秘境という名の山村から(東祖谷)

にちにちこれこうにち 秘境奥祖谷(東祖谷山)

宴も酣 祖谷八景の夜は更けて

2013年10月08日 | Weblog

5日(土)の夜のジャズフェスタIN祖谷は盛大な盛り上がりのうちに無事終了した

開けて6日はジャズに遠路遥々九州の地から来た山仲間男女6名の方々を剣山ー次郎の

縦走にテラオ兄さんが案内して下山後祖谷八景で懇親会でした

miyaの乾杯の挨拶を皮切りに宴は延々と10時過ぎまで無礼講で盛り上りました

菜菜子さんが腕に選りをを掛け、孤軍奮闘しながら造った祖谷郷土料理は素晴らしい

出来栄えでみなさん美味い、美味いの声が飛び交い終わり頃には売り切れてしまいました

祖谷衆の山男4人も奮闘しましたが、九州勢にややもすると押され気味でした

が、なかでも元管理人の民謡、粉ひき唄、里唄は習っているだけあり情緒たっぷりに

聞かせてくれました、また彼の阿波踊りもなかなかで、祖谷の山男も踊り出すし

九州勢も習いたいと踊り出して注文まで飛び出す面白さであった

祖谷流の お.も.て.な.し に喜んでいただき、我ら、菜菜子さんもうれしいことでした

なにといっても九州の人たちの豪放磊落な動じない性格には恐れ入ったものです

前日のジャズの日からの始まりであるが早朝5時にフェリーで松山港に着き、その足で

石鎚スカイライン経由土小屋から石鎚山の紅葉を堪能して満足、一路松山インターから

東祖谷を目指して、今夜のジャズ&美味しい料理を耳と口で舌なめずりしながら途中の

石鎚サービスエリアでひと風呂浴びようとタオルを首に巻いて構えて車を走らせました

ナビを設定しているから、信じてみんさん安心、スカイラインを降りてしばらく走っていると

ナビが口を開いて、{左に曲がれ」云われる通りに左に折れて車を走らせた

しばらくして、道はだんだん狭くなって車一台通れるような道になったが、ナビを信じて

疑うことなく延々と走らせていると、仁淀川町を過ぎて佐川町に出たのでした

そこで、これはしまったと気づいたのでした、miyaの携帯がなった「いま、佐川に居ます

道を間違えた、近くに須崎東インターがあるので、それに乗り大豊経由で祖谷入りします」と

ええ!なんで佐川なの? 疑問が解けぬまま待っていたがなかなか来ない

開演の時間も近づいたので祖谷八景に出迎えに行ったがまだである、暗くなるし、霧も出て

運転はなかなかである、そのうち八景のオーナーが大豊経由なら、ナビが京柱峠を案内するかも

この暗さで京柱はやばいよと、突っ込む可能性があるかも、あまり遅いようなら消防も考えなと

云われるしで、心配したものでした、まあ、無事に着いたから良かったがひやひやものでした

聞くと国道494号線を走ったと云っていました、瀬戸内海から太平洋と、四国を縦断したような

ものだと豪放磊落に顛末を話してくれ、動じない九州男児には大したものでした

で、疑問であった、なんで佐川なの?は地図で調べると、面河の道が国道33号線に

突き当たるずーと手前、仕七川郵便局の所あたりに国道494号線、須崎方面の看板が

確かあったように記憶しているのですが、この494に入ったのでしょう

この顛末は翌日の朝にも影響したのでした、つまり、走りすぎてガソリンが、からっぽ

おまけに、東祖谷の二軒のスタンドはお休みで、かろうじて西祖谷のスタンドが開いていて

給油に行き山行が1時間遅れだそうでしたが、天気もなんとか持ち直して、順調にこなして

懇親会で大いに盛り上がり、翌7日の三嶺登山もまあまあの天気で、ジャズに、山行に

大満足の奥祖谷山旅を楽しんだようですので、歓迎した我らもほっとしたものでした




















































祖谷八景全景




















囲炉裏に火は燃えて























コメント (5)
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