万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

KGBとプーチン大統領-情報機関のグローバル・ネットワーク疑惑

2024年03月04日 10時36分38秒 | 国際政治
 1989年に始まる東欧革命がドミノ倒しの如くにソ連邦にも及び、永遠に続くとみられてきたソ連邦が崩壊した時、誰もが、今日のプーチン政権の誕生を予測はしなかったことでしょう。何と申しましても、ウラジミール・プーチン氏は、全世界の諸国から恐れられていたソ連邦の情報機関、KGBの出身であったのですから。新生ロシア連邦に民主化の希望を託したロシア国民が、かくも簡単にKGB出身の大統領を選ぶとは、誰もが予想だにしなかったはずです。ところが、現実には、‘あり得ないこと’が起きてしまったのです。

 それでは、何故、常識的には考えられないような事態が起きてしまったのでしょうか。プーチン大統領は、KGBにあって対外情報部員として16年間勤務しています。最後は中佐にまで昇進しており、順調に出世街道を歩んできたようです。1991年のソ連邦崩壊を機に同氏は政治家に転身し、2000年5月には、遂、大統領の座に上り詰めることになりました。この間、わずか9年でしかありません。

 しかも、政治家に転身したとは言え、ボリス・エリツィン大統領の下で、プーチン大統領が公職に就いたのは2006年のことです。ここで、注目すべきは、同氏が就任した公職とは、連邦保安庁長官及び連邦安全保障会議事務局長である点です。最初に長官の任に就いた連邦保安庁とは、かのKGBの後身なのですから。ソ連邦の崩壊過程にあった1991年12月4日にKGBは4つの機関に分割されます。対外情報局(第一総局)はロシア対外情報部となるのですが、防謀・犯罪捜査を担ったのが連邦保安庁なのです。

 プーチン大統領の経歴を見ますと、ソ連邦からロシア連邦への移行にあって、前者が後者を引き継いでいることが分かります。実態を見れば、ロシア連邦は、KGBの組織や人材を引き継いだのであり、KGBの中佐であったプーチン氏が、エリツィン大統領によって同組織のトップとして任命されたに等しいのです。あたかもレールが敷かれていたかのように。

 これまで、ソ連邦の崩壊とは、民主主義の勝利のように捉えられてきました。しかしながら、その実態は、共産党一党独裁体制の終焉ではあっても、‘国家体制’そのものには然したる変化はなかったのかも知れません。そしてここに、CIA問題と共通する情報機関の問題も垣間見えてくるのです。

 そもそも、情報機関とは、元より諜報や工作など、秘密裏の活動を行ないますので、最も国民から離れた機関としての性質を特徴とします。外国や外部勢力による謀略や攻撃を防ぐ上では‘必要悪’とは言えるとしても(情報局の存在は、国際社会にあって、陰謀や謀略が実在することの反対証明でもある・・・)、組織自体は、非民主的であり、国民との距離が遠いのです。この特徴は、何れの国であれ、情報機関は、議会や国民による民主的な監視の目が届かず、それ故に、自国ではなく他国や外部勢力と結びつきやすいことをも意味します。

 そして、ロシアを含め(もちろん、ウクライナのゼレンスキー大統領、イスラエルのネタニヤフ首相、そして、ハマスも・・・)、全ての諸国が作成されたシナリオに沿って行動しているように見える今日、同シナリオにあって工作を必要とする場合、主要な実行部隊となるのが、水面下ではグローバルにネットワークで繋がっている各国の情報機関ではないのか、という疑いが生じてくるのです。プーチン大統領は、世界経済フォーラムのヤング・グローバル・リーダーにも選ばれています。果たして、これは、何を意味するのでしょうか(つづく)。

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