チャコちゃん先生のつれづれ日記

きものエッセイスト 中谷比佐子の私的日記

昔の金持ちは文化を残した

2024年09月29日 05時50分08秒 | 日記
今でも残る豪邸は富豪の文化遺産
都内の庭園のほとんども富豪の文化遺産
昭和初期というより日本が大東亜戦争で敗れるまで、侯爵、公爵、伯爵、子爵、男爵という貴族階級があり、其の上に宮家、皇室という階級があった
「こうこうはくしだん」というように小さい子もそらんじていた
その他にも
豪商、主に呉服屋(のちに百貨店になる)酒造り、農家の取り締まりのような庄屋、糸や、銀行や、などなど金持ちの階級は「ものの生産の総合問屋」のような役割をしていた

富豪であるためにはまず「奉仕」が必ずセットである
社会奉仕をしない富豪は軽蔑されていた

富豪は礼節を重んじ、作法を身に着ける
そのための学びをしっかりとする
女学校は「作法の時間」というのがあり、お辞儀や言葉使いなど女としての教養が教えられていた

姉たちの話によると
豪邸に行きそこでの食事のマナーや、春夏秋冬の暮らし方や家のしつらえ、美術の鑑賞などがあったらしい

そういうお屋敷には本物の絵画があり、家具や什器は美術品でその取り扱いなどが学習になる

それらの美術品はその家の主が直接職人にオーダーして作らせる
もちろんきものや帯も呉服屋を通してあつらえるのが当たり前、洋服も仮縫いから始まる
洋裁店に行く人は一般人で、こういうお屋敷では職人が通ってくるのだ
キセル一つ、靴一つすべてオーダー
オーダーする側も勉強、作る側も勉強
こうしていいものが出来上がってモノの命を大切に使っていく

昔の富豪は建築にも家具にも、庭造りにも研究しながらそれぞれの格式によって作り上げていく
いまだにいいものを見ることができるのは、この時代の富豪たちがいかに文化度が高かったか、ということだと思う

都会では、その屋敷や庭を壊し、今成金の住むタワーマンションの乱立
これもありの時代かな?

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自民党総裁決まる

2024年09月28日 09時10分44秒 | 日記
政治に興味を持った時代があった
それは小沢一郎にあってから
民主党政権の時だ

新宿西口で菅直人と小沢一郎の街頭演説を聞いた
そして小沢一郎の国民目線にすっかり感動し、彼の黒幕といわれる平野貞夫にすぐ会いに行った

平野さんの紹介で小沢一郎とあいいろんなことを話し合った
特に大麻の生産と養蚕のこと
医療大麻や絹がいかに体にいいか

話は真剣に聞いてくれたが、そのすぐ東北大震災で
なんとなく話は消えてしまった、そしてその後の官僚からのいじめで小沢一郎は実権を失った

国民に目が向いているというのは「減税」を考えていてくれたから
その時マスコミで作り上げられた彼の虚像の怖さを見た
実際にお会いするとマスコミから出てくる人物とま反対であった

小澤一郎にあったと友人たちにいうと
「なんであんな怖い人と会うの?」
という人がほとんど、マスコミに洗脳されている人たちだ

今回の総裁選も実際はあの三人がどのようなことを真剣に考えているかは、私たちには伝わってこない
「蚕」のことを長くやっていて、政治は「官僚」が動かしていることをこの目でしっかり見てきた
「官僚」のいうことを聞かない政治家は失脚させられる
そういう「官僚」になりたくないと首を括った方も知っている

日本は民度の高い国
一人一人の力がきっと国を美しく強くすると感じている
新しい総裁が「民」に目を向ける日が来るのかな

アメリカではトランプがチップに税金はかけない、残業にも税金はかけない、生活保護受けてる人にも税金はかけない、とまさしく「民」にむけた減税政策を打ち出している

新総裁やいかに
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きものを繋ぐもの 569

2024年09月27日 10時21分09秒 | 日記
明日28日は「比佐子つれづれ長月の会」
すごいよね49年続いている。多分
この会は出たり入ったり自由なのでいったいどれくらいの方がいらしたことか
毎月第四土曜日の午後と決めているので参加しやすい

一番長い人は40年無欠席しかしここ数年は加齢で姿が見えない
きものをいろんな角度から見てきた
場所も市ヶ谷、中目黒、新宿と移り変わり
いづれも「つれづれ」ができる広さを基準に事務所を選んだ

しかしコロナ騒ぎで事業不振
狭い部屋に移転
それでも「つれづれ」を続けている
公的な場を借りたり、友人の料亭を借りたり、また友人サロンで始めたりと
あちこち

そしてこの長月からは都内の庭園や公園,旧御屋敷などをお借りして「比佐子つれづれ」を続けようという試みだ
それは江戸を深く知りたいという思いもある

明日は大田区の「池上梅園」伊東深水自宅アトリエ跡地と築地の料亭経営者小倉家の別邸跡地を合併した公園
昔の金持ちは文化を残してくれている

先日下見に行ったがお茶室はあの清廉潔白な政治家藤山愛一郎(後にも先にもでてこない)氏の庭から移築

見つけてくれた「シルク伝道師協会」の副会長原田世子さんと庭園をそぞろ歩き、大田区は東京23区で一番広い、羽田もあるもの
田園調布や山王などの高級住宅地、お屋敷などをつらつら眺めながらの散策もいい

雑誌社に入社したころこの大森海岸でよく撮影をした、まだ海苔の養殖風景もあった(浅草海苔)

さて明日の「つれづれ」の内容は
「風水で紐解く着物の柄」がテーマ
今はパソコンで画像を見せる時代だが、チャ子ちゃん先生は手作り資料、昨日は資料作りで暮れた
そのアナログもまた楽しからずやーーだ

秋櫻舎のホームページから申し込みオーケー

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ゴキブリ

2024年09月26日 07時36分05秒 | 日記
ゴキブリってどうしてこの世に存在しているのだろうか
調べてみたら人間より早くにこの地球にいらっしゃる
何でも日本の地では2億6000年前かららしい
だけど何のために?

平安時代は「つのむし」といったそう
あのきらびやかな衣装の陰にホイホイとお主は動いていたんだわね
子供のころは「アブラムシ」と呼んでいた
やはり人に忌み嫌われていた

ほんとうのお名前は「御器噛」ゴキカブリといったらしい
それを昆虫博士が研究発表するとき「カ」抜きの原稿を書いてしまい
そのご「カ」抜きのゴキブリ様になったとか

昨年までは「ゴキブリもこない」この「も」は意味があるのだが今はよす
とたかを括っていたが
何とも今年は神棚のお米にまで口をつけていることが判明
姿を見ると反射的に「きゃー」という声が出る
そして近くにある本でたたこうとするが逃げ足早く間に合わない

お米を食い散らしているので
朝のご挨拶をしたらすぐ下げるようにした
ところが今度は水だ
神様許してるんだろうね
ということは何かの価値があるということ?

チャ子ちゃん先生はただいやだ、お姿が嫌だ、すみっこを這っていく格好もいやだ、その都度何のためにこの地球にいるの?
ところが最近かき消える術を習得したらしい

今朝玄関から入ってきたらしいゴキさま
サンダルもってつぶそうとしたら「あれ?」消えてる
精神衛生に良くない
捕獲用の設置も必要だ、命を大切になんて思わないもん!
あなたに関しては
何かいいことしてるのだろうか?どなたか教えてください


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桑畑の被害

2024年09月24日 08時40分16秒 | 日記
養蚕を始めた方たちが最も困るのが「山に住む動物たちとの折り合い」
鹿、イノシシ、ハクビシン、タヌキ、猿、クマ
山に近い桑畑は100%荒らされる
それも最近特にひどい

周りにいくら柵を巡らしても飛び越えてはいいり、桑の葉を食べちぎる
農薬がかかっていない葉っぱだものおいしいし健康?にいい

蚕に与える葉が少なくなり、野生の桑の葉を探しに行くことも多い、しかし手入れをされていない桑の葉を食べた蚕は、いい糸は吐けない

鹿は跳躍力があるので3メートルは平気で飛び越える
そのため5メートルの柵を作ったら、今度は土を掘ってタヌキはハクビシンが現れ荒らす、そのうち鹿も跳躍を練習し、5メートも平気で飛び越えるかも

国が国有林を増やしたことが原因だという人もいる
なぜなら国有林は勝手に人が入れないし樹の剪定もできない、そのため木が大きくなり枝を張るので草が生えにくくなるのだそうだ
草や木の実を食べる動物たちが、山の中にそれが不足すれば、葉の柔らかい蛋白質の豊富な桑の葉を好むのは理解できる

昔蚕室に猫を飼い、ネズミやその他の蚕を狙う生きものの駆除をさせていたように、犬の放し飼いが必要なのではないかと思う
其れよりも国有林のあり方を真剣に考えなければ、桑に限らず山のふもとの農家はたまったものではない
知人の畑のレモンの木を、鹿が倒してめちゃくちゃにした写真を見たけど、その狼藉の様には言葉もない

さらに里山や草原にソーラパネルがびっしり(太陽光パネルとの違いがよくわからない)
これではますます動物たちは自分の命を繋ぐため、里に下りて果物や畑のものを頂戴したくなるだろう

丸裸になった桑の木を見て「これはすべて人災」と思った




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小さなイライラ大きな喜び

2024年09月21日 08時14分47秒 | 日記
ここのところ
テレビが壊れたというよりどういうわけかBS6チャンネルしか見られない
やたら一匹のゴキブリを始末できないでいる
うっかり冷房を付けたまま外出
一晩水道の水を流しっぱなし
ライテング用の眼鏡の柄が外れた
ANAのマイレージの活用がパソコンでうまくできない
すべてこの一週間の出来事
「なんでーー」イラつく

起きていることはすべて理由があると思っているので、一つひとつを解いてく

そして昨日それが「蘇生」ということに気が付いた
蘇生ということは、その前に脱皮がある

11月1日、2日に行われる「シルク伝道師協会」設立イベントで、協賛か商品の展示販売をいただくブースの利用の依頼に十日町を訪れた

誠実で謙虚な岡元社長はまだ大きな病の後で
「20キロもやせましたよ」
と駅までのお出迎えを自からいただき恐縮していると、チャ子ちゃん先生好物の「十日町名物ヘギ蕎麦」の店へとまずは案内された(うれしい)

そこで社長の大病からの生還の話を聞き出す
「きれいな花に囲まれ美しい空気が満ちていて、身も心も安らぎここでゆっくりしようと決めたら、きなり強い圧迫を感じ、驚き飛び跳ねたら現実に戻っていた」

ああまだまだ自分にはこの世でやることがあるのだあ、今までは新しい事業を進めることに専念していたけど、これからは先人たちが残してくれている、技術の奥の心や誇りを繋いでいくことが自分に託されているのだなあ

と氣ずき、それからみるみる回復を遂げたとおっしゃっていた
今日の私の来訪はこの言葉を聞くために来たのだと確信、大きな喜びをいただいた

その後は昭和初期建築の粋を集めた木造の美しい家を仕事場にした座敷で、企画交渉をさせていただたが、柱のすべてが漆で固められている家屋の空気は社長の人柄のように清浄そのものだった




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技術を繋ぐ人、モノを繋ぐ人

2024年09月18日 09時46分38秒 | 日記
第三次世界大戦が起きそう、いやもうすでにの起きている
日本は崩壊しなくなる、いやもうすでに崩壊している
10月から一斉に始まる新しいワクチン接種,其れで日本人がこの地球から消える、そのワクチンは日本国だけで使用するから

こういうことが巷でささやかれている
耳に入っている人もいるが入っていない人もいる

あの大東亜戦争の追わりのころとよく似ている
今回は噂の方が真実であるということだろうか

こういう時私たちの日常の過ごし方はどうなるのがいいのか
「風にふわふわ舞っていないで、足を地につける」
其れしかない

資産を増やして一年のうち半分は海外旅行に行ったり、船旅してのんびり暮らしましょう、そのために投資をしましょう、こういう資産の生み方の勉強をしましょう。日本政府も投資の勧めをやっている

勿論それで優雅な生活ををするもよし
現実にそのような暮らしをしていらっしゃる方も周りにいる

イッパンピープル代表のチャ子ちゃん先生は現場に行って働いている
多分この世の卒業の日までその姿勢は崩さない
なぜなら
人から学ぶことがこの世の中で一番新鮮だし深い哲学があり面白いから
こんな楽しいことやめるわけにはいかない

昨日も技術を繋ぎ、モノを繋いでいる方たちに出会い、世界がどう変化しようが、自分自身の根底は揺るがない人たちの姿勢に触れ、其れこそがヒトとして生きる正道であり王道と確信した

来年の「きものサロン」の春号にはそのものずばりのパージを作る

今日の「チャコちゅうぶ」はその話をしたい 20時から

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マッチがない

2024年09月13日 09時57分10秒 | 日記
ろうそくに火をともすには「マッチ」がいい
子供のころ初めてマッチを擦って火をでたときの、怖さと興奮
マッチに火をつけるのは大人のやる事と思っていたので、自分ができた喜びはたとえようがない
その昔は火打石を使っていたのだろうから、マッチができた時の歓びはどんなであったろう

喫茶店に行くと必ずマッチが置いてあった
そのマッチのデザインが面白く、マッチ収集家まで現れた
マッチは小さい顔した宣伝マン
クラブやバー、旅館などのマッチを持ち帰った旦那が奥方に責められていた風景も昭和にはあった

マッチは小さな体で様々な、人間模様を見てきた
そのマッチが静かに消えた

デパートでは当然のようにロ―ソク用にはライターを勧める
ドラッグストアーはさらにガスボンベもローソクのそばに置いてある
神仏の道具を売っている店は寺町にある
そこをめがけて行ってもマッチはない、デパートと同じ

あるとき友が見つけた昔ながらの喫茶店で(喫煙の店)待ち合わせをした
何とカウンターにマッチの大箱が置いてある
「このマッチどこで買ったの?」
「インターネットで売ってますよ」
ああそういう時代なのだ、購入がまた面倒くさい(老人の証拠)

そしたらなんと、昨日文楽鑑賞の帰りに寄ったオペラシテ―の雑貨屋に
マッチがあった!
すかさず購入、しかし4個までという

今日は久しぶり巣鴨に友と出かけるので、ローソクとマッチを購入できるだろうと胸弾ませている



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米寿がめでたい?

2024年09月12日 10時32分27秒 | 日記
自分の歳に実感がないチャ子ちゃん先生
88というぞろ目のめでたい数字に喜んでいる
父は82歳
母 78歳
長姉 93歳
次姉 78歳
兄  82歳
みんな自宅で亡くなっている、脳溢血とか心臓発作が原因で体が弱くなったけど、入院などせず父と母は同じ年に逝った
長姉が午前中までお弟子さんのお手前を指導していて(裏千家の指導者)昼食後美容院で髪を洗いブロウして、「ちょっと横になる」とそのまま、大往生ではないか

家系図を見ると長患いした人はほとんど見当たらない、早死にした人もなく、命を全うしているみたいだ
次姉の夫はグルメで姉も料理好きであれこれ贅沢な食事だったし、表での食事も頻繁で、二人とも癌にかかり亡くなっている

そして姉妹三人は幼少のころは病弱、それを母は漢方の知識と食べるものや日常の過ごし方をうるさく言って健康に育て上げた

どの家庭より粗食だったと思う、しかも味噌醤油漬物梅干しなどすべて自家製、当時の家には地下があって発酵食品や生物はそこに安置しているので、冷蔵庫がなくても長持ちしていた

そうか
こういう食のお蔭で体の基礎ができているのかと思う
しかし家を離れてからは暴飲暴食しかも雑誌記者という不規則な生活、そのつけは40代に入って大病という悪魔が襲ってきた

しかしその悪魔さんのおかげで深く反省、それ以来薬も飲んでなく、病院というところに行っていない(歯医者は別)
それどころか、身に危険が及ぶ衣類や食物に敏感になっている。体が拒否する声を聴いて体の言うことを守っていた、そうしたら88になっちゃった

血のつながった家族が地球を卒業した年を見ると、私自身の卒業の数字も見えて来る
その日まで現場にいようと決めた
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大人の浴衣

2024年09月11日 10時04分51秒 | 日記
長いことチャ子ちゃん先生は浴衣を敬遠していた
着こなせない
どうもしっくりこない
しかし浴衣姿の美しい女性を眺めるのは好き(男の目線か)

嫁入り道具の一つとして作った「夏の色留め袖」があった
一度は姪の娘に譲ったが、ふと思いついたことがあり取り返した。このケース結構ある

それは傘寿のとき、あろうことか声楽のコンサートを開いた
そのときその色留袖を解いて室町時代の女人姿で歌ってみようとしたのだ
元禄袖にしてカジュアルに仕立て直した
帯はもちろん半幅、アンコールで歌うつもりで「宵待ち草」の楽譜を手描き
ずうずうしくアンコールまでいただくものと決めている

さてその着物を取り出し「大人の浴衣」としてここ数年楽しんでいる
伊達襟が付いているのでそれが半襟代わりに見える、江戸時代は長襦袢などないのでこのような襟合わせを浮世絵などでよく見る

そして昨年から夏が長いので、手持ちの麻のきものはすべて「大人の浴衣」として利用、下着は胸当てと湯文字のみ、実に快適

今年初めて「大人の浴衣姿」で電車にも乗った
ひやひゃの冷房もカバーできてすっかり気に入っている
襟が広襟なので、襟元が崩れない、いいじゃん!

いい気になって「利久下駄」を履いて歩いたら、舗装の上、タイルの通り、駅の階段など滑って怖い、その拍子に自分で自分の足をけって傷つけ、足袋も履けなくなった

おかげで畳表の流線型の下駄を素足で履き涼しさこの上ない
昨日はある雑誌に「大人の浴衣」の企画を提案した

今日の「チャコちゅうぶ」20時から


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