チャコちゃん先生のつれづれ日記

きものエッセイスト 中谷比佐子の私的日記

劇場内の食事

2012年03月31日 10時56分13秒 | 日記
先日ホールと名のつく劇場でチャコちゃん先生
サンドウイッチをぱくついていたら
「お客様此方では召し上がらないで下さい」
と注意を受けた

歌舞伎などは食べながら観るのも楽しみな一つ
そのために桟敷もあるのよね

きものを着て絹のハンカチにサンドウイッチを挟んで食べていたのに
わかるんだわねえ
もぐもぐしながら大きくうなずくチャコちゃん先生
「お召し上がりになりたかったら廊下に出てお願いします」

この言い方が気に入らなくて
ぐっと飲み込むと
「お召し上がりになりたかったらではなくお召し上がりの場合はでしょう」
と諭す

そうでなくともきものを着た女に注意をするのも勇気がいっただろう
その上敬語を使おうとしてごちゃごちゃになったのか
「ごめんなさいね気を付けます」
とフオローしたものの案内係りの女性を怖がらせてしまった

一緒に行った友達は
「だからロビーですませなさいと言ったでしょう」
とお目玉

先日もホールという名の劇場でそれは飲み物だったのだが
せきが出たので飲み物を友人が私に差し出したら
やはり案内係がすっ飛んできて
「外でお飲みください」
「それでは咳き込むだけでしょう」と友人が変わりに言ってくれたが
まだ舞台も幕が開いていないのに
「気取るんじゃあないよ!」

つまりそれで分かったことは
「ホールという名の大劇場」は飲食座席ではだめということ
誰も幕が開けばそんなことしないけどね

クラシックは行儀よく
講義を聴くみたいに姿勢を正して
ということのようよ
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抱き参らせる

2012年03月30日 09時57分00秒 | 日記
日月神事を読んでいると
よく「抱き参らせる」という言葉が出てくる
つまり
悪を排除するのではなく「悪」を抱き込んで消してしまう
そして調和を尊ぶということのようだ

北朝鮮の挑戦を排除したり立ち向かったりしないで
あの寂しく荒れた心を「抱き参らせる」
ナカナカできないことだけど
その心がけで居るといつの間にかあいても自分も
穏やかになっていることに気がつく

母は子にこの「抱き参らせる」ことが出来るが
他人には出来ない
これ当たり前だろうか

日本人はもともと抱き参らせることが得意な民族だ
この世の中には悪も善もなく
悪も善もすべて己の考え方次第という哲学がある
これは日本が八百万の神を信じる証かもしれない

ここ数日北の方は緊張している
私たちは日々の暮らしを静かに過ごしながら
あちらの国の人たちの心を
抱き参らせる気持ちで居ると相手に少しは通じるかもしれないと
甘いことを考えるチャコちゃん先生ではある

争いはいや
戦争勘弁してほしい
競争ももうやめよう疲れるだけ
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三つの丹田

2012年03月29日 10時47分56秒 | 日記
広島で金星、月、木星の直線並びを見ていて
なぜ今この⑶ッツの星に注目をしなければいけないのだろうか
とずっと考えていた
そしてあっと気がついた
宇宙は「3つの丹田」をチャコちゃん先生に
再認識させようとしているのだろうーーーと

三つの丹田
上丹田は第三の目
中丹田はおなかつまり丹田と呼んでいるところ
下丹田は肛門を司るところ

この三つの丹田のことを知ったのは
古い古い本を読んでいるときであった

そういえば昔東京博物館で展示されていた空海の繪に
第三の目がしっかりと描かれているのが印象的であった
其れ以来第三の目に注意を向けている

その古い本には
日本人は上丹田で物事を見
中丹田に落とし
下丹田で判断する
という内容で日本人の物の考え方をうまく表現していると思った

今精神世界の方々は
第三の目で物を見ましょう頭で考えるのはやめましょうという

日本は昔から第三の目で見ていたのだと思うと
やはりわが祖先は知的だったのだと嬉しくなる
「丹田」という言葉を肚で考えると集約しているが
上丹田で見ると言うことを外してはいけない
其れが直感であるのだと思う

上丹田でみて
中丹田で考え下丹田で判断すれば
人間どうしても落ち着くいやでも落ち着く
すぐ言葉にしないので外国人は
「日本人は何を考えているのか分からない」
と思うのだろう

ちなみに日本人以外は
上丹田で見た物は胸で(ハート)におろし口にする
であるからして結論が速いのだそうな

洋服生活になり日本人もこの外国型の物の考え方が当たり前
だってきものは
肚で考えるように帯という物がある
特に男の袴スタイルは丹田を意識させる

チャコちゃん先生この3つの丹田を意識しながら日々送るつもり
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「原発ゼロ」目前

2012年03月27日 10時16分06秒 | 日記
広島に居て中国新聞報道の「原発ゼロ」目前という記事を読むと、
なぜか他人事でない安心感が胸をよぎる。

稼動残り一基という記事が踊る。
残り一基は北海道の泊三号機だけで、
それも5月上旬には定検入りで運転を停止するという。
夏の電力需要が心配というが、みんな使いすぎ。

昨日はここ広島でのセミナー「七十二候」を
取りあげて話をさせていただいたが、
江戸時代では立冬に入る日(11月7日頃)が
「こたつ開きの日」であった。
それまでの暖は火燵(こたつ)などで間に合わせていたのだろうが、
「火」というものをいかに大切に使っていたかがわかる。

ついでながら、鶏は大寒(1月30日頃~2月3日)の
末候あたりから卵を産みはじめた。
現在のように、毎日毎日卵を産むことはなく、
自然の動きの中で卵を産むので、
その卵はとても貴重なものであったと思う。

すべてにおいて、自然との一体の中で
生活を営んでいた私たち日本人は、
いつから人間中心に事を運ぶようになってしまったのかーーー。

広島でも新しいマンションはほとんどが電動だそうだ。
電気調理器の普及こそ電気の無駄遣いのような気がする。

ところで、昨夜広島の西の空は
木星、金星、月が一直線で美しかった。

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植物の霜焼け

2012年03月26日 07時55分18秒 | 日記
ゼラニュウムや山茶花など冬に花を咲かせる植物が
今年の寒さに霜焼けを起こしていて可哀想
葉っぱが赤く焼けているのに
予定通りに花を咲かせている
なんと律儀な

どんな薬を葉っぱに施せばいいのかわからない
自然の治癒能力に任せるしかないのか
土の栄養が悪いのだろうという人もいる
それもあるかもしれない
チャコちゃん先生のところは
ビルの13階しかも北向きで風がビュービューふく

そういう過酷な場所で花を咲かせるのは並大抵ではないだろう
人間のエゴで
花を見たいがために植えているのだから
チャコちゃん先生もいい気なものだ

切り取った葉っぱをなぜなぜしながら
「ありがとう」
というしかない
花が終わったら早いとこ剪定して
来年に向けて準備していただこうと話しかけた

彼岸桜のつぼみが膨らんだ
こちらの花も今年はどんな感じだろう
梅は結局ぱらぱらと咲いて終わった

どういうわけかチューリップと水仙が競って
背を伸ばしている
水仙は土の中にいたのでゆっくりと目覚めたか
霜焼けしないで済んでいる

バラやアジサイもかわいい葉っぱを伸ばしかけている
自然は確実に春を告げている
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きものから出た言葉

2012年03月25日 09時06分33秒 | 日記
最近チャコちゃん先生はフエイスブックの中で
「アッハン塾」というのを始めた
つまり
「あらそうなの」
「そういういみだったの」
というたぐいのものなのだが
描き始めたら意外と面白い

きものから出た言葉がいろんな分野に広がっていて
それを集めてみようと思った

どうしてそう思ったかといえば
フエイスブックをなさっている人たちは若い人が多く
きものなど遠いもののように思っている人ばかり

きものを商いしている方たちも
売り方とか客の集客方法については勉強をしていらっしゃるが
本来のきものが持つ文化性に関しては無知な人が多い
(ここまでいっていいかなあ)

誰かがきものになり替わって伝えなければならない時が来ている
なーーんてチャコちゃん先生は力んでいるわけだ

フエイスブックはまだどのように発展していくのかわからないツールだが
今の状態の中で伝えられるものは伝えていく
日常では会えないだろう方々も大勢いて
いろんな行動を垣間見ることもできて興味深い

その中で
チャコちゃん先生の「アッハン塾」が少しでも
人の目に留まりきものにそう日本の文化に興味を抱いてくれれば
好ましい
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死に向かって

2012年03月24日 08時49分34秒 | 日記
10年間同じ趣味で集まっていた仲間の一人が消えた
そうチャコちゃん先生には「消えた」としか思えない
「どうしたのかな」
と集まりの中で気楽に噂をしていたが
実はその時もうこの世にいなかった

それがわかりご遺族にお会いした
彼は手術をすることすら私たちにはもちろん
友人たちにも話していなかった

手術に向かう前に身の回りの整理をきっちりとして
手術室に向かったらしい
片づけるその姿を家族に見せまいとして
ひそかに少しずつ整理をしていたらしいという

彼の人柄がにじみ出た行動だ

彼の母親が亡くなった数年前から
少しずつ身の回りを整理し身軽にしていっていた
そういえば
「先に逝った人は家族に思い出のものをのこさない方がいいねえ」
と町を歩きながら何かの拍子に彼がフトそう言ったことを思い出した

母親の思い出の品を見ていたのがつらかったのだろう

だから彼の家族は彼の遺品を整理する必要がなかったという
つまり捨てるものがなかったという意味だが
自分で自分の身の回りを整理していく
できそうでなかなかできない
どこかにしっかりとした信念を持っていたのだろう

そのようには全く見えずいつも穏やかで飄々としていたが
自転車でお遍路をした決意と実行力の人だから
人生の自分の始末は自分で取る
と固く決めていたのか

潔よい生き方だし死に方だ
あやかりたい

と思いすぐまず写真の整理から始めてみたが
いつまでこの気持ちが続くかわからないチャコちゃん先生

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カーネーション

2012年03月23日 09時35分35秒 | 日記
この朝のドラマを私は見ていない
しかし私の周りには
「朝は絶対見るのよ」
という人が多い

時代的には興味があり女が少しずつ自立を勝ち取っていた
この時代の女たちは真剣に生きていたと思う
真摯に生きていた

この時代の女たちを少し知っているので
ドラマ仕立てにしてしまったのを見るのはつらい
こういうところチャコちゃん先生変に頑固

美容界や洋装界にカーネーションの主人公のような
女たちがいた
みんな輝いていたでも疲れてもいた
一人でいるときの姿はとても寂しそうだった

時代は女の世界でしか女の活躍をまだ許していなかった
同じころ女の弁護士が出た
国会議員が出た
女医が出た、女医は明治時代にもいたがーー

東大初の女弁護士はピアニストを目指していた
チャコちゃん先生はその先生に法科を教わった
そして国会図書館の使い方も教わった
その頃の国会図書館は今の赤坂離宮にあった

そこに行くとその先生にお会いできて自宅でピアノを弾いてくださった
頭がよく芸術の才能もありしかも美しい
しかしこの時代この先生は不遇だった
「女だてらに」
という聞こえない声が耳に入る
女は賢くてないけないのだがんばってはいけないのだ
そんなことを感じた青春

カーネーションはちらりと見たとき
女の時代を引っ張っていった先輩たちの姿がちらつき
何か朝から重くなる

わずか60年しかたっていないのに女の地位が変わった

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治癒能力

2012年03月22日 10時56分58秒 | 日記
人間の体はすごいとつくづく思う
右足が痛くて正座はできない階段の上り降りが苦痛
捻挫をしたわけでもなく
打ち身でもない

とそのうち太ももの内側に疣のような「でもの」ができ
痛くもないので知らんぷりしていた
ところが育つ育つ
みるみるこぶとりじいさんみたいになり
これは外科に行かなければいけないかな
ひょっとしたら悪性の腫瘍か

一日心配して手術になった時の手筈も考えたが
次の日目をさましたとき
これはひょっとしたら何かのお知らせかもしれないので
それが判明するまではまとう

その時森山さんに大麻のオイルをいただいた
「顔につけるとすぐ皮膚の奥深くに入ってしわやシミが取れる」
「そんないいモノこの世に存在するの?」

といいながらひらめいた
「そうだこぶとりじいさんにつけてみよう」
顔ではなくこぶにつけて一日

なんとそのこぶが急に命を持ち痛さをチャコちゃん先生に与えた
そうしたら膿と血が出てきて3日
右足の理由のわからない痛みがすーと消えた

つまり冷えで血流が詰まっていたようだ
関節に悪い血がたまりそれが痛みを出していたのだ
もちろんこれは医者の解説ではなく
チャコちゃん先生の勝手な判断

その昔
この新宿中央公園に捨て猫がたくさんいたとき
ネコの春になるともうオス同士の壮絶なメスの奪い合いが始まり
大げんかになる
その時負傷したネコは
じっと草むらに身を隠し傷の回復をひたすら待つ
自分でその傷をなめながら食事もとらずに待つ

ネコの治癒能力のすごさに感嘆したが
天才整体師の平田先生が
「人間の治癒能力も高いのだけど今の人はそれを忘れているからね」
熱だって、せきだって、鼻水だって
出る必要があるから出る
それを薬で止めてしまってはせっかくの治癒能力の根を切ることになる

なるほどと妙に納得して
それ以来自分の治癒能力を信じて疑わない
今回も信じていてよかったと思った

平田先生
「よくそこまで我慢したわね体を信じるともっと健康になるわ」
と電話の向こうで喜んでくれた

「人間は病気になるようにはできていない、病気は人の心が作る」
とおっしゃっていたアーユルヴェーダーの蓮村先生の言葉も腑に落ちる
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農業志願

2012年03月21日 11時42分29秒 | 日記
建築業に従事していた家族
いろんな憂き目にあって農業を目指すことになった
もともと生家が農業ということもあり
また自分たちで趣味の畑作業もしていたので
ずぶの素人というわけでもない

とくに42歳になるご長男は
小学生のころから農業にあこがれていたという

農業を始めるにあたって
家族で師事する人を探し始めた
志が強いのだろう
無農薬の農業指導者がすぐに見つかり
さっそく弟子入り

家族そろって勉強をしてきらきら瞳を輝かしていた
建築業の中であることがあり
すっかり意気消沈しているときに
紬の織り元の社長に紹介された

「養蚕をやってみませんか?」
と申し上げみんなで放置された桑畑を見に行き
今後どうするかという計画を練って私は東京に戻った

それと同時にチャ子ちゃん先生は大日本蚕糸会に行き
事情を話して協力体制をお願いした
2か月ぶりにその家族に会うと
見事にどっしりと軸が決まっていた

雪が解けたら土づくりから始めると大張り切り
「土は人間の腸とおんなじ食べ過ぎても空腹でも駄目だそうです」
つまり肥料はやりすぎて調和を壊すのが一番まずい

「人間の個性と土の個性は一緒で風土と環境を考えないといけない」
「あそこの土地ではいい肥料もうちではだめかもしれない」

調和を整えてさえおけば作物は7自然に育っていく
もう気持ちは作物つくりに逸っている

2か月前意気消沈していて
次なる目的を見つけるのに必死だった家族

家族が一つになって目標を決め目的に進み
みんなで新しいことに挑戦する姿に感動をした

親も子も
素直に正直になって作物と向き合うのだと張り切っている

農業もさることながら
家族が家族同士で連携をしあい
その家族の一人一人の仲間がまた輪を作り
家族がどんどん広がっていく

核家族ではできない文化の深さを感じる
そういえばアメリカなど超裕福な家族は
同じような家族とつながることで
ますます富と権力を得ている

日本は核家族が増え
底力が弱くなった
大家族の時代になっていくと国も栄えるのだと
つくづく思ったものだ
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