日本国がポツダム宣言の受け入れを表明した8月15日に前後して、NHKでは、先の戦争に関連する番組を連日放送するのを慣例としてきました。特に今年は、事実を丁寧に掘り下げた作品も多いのですが、注意深く見ておりますと、そこかしこに歴史の謎が散りばめられているように思えます。本記事では、まずは、‘史上最悪の作戦’とされる悲劇のインパール作戦の謎に迫りたいと思います。
インパール作戦に関する番組は2017年に制作されており、二度目の放送となります。2年前には気が付かなかった点も多々あり、失敗の原因を含めてより明確に全体像を掴めるようになりました。短いようで長い2年と云う月日における歴史を見る視線の変化に我ながら驚かされたのですが、同作戦に纏わる謎もさらに深まるものとなったのです。歴史の闇の中で謎めいた姿で佇んでいるのは、同作戦の最高責任者であった牟田口廉也中将です。
インパール作戦とは、イギリス軍がインド帝国領ビルマ州を経由して中国の国民党軍に支援をしていたため、同援蒋ルートを断つために立案した作戦です。この時、日本軍は、ビルマ作戦に成功してビルマ全土を占領しており、イギリス軍は反攻のチャンスを窺う状況にありました。同作戦が愚策として評される理由は、相手方の補給路、即ち、兵站の切断を目的とした作戦にも拘わらず、自らの兵站については全く考慮しなかった点にあります。もっとも、兵站の途絶による敗北はナポレオンのモスクワ遠征などでも見られ、必ずしも珍しくはありません。しかしながら、インパール作戦が‘史上最悪’とまで酷評されるのは、同作戦に見られる味方をも見捨てる酷薄さと凡そ全ての点における徹底した現実無視にあります。
牟田口中将は、インパールを攻略するには‘5千人を殺せばできる’と言い放ったと記録されています。この言葉における5千人は敵兵の数ではなく、予測される日本軍の兵士の犠牲者数です。また、‘全滅してもコヒマを占領せよ’と檄を飛ばしたそうですが、日本軍が一人残らず斃れたのでは拠点占領などできるはずもありません。そして自軍の兵士に対する冷淡さは撤退後にこそ、その本領が発揮されます。牟田口中将以下指令部は、逸早く戦線を離脱して逃げ去る一方で、日本兵は雨期に入った熱帯の密林に置き去りにされ、飢餓や疫病も相まって戦死者2万6千人という想像を絶する悲劇に見舞われるのです。力尽きて斃れた日本兵が横たわる密林の道なき道は白骨街道とも称され、日本兵達はこの地でこの世の地獄を見るのです。
援蒋ルートを断つ作戦は、戦略上、確かに重要ではあります。しかしながら、‘敵国の首都の占領’は、それ自体が勝利条件であり、戦略において正しくとも、それが実現不可能であれば、すべき作戦ではないはずです。インパール作戦も同様であり、当初から軍内部にあっても成功の見込みが薄いために反対の声も多く、牟田口中将自身も難色を示していたそうです。ところが、牟田口中将は、ある情報を得たことから態度を一変させたと言います。その情報とは、‘大本営’が‘インパール作戦の実行を望んでいる’というものです。となりますと、インパール作戦における最大の責任者は‘大本営’ということになるのですが、同番組では、この後、別の大本営側の証言を紹介しています。それは、‘大本営’は、インパール作戦を実行したいとする部下からの進言を受け、熱意に動かされて同作戦を裁可した、というものです。つまり、‘誰がインパール作戦の実行を決定したのか’、という責任の所在を示す肝心の部分が、全く以って藪の中なのです。
牟田口中将については、ネット上で調べていくうちに、ついアンエンサイクロペディアというサイトのページを開いてしまったのですが、ウィキペディアをもじった同サイト、パロディーやフィクションに満ちてはいるものの、事実が混じっている場合もあるそうです。同サイトのページには、インパール作戦に関する目を覆いたくなるような愚策ぶりも列挙されているのですが、‘連合国のスパイであった、という点以外は残念ながら事実である’とする但し書きが付いているのです。確かに上述した番組の内容とも一致しており、アンエンサイクロペディアには珍しく、事実そのものが読む人を唖然とさせる故に、そのままに記述されているのでしょう。そして、英軍に有利となるように失敗が繰り返されている点を考慮すれば(意図的としか思えない…)、牟田口中将スパイ説も強ち否定もできないようにも思えてくるのです。仮に、牟田口中将がスパイであったとするならば、同中将の態度を一変させた‘大本営’とは、日本国の軍部ではなく、連合国のいずれかの国、もしくは何らかの海外の国際組織であった可能性もあるのでは…と。果たして、この推測、考え過ぎなのでしょうか。そして、今日に生きる人々が最も恐れるべきは、政治分野であれ、経済分野であれ、国民に無謀な戦いを強いて破滅に導く“現在の牟田口”なのではないかと思うのです。
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インパール作戦に関する番組は2017年に制作されており、二度目の放送となります。2年前には気が付かなかった点も多々あり、失敗の原因を含めてより明確に全体像を掴めるようになりました。短いようで長い2年と云う月日における歴史を見る視線の変化に我ながら驚かされたのですが、同作戦に纏わる謎もさらに深まるものとなったのです。歴史の闇の中で謎めいた姿で佇んでいるのは、同作戦の最高責任者であった牟田口廉也中将です。
インパール作戦とは、イギリス軍がインド帝国領ビルマ州を経由して中国の国民党軍に支援をしていたため、同援蒋ルートを断つために立案した作戦です。この時、日本軍は、ビルマ作戦に成功してビルマ全土を占領しており、イギリス軍は反攻のチャンスを窺う状況にありました。同作戦が愚策として評される理由は、相手方の補給路、即ち、兵站の切断を目的とした作戦にも拘わらず、自らの兵站については全く考慮しなかった点にあります。もっとも、兵站の途絶による敗北はナポレオンのモスクワ遠征などでも見られ、必ずしも珍しくはありません。しかしながら、インパール作戦が‘史上最悪’とまで酷評されるのは、同作戦に見られる味方をも見捨てる酷薄さと凡そ全ての点における徹底した現実無視にあります。
牟田口中将は、インパールを攻略するには‘5千人を殺せばできる’と言い放ったと記録されています。この言葉における5千人は敵兵の数ではなく、予測される日本軍の兵士の犠牲者数です。また、‘全滅してもコヒマを占領せよ’と檄を飛ばしたそうですが、日本軍が一人残らず斃れたのでは拠点占領などできるはずもありません。そして自軍の兵士に対する冷淡さは撤退後にこそ、その本領が発揮されます。牟田口中将以下指令部は、逸早く戦線を離脱して逃げ去る一方で、日本兵は雨期に入った熱帯の密林に置き去りにされ、飢餓や疫病も相まって戦死者2万6千人という想像を絶する悲劇に見舞われるのです。力尽きて斃れた日本兵が横たわる密林の道なき道は白骨街道とも称され、日本兵達はこの地でこの世の地獄を見るのです。
援蒋ルートを断つ作戦は、戦略上、確かに重要ではあります。しかしながら、‘敵国の首都の占領’は、それ自体が勝利条件であり、戦略において正しくとも、それが実現不可能であれば、すべき作戦ではないはずです。インパール作戦も同様であり、当初から軍内部にあっても成功の見込みが薄いために反対の声も多く、牟田口中将自身も難色を示していたそうです。ところが、牟田口中将は、ある情報を得たことから態度を一変させたと言います。その情報とは、‘大本営’が‘インパール作戦の実行を望んでいる’というものです。となりますと、インパール作戦における最大の責任者は‘大本営’ということになるのですが、同番組では、この後、別の大本営側の証言を紹介しています。それは、‘大本営’は、インパール作戦を実行したいとする部下からの進言を受け、熱意に動かされて同作戦を裁可した、というものです。つまり、‘誰がインパール作戦の実行を決定したのか’、という責任の所在を示す肝心の部分が、全く以って藪の中なのです。
牟田口中将については、ネット上で調べていくうちに、ついアンエンサイクロペディアというサイトのページを開いてしまったのですが、ウィキペディアをもじった同サイト、パロディーやフィクションに満ちてはいるものの、事実が混じっている場合もあるそうです。同サイトのページには、インパール作戦に関する目を覆いたくなるような愚策ぶりも列挙されているのですが、‘連合国のスパイであった、という点以外は残念ながら事実である’とする但し書きが付いているのです。確かに上述した番組の内容とも一致しており、アンエンサイクロペディアには珍しく、事実そのものが読む人を唖然とさせる故に、そのままに記述されているのでしょう。そして、英軍に有利となるように失敗が繰り返されている点を考慮すれば(意図的としか思えない…)、牟田口中将スパイ説も強ち否定もできないようにも思えてくるのです。仮に、牟田口中将がスパイであったとするならば、同中将の態度を一変させた‘大本営’とは、日本国の軍部ではなく、連合国のいずれかの国、もしくは何らかの海外の国際組織であった可能性もあるのでは…と。果たして、この推測、考え過ぎなのでしょうか。そして、今日に生きる人々が最も恐れるべきは、政治分野であれ、経済分野であれ、国民に無謀な戦いを強いて破滅に導く“現在の牟田口”なのではないかと思うのです。
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私はこの小説は非常に清々しい小説だと思う。どうも漱石はこんなふうに思っていたようです。江戸っ子は嘘を言わない。そして会津も正しかった。佐幕で負けた人間の道徳の方が高かった。江戸幕府を滅ぼして明治政府を支配している薩摩、長州の人々や京都の公家はどうも嘘つきだ。この小説にはそういう批判があるような気がしますね。赤シャツには京都の公家のイメージがある。狸にはどこか薩長出身の権力者のイメージがある。
漱石はこの小説で何を言いたかったのか。明治になって、資本主義の世の中がやってきますが、それは平気で嘘をつく時代ではないか。『坊ちゃん』という小説は、明治という新しい時代への批判のような気がします。
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現在も様々な問題において責任の所在は全く明らかになりません。
森友学園問題、加計学園問題ともにウヤムヤなまま葬り去られようとしています。
このような『平気で嘘をつく社会』が無くならない限り、原因究明は無理なのかもしれません。
道徳の教科化につきましては様々な意見がありますが、もしかしますと、最も基本的なところから教えなければならないのかもしれません。自らの利己的な目的の為に人を殺してはならない、人に危害を加えてはならない、人のものを盗んではならない、そして、嘘を吐いてはならない等々・・・。また、偽旗作戦といったメビウスの輪戦略についても、予防の為に教えておく必要もあるかもしれません。
戦前、日本には共産党以外に、もう一つ、マルクス主義政党があった。労農派だが。彼らはロシア革命の変質を知っていたのじゃないかな?コミンテルンが欧米の金融財閥、またCIAの前身であるOSSの道具であることを。
小さな非合法政党、共産党に「天皇制打倒!」を掲げさせ、激しい弾圧が生じることを狙っていた。激しい反共を叫ぶ極右こそコミンテルンの道具にしていた。コミンテルンの手先であることを隠すのが激しい反共。
226事件の黒幕、北はおそらくロックフェラーらの工作員。見事じゃないか?陸軍内部だけでなく、陸軍と海軍の対立、さらに何より皇室内部の対立を引き起こし、国家分裂を図ったのだから。昭和が後悔しているじゃないか。軍閥が様々な国家分裂を図るスパイを取り込んでしまうことを。大本営にもスパイがいただろう。高級士官は米国留学をすることが多い。
今でも同じ手口を使う。ネトウヨらに激しい反左翼運動、反韓運動、反露運動をさせ、その煙幕で竹島も北方領土も放棄するだろう。
戦前の日本人、なぜこんな弱小政党をかくも恐れ激しい弾圧をするのかと疑問に思わなかった阿呆どもだった。だから戦争には負けるだろう。
少なくとも、明治、あるいは、戦国期以降の我が国の歴史におきまして、海外勢力の暗躍や策謀が存在していた事実を、そろそろ、日本国民も真剣に考える時期に至っているように思えます。そして、共産主義こそ、国際金融によって創られているとしますと、やはり、中国共産党も同勢力の’傀儡’ということになりましょう。メビウスの輪戦略は、全世界的な問題なのではないかと思います。