功が勲一等のものであったことによる。朝鮮の役で石田三成の讒言により危うく切腹させられそうになった父如水のこともあり三成憎しの状況から秀吉子飼いの武将達、加藤清正や福島正則、山之内一豊といった有力大名を徳川側に付け、関が原では当初戦局押され気味のところ長政の周旋により小早川秀秋を見方に取り込んだことが東軍の大逆転につながった。合戦後、家康は本陣に於いて並み居る武将の前で長政の手を押し戴き「今回の戦に勝利したる事長政殿のお陰、この家康末代までその恩は忘れぬ」と言い、論功行賞では筑前五十二万石の大封を与えその武勲に報いた。その折に与えた感状に黒田藩に対して末代まで大事にするよう記した。このお墨付きであるが長政は跡継ぎの忠之や家臣がそれにより驕満になることがないようにとそれを秘していたという。筑前黒田藩は長政のおかげで徳川幕府の庇護の下、明治まで筑前の地にて藩を存続することができた。
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黒田官兵衛 「吾れは中才」改訂版

2008-08-14 10:35:49 | Weblog
このほど播磨の黒田武士顕彰会の福田要先生より黒田官兵衛「吾れは中才」改定版が贈られてきた。先日お会いした時に旧著は不足の箇所があり全うしたい旨仰っていたので心待ちにしていたのだが、ついに発刊となった。この書は今までのどの著者にも負けないほどの力作であり黒田如水に関する著作としては比肩さるるものなしといえるほどの快著であると言っても過言ではない。黒田如水を知ろうと思う方はこの書を読めばほぼその全容が分かるというものだ。是非多くの如水ファンの方々に読んで欲しいと思います。*「吾れは中才」の謂は、秀吉から関白を譲られた秀次が今まで秀吉の軍師として大活躍し天下にその名聞こえたる智将黒田如水にある時「そなたはどれほどの器量と(自分で)存じおるか?」と問うた。如水は口ごもりながら「中の位でございましょうか」と答えた。「もし上才であれば太閤の威光をもって先陣を承ることなく、この身で天下を取ることを思うべし。またもし下才であればこの身は叢民の中にあって空しく朽ち果てるべし。ただ中才なるが故に太閤より広く封土を賜る所以に、、、。」(名将言行録より)。天下に如水ほどの器量を持っているものは居ない。上才であると誰もが認めるところであるが、かって備中松城を水攻めにしていた時、織田信長が明智光秀に謀反をされ本能寺で自刃した報を受けるやいなやすぐさま秀吉に天下を狙いなさいと言った一言が秀吉から警戒されたことのある如水は慎重に危なげなく穏やかに言葉を選んだのだ。十分に天下を取れるほどの器量を持っていた如水であるが残念ながら「時」に運無く天はそれを許さず、「おもひおく言の葉なくてつゐに行く道はまよはじなるにまかせて」の辞世の歌を残してその生涯を終えた。
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黒田長政と二十四騎展 2

2008-08-11 15:33:36 | Weblog
福岡市博物館で開催される黒田長政と二十四騎展の詳しい出展内容です。重文の黒田長政所用の「銀箔押一の谷形兜/竹中半兵衛が福島正則に贈り後黒田長政の兜と交換したもの・源平一の谷の合戦にちなんで作られた」と「黒糸威胴丸具足」崇福寺所蔵の「黒田如水像」の架軸、「黒田二十四騎図」、盛岡公民館蔵の黒田如水所用「白檀塗合子形兜/黒田騒動の忠臣栗山大膳(栗山利安の嫡子)が黒田藩を救うために命を投げ出し幕府に直訴、自分は盛岡藩にお預けの身となって如水形見の兜とともに盛岡に行った」初公開として黒田如水夫人幸圓の「照福院像」、「母里友信(太兵衛)像」、「関が原合戦図屏風」など垂涎ものがずらりと出展されるようだ。これからも中々これほどのものは見る機会は無いだろう。皆さん是非福岡市博物館に行きましょう。
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黒田長政と二十四騎 黒田武士の世界

2008-08-04 12:11:03 | Weblog
このほど福岡市博物館から豊前中津の黒田武士顕彰会に「黒田長政と二十四騎 黒田武士の世界」の立派なパンフレットと大型ポスターの入った案内状が届いた。黒田武士に関してはいまだ広く知れ渡っているとは思われませんが、多くの歴史愛好家の方々にとって戦国時代の歴史に燦然と輝き、その名を残した黒田如水・長政そして黒田二十四騎の武勇伝は天下を取った信長・秀吉・家康よりもずっと魅力的だといわれています。今回福岡市博物館での催しは黒田の集大成のごとき目を見張らせるものがあります。多くの黒田武士のフアンの皆様ぜひ福岡市博物館「黒田長政と二十四騎」展へお出でくださいますように。期間は9月12日(金)~11月3日(月・祝)です。
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