万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

中国の脅威―‘軍経分離’は不可能では?

2020年09月01日 12時38分20秒 | 国際政治

 自民党の総裁選挙を前にして、候補者の一人である石破元幹事長は、インタヴューに応える形で中国との関係について語っていました。同氏の政策方針は、政治分野にあっては堅固な日米同盟を維持しつつ、経済分野にあっては中国とも友好な関係を保つというものです。マスメディア各社が相次いで石破候補支持率トップの世論調査結果を発表するのも、メディア自身、あるいは、そのスポンサーの多くが同氏の政経分離の方針を支持しているからなのかもしれません。

 

 しかしながら、米中が激しく対立する中にあって、‘政治はアメリカ、経済は中国’といった‘虫の良い’お話は通用するのでしょうか。政治と経済を並べますと、‘政治’というものを外交の意味で捉える場合には、政治的な不仲には目を瞑りつつ、相互利益となる貿易や様々な取引を継続することは、一見、不可能ではないように見えます。実際に、経済的な利益のみで繋がっている諸国も珍しくはありません。

 

 その一方で、‘政治’の範囲を外交の分野に留まらずにさらに広げますと、政治と経済とを分離することは困難であることが理解されます。つまり、‘政治’の意味するところに防衛や安全保障を含めますと、‘政治は同盟国と、経済は敵国と’といったご都合主義の政策は、最早不可能となるのです。かつて、『戦争論』の筆者であったクラウゼビッツは、‘戦争は外交の延長’と喝破しましたが、最終的に軍事力が国家間の紛争、さらには、国際社会の行方を決する状況下にあっては、外交と軍事は一本の線として連続します。そして、国際法の整備が進み、剥き出しの武力行使は違法行為とされるに至った今日にあっても、国際裁判の執行手続きには重大な欠落と不備があるため、最後は軍事力に頼らざるを得ない状況には変わりはないのです。況してや、中国のように国際法に対する順法精神の欠片もない国も存在しているのですから、政治は軍事であると言っても過言ではありません。

 

 政治が防衛や安全保障を意味するとしますと、当然に、政治と経済は不可分の関係を構成します。何故ならば、より性能に優る軍備、安定した兵站、そして、調達・動員し得る資源の物量が戦争の勝敗を決するからです。技術力を含めた経済力こそが真の勝因ということになりましょう。第二次世界大戦後、西側陣営を構成してきたアメリカや西欧諸国が、東側陣営諸国への技術移転に規制し、自由貿易圏からも締め出していた理由は、ソ連邦の経済・技術大国化を恐れてのことであったのでしょう。また、第二次世界大戦前夜にあっては、日本国はアメリカの石油禁輸措置によって開戦に踏み切り、制海権を完全に奪われた末に資源調達ルートを絶たれ、戦いに敗れることともなりました。日本国もまた、経済力によって敗北した苦い経験を有する国なのです。

 

 今後、米中対立が激化した場合、日本国は、アメリカの軍事同盟国ですので、アメリカ陣営の一員として行動することとなりましょう(次期政権が、国民を裏切らなければ…)。対中戦争ともなりますと、日本国の在日米軍基地が極めて重要な役割を果たすものと予測され、あるいは、ミサイル攻撃であれ、国内の工作員によるテロであれ、中国から直接的な攻撃を受ける可能性も否定はできません。戦争当事国となりかねない立場にあるのです。

 

政経分離論者は、日米同盟を強化すれば中国の暴走を抑止できるので、こうした事態は懸念するに及ばないと主張することでしょう。しかしながら、現状にあって日本国が、中国との友好な通商関係、あるいは、ビジネス関係を維持しますと、むしろ、中国の軍事行動を加速させるに等しくなります。上述したように技術力や経済力が戦争において‘ものを言う’のであれば、日本国は、戦争遂行能力である中国の経済力の増強に裏から貢献していることになるのですから。つまり、対中経済関係が拡大すればするほど、政経分離論者の期待とは逆に、日本国による‘燃料投下’による中国の暴走リスクを高めてしまうのです。

 

同盟国である米国も、こうした日本の政経分離政策を利敵行為と見なすことでしょう。これでは‘自滅行為’ともなりますので、次期首相には、軍事と経済との連続性を認識し、政政経面において中国から離れる政策を主張する候補者が望まれるのではないでしょうか。


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