チャコちゃん先生のつれづれ日記

きものエッセイスト 中谷比佐子の私的日記

桜が美しい熊野神社

2010年03月31日 11時20分29秒 | 日記
此処十二社の熊野神社には
9本の桜の木がある
そのうちの一本はしだれ桜

背が高くいつ頃のものなのだろうと
お参りのたびに思う
冷たい風にもめげず6分咲き

この熊野神社の歴史は古く
室町時代にさかのぼる
600年以上も前からこの神社はこの地にある
桜はどうなのだろう
たぶん江戸時代からあるのではないかと
氏子の長老が桜を仰ぎ見ながら教えてくれた

中野坂上から新宿駅西口あたりまでの一帯の土地分限者
当時は中野長者とよばれたらしいが
その分限者が自分の産土神を紀州からうつし
祀ったところ見る見る大金持ちになったのだそうな

だから
「この熊野さんは縁起がいいんだよ」
とその長老はいう

江戸時代の八代将軍吉宗公は
此処十二社がお気に入りで
梅や桃、桜をたくさん植えて楽しんだらしいから
ヤハリ此処の桜は江戸時代のものだろう
と長老は言う

チャコちゃん先生もわずかな記憶があるが
此処の池は広くて
芸者もたくさんいた
料亭は100軒 芸者は300にもいた時代もあったそうな
夏祭りはその芸者さんたちの女神輿がでて
其れ目当てに
男客が集まり大繁盛

池に船を浮かべ月見の宴
神社境内では花見

昨夜は望月 花と月の美しさは格別であった
願はくば 花の下にて 春死なん そのきさらぎの 望月のころ
            西行

時代は変わっても
熊野神社を中心にした
賑やかな花宴と
静かな花見は陰陽よく和して
この十二社に綿々と受け継がれている 

コメント (1)
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aiueo

2010年03月31日 11時19分23秒 | 日記
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お花見

2010年03月30日 14時12分57秒 | 日記
10度以下のこの東京で
いよいよ始まった花見シーズン
ここ新宿中央公園では
けなげな桜が5分咲き
花は震えているがソレでも美しい

その花の下で
ダウンコートに身を包み
ひざをぐるりと毛布で巻いて
酒で体を温めながら花見の宴会

たいそうな人数のグループが
花の下を占領している
ソレを目当てにおでんや焼きソバ屋
いつもの早春の景色

事務所からは
桜並木が眼下なので
暖かい部屋で春霞を見ているような心地

桜は散るから美しいとみんな言う
桜のそばに
花桃 花海棠 連翹 木瓜 椿
美しい花が咲きほこっているが
人の目は
やはりさくらに

人の目線で見るより
仰ぎ見るほうがありがたいようだ

庶民目線と上の人は云うが
庶民は
仰ぎ見る人を求めている
そういう人がトップであってほしい

今日は満月
仰ぎ見る月の美しさを満喫しよう
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鮑黎明老師永眠

2010年03月29日 12時02分55秒 | 日記
鮑先生の旅立ちを見送ってきた
この2月に56歳になったばかり
本当の人生は
これからーーーだというのに

二人の子供は大きく成長していて
安堵
長女のあっ子ちゃんは
黒喪服をきちんと着て美しい
鮑先生は和服姿の女性を見るのが好きだったので
きっと喜んでいる

お経を聞きながら
台湾に行った
北海道に行った
能登に行った福岡に行ったーーー
と風水イヴェントで色んな地方にご一緒した時の姿を
アレコレ思い出す
どこでもラーメン大好き先生だった

鮑先生は
或るパーテイで紹介された
そのときチャコちゃん先生は
大島紬の絵羽絣を売り出すプロジュースをしていて
その作品に「黎明」と名づけた
だから
鮑黎明という名にすぐ反応して
すっかり仲良くなり

「紫微斗数」の教えを受けることとなった
紫微斗は北極星で
もう片方の南極星の名前と動きで占う命占術

西洋占星術と同じように12のハウスに入る星の象意を読む

近い人の命式をアレコレ作り
仲間内で大流行をした
鮑先生の最初の出版本はこの紫微斗数

さて其処から中国風水に移って
風水の真髄を教えていただいた

中国の原本をたくさん翻訳されている
陽宅風水、隠宅風水などなどなど
現在の風水は鮑先生の研究成果が
基本になっていると思う

きものと風水、オーラソーマ風水、和の風水
というチャコちゃん先生の捉え方には
「ほーなるほどーー」
と静かに応援していただいた

鮑先生に教わったことを
今後も伝えていくつもり

きっと自由になって
大きく指導してくださるのだろう

電話をかけると
「アホウです」
「あ鮑です」
いつもこれで笑う

ありがとうございました。感謝でいっぱいです
自由に飛び回ってください
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仰げば尊し

2010年03月26日 10時43分57秒 | 日記
仰げば尊し
我が師の恩
教えの庭にも
早や幾年
思えばいととし(疾)
この歳月
いまこそ別れめ
いざさらば

明治17年小学生唱歌に取り入れられ
卒業式に必ず生徒が先生に礼を尽くして歌った

今卒業の時期だが現在は
3月9日
贈る言葉
卒業写真
旅立ちの日に
今日の日よさようなら
さくら
などなど多種多様な歌を生徒達が選ぶという

そのせいか
ほとんどが友達と別れることの感傷が主

先生に対する感謝の歌などはない
チャコちゃん先生の時代は
セットで「蛍の光」を歌った

「ともだち」
というキーワードが今の時代であろうか

6年位前だったか
オーラソーマのテイチャークラスの終了の日
チャコちゃん先生は
校長のマイクブースに対して何かお礼をしたいと思った
そして考え付いたのが
皆で「仰げば尊し」を歌おうーーと

30人くらいの生徒の中日本人は8人
異人さんたちに伝えるためには楽譜が必要
日本の生徒も仰げばーーは二人しか知らなかった

そこですごいのは高橋雅子さん
チャコちゃん先生が歌うそばで
手書きの五線紙にオタマジャクシを書いていく

出来上がった楽譜にローマ字で歌詞を入れる
最後の歌詞の方は
「今こそ旅立ち いざゆかーん」
と書き直し
デイナーの後全員で練習、練習、練習
アメリカ、イギリス、イタリア、ロシア、アフリカ
国境を越えてみんなの気持ちが歌で一つに

修了書をマイクから頂いた後
全員が立ち上がりマイクを囲んで
大合唱
歌詞の意味を通訳のコマラがマイクに伝える

全員でバス移動したときも
ドイツの人が歌い始め
また皆でバスに乗っている間中
繰り返し歌う
マイク大喜び

こういうことがあったおかげで
このクラスのテイチャーはいまだに
姉妹のように仲が良い

お互いに助け合い
いい関係が続いている

仰げば尊しのお陰

それにしても雅子さん
音楽とは全く縁がないというが
正確な音符つくりに驚嘆

雅子さんいわく
「比佐子さんの音程が正確だったからでしょう?
そうこんなに謙虚なテイチャー仲間!
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羽織

2010年03月25日 10時57分47秒 | 日記
チャコちゃん先生は
羽織をずーーーーと敬遠していた
いつ着てもかっこよく見えない
羽織の似合わない女だと思っていた

先週新宿の路上で
羽織にビロードのショールを羽織った
麗人に出合った

思わず見とれた
こういうクラシカルな着方もいいなあ
と見とれたのだ

母の羽織を
ジーンズの上に着る
母が作ってくれた大島の羽織は
パジャマの上の必需品

こういう使いかたしかしてこなかったので
家に帰り
改めて黒羽織を羽織ってみた

最近アップの髪型にしているので
「うんいいかもしれない」
と生まれて初めて自分に合格点を出す

しかも
この日々気温が不安定で
羽織にショールという重ね方が季節にもそぐう
その上
訪問先でも脱がなくて良い
こんな便利なものも先人の知恵

そして昨日
ヨシダと新橋演舞場に
「三婆」を観に行った

劇場の方が取置いてくださったチケットは
なんと一番前
黒羽織を着込んだチャコちゃん先生を
舞台に登場する女優さんたちが
必ず視線を送ってくる

黒羽織の存在感に
思わず身が引き締まる

羽織の似合う年齢になったのかもーー
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抱きまいらせる

2010年03月24日 09時54分16秒 | 日記
ひふみ神事によく登場する言葉
悪も善も抱きまいらせてこそ本当の幸福

今回の小沢幹事長のとった行動に
選挙を見据えてという感じ方の人が多い
すぐ裏を見たいのね
もうそういうものの感じ方は時代遅れですぞ

生方氏が
「母さん母さんこっち向いて」
と大騒ぎして
母さんが
「こっちにおいで」
と抱きしめた構図と同じ
とチャコちゃん先生は思う

しかしこれが国会議員ということに
チョットね

ということは長い間
日本は家庭教育が滞っていた
ということ

アメリカのオバマ大統領に
「子供と親の時間を家庭でつくることが国の始め」
というような演説があったが
テレヴィを消し
携帯電話の電源を切って
ゲームをやめ
勉強ではなく家で家族と過す時間を
各家庭がもっととってほしいともいっていた
その上で国がやるべきことをするとも

日本は昔から家庭での「しつけ」を大切にしていた
しつけられない家庭は
「奉公」という名のもと
階級が自分より上の家に上がり
行儀作法、考え方を叩き込まれた

国を憂う議員が
「母さんこっち向いて」では
チト困る

小沢さん
お子ちゃま集団を
どこまで大人に成長させられるのかしらね
私たちも裏探しするだけではいけないなあ

母さんの愛をほしがらないでも
きものを着ることで自分自身を愛で満たせる
左前右前と布を身体に
布を抱き込むようにきつけているとき
絹の優しさが体中を満たしていく

自分が満たされると
肚に力が入り
母さん母さんと気を引かなくても
自ら相手と目をしっかり合わせて話が出来る

ねえ
悪いことは言わない
家庭できものを着てご覧?
「成功哲学」のセミナーと同じ金額くらいで
きものは買えるよ

そして身に付けた感覚は深く長くあなたの物

悪も善も抱きまいらせよ!



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都庁45階

2010年03月23日 11時45分57秒 | 日記
昨日は「未来図」のレクチャーに
廣島から始めて当方にいらしたトモエさん
それではと
都庁舎の45階に案内する

北舘と南舘があり北舘のイタリアンレストランへ
午前中は富士山も見えていたが
この時間は隠れてしまい
トモエさんにはお台場や潮留のビル群を眺めていただく

「新宿に始めてきてこんな上から東京を眺めるなんて」
と大喜び
ところがヨシダも大興奮
なぜなら
このイタリアンレストランに
グランドピアノが設置されていて
「今年の暮れのつれづれここでできますね」

早速交渉に入る
「オーケーです予算内でいけます」もうニコニコ

今年は最後のつれづれがなんと
12月25日
チャコちゃん先生の声楽の師匠
帆足夫妻にクリスマスソングを歌っていただき
皆で合唱をしようと決め
ピアノの或る雰囲気のいいところを探していた

こんな近場にあったのよね
いつものつれづれの時間で
終わる頃富士山に沈む夕日が眺められる

この45階からはシンフオニーのような
東京の日の出
東京の夕日を
ダイナミックに見ることが出来る

歌を聴いて
歌を肚から歌って夕日を満悦する
ずいぶん先の話だが
12月25日14時から空けておいてくださいな

絶対楽しい美しい
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チョット変な花屋

2010年03月22日 18時08分31秒 | 日記
山手線の或る駅に降り立った
知人のお宅に伺うので何か手土産をーー
「そうだ春らしいお花がいい」
と道筋にある花屋に駆け込む

「くださいな」
「ハーーーイ」
二階から何か不思議な動物が降りてきた

マッチョな男が
ノースリーヴ着て
二の腕の筋肉を盛り上げながら
桜の枝を抱えて
「あーら、いらっしゃい」
とメゾソプラノで挨拶
目をパチパチさせてチャコちゃん先生を見る

「アあ、あのーこのピンクのフリージャーを」
「あらそれね、可愛いわよー」
桜の枝をテーブルに置くと
小指をピンとたてて5本のフリージャーの茎を持つ

「何本になさるウー?」
「あのー20本くらいください」
「ハーーイ」
首を左右に振りながら
その動きにヒップも同調して
リズムカルに茎を整えている

その間天井やその他のところに目をやると
真っ白い羽の天使たちがたくさん天井を舞っていた

チャコちゃん先生の目線に気がついたマッチョちゃん
「あの子たち可愛いでしょう?
大天使も居るのよ。二階だけど、ご覧になる?」
「ごめんなさい。チョット急いでいるのでーー」
「そうなの。次の機会にお見せするわね」

器用にラッピングし
「おリボンはラヴェンダー色でよろしい?」
「春らしくていいわね」
「おねえさん、お着物似合うから、これおまけ」
ちっちゃな天使のぬいぐるみをおつりのお札に乗せてくれる
「金運が来そうで嬉しいわ、ありがとう」
「うわーステキッ!」
キャッツキャッと喜ぶマッチョチャン

わきの下汗がタラリ
いやーーー凄いわ、東京23区内山手線内
鬼平がスタスタ行き来していたあたりは
今こんな風ーーー隔世の感深し
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長谷川等伯

2010年03月20日 09時19分37秒 | 日記
国宝の松林図屏風にいつも心奪われていたが
今回の東京博物館で行われている展覧会は
その人の生に圧倒される

名古屋に所用で出かけていたが
「等伯22日で終わりですよ金曜日は
夜八時まで開館だそうです」
と加奈子から釘を刺されていたので
「6時には東京駅に着くようにするから
一緒に行こう」と連絡

以前七尾の美術館で
長谷川一派の絵を見ていたが
そんなもんじゃあない

もともとは染絵師の養子になり
絵筆を持つにいたったというが
当時の染屋は裕福で才能のある信治(当時の名前)
時々京に上り修行をしていたらしい

京都は狩野派
七尾は長谷川派
しかし都会の大ゼネコンと地方のゼネコンでは
規模が違う

上を目指すなら都
そして狩野永徳と争うほどの腕と名声を手にする
千利休や豊臣秀吉の寵愛を受け
そのときの金壁屏風は圧倒される

七尾時代は金泥を使っている
その金泥を後で磨いたようで仏画の衣文線などピカピカ
都では金箔が手に入り
何よりも力のあるスポンサーが金を惜しまない

構図色使いその力強さは他を圧倒する
こういう屏風が必要だった安土桃山という時代もすごい
上を上を見続け描きに書いたり等伯
江戸に上った二日後になくなっている
享年72歳

静寂の中に永遠に引き込まれそうな
松林図屏風はたった一人で向かい合いたい

この松は能登の松だ
幼少の頃に見続けた松林なのだろうか
雪に立つ松
霧にたつ
そぼ降る雨にたつ
闇夜に立つ

騒がしい中年男と
何か奥深いものを秘めた老年の男
この生のバランスが見事

東京は22日まで
京都国立博物館では4月10日~5月9日まで
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