万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

善い利他主義と悪い利他主義-ジャック・アタリ氏の利他主義論への懐疑

2023年02月27日 11時37分22秒 | 社会
フランスの著名知識人であるジャック・アタリ氏は、かねてより未来の人類社会に向けた目標として利他主義を提唱しております。利己主義から利他主義への転換こそ、来るべき未来のあるべき人類社会の姿であると訴えているのです。しかしながら、利他主義の薦めには、細心の注意を払うべきかもしれません。

 利他主義という言葉を耳にして、不快に感じる人は殆どいないことでしょう。この言葉は、自己の利益のためには他者の利益を犠牲にしても厭わない利己主義の反対語として常々用いられており、利己主義=悪、利他主義=善という認識が凡そ固定概念として定着しています。このため、アタリ氏が利他主義を唱える時、それは、善意からの発言と凡そ受けとめられることでしょう。

 利他主義の提唱は、ここ数年来の同氏の持論であったようなのですが、昨今の同氏の発言を聞いておりますと、利他主義も、その使いようによりましては、他害的な結果をもたらすように思えてきました。否、政治的に見ますと、全体主義に利用されてしまうリスクも見えてくるのです。何故、このように考えるに至ったかと申しますと、2月14日付けでAERAdot.で掲載された「“世界屈指の知識人”ジャック・アタリが指摘するパンデミックの原因と、未来のキーワード「利他主義」と「命の経済」」と題する記事を目にしたからです。

 同記事において、アタリ氏、地球温暖化問題やコロナワクチン接種を引き合いに出しながら、利他主義に言及しています。新型コロナウイルスによるパンデミックが発生した時点で「今は利己主義と利他主義の戦いだ」という記事を執筆したとする同氏は、他者のためにワクチンを接種する行為を利他主義が広く理解されてきた証しとしています。「ワクチンを接種することで他人を保護することに、私たちが関心を持っていること、つまり利他主義の重要性を理解していることが示されました。」として。

 一読する限りでは問題はないように思えるのですが、よく読みますと、この発言には、利他主義のレトリックが巧妙に隠されているように思えます。何故ならば、他者のためにワクチンを接種することが利他主義のあるべき姿であるならば、全員がワクチンを接種すべきであり、接種しない人は、利己的な人、即ち、悪人と言うことになるからです。この論法は、同調圧力の最強の根拠となり得ます。そして、ここに重大な問題が持ち上がるように思えます。

 ワクチン接種が誰に対しても無害であり、利益となるならば、何らの問題もないのでしょう。例えば、‘殺人をしてはいけない’、‘窃盗をしてはいけない’、‘他害的な嘘をついてはいけない’といった行動規範であれば、全員がこの規範を誠実かつ厳格に遵守すれば社会の安全性は格段に高まり、皆が安心して生きる社会が実現します。ところが、全てが有害行為の禁止のように全員に利益が及ぶケースばかりではありません。利他的な行為として推奨された行為において、自害性や他害性が含まれる場合には、利他的行為は、いとも簡単に自害行為や他害行為へと反転してしまうのです。現実に、人口削減計画説が信憑性を帯びるほど、コロナワクチンによる健康被害は、日本国内を含めて先進国を中心に世界レベルで広がっています。利他的精神からワクチンを接種に協力した人々がワクチンの犠牲となりながらも、‘全体を救うためには致し方ない犠牲’と嘯く冷たい声も聞かれるのです。

 また、アタリ氏は、「利己的な利他主義」とも述べており、他者の利益に資する行為は自らを護るための行為でもあるとする見解も示しています。「情けは人のためならず」という諺もあるように、善行を説く古今東西の格言や道徳律にも通じるこの見解は、確かに利他主義の利己な一面を説明しています。しかしながら、この見解も、無害な行為のみに当てはまります。自害性や他害性が含まれるケースでは、‘自分のため’にも‘人のため’にもならないかもしれないのです(ワクチン接種により、他者に対するシェディングも起きるとする指摘も・・・)。

 利他主義の名の下で善意でワクチンを接種した人々は、たとえ被害を被ったとしても自己責任となりますし、同調圧力をかけた周囲の人々も、リスクについて知らない状態であれば、利己的行為を戒めるために接種を薦めたことになります。何れもが、自覚のないままに、被害者あるいは加害者となってしまうのです。

被害者も加害者も善意であり、責任の所在は曖昧になりがちなのですが、実のところ、責任の所在を明らかにすることは、それ程、難しいことではありません。こうしたケースでは、全責任は、政府や世界権力をはじめ、コロナワクチンの接種を利他的行為=絶対善として国民に対して宣伝した人々にあると言わざるを得ないからです(二重思考の手法としての価値の先取りであれば、ワクチン接種=利他的行為=善という構図を最初に作ってしまう・・・)。

 そして、仮に、利他主義をもってワクチン接種を薦めた人々が、同ワクチンのリスクを予め知っていたとすれば、利他主義とは、接種を薦めた側の究極の利己主義と言うことになりましょう。自らの目的を達成するためには、‘他者’であれば全員が被害を被っても構わないと考えたことになるのですから(高齢者集団自決発言にも同様の思考が・・・)。利他的行為を自分自身ではなく他者に薦める人は、恐るべき自己中心主義者かもしれません。

この利他主義の狡猾な悪用の側面は、ワクチン接種のみならず、地球温暖化問題などにも共通しているのかもしれません。そして、全体主義体制とは、まさしく利他主義の美名の元で国民を最低のレベルまで引き下げ、自己を捨てさせた上で画一化する体制とする見方も成り立つように思えます。利他主義には、それが利己主義者に悪用されますと合法的な国民抹殺や弾圧の口実となりかねないリスクがあるのですから、善い利己主義と悪い利己主義を賢く見定める必要があるように思うのです。

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