万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

政治家の資質は公平無私の精神では?-岸田首相の世襲人事

2022年10月13日 10時01分23秒 | 統治制度論
民主主義国家であれば、何れの国にあっても、政治家とは統治機能を提供するために国民から選ばれた公人、即ち、‘公務員’であり、国民に対して責任を負っています。日本国憲法の第15条2項にも、「すべての公務員は、全体の奉仕者であって、一部の奉仕者ではない」とし、‘公務員’の選挙は普通選挙によるものとしています。ここで言う公務員は主として政治家を意味しており、憲法上の政治家とは、支配者ではなく、国民に対する奉仕者なのです。ところが、今日の政治状況を見ますと、同条文は空文化しているかのようです。

敢えて憲法が政治家を国民への奉仕者と定めた理由は、古今東西を問わず、為政者が私利私欲を優先し、統治権力を私物化する傾向にあったからなのでしょう。帝王学が世襲君主に対して幼少の頃から公平無私の精神を教え込もうするのも、国民思いの名君が代々語り継がれる伝説と化のも、国民のために統治を行なう為政者が稀であった証しなのかもしれません。近代以降、民主的選挙制度によって、暴君や強欲な為政者を政治の舞台から排除できるようになったものの、国民は、同制度を以て安心してはいられないように思えます。国民から選挙を介して選ばれた政治家であっても、必ずしも私利私欲を追い求めないとは限らないからです。否、憲法の条文は、民主主義の欠陥を見越し、政治家に対して釘を刺そうとしたのかもしれません。

民主的選挙制度が如何に不完全で脆弱なものであるのかは、今日、多くの国民が認識するところです。日本国内を見ましても、権力の私物化の事例がここかしこに散見されます。これは、政治家が、巧妙に民主主義を骨抜きにしているからなのでしょう。先日も、岸田文雄首相の自身の長男である翔太郎氏を首相秘書官に任命する人事が国民から激しい批判を浴びることとなりました。

日本の政界における世襲政治家の率は極めて高く、岸田内閣では閣僚の凡そ6割を占めるとする指摘もあります。また、組閣を含めた人事権が首相に集中している現行の制度も民主主義を歪める一因とも言えます。こうした制度上の問題に加え、政治家としての資質が国民には見えにくい現状も、権力私物化の一因となりましょう。かつて知の巨人であったマックス・ヴェーバーは、その著書『職業としての政治家』において政治家に備わるべき資質として‘情熱、責任感、判断力’の三つの要素を挙げましたが、今日の日本国にあって当選に必要となるのは、‘地盤、看板、鞄’の三者なのです。

もっとも、ヴェーバーの三要素の前提に政治家の公共心があることは言うまでもありません。‘世の中を善くしたい’、‘人々に幸せをもたしたい’、‘悪の蔓延る政治をただし、世直しをしたい’といった‘情熱’があってこそ、政治家は、政治家という職業を志すのであり、責任感とは、国家や国民に対する統治責任に他なりません。また、国家の運命や国民の人々の生活に拘わる政策の決定や法律の制定に携わる職であるからこそ、優れた‘判断力’が求められると言えましょう。ヴェーバーの挙げた三つの要素が政治家として備えるべき資質の全てではないものの、民主主義の時代における政治家の資質を正面から論じた点において大変興味深いのです。

それでは、今般の世襲人事から岸田首相の政治家としての資質を見てみますと、残念な評価とならざるを得ないように思えます。岸田家を政治家という職業を家業として親族に世襲させ、日本の政界における‘政治一族’として確立するための人事と見なされても致し方ないからです。政治家による世襲人事は岸田首相に限らず、過去並びに現在においても他に事例があります。麻生太郎副総理の長男も青年会議所の会頭に就任しており、重職への就任による箔付けなど、世襲に向けたレールが着々と敷かれてゆく様子が窺えます。

その一方で、‘政治家の親族であっても優秀であれば問題はない’とする優秀説による擁護論もないわけではありません。しかしながら、この擁護論、そもそも首相秘書官の職が一般国民に等しく開放されたものではなく、首相の一存による任命ですので説得力に乏しいのです。当人の能力や優秀さが、試験の結果や業績といった客観的な情報やデータとして国民に示されているわけでもないのですから。否、ヴェーバーの3つの資質の何れに照らしても、政治家としての適性を備えているのか、甚だ怪しいのです。仮に、翔太郎氏が‘判断力’に秀でていれば、岸田政権に対する支持率が急落し、逆風が吹き荒れる中での世襲人事が世論の反発を受けることは容易に予測できたはずです。31才ともなれば大人ですので、民主主義の重要性を理解していてしかるべきであり、たとえ父親からの就任要請であっても、自らの政治的価値判断で断ることも、また、世襲人事は望ましくないとする進言もできたはずなのです(世襲を是とする思考も世襲されているのでは・・・)。

以上に述べてきたことから、国民は、政治家の資質を見極めようとする場合、判断材料として世襲人事や縁故人事の有無に注目する必要がありそうです。私益優先なのか、公益優先なのか、言葉ではなく行動がそれを示しているからです。日本国の政治をより善くしてゆくためには、国民も政治家も、公務員は公平無私であるべきであり(権力を私物化してはならない・・・)、全ての国民に対する奉仕者であるとする、時代を超えた普遍的な規範に立ち返るべきではないかと思うのです。

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