松明 ~光明を指し示して~

暗闇を照らし赤々と燃える。が、自身が燃え上がっては長くはもたない。火を消すことなく新しい松明へと引き継がれねばならない。

5年国語(光村)「大造じいさんとガン」の授業から

2010-11-24 20:46:09 | Weblog



 5年国語(光村)「大造じいさんとガン」の授業を参観する機会があった。中堅の力のある教師で、落ち着いて授業ができていた。子どもたちも学習方法がよく身に付いており、グループ学習も発言も積極的であった。だから、一般的な授業よりも水準が高いと感じた。
 しかし、毎度のことであるが、授業を見て、ああ、やっぱりなーと感じた。子どもたちはよく発言しているのだが、発言の内容が登場人物の気持ちや心情が多く、解釈の違いによる話し合いがなされることが少なかった。これは教師の教材解釈の弱さもしくは教材解釈そのものを怠っていることに原因があると思われた。
 この授業の本時のめあて「残雪の戦う姿を目にした大造じいさんの気持ちの変化を読み取ろう」はいいとしても、ただこの時は大造じいさんは○○の気持ち、ここでは○○の気持ちだけでは、みな同じような意見が並ぶだけである。これでは話し合いによる新しい考えが生まれることはない。また、話し合う必要性もない。○○の気持ちになったのは、どの言葉で、それはいつからなのか、その原因は何かなどといったように言葉や文に着目していかなければならないと思った。

 本時の授業の流れ
本時のめあて
残雪の戦う姿を目にした大造じいさんの気持ちの変化を読み取ろう
大造じいさんの気持ちの変化をまとめましょう(教師の解釈)

大造じいさんは、残雪に何年もやられているので、今日こそ倒して
やると敵対心を高めていたが、勇かんに仲間を助ける姿を見て驚き、
じゅうを持つ手に力が入らなくなった。最後の時を感じても、頭領と
してのいげんを保とうとする残雪に、ただの鳥とは思えない尊敬のよ
うな気持ちが生まれてきた。

授業のあらまし
C 背筋は伸びていますか、始めます。(起立して礼をする)
T 前の時間の復習をしましょう
T 今日のめあては、「残雪の戦う姿を目にした大造じいさんの気持ちの変化を読み取ろう」です。大造じいさんの気持ちの変化しているところに線を引いてください。
T 読む(教師)
T どこに線を引きましたか
C 55の再びじゅうをおろした
T 同じ人
C 多くが挙手する
T ほかにありますか
C おおきなかげが空をよこぎりました
T 今は、残雪でなくて、大造じいさんの気持ちを発表してください
C 38の大造じいさんがかけつけました
C ぐっと残雪をねらいました
C 今日こそ、ひとあわふかせてやるぞ
C ただの鳥に対しているような気がしませんでした
C 冷え冷えするじゅう身をぎゅっとにぎりしめました
C 東の空が真っ赤に燃えて
T 今日は
42の今日こそひとあわふかせてやるぞ
55の再びじゅうをおろした
65の強く心を打たれて、ただの鳥に対しているような気がしませんでしたの3つを考えましょう
T 42,55,65のつながりを考えてグループで話し合ってください
C すぐグループ学習に入る
42の今日こそひとあわふかせてやるぞ
C ここでは大造じいさんの気合いがわかる(Aグループ)
〃 決意がわかる(Bグループ)
〃 気合い十分(Cグループ)
〃 やる気がある(Dグループ)
C 今度こそつかまえられるぞ
55の再びじゅうをおろした
ここでは大造じいさんのまよいがわかる(Eグループ)
C まよいとは、仲間を助けるところをみてしまったから
C 下ろしてしまいました・・・はひどいことをしてしまいそうになった
T リレー発言どうぞ
C ひとあわふかせてやるぞのところでは、今日はぜったいに勝ってやるぞ
C 東の空が真っ赤に燃えてでは、燃えているので気合いが入っている
C くちびるを二、三回静かにぬらしましたでは今からはじめるぞ
C 一回落ち着く
C また失敗しないように
C 再びじゅうをおろしたでは、仲間を助ける姿におどろいたので
C まよっていた
C 仲間の残雪を助ける行動
T 戦いの様子を見ていたのね、戦いに見とれている
T 強く心を打たれて、ただの鳥に対しているような気がしません
C ふつうの鳥でない
C ただの鳥に対しているような気がしませんでした
T 心情曲線(子どもと話し合いながら、大造じいさん残雪の心情曲線を板書の上に描いていく)
時間がきて終わる

☆ この授業でよかったところ
○ 教師の指導の声がよい(大きさ速さ)
○ 文番号が教科書に書いてある。文番号で発表できる
○ 教材の拡大コピーを教室側面に貼ってある
○ 黙って素早くグループ学習ができる
○ 司会や話し合いができる(学習方法が身に付いている)
○ 子どもの反応がよい
◎ この授業の問題点
○ 教材解釈が違う
大造じいさんは、ぐっとじゅうをかたにあて残雪をねらいました。が、なんと思ったか再びじゅうをおろしてしまいました。
ここでの課題は、「大造じいさんは再びじゅうをおろしたのはどうしてか」であった。子どもたちは大造じいさんが再びじゅうをおろしたのは「大造じいさんは、残雪が仲間を助けるところを見てしまったから」とか「ひどい(卑怯)ことをしてしまいそうになった」とか、そして教師も「勇かんに仲間を助ける姿を見て驚き、じゅうを持つ手に力が入らなくなった。」というように解釈している。
 しかし、これらは、大造じいさんがじゅうをおろしてからの出来事でる。時系列で考えてみてもおかしいのである。
 子どもも教師もよく文章を読んでいない。感覚とか思い込みで読んでしまっているからこのようになってしまったと思われる。しかし、私が見てきた多くの授業はほとんどこのようであった。
 私の考えでは、1の場面で「残雪は、この沼地に集まるガンの頭領らしい。なかなかりこうなやつで、なかまが餌をあさっているあいだも、ゆだんなく気をくばっていて、じゅうのとどくところまで、けっして人間をよせつけませんでした」の文をしっかり読み取ること大切であると思う。
 あさる=餌を探し求める。餌をあさっているあいだもの「も」=もっとも実現しやすく、条件としては最低のものであることを示す。・・・  さえ。・・・でも。これで考えると、餌をあさっているあいだは、もっともゆだんしているときである。つまり、りょうじゅうにねらわれ打たれる可能性が大きい。ゆだんのなかでも最高のものである。ゆだん=気をゆるして、注意を怠ること。気をくばる=注意する。配慮する。けっして=絶対に。断じて。絶対=他に並ぶもののないこと、どんなことがあっても。よせつける=近寄せられる。寄り付かせる。
 これらをこの文に当てはめて考えると「残雪は、頭のよい、かしこい鳥で、なかまが餌を探し求めている一番ゆだんしているあいださえも気をゆるすことなく、りょうじゅうのたまのとどくところまで、絶対に人を寄り付かせることはなかった」と解釈してよいだろう。
 そうすると、こんなにも注意深い、気を許すことのない残雪が大造じいさんの近く(りょうじゅうのたまのとどくところ)に来たことに大造じいさんは、何事が起こったのか驚き、不可解に思いじゅうをおろしたと解釈される。