万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

ゴーン事件と日本の司法制度批判-グローバル・スタンダードは最善?

2019年01月16日 13時33分36秒 | 国際政治
日産のカルロス・ゴーン元会長が特別背任の罪で起訴された一件は、諸外国のメディアでは、事件そのものよりも日本国の司法制度の‘特異性’に焦点を当てた報道が目立つそうです。拘留期間が長期に亘り、弁護士の隣席なき取り調べを認める日本国の司法制度は、さながら中世の如くに非人道的ですらあると…。

 日本国内でもこうした批判に同調し、日本国の司法制度は遅れており、グローバル・スタンダードに合わせるべく早期に改革すべきとの声も聞かれます。しかしながら、グローバル・スタンダードは、必ずしも‘最善’とは限らないという問題があります。多数決が常に正しく‘最善’とは限らないように。

 拘留期間の長さにつきましては、日本国の司法制度では、検察官が有罪を凡そ100%確信した事件しか起訴しないという特徴があります。拘留期間が長期に及ぶのも、検察側が有罪を立証できる証拠を殆ど固めていることによります。一方、アメリカやフランスなどの諸国では、有罪の可能性が高い時点で起訴に踏み切りますので、その分、容疑者に対する待遇は緩くなります。米欧諸国の制度をグローバル・スタンダードと見なすとしますと、日本の検察は、起訴の判断基準を緩和する、即ち、疑わしい段階で積極的に容疑者を起訴することとなりますが、果たして、両者どちらの方法が‘最善’なのでしょうか。

 特にゴーン事件は、いわば‘グローバル犯罪’とでも称すべき国境を越えた国際事件です。容疑者本人の国籍だけでもフランス、レバノン、並びにブラジルの3ヶ国に及び、かつ、日産本社の所在地である日本国のみならず、ルノー本社のあるフランス、連合の統括機関が置かれているオランダなどの複数の諸国が‘事件の現場’でもあるのです。さらに個人的な人脈を加えれば、遠くサウジアラビア等にまで捜査対象が広がります。かくも複雑を極めるこの事件の全貌を解明するためには、検察側が、取り調べのために容疑者の長期拘留を求めるのも理解に難くありません。否、早期に釈放しますと、ゴーン容疑者がこれらのルートを巧みに利用して、逃亡や証拠隠滅等の行動をとらないとも限らないのです。

 また、取り調べに際しての弁護士の隣席につきましても、グローバル・スタンダードが優れているとは言い切れない側面があります。その理由は、司法の役割とは、まずは事実を正確に確認し、明かされた事実に基づいて法律を厳正に適用することにありますので、本人自身の供述こそ、最も事実に近い可能性が高いからです。つまり、容疑者の供述に法廷戦術上の何らかの加工や修正が加わりますと、事実そのものからは遠のくリスクが高まります。批判者の視点からしますと、密室での検察官による取り調べは自白を強要されるとして冤罪リスクなのでしょうが、事実重視の観点からは、弁護士の隣席=最善という等式も怪しいのです。

 もちろん、‘政治犯’を生み出す中国等の司法制度は、普遍的な価値に照らしてグローバル・スタンダードの観点から厳しい批判を受けても当然ですが、訴訟手続きの細かな部分の違いは、国や地域によって違いがあっても目くじらを立てる必要はないように思えます。特に、刑事事件では、被害者が存在しますので、加害者側の人権尊重が行き過ぎますと、被害者側の権利を損ねると共に、犯罪者擁護となって治安悪化の促進要因となる危険もあります。本記事では、‘最善’を問うていますが、統治の役割が古来‘善’の実現である点を考慮しますと、今日の所謂‘グローバル・スタンダード’は、死刑制度の廃止を含めて、時にして‘悪’となる加害者側の権利尊重に傾いているとも言えるのです。冤罪が横行していた時代にはその必要もあったのでしょうが、先端技術を用いた捜査や証拠集めが可能な現代では、むしろ、加害者に偏った諸制度や手法を被害者寄りに是正すべきなのかもしれません。
 
 このように考えますと、今日の司法制度におけるグローバル・スタンダードは、どちらかと言えば加害者側の立場に寄っており、日本国の司法制度は、逆に、被害者側の立場に立脚していると言えましょう。日本国の司法制度にも改善点は多々あるのですが、前者に劣っているわけではなく、況してや善悪の倫理基準からしますと、善に近い位置にさえあります。制度を改善するに当たっては、グローバル・スタンダードの問題点も熟知するべきですし、制度設計に際しては、究極的な目的である‘善の実現’―利己的他害性の排除―こそ、グローバル・スタンダードをも超える普遍的な人類共通のスタンダードとすべきではないかと思うのです。

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友軍とはなり得ないことを証明した韓国

2019年01月15日 14時15分47秒 | 国際政治
韓国 電波情報交換受け入れず 日韓“レーダー照射”協議
 昨年末、日本海上空において韓国海軍艦艇が自衛隊機に火器管制レーダーを照射した事件は、泥沼化が指摘される中、先ずは、両国の防衛当局の実務者協議での決着が図られたようです。同協議の場において、日本国側が客観的な証拠となり得る双方の電波情報の開示を提案したところ、韓国側は、‘照射の事実はない’の一点張りで同提案を拒絶したと報じられています。この韓国側の態度、一体、何を意味するのでしょうか。

 日本国側が韓国側に対して‘相互’の情報開示を求めたのは、動かぬ証拠として自らが記録した電波情報を提示すれば、軍事機密が韓国側に一方的に漏れるリスクがあることを認識していたからなのでしょう。韓国側は、反論の動画において日本国側にさらなる証拠として電波情報の開示するよう挑発していましたので、迂闊にこの要求に応じれば、日本国は安全保障上の情報漏洩のリスクを抱えかねなかったのです。裏を返しますと、日本国は韓国を最早信頼しておらず、それ故に、最悪でも‘痛み分け’となるよう、韓国側の電波情報の開示を求めたのでしょう。

 これまでの日韓関係を振り返りますと、竹島問題然り、‘慰安婦問題’然り、‘徴用工問題’然り、日本国は、常に韓国から‘罪’を問われる立場にありました。今般のレーダー照射事件でも、韓国側は、自衛隊機の低空飛行を脅威を与える危険行為として断罪しています(特攻隊に擬えるケースも…)。その都度、日本国は、一般国民も含めて‘無実’を立証すべく客観的な証拠を集め、これらの史料の内外への提示に努めてきました。喩え、韓国が耳を塞ぎ、国際社会が無視しても、日本国は、客観的な証拠による無実の証明に全力を注いできたのです。

 少なくとも自衛隊機に対するレーダー照射については、韓国側が罪を問われる立場となったのですが、韓国が、自らの主張が‘事実’であることを証明したければ、電波情報の開示に躊躇する理由はないはずです。韓国の主張は、(1)レーダーを照射していない、(2)自衛隊機が危険な低空飛行を行っていた、という二つの内容から構成されていますので、日本国の防衛当局が開示を求めた情報とは、(1)「広開土大王」から発せられた各種レーダー・データ、並びに、(2)自衛隊機の低空飛行を証明するレーダー・データのはずです。何れであれ、韓国は、これらのデータ記録を開示すれば、自らの無実を証明できたはずなのです。

 ところが、韓国は、日本国のように積極的に証拠を提示しようとはせず、これらのデータを開示することを拒否しました。つまり、自らの無実を証明する機会をみすみす放棄したのですから、半ば、‘有罪’を認めたに等しくなるのです。この経緯を知れば、誰もが、日本国側の主張が正しいと確信することでしょう。もっとも、韓国側が、逆に日本国側に軍事機密が漏れるのを怖れたとする見解もありましょうが、当初、韓国側は反論動画において臆面もなく日本国側に電波情報の開示を求めたのですから、相手国にだけリスクを負わせようとする態度は、どこかアンフェアで卑怯にも映ります。

 昨今、留まるところを知らない中国の軍事的脅威を前にして、しばしば日米韓三国の緊密な協力関係の構築が声高に叫ばれてきましたが、今日、日韓の間では機密情報を最早共有できない状況にあることを、今般のレーダー照射事件は示唆しているのかもしれません。ある時突然、中国に向いていたはずの韓国軍の砲口が反転し、友軍であるはずの自衛隊に向けられるかもしれないのですから。戦時における‘寝返り’のリスクを考慮しますと、日米両政府とも、韓国は共に闘うことはできる国なのか、真剣に検討すべき時期に差し掛かっているように思えます。韓国は、自らの無実ではなく、友軍とはなり得ない現実を証明してしまったのではないでしょうか。

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韓国の‘三権分裂の術’は通用しないのでは?

2019年01月14日 13時46分35秒 | 国際政治
韓国に30日以内の返答要請 徴用工訴訟協議で日本政府
韓国政府は、‘司法の独立’ならぬ‘司法の独裁’を認めたことで統治諸機関が分立し、国家の一体性が損なわれることとなりました。‘徴用工問題’をめぐる対日要求を正当化するための策であったのですが、果たして、この‘三権分裂の術’は通用するのでしょうか。

 日本国政府は、30日間の期限を設け、韓国政府に対して「日韓請求権協定」が定める政府間協議開催に対する回答を迫るそうですが、仮に韓国側がこの申し入れを拒絶した場合、同協定が定める仲裁委員会の設置、それも困難に直面すれば、その他の国際司法機関への提訴へと解決の歩を進めることとなりましょう。韓国が協定上の手続きを拒絶する可能性は極めて低いので、国際レベルでの司法解決となれば、両国の合意を要する国際司法裁判所(ICJ)よりも、単独訴訟が可能な常設仲裁裁判所での解決の方が相応しいかもしれません。

そして、この際に問題となるのは、やはり、韓国側の国家分裂状態です。何故ならば、日本国の窓口は日本国政府で凡そ一本化されていますが、韓国側は、韓国政府、韓国裁判所の二者が当事者となり得るからです。もっとも、日本国側でも、政府ではなく賠償を命じられた日本企業が当事者となって、民間投資の保護の観点から国際私法上の権利侵害として訴えるという道もないわけでもありませんが、争点が条約の解釈ですので、やはり、当時者は国の機関と言うことになりましょう。そこで国際司法による解決に至った場合を想定しますと、以下の二つのシナリオを描くことができます。

第1のシナリオは、韓国裁判所が当事者となるケースです。原告国となる日本国政府は、国際司法機関に際して、まずは、請求の原本に当事者を明記する必要があります。この時、韓国の最高裁判所の名を原本に記した場合、韓国側は、政府の見解がどうあれ、司法機関が国際裁判の当事者となることを認めざるを得なくなるのです。一般的には、国際裁判の当事者はその国の政府ですので、韓国の措置は異例となるのですが、国際司法システムを国内司法システムを包摂する一元的な制度として捉えますと、韓国の国内裁判所は、それが国内的な最終審となる最高裁判所であれ第一審となり、一方的な判決を不服とする被告国が、一審の判決の取り消しを求めて国際司法機関に上訴する形態となります。今後、韓国の術を模倣して国際法上の義務から逃れようとする国が現れるかもしれませんので、案外、この観点も重要です。

第2のシナリオは、文面の当事者の欄に韓国政府の名が書き込まれるケースです。日本国政府は、「日韓請求権協定」の交渉において両国間で合意された、元“徴用工”の給与未払い問題の解決は韓国政府の責任とする補償義務の不履行を訴因として提訴することでしょう。実際に韓国国内では、韓国政府に対して同問題の補償を求める訴訟が起こされていると報じられています。このケースでは、韓国政府は、最早逃げられない立場に追い込まれます。三権分立を根拠に最高裁判所の判決の受け入れを日本国政府に迫りながら、政府の協定違反を理由として提訴された場合には、自らが当事者とならざるを得ないからです。

以上に二つのシナリオを想定してみましたが、何れにいたしましても、韓国の敗訴は決定的なように思えます。韓国による‘三権分裂の術’には奇策ゆえの限界があり、‘徴用工問題’を、きれいに筋を通して解決するためには、国際司法機関での解決こそ望ましいのではないかと思うのです。

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‘徴用工問題’から見える‘南北統一地下政府’

2019年01月13日 13時30分13秒 | 日本政治
 年初の記者会見における韓国の文在寅大統領の発言は、一般の日本国民からしますと非常識極まりないものでした。三権分立を根拠に、日本国に対し、韓国の最高裁判所が下した「日韓請求権協定」に反する‘徴用工判決’をそのまま受け入れよ、と要求したのですから。

 韓国に対して寛容であった日本国政府も、終に堪忍袋の緒が切れて遅まきながらも対抗措置の準備を始めたのですが、韓国問題で日本国内が沸騰する矢先、韓国に続いて北朝鮮からも‘徴用工’という言葉が聞こえてきました。北朝鮮は、日本国に対して‘徴用工問題’を持ち出すと言うのです。

 ‘徴用工’とは、第二次世界大戦の最中にあって、国家総動員法に基づいて工場などで労務に従事した朝鮮半島の人々を意味しており(当時、朝鮮半島の人々も日本国籍を有する日本国民であった…)、‘徴用工問題’とは、戦争末期の混乱期にあって生じたとされる未払い給与の補償問題です。この問題は、日韓間では既に上述した「日韓請求権協定」で解決しており、韓国司法は、補償金の二重払い、否、それ以上の額の支払いを要求したこととなります。韓国人原告一人あたりの賠償額は凡そ1000万円とされており、この額は、当時の賃金水準からすれば、未払い分を遥かに超えた額となるからです(そもそも、未払い期間は数か月であったのでは…)。しかも、原告は、国家総動員法に基づいて徴用された元徴用工でさえなく(民間の一般契約によるもの…)、この訴訟自体が、全てがねじ曲がった嘘の塊なのです。

 韓国は、1996年以来OECD加盟国であり、一先ずは、民主化された自由主義国と見なされてきました。おそらく、韓国人自身も、自らの国を先進国の一国に数えていることでしょう。しかしながら、今般の‘徴用工問題’に対する対応は、近年、崩れかけていた同国のイメージが完璧に崩壊しかねない程に非論理的であり、反理性的でさえあります。そして、その背景には、朝鮮半島の伝統的な政治文化に加えて、北朝鮮の影が見え隠れしているのです。

 文大統領の対北融和政策は、既に国連の対北制裁決議違反を疑われる域に達しており、米朝関係にあっても、同大統領は、あたかも金正恩委員長の代理人、あるいは、メッセンジャーの如き役割を演じています。日本海上空における韓国艦隊による自衛隊機レーダー照射事件にも‘北朝鮮漁船’が絡んでおり、そこかしこに北朝鮮が顔を覗かせているのです。今般の‘徴用工問題’に関しても、韓国が独自に決定しているのではなく、北朝鮮との連携の上で動いている可能性も否定はできません。つまり、文大統領のみならず韓国司法も金委員長の‘操り人形’であり、‘対日賠償請求’という名の戦略的目的のために密接に連携しながら一致団結して行動しているのかもしれないのです。

 マスメディアの多くは、北朝鮮による‘徴用工問題’の提起は拉致問題に対する対日牽制として説明しておりますが、韓国の不自然な態度を考えあわせますと、北朝鮮側が既にシナリオを書いており、その台本通りに行動したに過ぎないかもしれません。第一幕では、韓国の最高裁判所に‘元徴用工’に対する‘対日賠償’を認めさせ、第二幕では、文大統領にこれを追認させ、従来の韓国政府が日韓請求権協定で解決済としてきた公式見解を覆させます。続く第三幕では、北朝鮮も‘徴用工問題’を持ち出し、日本国に多額の賠償金を請求すると言うものです。韓国裁判所が示した凡そ一人1000万円の額も、北朝鮮が自らの対日請求額を算出する基準とするために決めたのかもしれません。

北朝鮮が描くシナリオの最終幕では、韓国が‘徴用工問題’で日本国に多額の‘賠償金’を支払わせる一方で、北朝鮮も、国交正常化交渉の行へはさて置き、今後の日朝交渉において‘徴用工問題’を材料にして日本国から巨額の資金を搾り取るというものなのでしょう。南北両国が‘ハッピーエンド’となる筋書きであり、同シナリオの題名は『わらしべ長者』ならぬ『嘘つき長者』なのかもしれません。しかしながら、こうした日本国に理不尽な犠牲を強いる‘悪巧み’のシナリオが、両国の狙い通りの結末を迎えるとは限らず、やがて客観的な事実、法の支配、並びに、人類普遍の正義と倫理の前に崩れ去ることとなりましょう。

何れにしましても、‘徴用工問題’は、朝鮮半島には既に南北両国政府が統合された‘南北統合地下政府’が存在している可能性を示唆しております。そして、この‘地下政府’を主導しているのは北朝鮮の金正恩委員長、あるいは、その後ろ盾であり(中国、あるいは、国際組織?)であるのかもしれません。一人の人物に決定権が集中する独裁体制ほど、政治は外部から操られやすいのです(朝鮮半島の南北両国であれば、南の大統領と北の委員長の二人で十分。もっとも、権力が分立している韓国の方がより難しいものの、今般の事件では、司法の独立を悪用…)。このように考えますと、日本国政府、そして日本国民も、朝鮮半島の南北を相対立した二つの国として分離的に捉えるのではなく、見えないところで一体化している、理性や知性の通じない一つの‘カルト的な国家’として見た方が、余程、現実を正確に理解することができるのではないかと思うのです。

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ゴーン事件から見る二つの‘家族主義’

2019年01月12日 13時08分33秒 | 国際政治
日本企業の組織体質は、しばしば‘家族主義’として、個人主義を原則とする諸外国から批判を浴びてきました。日本では、あたかも会社を一つ屋根の下の家族とみなし、社員を親兄弟の如くに扱うとして…。

海外企業、あるいは、日本株を有する海外株主の視点からしますと、情けが働く日本式の‘家族主義’は、リストラの壁になるのみならず、組織的閉鎖性や年功序列方式の温床となります。能力主義を是とするグローバリズムにも反しますので、日本企業は、組織体質の改革を求める外圧を常に受け続けてきたのです。しかしながら、グローバル経済の実態を観察しますと、この世界にも、日本式とは別種の‘家族主義’が蔓延っているように思えます。

その象徴とも言えるのが、カルロス・ゴーン容疑者のケースです。報じられている同容疑者の罪状には、親族の関与が見られます。ゴーン容疑者の姉は業務実態が存在しないにもかかわらず、2002年から毎年、10万ドル前後の給与等が支払われており、累計すれば170万ドル、即ち、日本円にして一億円近くに上るそうです。この事件を以って、グローバリストの真の姿に多くの人々が驚愕させられたのですが、こうした自らの血縁者に対して特別の待遇や地位を与える組織体質は、‘血縁家族主義’と名付けることができるかもしれません。

一方、日本式の‘家族主義’は、本来血縁関係にない人々を組織の枠を以って家族と見なすという意味で‘模擬家族主義’と表現されましょう。しかも、日本式の‘模擬家族主義’には、自らの真の血縁家族に対しては案外厳しいという特徴もあります。むしろ公私のけじめとして、自身の血縁家族と勤め先の企業との間には一線を引く傾向にあり、日本人社長であれば、ゴーン容疑者の如く、自らの姉に不正支出を行うようなルートを設けることはあり得なかったことでしょう。

日本国内では、グローバリズムが掲げる理想を信じ、グローバリストとは、能力主義を尊重する極めてクールで合理的な人々とするイメージが染みついてきました。人種、民族、国籍、宗教等の違いに関わらず、全ての人々に対して平等、かつ、公平にチャンスを与える開放的で無差別なイメージは、多くの人々を魅了してきたのです。こうした先進的なグローバル企業と較べられた日本企業は、ドメスティックであか抜けず、時代遅れのレッテルさえ貼られてきたのです。しかしながら、平等を掲げた共産主義が究極の序列・格差社会に至り、地上の楽園を謳った北朝鮮がこの世の地獄であったように、グローバリズムもまた、理想と現実は逆さとなる可能性もないわけではありません。

上述した二つの家族主義を比べてみても、必ずしも‘模擬家族主義’の方が悪い、あるいは、劣っているとは言い切れないように思えます。‘模擬家族主義’には確かに欠点もありますが、他者を愛情を以って家族の如くに扱うという態度はヒューマニズムに適っていますし、働く場に温かみがあります。一方、‘血縁家族主義’では、自らの血族だけは特別扱いをする一方で、経営の全てを効率性と合理性で割り切り、社員であっても所詮は他人となり、情け容赦のない冷淡な組織となりましょう。つまり、宣伝されたイメージとは違い、グローバリズムの現実とは、1%とも称される閉鎖的な金融財閥や企業幹部とその血族が特権を享受する一方で、他の一般の人々を差別する世界であるかもしれないのです(もっとも、少数の自らへの奉仕者や信奉者だけは優遇するかもしれない…)。

フランスのみならずアメリカでも、特に日本国の検察や司法制度を批判する論調が強く(犯罪性を隠し、論点をずらしているにも見える…)、『不思議の国のアリス(Alice in Wonderland)』に擬えて、ゴーン容疑者を奇妙な国、日本に迷い込んでしまった無邪気な少女に喩えて報じられているようです。しかしながら、ゴーン容疑者が棲んでいた世界こそ、‘不思議の国’、否、‘闇の国(Underland)’であり、事件の発覚を機に突然に闇の国の世界を垣間見ることになってしまった一般の日本人こそ、奇妙な出来事の連続に目を丸めるアリスであるのかもしれないのです。

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三権分立の意義を理解していない韓国-‘司法の独裁’を認めた?

2019年01月11日 10時47分07秒 | 国際政治
徴用工「争点化は賢明でない」 文在寅大統領、解決策示さず
 昨日、韓国の文在寅大統領は、年初の記者会見の席で所謂‘徴用工判決’について耳を疑うような発言をしております。日本国政府に対して、‘もう少し謙虚な立場にあるべき’であり、‘不満があっても仕方がないという認識を持つべき’と述べたのですから。

 文大統領は、三権分立の原則を根拠として日本国に対していわば‘泣き寝入り’を求めたことになるのですが、そもそも、同大統領が、三権分立の一翼となる‘司法の独立’の意義を正確に理解しているのか、全くもって怪しいところです。何故ならば、‘司法の独立’とは、‘司法の独裁’を意味するのではなく、基本的には、政治・行政機関による司法機関に対する介入を防ぐために確立した統治機構上の原則であるからです。

 仮に、君主、大統領、首相、あるいは、議会といった政治・行政機関によって司法権が握られるとしますと、法律のみに照らして公平・中立的な立場から裁判を行うことが極めて困難となります。政治的な目的が優先され、司法権を利用したライバルや抵抗者の排除や財産没収等も横行することでしょう。こうした事例は古今東西を問わずに近代以前の歴史上にあっては散見され、今日でさえ、三権分立を否定する中国では、習政権を批判した国民や民主化を目指す活動家は、裁判所の有罪判決を以って投獄されています。‘政治裁判が存在する国は近代国家ではない’と評される理由は、政治機関によって常に司法機関の中立・公平性が損なわれ、政治介入による偏った判決が為されるからに他なりません。‘司法の独立’とは、言い換えますと、執政(行政)機関や立法機関からの‘政治不介入’の原則なのです。

  かくして、司法の独立は、国家の近代化を画するメルクマールの一つとなるのですが、
以上に述べたように、統治機構における‘司法の独立’の意義を確認しますと、文大統領の発言は幾つかの点で問題があります。第一に、司法の独立の基本構図は、政治による司法への介入を想定した上での‘政治介入経路の遮断’であって、同原則は、司法機関そのものの政治化を認めているわけではない点です。今般の韓国裁判所の判断を見ますと、上述した基本構図とは逆に、裁判所自身が政治機関化し、それを執政機関も認めている構図となるのです。つまり、韓国政府は、‘司法の独裁’を認めたこととなるのです。

 三権分立に伴う統治機構の分裂による麻痺、並びに、一機関の完全独立による独裁化のリスクに対しては、権力分立の基本構図では、統治機関相互のチェック・アンド・バランスの仕組みをビルトインしています。国によってこの仕組みには違いがありますが、例えば、大統領や裁判所に対しては議会が弾劾権を有し、立法に対しては裁判所が法令審査権を有する…というように。権力分立を統治機構に組み込む以上、各機関が本来の役割から逸脱しないよう制御装置として様々な工夫が凝らされているのです。第2の問題点は、韓国の統治機構には、チェック・アンド・バランスが存在していない点です。

 所謂‘徴用工判決’にあって、韓国は、三権分立を誤認して‘司法の独裁’を認めるという致命的な‘ミス’を犯しています。あるいは、‘ミス’ではなく、本心においては中国と同様に権力分立を否定し、全ての権力が頂点に集中する独裁を是としているのかもしれません。仮に、韓国が、権力分立のメカニズムを、チェック・アンド・バランスを含めて包括的に理解しているとすれば、今般の所謂‘徴用工問題’も全く別の経緯を辿ったことでしょう。例えば、韓国国会が調停機能を担い、「日韓請求権協定」を法源とした裁判所の判決を越権行為として審査に付す、あるいは、日本国政府による協議申し入れを拒絶した文大統領に対して、職務怠慢、あるいは、放棄として弾劾に付すといった方法もあるはずです。

 権力分立をはじめ、統治機構とは、理不尽な‘泣き寝入り’をなくし、より公正で正義に適った世の中を実現しようとする人々の願いを原動力として発展してきたはずです。日本国に対して‘泣き寝入り’を求めた韓国は、人類の倫理上の発展の流れにも逆行しているように思えるのです。

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エストニアから読む‘オンライン国家’の少し怖いお話

2019年01月10日 13時55分27秒 | 国際政治
ここ数年、デジタルを中心としたテクノロジーの急速な発展が、既存の仕組みを大きく揺さぶっています。今年も様々な局面でテクノロジーが人々に変化を迫ることとなりそうなのですが、1月6日の日経新聞朝刊に、「「国境」決めるのは自分」とする見出しで興味深い記事が掲載されておりました(1面と7面)。

 サイバー空間とは土地から遊離した存在であり、このため、人々は、地球の表面に引かれた国境線を瞬時に難なく超えることができます。同記事が銘打つように‘デジタルで距離ゼロ’なのです。同記事は、「Tech2050新幸福論」の連載記事の一つであり、日経新聞の論調は国境なきサイバー空間に対しては好意的です。もしかしますと、こうした‘超グローバル化’を人類の究極の理想と見なしているのかもしれません。しかしながら、記事の内容を読みますと、そこには人類の行く末に関わるいささか怖いシナリオも見えてくるのです。

同記事に登場してくる先駆的な試みの大半は、難民、あるいは、難民予備軍の人々です。最初に紹介されたマレーシアの首都クアラルンプールに居住する起業家、ムハンマド・ヌール氏はロヒンギャ難民の一人です。同氏曰く、仮想通貨の基礎技術であるブロックチェーンを活用すれば、国籍を持たない難民でも自らのIDを確認でき、銀行口座も開設して就職できるそうです。そして、この技術は既にエストニアにおいて実用化されており、納税、出生証明、事業所の開設等がブロックチェーンで管理されているというのです。言い換えますと、デジタルは、特定の領域を持たなくとも‘オンライン国家’を造ることを可能とする技術なのです。

現行の国際法における国民国家の成立要件は凡そ主権、領域、国民の三者ですので、仮に‘オンライン国家’が登場するとすれば、国際法上の国家の資格要件にさえ変更を迫ることとなりましょう(もっとも、既存の国家からは国家承認を得られないかもしれない…)。領域なき国家は、主権と国民の2要件のみで成立する新たな国家モデルともなるのですが、‘オンライン国家’が誕生したとしても、それが、国際社会に平和をもたらし、人々の生活に安定を与えるとは限らないようにも思えます。

第1に、‘オンライン国家’の国民とは誰なのか、という問題があります。グローバル化とは、人種、民族、国籍、宗教等の違いを消去する方向に向かっていますので、いざ、‘オンライン国家’を建国して国民を造ろうとしても、誰が国民としての資格を有するのか、という国籍要件設定の困難性という壁に直面するのです。同記事が、特にロヒンギャ難民やエストニア人を事例として挙げているのは、これらの人々が、既に民族という括りと連帯意識で強く結ばれているからなのでしょう。仮に、既存の国民国家体系を廃止して、全世界を‘オンライン国家’で再編成しようとすれば、一人で複数のオンライン国家に所属する多重国籍者、あるいは逆に、どの国家からも資格認定を受けることができない‘オンライン難民’が大量に発生するかもしれません。

第2に、‘オンライン国家’には、完全なる主権が備わっていないことです。同記事によれば、オンラインで政府が提供する行政サービスの主たる内容は、証明書の発行や行政手続きといった国民の維持管理に関する業務が中心です。ところが、既存の国家の政府は、この種の行政サービスのみならず、国防、国土保全、治安の維持といった領域と結びついた統治機能を国民に提供しています。領域を有さない‘オンライン国家’では、国民保護の観点から特に重要となるこれらの統治機能を提供することはできず、統治機能上の重大な欠落があるのです。言い換えますと、‘オンライン国家’の国民は、たとえ‘オンライン政府’を設立し、多額の税金を納めても、自らの安全を政府に守ってもらうことはできないのです。

加えて第3に挙げるべき点は、‘オンライン国家’が成立したとしても、既存の国家が併存していることです。既存の国民国家体系が廃止されるに際して予測される混乱については先に触れましたが、現実には、‘オンライン国家’の誕生を以って国民国家体系が消え去るわけではありません。領域を持たない‘オンライン国家’や‘オンライン国民’が無防備な一方で、領域を有する既存の国家は、物理的な強制力ともなる軍事力や警察力を備えています。つまり、‘オンライン国家’の国民は、有事であれ平時であれ、力を要する局面では、既存の国家に依存せざるを得ないのです。

同記事の最後は、「エストニアは大国に翻弄される歴史を歩み、第2次大戦以降はソ連やドイツの支配を受けた。仮に国土が占領されるような事態になってもオンライン上で国家を保てる可能性が拡がる」という一文で結ばれています。この一文と、上記の諸点を考えあわせますと、‘オンライン国家’とは、未来の理想と云うよりも、他国による侵略によって国土を奪われた諸民族のための‘難民国家モデル’なのかもしれないのです(既存の国家による行政サービスのオンライ化は別に問題では…)。

このモデルの発想の起源は、歴史的には国土を失い、流浪の民と化したユダヤ人の国家願望に求めることができるかもしれません。しかしながら、今日、‘オンライン国家’の必要性や実現性が強く説かれるほど、エストニアが警戒するロシアのみならず、強大な軍事力を背景に世界支配を目指す中国による軍事侵攻のリスクが現実味を帯びてくるのです。あるいは、現在においても華僑ネットワークが半ば‘オンライ国家’化しており、サイバー空間とリアルな世界の両面において、人口に優る中国が二重支配を試みるかもしれません。何れにしましても、時代の先端をゆくが如き‘オンライン国家’の登場も、必ずしも人類にとりまして朗報とはならないように思えるのです。


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新日鉄住金は狙われたのか?-ポスコ関連株の資産差し押さえ問題

2019年01月09日 14時11分13秒 | 日本政治
韓国政府に協議要請へ 日韓請求権協定で菅官房長官表明
 韓国の最高裁判所が所謂‘元徴用工訴訟’に関する下した新日鉄住金に対する賠償命令は、大邱地裁浦項支部が原告団の申請を受けて同社の資産差し押さえを認めたことで、新たな段階に至ることとなりました。日韓関係のさらなる悪化は不可避であり、日本国政府も具体的な対抗措置の実施に踏み込む模様です。

 ところで、差し押さえの対象となった新日鉄住金の在韓資産とは、同業者である韓国企業、ポスコと共同出資で設立されたPNR(POSCO-NIPPON STEEL RHF Joint Venture,Co.,Ltd.)の株式なそうです。同社は、2009年に新日鉄側30%ポスコ側70%の比率で設立された合弁会社であり、現在、ポスコの浦項・光陽両製鉄所構内でダスト処理能力を行っています。出資比率がポスコ側に偏るのは、ポスコ社による製鉄プロセスで排出されるダストが主たる処理対象であるからなのでしょう。

 新日鉄住金のホームページ上の情報に依れば、新日鉄とポスコの両社は、2000年8月に株式の相互保有を含めた戦略的提携契約を締結しており、PNRの設立も協力関係の一環であったそうです。その一方で、新日鉄とポスコの両社の関係は必ずしも良好ではなく、2012年4月25日には、新日鉄住金がポスコを相手取り、不正競争防止法違反で1000億円の損害賠償を求める訴訟を東京地方裁判所に起こしています。この事件は、新日鉄が独自開発した変圧器に使用される「方向性電磁鋼板」の製造技術をポスコ側が不正入手したために発生した事件であり、結局、ポスコ側が300億円の和解金を新日鉄側に支払うことで一先ずは解決しました。しかしながら、日本国の知的財産の韓国への不正流出を象徴する事例として、同事件は記憶されることとなったのです。

 以上の経緯から、新日鉄住金とポスコの関係は、敵味方の両面性を持つ複雑な日韓関係と相似形を成しているのですが、前者から後者への知的財産流出のフローを見出すことができます。そして、上述したPNRもまた、‘新日鉄で確立された技術を基盤’とする再生産・リサイクル事業なのです。今般の差し押さえでは、新日鉄住金が保有する243万株の内の8万1千株に過ぎませんが、今後、同様の訴訟が相次ぐとなりますと、PNRに対するポスコ側の株式保有率は高まり、やがて、新日鉄住金が提供している技術はポスコの手に渡ることになるかもしれません。

所謂‘徴用工訴訟’にまつわる様々なパーツを寄せ集めて再構成しますと、そこには、韓国側の巧妙な戦略が浮かび上がってくるようにも思えます。日本国による朝鮮統治の過去を利用して‘被害者ビジネス’を展開し、知的財産をはじめ、日本国から合法的に奪えるものは全て奪い、利用できるものは全て利用するという…。たとえ、新日鉄住金側が即座に裁判所の命に従わなくとも、日本企業の知的財産権等の在韓財産は、日韓の政府間協議の場にあって(日本国政府は、日韓請求権協定に従い先ずは両国間での協議を提案する方針…)、韓国が自国に有利な解決に導くための‘人質’にされるかもしれません。言い換えますと、韓国の司法は、真偽や正邪を中立的な立場から判断して正義を実現するのではなく、国家戦略の一環として見かけの‘形式的な合法性’を自国の行為に与えているに過ぎないのかもしれません。そしてこの‘歴史認識’を十二分に利用する方法は、米中対立が激化する中、韓国の背後に控える中国によっても、対日簒奪や‘用日’の手段として活用されるかもしれないのです(同リスクを考慮すれば、日本国政府は悪しき前例を作ってはならない…)。

 こうした憶測は杞憂であればよいのですが、現実は、一般の日本国民の想像を越えるスケールとスピードで進んでいるように思えます。日本国の政府も企業も、そして国民も、反日政策を国策としてきた周辺諸国の対日戦略、さらには世界戦略を見抜き(おそらく日本国は利用できる踏み台…)、効果的な封じ込め、あるいは、対抗策の策定を急ぐべきではないかと思うのです。

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日韓対立の救い難い特徴-‘事実’を否認する韓国の問題

2019年01月08日 13時50分34秒 | 日本政治
自民、国連安保理に提起を=レーダー照射問題
 韓国海軍艦艇「広開土大王」による自衛隊哨戒機に対するレーダー照射事件は、双方が相手の主張を否定する展開となり、解決の糸口の見えない‘泥沼化’の様相を呈しています。それもそのはず、日韓の対立には、他の国際紛争とは異なる特徴があるからです。

戦争をはじめ、歴史上に起きた国家間の争い事については、当事国双方が異なる‘解釈’を付すことは稀ではありません。歴史的な出来事に対して複数の‘解釈’や‘見方’が提起されることは、むしろ人間の自由な知性からすれば当然であり、絶対的なドグマとして固定化するよりも望ましいことでさえあります。そして、この種の主観的な‘解釈’をめぐる争いは、‘事実’を客観的な‘事実’として双方が認めていれば、決定的な決裂を回避することができます。‘解釈’をめぐる問題は相互理解で解決可能であり、‘事件Xは、A国から見れば○○でも、B国から見れば××である’という共通認識に、一先ずは落ち着き得るのです。

 ‘解釈’をめぐる争いは、双方が自らの立場を述べ合い、かつ、双方が相手方の立場を理解することで、相互承認的な着地点を見出すことができるのですが、‘事実’をめぐる争いは、前者のプロセスを以って解決に至ることは殆ど不可能です。何故ならば、‘事実’は一つであって、複数存在することは天地がひっくり返ってもあり得ないからです。‘事実’については、足して二で割る方式の妥協の余地は皆無なのです。

日韓間の争いを見てみますと、‘事実をめぐる争い’は、今般のレーダー照射事件は氷山の一角に過ぎず、所謂‘慰安婦問題’や‘徴用工問題’に留まらず、朝鮮半島の日本統治時代全般にまで及びます。さらに歴史を遡れば、古代における倭国と百済、新羅、加羅等の関係や豊臣秀吉の朝鮮出兵、並びに、江戸時代の朝鮮通信使の実像についても、両国の間で‘事実’が違っています。日韓間に横たわる諸問題の多くは、解決困難な‘事実’をめぐる争いなのです。

 ‘事実’をめぐる争いの典型的な事例は、‘事実’に基づいて有罪無罪を判断する刑事事件です。刑事事件では、一方が利己的他害性によって他者を侵害した加害者側となり、もう一方は、侵害を受けた被害者の立場となります。言い換えますと、どちらか一方が‘犯罪者’と認定され、被害を受けた相手方に対して絶対的な劣位に置かれるのです(謝罪や賠償責任をも負うことに…)。そして、この有罪無罪の判断を支えるのが事実認定であり、‘事実’を立証し得る客観的な証拠こそ同判断の決め手となります。

 ところが、韓国は、‘事実’を立証する証拠を示されても、‘事実’、即ち、自らの行為を認めようとはしません。今般のレーダー照射事件にあっても、日本国の防衛省が現場映像を搭乗していた自衛隊員の会話録音付きで公表しても、‘客観的な証拠とならない’として、日本国側に対して軍事機密の提示すら求めています。一事が万事であり、それが動かぬ証拠であっても決して‘事実’を認めません。契約に基づいて給与が支払われていた事実を示す当時の記録や文書が物証として多々残されていたとしても、韓国側の‘徴用工’や‘慰安婦’とは、’非道にも日本国によって奴隷待遇で強制労働させられた被害者’であり、近代化のために日本国から朝鮮半島に多額の財政移転が実施されていても、日本統治下の朝鮮半島とは、‘不当な植民地支配によって搾取され、貧困化した被害国’なのです。韓国にとりましては、日韓請求権協定や交渉過程を示す会議録も、‘紙屑’なのかもしれません。

 日韓対立の最大の要因が、韓国側の事実否認にある点を考慮すると、今後、このような問題を外交ルートを通して両国間の話し合いで解決する見込みはありません。確固たる客観的な証拠が示されても、韓国は、主観的な‘韓国の事実’とは異なる事実は決して認めないのですから、議論は平行線を辿るばかりで埒が明かなくなるのです。

もっとも、国際社会の反応を気にしてか、韓国側が、積極的に国際社会に対して自己正当化のためのアピールを開始したことは、日本国側にとりましては有利な展開と言えるかもしれません。何故ならば、喩え事実を頑なに否認したとしても、他の諸国がこれを認めないことには通用しないことを、韓国側が認識し始めた証でもあるからです。つまり、第三者、即ち、法廷であれば中立的な立場にある裁判官の判断こそ重要であって、当事国による一方的かつ主観的な主張を、国際社会、あるいは、海外諸国がそのまま受け入れてくれる時代は過ぎ去りつつあるのです。

日韓対立の特徴に鑑みれば、日本国政府は、まずは当事国として積極的に事実を証明する証拠を国際社会に対して提示すると共に(決定的証拠となり得る電磁波情報の非公開については、軍事機密である旨を丁寧に説明…)、国であれ、個人であれ、誰もが事実が事実として客観的に確認できるよう最大限の努力を払うべきです(自民党内では国連安保理へ提起せよとの声も…)。安易な政治的妥協によってゆめゆめ事実を曲げてはならず、日本国の国家としての信頼性を維持し、国際社会に正義を実現するためにも、常に事実に対しては誠実であるべきと思うのです。

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新年早々国連憲章違反を宣言する習近平主席

2019年01月07日 13時35分22秒 | 国際政治
 年が明けて間もない1月2日、中国の習近平国家主席は、首都北京で開催された「台湾同胞に告げる書」の40周年を祝う記念式典において、物騒な発言で穏やかな新春の気分を吹き飛ばしております。‘武器の使用は放棄せず、あらゆる必要な措置をとる選択肢を残す’と凄んだのですから(‘武力行使’については2008年に消えて今般復活…)。

 平和的統一や「一国二制度」を目指すとする従来の原則を維持しつつも、武力使用を示唆する上記の発言に続いて、特に“外部勢力の干渉”や“台独分子”に言及しています。“外部勢力”とは、主として台湾の準同盟国であるアメリカを、そして“台湾分子”は、民進党を中心とした独立を支持する人々を意味しているのでしょう。この発言から予測される事態は深刻です。仮に習主席が、国内の不満を逸らし、共産党一党独裁体制を維持することを目的に台湾進攻の挙に出た場合、‘新冷戦’は即座に‘熱戦’へと転じると共に、台湾国内では、独立支持者、即ち、台湾の一般国民多数に対する凄惨な弾圧や虐殺が発生するのです。戦争とジェノサイドの同時発生は全世界を恐怖に陥れると共に、台湾海峡が発火点となって第三次世界大戦を誘発しないとも限らないのです。

 想像しただけでも慄然とさせられるのですが、習主席が台湾攻略に向けて着々と手を打っている様子は、昨年の台湾におけるどこか腑に落ちない統一地方選挙の民進党敗北の結果からも窺えます。外国や国際勢力からの選挙干渉のリスクは各国の選挙において既に指摘されておりますが、実際に、同選挙に際しても中国からの嫌がらせや世論誘導などが報告されています。中国は、背後から親中政党を支援して政権を取らせ、「一国二制度」へと持ち込む“平和的統一”を第1シナリオとして描いており、このシナリオが失敗した場合には、軍事侵攻という第2シナリオを発動させるつもりなのでしょう。

 第1シナリオのケースでは、民主的選挙制度を踏み台にして全体主義体制が誕生する点において戦前のナチス・ドイツの事例に近いのですが、台湾の場合には、(1)一般の台湾国民には熱狂的な習支持者が殆どいない(習主席にカリスマ性を感じていない…)、(2)国民党への支持誘導の背後には軍事力の脅しがある、(3)侵略側にある習主席は台湾の‘救国の英雄’には絶対になり得ない…といった違いがあります。今日の国際社会では、領土の帰属を変更する場合には、通常、国民投票や住民投票が実施されるにも拘わらず、今般の演説において習主席、「一国二制度」への具体的な移行プロセスとして「台湾の各党派や団体」を挙げているのも、レファレンダムを実施すれば、台湾国民の拒絶に遭うことを十分に承知しているからでしょう。 ‘傀儡政党に政権を取らせる’、あるいは、‘政党を乗っ取る’手法こそ、中国流の‘民主主義の壊し方’なのかもしれません。何れにしましても、民主主義が悪用された事例として歴史に汚点を残すこととなりましょう。

 一方、上述したように、第2のシナリオが選択された場合における悲劇は言うまでもありません。そして、この武力行使も辞さずの発言こそ、国連憲章違反である点に思い至りますと、中国は、国連安保理の常任理事国でありながら、公然とそれが定める基本原則を踏み躙っていると言わざるを得ないのです。国連憲章第2条3は、「すべての加盟国は、その国際紛争を平和的手段によって国際の平和及び安全並びに正義を危うくしないように解決しなければならない」と定めています(第2条4でも、領土保全や政治的独立に対する武力による威嚇又や武力の行使を慎むべきとしている)。同憲章第6条に照らせば、除名処分となり得る発言なのですが、おそらく、国連憲章が定める原則は、習主席の思考の枠からすっぽりと抜け落ちているのでしょう。

 第1シナリオであれ、第2シナリオであれ、中国の狡猾、かつ、暴力主義的な行動により、国際社会が重大なチャイナ・リスクに直面することは疑い得ません。習主席の覇権主義的野心表明と共にスタートした2019年は、日本国を含め、全世界の諸国が中国に対する警戒を強め、心して接せざるを得なくなる時代の本格的な幕開けとなるかもしれないと思うのです。

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ヤルタ協定がロシアの北方領土領有の法的根拠になり得ないもう一つの理由

2019年01月06日 14時22分23秒 | 国際政治
1月4日、年頭の記者会見に臨み、安倍晋三首相は、今年一年の対ロ外交の基本方針として「北方領土問題を解決して、平和条約を締結する」と語っております。具体的な解決策につきましては詳らかにはされておりませんが、今年は、戦後の70年余年に亘って凍結状態にあった北方領土問題が、俄かに緩み始める年となるかもしれません。

 ソ連邦の時代より、ロシアは、一貫して北方領土は第二次世界大戦の対日勝利によって自国領となったとする立場を維持しています。プーチン大統領に至っては開き直って‘戦利品’と見なしているのですが、同国は、しばしば自国領有の法的根拠としてヤルタ協定を挙げています。ヤルタ協定とは、1945年2月11日にヤルタにおいて開かれたクリミア会議の場で、ルーズベルト米大統領、チャーチル英首相、並びに、ソ連邦のスターリン元帥の3首脳の間で合意された協定の名称です。

 同協定については、ロシア側は拒絶しつつも、当時の慣習国際法に照らしても無効とする説が有力です。その理由としては、これまで、(1)秘密裏に締結された‘密約’であった(2)当事国(日本国)の同意なき合意であった、(3)ソ連の対日侵略行為は強行放棄(ユース・コーゲンス)に違反する、(4)ソ連の領土拡張は連合国間の不拡大方針の合意(大西洋憲章)に反する、(5)米国務省が無効の公式声明を出している、などといった諸点が指摘されてきました。そして、もう一つ、同協定がロシアの法的根拠となり得ない理由があるとしますと、それは、同協定に含まれる対中要求に見出すことができます。

 常々北方領土問題と絡む形で論じられるため、日本国内では、ヤルタ協定のターゲットは日本国であると見なされがちです。しかしながら、その内容をよく読んでみますと、戦後処理の対象は日本国に留まらず、満州、並びに、中国の権益に及んでいます。同協定における満州・中国関連の合意とは、(1)外蒙古の現状維持、(2)大連商港の国際化とソ連の優先的権利の擁護、(3)ソ連海軍基地としての旅順国の租借権回復、(4)南満州鉄道の中ソ合弁会社による共同運営、(5)満州における中華民国の完全な主権保有です(ソ連邦の論理的根拠はソ中協力による日本国の脅威への対応…)。ただし、満州・中国関連の合意が実現するには、中華民国の蒋介石総統の合意を要するものとしたのです。

 それでは、その後、満州・ヤルタ協定が定めた中国関連の合意事項はどのような運命を辿ったのでしょうか。実のところ、ヤルタ協定の最後の部分には、ソ連邦には、中華民国と軍事同盟を締結する準備がある旨の記述が置かれています。国共合作の最中にあるとはいえ、中国大陸では国民党と共産党との対立関係を考慮しますと、同協定は、対中要求としては、‘ソ連邦が国民党を支援する見返りに上記の諸権益をソ連邦に認めよ’と読むことができるかもしれません。そして1945年8月14日には、ソ連邦と中華民国との間で中ソ友好同盟条約が締結されるのですが、その付属協定においてヤルタ協定での合意事項が明記されたのです(外モンゴルについては、スターリンはさらに踏み込んで蒋介石に独立を認めさせる…)。

しかしながら、同条約は、ソ連邦が中華民国との軍事同盟をよそに、秘かに中国共産党を支援したために、全く機能しなくなります。1949年10月1日に国共内戦に勝利した毛沢東が中華人民共和国を建国すると、ソ連邦は、中ソ友好同盟条約を破棄して同国との間で新たに中ソ友好同盟相互援助条約を結ぶのです。そして、同条約の付属協定として、「中国長春鉄路、旅順口および大連に関する中ソ間協定」並びに「ソ連から中国への借款供与に関する協定」が締結され、ソ連邦は、前条約において蒋介石が承認した権益を返還することとなるのです。なお、中ソ友好同盟相互援助条約も中ソ対立時代を経て1980年には期限終了で失効しています。

ヤルタ協定をめぐる上記の経緯の背景には、中国情勢をめぐる米ソの駆け引きや共産主義勢力の思惑等も絡んでいるのでしょうが、少なくとも現時点にあって、ヤルタ協定に記された対中合意事項は既に空文化しています。乃ち、ヤルタ協定は、第二次世界大戦末期における連合国諸国間の一時的な政治的合意文書に過ぎず、中国のみならず、日本国に対しても、領土割譲を要求し得る絶対的な法的根拠とはなり得ないと考えられるのです。況してや、ソ連の軍事協力を得るために権益を譲渡した中華民国の蒋介石とは違い、日本国は、一度たりともソ連に対して北方領土の割譲を認めたこともありません。今後の対ロ交渉にあって、日本国側の妥協的な譲歩が懸念されておりますが、ロシア側には北方領土に対する正当なる法的根拠が存在しないことを、まずは再確認すべきではないかと思うのです。

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自衛隊機レーダー照射事件-韓国は罠を仕掛ける?

2019年01月05日 12時06分05秒 | 日本政治
河野外相 韓国外相と電話会談「早期解決」
 昨年末、日本海上で発生した韓国海軍艦艇「広開土大王」による海上自衛隊機照射事件は、韓国側の事実否認により、年が明けても未だ決着を見ていません。業を煮やした防衛省が公開した証拠動画に対しても韓国側は頑としてこれを認めず、反論動画を公開する始末です。しかもこの反論動画、その大半が防衛省公開の証拠動画の映像を加工して‘再利用’しているというのですから唖然とさせられます。

 当初、韓国側は、レーダー照射の事実を認めた上で、悪天候、並びに、北朝鮮漁船の救難活動を理由として自らの行為の正当化を試みていました。しかしながら、事件当時、現場の天候が好天であったことが判明し、‘悪天候説’の嘘はばれてしまいます。そこで、‘悪天候説’に替って登場したのが‘自衛隊機威嚇飛行説’であり、この説によって、韓国側は加害側から被害側へと自らの立場をすり変えてしまうのです。この頃迄はレーダー照射の事実を認めていたのですが、その後、韓国政府は、レーダー照射の事実そのものをも否定し、被害者の立場から日本国に対して謝罪要求を突き付けるに至るのです。

 韓国側は、論点を‘自衛隊機威嚇飛行’の有無に巧妙にずらすことで、自らの行為を正当化しようとしたのでしょうが、ここで一つの論理矛盾が生じることとなります。それは、後になってレーダー照射の事実否認に転じたため、正当化の対象となる行為そのものがなくなってしまったことです。この結果、‘日本国の自衛隊機が威嚇飛行をしたから、致し方なくレーダーを照射した’ではなく(もっとも、この状況であってもレーダー照射は国際ルールに反する…)、‘日本国の自衛隊機が威嚇飛行をしたにもかかわらず、韓国側は何もしなかった’という、どこか奇妙な言い訳となってしまうのです。

 韓国側の反論動画では防衛省公開の動画に録音されていたレーダー照射音が意図的に消去されており、レーダー照射の事実は動かし難いのですが、虚偽を重ねて自らの非を認めようとしない韓国側の態度に憤慨した防衛省内部では、さらなる証拠の開示を検討しているそうです。そしてその証拠とは、‘軍事機密である波長データ’らしいのです。この応酬で注目されるのは、韓国側の反論動画には、以下のような一文がある点です。

「韓国海軍は、いかなる脅威行為もしていません。 日本がまだ追跡レーダー探知を主張するなら、両国が一緒に実務協議を通じて哨戒機から収集した電磁波の情報を分析して、事実を確認するための手順を踏めばなります。」

防衛省幹部の反応は、上記の韓国側の要求に応じたこととなるのですが、ここで考えるべきは、何故、敢えて韓国側が電磁波情報の分析を反論動画において提案したのか、という点です。先に述べた韓国側の言い訳は、仮に日本国側から自衛隊の電磁波情報を聞き出す意図があったとすれば、論理上の支離滅裂さは二の次であったこととなります。日韓間の証拠の出し合い合戦に持ち込むことができれば、日本国の自衛隊の軍事機密を労なくして得るチャンスとなるからです。つまり、仮に日本国側が‘証拠’を提示すれば、韓国側は電磁波情報を得られますし、また反対に、‘証拠’の提示を日本国側が渋れば、韓国側は証拠不十分で事件を有耶無耶にできますので、どちらの転んでも、韓国は自国に有利なようにこの事件を利用できるのです。

 このように推測しますと、韓国側によるさらなる証拠の提示要求は、日本国に仕掛けられた‘罠’であり、日本国を不利な行動に誘導する挑発行為なのかもしれません。日本国政府は、迂闊に自国の電磁波情報を韓国に伝えるような愚は避け、日本国の安全を脅かさないよう、電磁波情報とは別の証拠を挙げるか、あるいは、韓国艦艇が北朝鮮漁船の密漁船が蠢く日本海の大和堆で、一体何を目的とした活動を行っていたのか、この点を徹底的に追及すべきなのではないでしょうか。

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TPP11による雇用創出効果の誤算-拍車がかかる‘人手不足’

2019年01月04日 13時22分52秒 | 国際政治
 昨年末、2018年12月30日に、日本国が主導したとされるTPP11(環太平洋パートナーシップに関する包括的及び先進的な協定)が発効する運びとなりました。2019年は、TPP11の誕生と共に幕開けしたといっても過言ではありません。国境を越えて環太平洋に地域に自由貿易圏が出現したことで、マスメディア等の論調は凡そ期待論で一色です。しかしながら、同経済圏が立脚している比較優位説を含む経済理論には重大な欠落、あるいは、現実との乖離が潜んでいる点を考慮しますと、リスク面にも関心を寄せる必要があるように思えます。

 そこで、本記事では、まずはTPP11期待論が主張する雇用創出効果について考えてみることとします。従来、雇用創出効果は、人々に就業の機会を与えるプラス効果として理解されてきました。特に、戦後、先進国は一貫して高い失業率に苦しめられており、雇用創出は、通商政策のみならず財政政策や産業政策など、あらゆる経済関連の政策において実現すべき課題とされてきたのです。

 こうした雇用創出効果への期待に応えるように、2017年12月12日に開かれた経済財政諮問会議において、日本国政府は、TPP11、並びに、2019年2月1日に発効を予定している日欧経済連携協定(EPA)において、それぞれ、46万人、29万人の雇用創出を見込むとする試算を公表しています。両協定を合わせれば、近い将来、日本国内には新たに75万人の雇用が生まれることとなるのです。仮に、従来の政策評価の基準、即ち、雇用創出=プラスに従えば、TPP11がもたらす雇用創出効果は国民からも歓迎されたことでしょう。

 しかしながら、このプラス評価は、雇用状況の変化によって一転します。特に日本国は、TPP11加盟国の中で唯一深刻な人手不足が指摘されている国です。言い換えますと、たとえTPP11の経済効果として46万人の雇用、あるいは、日欧経済協定を加えて75万人の雇用が増えたとしても、それは日本国の現状の人手不足をさらに加速化させるマイナス効果しかもたらさないのです。それでは、現実に、70万人規模の雇用が増加した場合、日本国政府はどのように対応するのでしょうか。

 TPP11、並びに、日欧経済連携協定では、EUの原則の如き‘人の自由移動’は認められておらず、各国の労働市場は自由化の対象外とされています。このため、これらの協定のメカニズムにビルトインされる形で、労働力の過不足が加盟国間において自動的に調整されるわけではありません(同自律的調整機能がイギリスのEU離脱の原因となっている…)。しかしながら、70万人の新たなる‘人手不足’が既に予定されているとしますと、昨年末の入管法改正で顕著となった、‘移民政策’をめぐる日本国政府の動きは注目されます。入管法改正に際して新設された新たな在留資格では、5年間で最大34万人の外国人労働者の受け入れを上限として設定しておりますが、その他の永住資格や在留資格等を含めますと、政府は、一般の日本国民の支持や同意もなく、日本国の労働市場の開放に踏み切っております。言い換えますと、TPP11や日欧経済連携協定の成立によって生じる‘人手不足’については、これらの協定の枠外における事実上の‘移民’受け入れ政策で対応しようとしていると推測されるのです。

 そして、自由貿易圏の形成とは、国境を越えた競争の激化を意味しますので、労働コストにおいて劣位にある日本国の企業には、国際競争力を高めるために積極的に安価な労働力を求めて外国人を採用する動機が生じます。あるいは、入管法改正で新設された資格では、外国人に対して日本人と同等、もしくは、それ以上の賃金を支払うことを義務付けていますので、既に懸念の声が上がっているように、日本人の所得水準は、加盟国の所得レベルが平準化するまで徐々に低下してゆくことでしょう(先進国の所得水準の低下と新興国の上昇の同時進行による平準化するよりも、新興国のボトムアップによる平準化が望ましい…)。しかも、日本国政府は、日本国内での外国人による起業や外国企業の誘致を推進しておりますので、日本国内でTPP11加盟国の事業者が拠点を設ける場合には、本国出身者を雇用する可能性も高くなります。かくして、日本国は、急激な外国人人口の増加に見舞われ、その対応だけで地域社会が疲弊し、異文化間の摩擦に苦慮するリスクもあります。

 米中貿易戦争の影響が広がる中、TPP11や日欧経済連携協定の発効によって日本国内に新たに76万人の雇用が生まれるかどうかは怪しいところですが、自由貿易協定や経済連携協定を締結した結果、日本国が多民族国家へと変貌し、一般の日本国民が様々な危機や困難に直面するとなりますと、果たしてこの方向性が望ましいのか疑わしくなります。その先に何が待ち構えているのか、人々の日常生活から国際体系に至るまで広範な領域で一方的に変化を迫る移民問題は、今年もまた、日本国のみならず、人類が真剣に考えるべき重大な問題となるように思うのです。

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新年のご挨拶

2019年01月01日 09時27分58秒 | その他
 謹んで 初春の賀詞を 申し上げます

 旧年中は 格別のご厚情を賜り あつく御礼申し上げます


 皆さま方のご健康と幸多きを祈りつつ


 あらたまの 年のはじめに ふる雪の み空に舞ひて 春をことほぐ




*お正月の三が日につきましては、本ブログの記事掲載はお休みさせていただきたく存じます。拙いブログながらも4日頃に初記事を掲載いたしますので、何とぞご容赦くださいますよう、お願い申し上げます。
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