万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

中国と台湾との並立状態の法的確定を

2022年12月26日 13時28分47秒 | 国際政治
 台湾については、中国共産党も「カイロ宣言」を根拠として‘一つの中国’を主張し、今日、習近平国家主席も武力併合の可能性を公然と認めています。同主張は、中華人民共和国と台湾を合わせて‘一つの中国’とする根拠希薄な詭弁なのですが、同見解に異議を唱えようものなら拳を振り上げて威嚇してきます。しかしながら、国際社会が中国の無理筋の主張を黙認しますと、台湾有事も絵空事ではなくなり、東アジア、否、全世界に火の手が広がるリスク上がります。第三次世界大戦を未然に防ぐには、全ての諸国が平和的解決に努めるべきと言えましょう。そこで、本ブログにおけるこれまでの記事における考察から、国際法上における主権国家としての台湾の地位を以下に纏めてみることとしました。

 国際法における主権国家の要件とは、(1)国民、(2)領域、(3)主権の三者となります。国民については、現在の台湾は、オーストロシア語系の諸部族を原住民としつつも、オランダの支配を機に17世紀以降に本土南部より移住してきた古代閩・越の末裔と推測される南方系華人(ホーロー人)をマジョリティー(本省人)としています。両者とも中国語を国語としながらも、本土中国とは国民の民族構成が異なっており、今日では、台湾国民という独自のアイデンティティーの下で、‘民族’、あるいは、‘国民集団’としての政治的権利を有しています。言い換えますと、他の諸国の国民と同様に、台湾国民も、国民国家体系の基本原則である民族自決の権利を備えていると言えましょう。

 領域については、幾つかのアプローチがあります。最初に確認すべきは、台湾は、オランダ、清国、日本の支配地となった歴史はあっても、過去の歴史において自立的な‘国家’が成立していた時期が殆どない、という点です。あるとすれば、鄭氏台湾の時代のみですが、鄭成功も、台湾を本土からの逃避先並びに反清復明の拠点としたに過ぎません。そこで、第一のアプローチは、歴史的事実に反する「カイロ宣言」は無効とみなし、1952年4月に発効した「サンフランシスコ講和条約」において日本国が同地を放棄したことにより、無主地となったと解するものです。このアプローチに基づけば、本土から移転した亡命政府であり、かつ、占領軍として実効支配を及ぼしていた中華民国政府が、無主地先占の法理に従って同地の領有権を獲得したこととなります。

第二のアプローチは、一先ずは「カイロ宣言」の有効性を認め、サ条約とほぼ同時に締結された「日華平和条約」によって、日本国政府は、台湾を同宣言の述べる‘中華民国’とみなして‘返還’したとするものです。もっとも、このアプローチでは、1972年9月29日に日中間の国交を樹立した「日中共同声明」の成立に際し、当事の日本国政府は、政府解釈として「日華平和条約」の失効を一方的に宣言していますので、台湾の領域が未確定地となりかねず(仮に、このとき、日本国政府が中華人民共和国による台湾領有を認めたとすれば、中華人民共和国による軍事侵攻を正当化してしまう・・・)、改めて台湾による領有を確定する必要性が高まります。もっとも、日本国政府が、「日華平和条約」の政府解釈を変更してその有効性を認める、あるいは、台湾政府が、日本国政府の一方的条約終了を違法とし(確認訴訟において主張する道も・・・)、同条約の効力の持続性を国際司法裁判所などの国際司法機関に訴えれば、戦争当事国間の講和条約である「日華平和条約」の下で台湾の領域は確定することとなりましょう。

 主権については、1971年10月25日の「アルバニア決議」は、あくまでも国連における‘中国の代表権’を問題としていますので、この決議が、主権、即ち、台湾政府の存在並びにその外交権を否定しているわけではありません。そこで、問題となるのは、蒋介石総統によって台湾に移転した中華民国の亡命政府の合法性となりましょう。領域の無主地先占説にしても、「日華平和条約」による返還説にしても、その大前提として合法的な政府である必要があります(そもそも、条約の締結権を有すること自体が、台湾政府が合法的な政府であることを認めたこととなる・・・)。歴史的経緯を見ますと、当事の台湾は、国民党軍が進駐した連合国の占領地であり、蒋介石総統による中華民国の首都移転に対して、連合国は意義を唱えていません。言い換えますと、アメリカをはじめとした旧連合国諸国は、台湾における亡命政権の樹立、あるいは、亡命政府と中華民国政府との継続性を認めたことになりましょう(なお、日本国政府が、旧統治国として改めて台湾の独立を承認するという方法も・・・)。そして、1988年は、台湾という国家を枠組みとして、国民党一党独裁体制から民主的な国家体制へと台湾の体制が転換した年となりましょう(中華民国から台湾へ・・・)。

なお、ソ連邦時代にあっては疎遠であったロシアと台湾の関係を見ますと、1993年から96年にかけて双方が駐在員事務所を開設しており、事実上の政府承認ともなる外交関係を築いています。ソ連邦が連合国の一員であった点を踏まえますと、中華人民共和国以外の凡そ全ての諸国は、‘中国の代表’、あるいは、‘本土を含めた唯一の中国の合法的政府’ではないにせよ、少なくとも‘台湾における台湾政府の合法性’を否定はしてはいないのです。また、この点、同決議への反発から台湾は自ら国連を脱退したもの、逆の見方からすれば、中国の代表権のみを台湾から中国へと移した「アルバニア決議」は、台湾政府が、国際社会にあって合法的な政府であることの反証となりましょう。
 
 以上に述べたことから、何れかの国際司法機関に対して確認訴訟が提起されるとすれば、如何なるアプローチを選択しても台湾の主権国家としての法的地位は確立されるものと推測されます。そして、平和的解決の最終ステージは、台湾国民による国民投票となるかもしれません。民族(国民)自決の原則に従えば、最終的な国家体制(国名変更を含む中華民国憲法の改正・・・)、あるいは、帰属の選択については、国民自身が決定すべきであるからです。後者の‘帰属’については、本土の中華人民共和国による反発や批判を封じるための便宜上の選択肢となります(台湾国民は、自由で民主的な国家体制を選択するのでは・・・)。確認訴訟によって法的に中国と台湾という二つの国家を分立させることこそ、台湾問題を平和的に解決するための最善の方法ではないかと思うのです。

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