万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

軍事研究を怠ってきた日本国-正義の力が求められる時代

2014年06月06日 11時18分21秒 | 国際政治
中国、新たな南沙開発か 岩礁2カ所、埋め立て作業(産経新聞) - goo ニュース
 日本国の最高学府と称される東京大学において、戦後、軍事分野の研究がなされてこなかった理由は、驚くべきことに”労使合意”の結果なそうです。軍事は、平和国家日本の学問には相応しくないと見なしたのでしょう。

 しかしながら、現実には、軍事力を最大限に発揮する国も存在しています。近年では、桁違いの予算を軍備につぎ込んできた中国の軍事力増強は目覚ましく、日本国のみならず、周辺諸国の安全を脅かしております。しかも、国際法を無視した拡張主義は、地域のみならず、全世界に国際法体系の崩壊という危機をもたらしかねないのです。目の前を危機は、まさに”軍事”から生じているにもかかわらず、軍事研究を怠ってきた日本国は、あまりにも不利な状況にあります。科学技術の蓄積はあっても、軍事学の空白によって、相手国の軍事的な戦略や思考パターンを十分には分析できず、危機回避のためのノウハウの研究も、本格的にはなされてこなかったからです。左翼マスコミに至っては、防衛を目的とした常識的な対応さえ、反平和主義、あるいは、極右のレッテル張りによって糾弾しているのですから呆れるばかりです(某国の工作員なのでしょうが…)。日本国は、無抵抗のうちに降伏し、属国になるか、国民が虐殺されるのが正しい道であるとでも言うのでしょうか。中国は、国際法の無視を決め込んでいますので、戦争法を順守するとは限らず、あらゆる卑怯な禁じ手を使ってくるはずです。警察が、犯罪をなくすためにこそ、犯罪手口や犯罪者の心理から犯罪予防の手法に至るまで研究し尽くすように、平和を求めるならば、徹底した軍事研究は不可欠なのです。

 国際社会にあっても、他国の権利を侵害する国が存在する限り、侵害行為を物理的に制止するには軍事力を要します。日本国は、法の支配を将来に向けて確立するためにこそ、実学としての軍事戦略の研究に取り組むべきです。今日ほど、無法という野蛮と闘う正義の力が必要とされている時代はないのですから。

 よろしければ、クリックをお願い申し上げます。


にほんブログ村 政治ブログへ
にほんブログ村

コメント (2)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 中国が天安門事件を再評価で... | トップ | 支離滅裂な日本国政府の女性政策 »
最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (ねむ太)
2014-06-06 18:22:28
こんにちは。戦争・戦術・軍略などの軍事に対する議論が禁忌とされてきたのは言霊信仰が今も残っているからでしょう。
例えば、遠足の予定が組まれていて「天気大丈夫かな。予報では台風が近づいていると行ってたんだけど」此のような発言をすれば、皆、嫌な顔をしたり「せっかく皆楽しみにしてるのに、そういう事は言うものではない」と叱られます。
これこそが言霊信仰であり、口にした事は必ず起きる筈だとの思い込みがあるからです。
軍事や戦争についても、我が国が戦争に巻き込まれるかもしれない、と口にすれば戦争に巻き込まれると思い込み、平和を唱え、武力を持たなければ戦争に巻き込まれる事は無い、この部分においては平安時代の公家の考え方がそのまま残っているのです。
平和について考えるならば、戦争についての定義と原因をはっきりさせなければなりません。
戦争の起きる原因は水・食料・資源である事は人類誕生以来変わっていません。
どのような複雑な原因に見えても、絞り込んで考えますと水・食料・資源であることは変わっていません。
戦争も外交手段の一つですので戦時国際法という戦争についての取り決めがあります。
日本軍がペリリュー島で玉砕した戦においても、島民を避難させた上で、パラオの人々は一人の犠牲者も出していません。これこそが戦時国際法を順守した好例です。
逆に南京での便衣兵は戦時国際法違反の最たるものでゲリラとして処刑されても文句が言えないのです。
降伏して捕虜としての扱いを受けるにも厳密な規定があります。
南京に居た中国兵には捕虜としての資格はありませんでした。
平和とは武力の拮抗によって担保されるものです。
大国同士の衝突や世界大戦が起きないのは核が抑止力になっているからです。
軍事研究を禁忌にするのは平安時代の公家や貴族も現在の識者・文化人・学者と変わらず書物による理想論の世界にいるからです。
無責任に「九条を守れ」「九条を世界遺産に」と叫ぶ連中が南スーダンやチベット・東トルキスタンに行って現実を直視した事があるでしょうか。
いつまで続くか分からない内戦によって失われる命、侵略と弾圧によって文化は破壊され、国は失われ、絶望の中でもがき苦しむ人々の姿を見ても「九条を守れ」「憲法を守れ」「国連で解決しろ」と言う人間こそ本当の利己主義と言えます。
彼らは自分の現在の快適な生活だけが大切なのです。
中国が武力で攻めてきたら白旗を上げれば、今の生活は保証されると思い込んでいる大馬鹿な連中なのです。
当然ですが国連を万能の神のごとく崇め、国際社会を絶対善なるものと信じこみ・・・受験勉強だけで手一杯で他の事を考える余裕もなく、物事を関連付けて考える事も出来ません。
小・中・高を通じてそのような訓練は受けておらず、受験のテクニックだけを身につけているからです。
歴史の学習も縄文・弥生時代が中心で、歴史を物語りとして全体の流れを捉え、何が原因で事件が起こり、どのような結末を迎え時代が変化したのかを学ばないのですから、明治維新から現在までの国際情勢の変化を理解する事は出来ないのです。
その為に、頭の中がサンフランシスコ講和条約締結時のままなので米国がスーパーパワーであるとの前提に立って平和を叫び、GHQの草案による憲法を死守していれば米国が守ってくれる、との強固な思い込みと、東大卒の自分に誤謬があるはずが無いと信じこみ、人の話を聞かない、受け付けない・・・此のような傾向は戦前の幼年学校・士官学校・陸大、海軍兵学校・海大の成績順に階級が決められていた時そのままです。
現在の東大法学部・公務員上級試験・キャリア官僚、此のようなコースこそが受験エリートを作り出し現実に対応できない最大の原因でもあります。
返信する
ねむ太さま (kuranishi masako)
2014-06-06 22:30:05
 コメントをいただきまして、ありがとうございました。
 日本国は島国であったために、大陸諸国の国民よりも、外部的な危機に対して鈍感なのかもしれません。記録に残る国家存亡の危機とは、白村江の戦、刀伊の入寇や元寇…など、数えるばかりしかありません。もっとも、新羅等を念頭に防人が配置されていた奈良時代や平安初期の方が、よほど、朝廷の危機感は高かったかもしれませんが・・・。日本国は、こうした自国の特異な歴史を弱点として考えるべきですし、四方の海に守られる時代は過ぎてしまったと自覚すべきです。
 ところで、私の父は幼年学校を経て東大を卒業しておりますが、ねむ太さまのご説を話したところ、そうでもない、としきりに反論しておりました。人間は、必ず誤るもの!と…。案外、謙虚なエリートもおりますので、否定的になり過ぎることはないのではないかとも思うのです。
返信する

国際政治」カテゴリの最新記事