イスラエルによるイランの核施設に対する攻撃は、アメリカの対イラン軍事行動を引き起こすという思わぬ事態に発展しました。この展開は、NPT体制の今後に多大な影響を与えずにはいられないことでしょう。何故ならば、今般の一連の出来事は、NPT体制が内包する矛盾や不条理を余すところなく暴露してしまっているからです。
第一に、同攻撃が、NPT非加盟国による加盟国に対する核保有の阻止を目的としたものであったことが、NPTの無意味さ、あるいは、無力さを物語っています。イスラエルは、同条約の成立当初からNPT体制に加わっておらず、NPTの法的効力は全く及んでいません。核兵器の保有は‘自由’である一方で、当然に、核保有国としての核兵器不拡散の法的義務も負ってはいません。自らはNPTの埒外に置いて核兵器を保有しながら、他国の核保有に対してはそれを許さず、武力をもってでも排除するというイスラエルの態度には、誰もが唖然とさせられるのですが、この状態を許しているのも、現行のNPT体制もあるとも言えましょう(もっとも、同武力攻撃は、国連憲章をはじめとした国際法違反ではある・・・)。一国でも非加盟国が存在する場合、本来、NPT体制は機能しないのです。
‘無法国家イスラエル’の印象をさらに強める結果となったのですが、この一件は、 国際社会において‘無法国家’が出現し得る現実を示したことにもなりましょう。NPT非加盟国は、核兵器に関するあらゆる法的義務から解き放たれている上に、同国には強力なる‘核の抑止力’も備わっているからです。如何なる国際法上の違法行為を行なったとしても、核保有国に対しては、国際機関も他の諸国も少なくとも軍事的な手段による制裁を科すことができないのです(事実上の‘野放し状態’に・・・)。
第二に、仮にイランの核開発が未完成であったとすれば、今般のイスラエルの攻撃は、NPT体制における‘持たざる国’の‘持つ国’に対する絶望的とも言える軍事的な劣位性を示す事例ともなりました。‘持たざる国’は、秘密裏での核兵器開発の疑いを持たれただけで、その可能性の排除を根拠とした攻撃を受けかねないからです。疑惑の段階でも攻撃を受けるならば、NPTへの加盟は、非核兵器国にとりましては、むしろ核保有国から一方的な攻撃を受けるリスクを自ら招き入れたようなものです。リスク低減どころか、武力攻撃を受けるリスクが高まるのですから、NPT体制が核の管理を介して平和に貢献しているという‘安全神話’が崩壊してしまうのです。
イスラエルによる対イラン攻撃に国際法上の根拠がないことは明白なのですが、それでは、アメリカの対イラン攻撃はどうなのでしょうか。同条約には、核の拡散、すなわち、核兵器の開発、保有、運搬などを行なった非核兵器国に対する制裁規定は設けられていません。アメリカは、NPTにおいて合法的に核保有が認められている核兵器国の立場にありますが、合法的な核保有国に対して取締の役割を付与しているわけでもなりのです。喩えれば、刑法にあって犯罪行為は明記されていても刑罰が記されておらず、しかも、同法を執行する警察も存在しないようなものです。となりますと、‘誰が法を執行しても構わない’ということにもなりかねません。同様の事例としては、ウクライナに対するロシアの‘特別軍事行動’に対しては、アメリカをはじめ日本国政府も、国際法違反の‘侵略’と認定して自国のウクライナ支援を正当化しています。
アメリカの対イラン軍事行動は、‘NPTの執行であった’とする解釈が成り立たないわけではないものの、このことは、NPTには、違反国が出現した場合の対応や制裁に関する手段や手続きの詳細が定められていないという重大な欠陥があることを示しています。つまり、中立的な国際機関による厳正なる捜査や公平な裁判を経ることなく、任意の国が恣意的に‘刑’を執行してしまう余地を与えているのです。第三点として、今般のアメリカの対イラン攻撃は、NPT体制の制度的欠陥を露わにしていることを指摘することができましょう。
そして、以上の諸点が示唆しているのは、NPT体制そのものの崩壊です。アメリカからの攻撃を受けたイランは、NPT体制は自国を護らないとして同条約からの脱退の意向を示すと共に、ロシアも、イランに対する核兵器譲渡の可能性に言及しています。イスラエルのようにNPTに加わらずに核兵器を保有する国が存在している以上、イランがNPT脱退を決断した場合、イスラエルはもとより他の諸国はそれを阻止できないはずです。上述したように、核を持たない方が安全保障上のリスクが高くなるならば、イランの判断は理解に難くはないからです。イランがNPTの法的枠組みから外れれば、アメリカを含めて他の加盟諸国も、NPTを口実とした軍事行動は最早とれなくなります。イランからすれば、核の抑止力をも備えることができますので、NPTからの脱退は、最善の策となりましょう。NPTには脱退条項がありますので、イスラエルは、むしろイランに対して核兵器保有の機会を与えたことにもなりましょう。
ウクライナのNPT加盟を実現させた「ブタベスト覚書」がロシアの対ウクライナ軍事介入を招いた点を考慮しますと、ロシアがイランに対して核の抑止力を提供しようとしている現状は、立場が逆転してしまった観もあります。その一方で、現実を直視するならば、NPTからの脱退の動きは、イランのみならず、核兵器国から一方的に安全を脅かされている他の非核兵器諸国にも広がってゆくかもしれません。果たして、今後、NPT体制は、どのような方向に向かってゆくのでしょうか(つづく)。