万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

事実が怖い中国―習主席演説を読み解く

2020年09月04日 12時39分50秒 | 国際政治

 中国の習近平国家主席は、抗日戦争勝利75周年を記念するイベントにおいて、人々を唖然とさせるような演説を行ったと報じられております。中国の主張が、常々、人々に違和感を与え、あるいは、反感を持たれる理由は、徹底した自己中心の思考回路から発せられているからなのでしょう。一般の社会にあっても、かくも酷いエゴイストは珍しいのです。

 

 習主席の演説においてまず注目される点は、‘共産党と国民を分裂させてはならない’という主張です。‘互いに敵対させようとする’、並びに、‘中国共産党の歴史を歪め、党の性格や目的を中傷する’個人や勢力は、‘決して許さない’と断言しているのです。マスメディアの多くは、習主席の言葉を、9月4日という日が日本国が米艦隊ミズーリ号の甲板で降伏文書に調印した記念日でありながら、第二次世界大戦にあって直接に干戈を交えた日本国ではなく、今日、対立が激化しているアメリカに対する牽制として報じています。この解釈に従えば、抗日戦争勝利75周年の演説というよりも、新冷戦への決意を新たにする宣言ということになりましょう。

 

 講演の内容とイベントとの‘場違い’はさて置くとしましても、習演説の‘共産党と国民を分裂させてはならない’という主張から浮かび上がるのは、共産党と中国国民との抜き差しならない関係です。中国共産党員は全人口の凡そ6%程とされていますので、平等を掲げて全人民をプロレタリアート階級に見立てた共産主義の理論とは裏腹に、両者の間には、歴然とした隔たりがあります。一党独裁体制とは、共産主義が否定したはずの少数者支配の体制であり、永遠に共産党が権力と富を独占しようとする体制なのです。

 

このため、共産党と国民との一体性は、共産党側が自らの存在を正当化するために主張する方便に過ぎません。そして、習主席が共産党と国民との分裂に触れているのは、現実には、両者の間の亀裂が深まっていることに対する危機感があるからなのでしょう。何故ならば、党と国民との一体性は、あくまでも、共産党の自己中心的、かつ、主観的な決めつけに過ぎず、国民の側は、自らを共産党とを同一視はしていないからです。仮に、共産党と国民が一体化されているならば(全国民が共産党員?)、国民が政治に参加する民主的制度も発展したでしょうし、個々人の基本的な自由や権利も厚く保障されたことでしょう。

 

マスメディが習主席の発言を対外向けのメッセージとして報じた理由も、実のところ、仮に、国民向けであるならば、主席自らが共産党と国民との間の分裂、あるいは、分断を認めたと受け止められない‘リスク(共産党にとってのリスク)’があったからかもしれません。同主席は、国民に対して、共産党から離反しないように釘を刺した、否、処罰を仄めかして脅したことになるのですから。

 

常識的に考えれば、共産党に属する一部の人々のみが権力と利権を独占する体制、即ち、共産党が一方的に国民を支配する体制を支持する人がいるとすれば、それは、同体制から様々な利益や利権を受けている共産党員以外にはあり得ません。習主席は、海外の個人や勢力が、共産党と国民との分裂を造り出していると主張したいようですが、現実には、共産党一党独裁体制というシステムそのものが、両者の分離を前提として設計されており、国民の側から不満が生じることは織り込み済みなのです。そうであるからこそ、中国では、人民解放軍は平然と人民に銃口を向け、ITを駆使して情報を操作すると共に、全国民を徹底した監視下に置いているのです。

 

そして、‘中国共産党の歴史を歪め、党の性格や目的を中傷する’行為とは、中国の真の姿を偽善や欺瞞の仮面を剥ぎ取って正直に語ることに他なりません。中国が最も恐れているのは、‘現実’そして‘事実’というものなのでしょう。中国は、それが自国民であれ、外国の個人や勢力であれ、誰であれ、中国の真の姿を語る、即ち、事実を直視して指摘する人々の口を封じたいのです。先日、ポンペオ米国務長官は、‘中国共産党は、事実を語る者を消そうとする’といった旨の発言をしておりますが、自らが‘悪’であるという自覚があるからこそ(悪の本質は利己的他害性…)、事実が何よりも怖いのです。

 

その一方で、人類が最も警戒しなければならない人々とは、事実を隠さなければならない人々です(人々を黙らせるには、暴力や卑怯な手段を使うしかない…)。しかも、こうした人々がエゴイストであり、かつ、公的な立場にある場合には、多くの人々にも危害が及ぶ可能性が高くなるのです。中国共産党こそ、まさにその最たる事例であり、自己保全のためには、他者の命を奪うことも厭わず、一般の人々が自然に備えている事実を認識し、善悪や是非を判断する能力、即ち、知性や理性までも破壊しようとすることでしょう。習主席は、「中国に対するいじめや自己意志の押し付けを決して受け入れない」とも語っていますが(中国こそ、苛めや自己意志の押し付けの常習犯…)、この言葉も、事実に基づいて自らが有罪の判定を受ける事態を恐れる心理の裏返しでもあります。他者の自由や善を認めることが自らの滅亡を意味する立場にある中国共産党は、潔くその血塗られた暗黒の歴史に終止符を打つべきではないかと思うのです。

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