チャコちゃん先生のつれづれ日記

きものエッセイスト 中谷比佐子の私的日記

着物が繋ぐもの114着物の端切れを

2019年03月17日 08時31分36秒 | 日記
着物の端切れをきちんととっておきその布をつなぎ合わせて風呂敷にしたりふとんかばーにしたり、着物は着物の形がなくなってもいつも生活者の下にいる
そういう生活の仕方が日本人であるようだ

各地のひな祭りを取材している時
つぎはぎの衣装を着た人形に出会ったり
親や上のお姉ちゃんたちの着物のハギレを着物に仕立てて幼児が着ていたり
今思うと高度成長に入る前の日本人の暮らしは心のこもった暮らしぶりだった

あれは七夕の取材で長野の佐久へ行った時
浴衣のハギレで作った人形が廊下いっぱいに吊り下げられていた
しかもその浴衣は健康で成功者の人からいたかだくのだという
子供の成長を祈って健康で良い生活をしている人の波動をいただくということか

日本は昔から偉い人からの羽織やその他の衣類でも拝受の品としての喜びと誇りがあった
この考えの中には
日本人はすべてのものに神宿るという考え方が子供にも浸透しまたそのようにしつけられていたので
どんな小さな端切れにも神様の心が拠り所としてあり粗末にできなかった
それはその品を作った人への感謝でもある

しかも成功者が身につけたものは
そこに大きな神のご加護があると信じられそのお裾分けをいただこうとして端切れ集めの衣装が存在したのであろうか

小泉八雲も書いている
日本人は全てのものに神が宿っていると信じているので、ものに対しても畏敬の目を持ち手仕事を大切に考えている。それをしない人は日本人ではないと

先般岡谷のシルク博物館でも
300枚もの小さな端切れをおつなぎ合わせた産衣が陳列してあり目がクギつけになった
美しかった!
しかも貧しい家の子のものではなく普通の家の子が元気で育った他家の子供達の着物の端切れを身に纏う
母親がひと針ひと針縫っていたのだという

今で言うプラスエネルギーを身に感じるという事だろう

一昨日銀座で結城紬の端切れで作った大暖簾を見て昔の取材を思い出した

針を持つことの偉大さをもっと伝えなければとつくづく思う

と言ってもわたしはぬえないのだがーー困ったものだ!

#和裁 #中谷比佐子 #端切れ #結城紬 #銀座#お雛祭り #暖簾 #風呂敷
コメント
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