万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

‘虐め問題’は国際社会にも-日本国は虐め被害国?

2023年05月24日 12時04分16秒 | 国際政治

 本日の現代ビジネスのWeb版に、興味深い記事が掲載されておりました。それは、「なぜ日本の学校から「いじめ」がなくならないのか…たった2つの「シンプルかつ納得の理由」」というタイトルの記事です。同記事で指摘している虐めが蔓延る原因、考えてもみますと、日本国内の学校のみならず、国際社会にも当てはまるのではないかと思うのです。

 同記事では、虐めが蔓延する理由について以下の二つの点を挙げています。

「(1)市民社会のまっとうな秩序から遮断した閉鎖空間に閉じこめ、
(2)逃げることができず、ちょうどよい具合に対人距離を調整できないようにして、強制的にベタベタさせる生活環境が、いじめを蔓延させ、エスカレートさせる。」

 国際社会の現状を具に観察しますと、学校現場との共通点が見えてきます。国際社会もまた、学校と同様に、一般的な社会とは‘遮断’された存在です。国家によって構成される国際社会は、誰もが簡単に出入りできる場所ではなく、閉鎖空間と言っても過言ではありません。また、国内では、民主的な制度も司法行政制度も一先ずは整っており、常識や良識を基盤とする市民社会が成立しています(もっとも、良識的な市民社会が崩壊している国もありますが・・・)。一方、国際社会では、ウクライナ紛争等によって示されるように、未だに力を解決手段とする状況が続いています。国際社会もまた、‘まっとうな秩序’から遮断され、閉鎖空間に閉じ込められているのです。

 そして、国際社会もまた、適切に国家間関係を調整できず、親密性を強制される傾向にあります。先ずもって国際社会では、国連憲章も謳うように、平和の名の下で国家間にあって友好関係を築くように強く要請されています。このため、何れの諸国の対外政策も、建前としては全ての諸国との全方位的な友好を掲げています。しかしながら、実際には、国家間の関係強化が、むしろ摩擦や対立を生む原因となる場合が少なくありません。日中関係も見ても日韓関係を見ても、一定の距離があった時代の方が、むしろ双方共に相手国に対して好意的であったかもしれません。グローバリズムの流れにあって国境が低くなり、外部からの移民や資本の流入が増えるほどに、国民の警戒心や対抗心、あるいは、支配欲や防御意識が刺激され、虐め問題が、双方の力関係に沿って‘現代の植民地化問題’や‘差別問題’として噴出してくるのです。
 
 こうした国家間における密室における密な関係は、表向きの友好国間においても‘虐め’の原因となります。軍事的同盟国ともなれば、有事に際しては一蓮托生の関係となり、否が応でも関係性を深めざるを得なくなるからです。しかも、同盟相手国に自国の安全を依存している場合、虐めの傾向に拍車がかかることとなりましょう。今日の日米関係を見ますと、日米合同会議の存在やエマニュエル駐日大使の内政干渉によって表面化したように、アメリカから無理難題が押しつけられることも少なくないのです。学校でも、表向きは仲の良いグループの一員に見えながら、グループ内で虐めを受けるメンバーが見られますが、日本国とは、まさにこの立場にあるのかもしれません。

 また、学校でも、虐めの主犯格となる不良グループの‘ボス’が、調べてみると校外に存在しているケースもあるそうです(あるいは、虐めを黙認する’先生’かもしれない・・・)。国際社会にありましても、今日、アメリカをも手下とし、同社会全体を仕切っているのは、全世界にネットワークを張り巡らしている特定の金融・経済財閥、即ち、世界権力とする見方が有力です。この場合にも、日本国は、虐めの対象となります。ウクライナや台湾等で戦争を起こす一方で、投資先のアメリカ等の巨大軍需産業を擁する諸国にはIT・AI兵器を含む武器を大量生産・開発させ、日本国には戦後復興のプロセスで利益を得るために復興費用を負担させる、といったように、各国に対して役割を割り振るのです。

 この構図では、「パシリ役」の岸田首相の役割は、‘ボス’の命令に忠実に従い、日本国民から‘巻き上げる’ことです。学校でも、驚くべき額の恐喝事件がおきているそうですので、もはや‘虐め’というよりも犯罪です。ウクライナの復興支援のための費用も、日本国には、一切、それを拠出する法的な義務はありませんので、自発性を装わせたソフトな‘恐喝’とも言えましょう。加えて、台湾有事ともなれば、日本国も世界権力からそそのかされた中国から雨やあられのミサイル攻撃を受け、破滅的な損害を被るのですから、踏んだり蹴ったりとなりましょう。

 同記事では、虐め問題の解決策として、(1)‘市民社会のまっとうな秩序’での運営、並びに、(2)閉鎖社会における密な関係の強要をなくし、各自による対人距離の自由な調節を挙げています。国際社会もまた、各国の主権と独立性を尊重し、それぞれの国が自立的に他国と適切な距離を保つように調整し、かつ、暴力ではなく理性と良識に基づく秩序を確立しないことには、国際社会の‘虐め’もなくならないと思うのです。

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