チャコちゃん先生のつれづれ日記

きものエッセイスト 中谷比佐子の私的日記

着物が繋ぐもの 523

2023年08月31日 10時23分30秒 | 日記

きもののTPOは着物雑誌で毎回取り上げらるテーマ

それだけそれぞれの人の考えがあるようだ

長い着物生活で、参考になればとチャ子ちゃん先生が実践してきたことを記してみたい

というのは昨夜「チャコちゅうぶ」黒蚊がすりの白鷹お召の夏物に、紗織りで魚網のつづれ織りの名古屋帯を合わせていたら、未だ紗の帯でいいのか、透けた着物でいいのかっという質問をいただいた。それがお一人ではなく数人から

皆さんこの時期の着物の装いに困っていらっしゃるのだと察知した次第

 

昭和の時代は「処暑」が過ぎると透けた着物はしまうことになっていた、羅織りとか絽綴れなどの「帯芯」が入っていない帯ももう出番がない

そして白露のころには竪絽、夏大島、夏結城など透けてはいるけど、折り目が詰んだ着物を着て、帯芯の入った帯を結ぶ、生地は絽ちりめん,塩瀬絽、平絽も許されていた。秋分に入ると単衣の登場、帯も塩瀬や綸子になり、織も紬の八寸名古屋帯となる

 

この基本的な装いはあくまで昭和の時代までで、平成に入ってはそれぞれが独自の装いをするようになって変わってきた。また昨今のように毎日がいまだに36度などの酷暑になると

「基本はそうかもしれないけど暑くってやってられない、だったらもうきものは着ないわ」

となってしまう。なにごとも

「臨機応変」

がいい、江戸時代以前を見るとここの装い方が当たり前の風俗だもの

 

さて季節のTPOはそういうことだが

着ていく場所のTPOというのがある、其れは着る人の「心がけ」だと思う

昨日のように勉強会では色のついたきものは着ないというのがチャ子ちゃん先生の心がけ

お祝いの会には会の規模、会場によって訪問着にしたり,小紋にしたり、無地っぽい着物を着たりする

自分自身が主役の場合は紋付や訪問着

きものパーテーイにお呼ばれしてご挨拶するときは、皆さんのお着物を立てる意味もあり白い着物を着ていくことが多い。皆さんはご自分を生かした着物を着るのがいいと思う、着方もいろいろ個性あふれる装いで楽しむのがいい

結婚式や葬式は迷うことなく紋付

会の規模とか相手との親密関係で微妙に着るものが違っていく

少しはご参考になったかな?

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断る勇気

2023年08月30日 09時28分22秒 | 日記

チャ子ちゃん先生は断る勇気がなくていつもグズグズ後悔している

だからいやいや行ってもとことん楽しむ

集まった人たちの服装、しゃべり方、話題、その人たちの癖などなど、飽きないね

そうするとこれまたいろんな学びがある

こういうことがあるので、また唯々諾々と「はい」と返事して従う

 

でも自分からは誘わない、仕事以外は

映画も音楽会も,観劇も旅行も一人で行くことが多い

断る勇気がないのは

・面白そう

・断っていやな思いされるのはかなわないなあ

 

昨日も頭を休めていたら連絡があり、私が紹介したところで商売をした結果を報告したい、という電話

行きたくないなあ、と思っているのに口は「はい」と答える

コロナの前は広い事務所だったので、約束なくても人は訪れる、それは仕方がないことだったけど、今は小さな事務所なので外で会うことになり出かけるのが億劫なのだ

そしていやいや出かける。途中で顔を変えるニコニコ顔に

このニコニコ顔のおかげで、国産シルクで出来た靴下や手袋をいただき「やっほー」という感じ。単純だ!

お相手は紹介料のつもりなのだろうから、遠慮せず大いに喜んで頂くことにした

結局は行った先でなんか「利」があればそれでよしなのだ

その「利」は物質ではなく、精神的な喜びの方がいい

 

今日も断れなかったところに行く、途中の景色やその他のことにも興味を持って眺め行った先でも楽しんで来ようと思う。こういう時不快に思ったら静かに消える。この消え方は練習のたまもの

こんなこと自慢しても仕方がない

断るってむつかしい

否定する人も多い、これもやはりよくないなあと思う

「お綺麗ねえ」「いえいえそんなことありませんよ、もうおばあさんだから」

こういう否定は日ごろよくある

「ああそうですかうれしい」と言えれば最高の幸せがまたやってくると思う

これは断らなくてよい。ジャンジャン受け入れて自分を肥やしていこう

 

日々の生活では自分自身が「居心地いい」状態でいることだと思うけど、相手の居心地よさを提供する側に立ってしまうことが多い日本人

 

 

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なにをしんじる?

2023年08月29日 11時00分55秒 | 日記

何を信じる?

誰を信じる?

自分自身でしょう!自分を信じないで何のために生きている?

 

これってなかなかむつかしいよね

10人いて9人がイエスと言っている、自分一人がノーという。これなかなか言えない

多数決って一番間違いが起こりやすい

子供の時でも

「ハイハイ」と率先して手を挙げる子がいる、その子は自分に自信があり、そして確信を持っている。よしんぼ回答が間違っていても「そうか」と言って自分の非を簡単に認めてけろりとしている

そして正しい回答をしている人を尊敬できる大きな器を持っている。だから人に好かれる

何事も率先して行動するので躓きも多い、だけどその躓きからまたたくさんのことを学んでいる様子がわかる

こういう子が大人になると良きリーダーになっているのを見る

 

秀才はそういう子を遠ざけるか親友にしたいと願うようだ。親友にした方がその秀才の生き方も明るくなる

 

久しぶりに会う旧友たちを見ていると、子供心を持ったまま大人になった人が老いても魅力的

管理社会の中で自分を失わず生きてきた人たちには人間力がある

それは自分自身に常に問いかけながらことを成していたのだと思う

 

自分を信じるということは早い話が「神」を信じるということだろうと思う

それは宗教的なものではなく、この世界を作った宇宙神、また自分を作ってくれた宇宙神、自分自身を見るには自然をしっかり観察することだろうとも思う

 

それにしても「男」は窮屈だね

チャ子ちゃん先生流にいうと「子供」を生まないから、自分という実態がわからないのかもしれない

骨盤を見ても男の骨盤は中身は骨だけ、女のそれは生命の基盤である「子宮や卵巣」があり子宮で考えるとよく言われるが、それはあたり前、生命の根源から物事を考えることができるんだもの

 

世の中男も女も同じだよという法案が出たりしているが、自分自身を信じ、自分の考えを信頼しないと泥沼に引きずり込まれてしまうだけだ、清い水の中で生きていたい

 

 

 

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不条理

2023年08月28日 11時17分42秒 | 日記

自分にっとって不条理と思うことが多い

それと分かってきちんと断れる勇気が必要なのだが

人間ってなかなかそれが出来なくて、相手の言い分を唯々諾々と受け入れ、自分が不条理を受け入れているくせに相手恨むか、不条理と知りつつそれを受けた自分をさいなむ

 

不条理を受け入れてしまったら

とことんその不条理と付き合うことをすると「学び」というご褒美ももれなくついてくる

すべての不幸の原因は自分が作り出していることに気が付くというご褒美ももらえる

 

嫌な事をいやと言えない

ダメということをダメと言えない

行きたくないのに行ってしまう

会いたくないのに会いに行く

特に日本人は人との調和を壊したくない、嫌われたくない、自分だけ目立つのもいやなどなど協調性の方を重んじてしまい、どんな不条理なこともつい引き受けてしまいがち

 

振り返ると

「いや」といえなかったばかりに、異をとなえなかったばかりにむざむざと自分の大切な時間を無駄にし、なおかつお金も使って無駄遣いだったと臍を噛む

 

こんな事多くの方が経験していると思う

不条理だと思うことを承諾してしまったら、そこから自分自身の人間力を上げる何かを得ることを、積極的に考えるしかない

 

自分のやりたいことだけに喜びをもって集中して生きていれば、ストレスなど絶対にない

それができない人間の社会であるならば

不条理を抱えてそこからも何か自分にとって楽しいことを探していくしかないのだろうなあと思う

「あの人変わってるから」

と思われた方が生きやすいかもしれない

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久しぶりの散歩

2023年08月25日 10時03分15秒 | 日記

よほど早起きしないと朝のお散歩は無理、あついもん

昨日は一日のんびりしていたし、夜も早く床に就いたので目覚めも早い・

散歩でもしよう?

出かけるとやはり気持ちがいい

緑の中は何といってもさわやか、空が白むと鳥が騒ぎたち、木々の葉も風に揺らぐ、足元を見ると白露がシダの葉の上度コロコロ転がっている

季節は確実に時を刻んでいる、こういう季節の推移を見ずして生活をしていることはもったいない、そう思うけどチャ子先生朝に弱いので、なかなかこの気分を味わうことができない

いいと思っていても、身を置くには決断?が必要

 

去年はこの季節にヒガンバナが一凛咲いていてびっくりした。今年はーーと期待したが見事に裏切られた

だーれもいないベンチでしばし休む

朝の体操の方々が三々五々集まり始めた、この新宿中央公園はこれからがにぎやかになる。犬の散歩の人たちも、ウオーキングの人たちも

30年前この公園には60匹の捨て猫がいて、その猫を育てていた「猫ニーサン」がいた

樹木がうっそうとしていて猫が身を隠すのにはちょうど良かった

猫の朝食は6時、猫ニーサンが食器をたたいて「てーべ」と呼ぶと、樹木の陰から草むらからわらわらと猫が集まり、ニーサンはその一匹一匹に皿を与えていて餌を盛る

そこに猫好きの人たちが現れて、それぞれ餌を寄贈、中にはタイのあらがあったりする

 

ニーサンはそのごちそうはボスのポッポに差し出す

しかしその猫親分はみんなが食べ終わったのを見届け、皿に口をつける

よく教育したと感心する

親分に程遠い名前をもらったはポッポは子猫の時公園内の公衆便所わきに捨てられていて、ニーサンが育て理想の親分猫に教育した

 

猫ニーサンは任侠に身を置き、何かの都合で公園内に身を隠して生活をしていた

彼の理想の親分はポッポのような人なのだという

管理され、手入れのいき届いた公園にはもう猫もいないし、もちろん猫ニーサンの姿もない

それでも、管理から逃れている小さな草花が季節を告げてくれる

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終わりよければーー

2023年08月22日 09時03分19秒 | 日記

「終わり良ければ総て良し」

という言葉がある

チャ子ちゃん先生の場合「尻切れトンボ」ということが多い

それでいつも反省するのだが、改善の証がない、困ったものだ

今回もそう

「日本茜、日本紫根染織三人展」が20日の日最終日を迎えた

トークショー満員のお客様がいらしてくださって、それはありがたくうれしく感謝している

長年の友人たちも駆けつけてくれて「比佐子さんを慰労」と称して蓼科高原に向かうことになっていた

 

三人の染織家たちには7月からその旨を話し、御片付けの手伝いは「パス」の了承を得ていた

しかし

片付けが始まる前まではきちんといるのが礼儀

さもなければしっかりとご挨拶して出かけるのが礼儀

そのどちらもできなくて、もう遊びの方に気が向き挨拶もそこそこ、またチャ子ちゃん先生を訪ねていらしていた人たちへの挨拶もそこそこ

ぴゅーと友の車に飛び乗って消えてしまった

 

なんという無礼な態度

「終わったのね、もう出かけていいのね」

と友人たちに念を押され

「うん」

とだけうなずき車中のひと

そしていま、まさに今朝になって

「なんという無礼な態度で出かけてしまったのだろう」と今更猛反省

曲がりなりにも今回の企画のプロジューサーだ、そういう一人前の大人の姿が全くなく、次なる楽しみにそそくさと行ってしまうあたり、人としての成長が全くない奴だとあきれ果てている

 

そういえば幼いとき、整理整頓された兄の部屋に母に連れていかれ、一つのことが終わったら、このようにきれいにして次に取り掛かるように、と暗黙に部屋の模範を見せられることがよくあったが、せっかくの教育も身についていない

目の前の人の後ろには何万にという人がいる、その人たちに向けてもしっかりと対応しなければいけない、とある住職さんもおっしゃっていた

目の前の一人に十分な心配りができないと、何万人の人にも無礼を働くことになる

 

「気を付けます」

自分自身にしっかりと言い聞かせる朝の散歩

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デジタル社会到来?

2023年08月19日 07時47分47秒 | 日記

日傘を(かなり高級)電車に忘れ、届け出をした顛末

都営地下鉄新宿駅から神保町で下車、表に出て日がさんさんと注ぐので「あっ日傘を忘れた!」

と戻り駅員さんに告げる

この日は何時発、何号車、どこの席までしっかり覚えていたので、優等生のようにすらすらと話す

すぐ調べてくださったがその時間は見つからず

「帰りにもう一度寄ってください」

 

所用を済ませ帰りによると係りの方は変わっていて電話で色々調べてくださる

しかし忘れ物の届け出はないということがわかり

「この電車の系統は京王線に入っていくので、京王線の忘れ物係のところに行ってください」

なるほど、入り組んでるのう

お茶のお誘い断って新宿に戻り京王線の忘れ物取扱所に赴く

 

結構な人数の職員がいる

縷々説明、終点に聞いているが届いていないという

ここまでは一年前スイカのカードを落とした時と同じ対応

ここからが全く違う

スイカのカードの時は住所名前連絡できる電話番号を書き込み

「届いたら連絡しますね」

そして三日後連絡があり届いた場所を教えてくれた

 

今回はラインで自分で調べろーーーとQRコードを渡された

「スマホのない人はどうするのですか?」

「今時そんな人いませんよ」

だって

チャ子ちゃん先生の周りでもスマホを持たぬ人がいるし、スマホを駆使できない人も多い

そういう人はもうこの社会で生活できなくなってくるのであろうか

昨年は人と人の対応で笑顔の交換があったが、これからはすべてデジタルだ

そのときスイカカードを落とした方が同じところに飛び込んできてその対応も見ていたが

新しいカードはもう発売しないのだそうだ、スマホにお金を登録しスマホで改札を通ってほしいと説明していた

その男が新しいのを買いたいといっていたが

「もう売りません、もう半導体が日本にないのでつくれない」って

えええこれどういうこと!

 

日々暮らしにくくなる日本、特に老いた人たちにとってはーーー

半導体を作っていたのは日本ではなかった?

人の笑顔がなくなる時代か?

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こぶらがえり

2023年08月18日 17時51分53秒 | 日記

昨日は明け方コブラがえりが来て死ぬかと思った

あの痛さ

経験した人にはお分かりでしょう?

何とか歩けてご招待のランチ会へ、食べることは外さない

 

夕方整体に行き天才整体師平田先生に調整して頂く

「塩分が足りない、朝コップ一杯の水に塩を入れて頂戴」

毎朝起き抜けにコップ一杯の水は飲んでいるけど、水分は足りているけど塩分が足りていない、汗は塩分だもの

成るほどと思う

 

軽い足取りで帰宅

本日はバレエのレッスン「無理するのはやめようかな」と思ったが、きっともっと楽になる。という思いの方が強くて出かける

バレエの山川先生も

「それは塩分不足ね」

痛む足の親指を引っ張って上に向けると楽になるとも教えていただいた。更に

「年中動いているからなるので、それは体が動いていることだから安心なさい」

せっかくいい塩を出雲から送っていただいているのだから、手塩にかけるというぐらい塩は大切なのだ

塩を持って歩こう

更に

「減塩していると、逆に体の動きが鈍くなり老いがくる]

充分老いているよ

 

暑さのせいでいろんなことが起きる

昨日はお気に入りの日傘を電車の中に忘れたが出てこない、これはちょっと悔しい

友人にその話をしたら

「もっと大切なものを落とすかもしれなかったんだもの日傘でよかったじゃあないの」

モノは考えよう

こぶらはえりで痛いからじっとしておこうという考えもあるけど、あえて動かすことで完治する

日々学ぶね

 

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日本人の根っこ

2023年08月16日 10時35分53秒 | 日記

日本人の根っこてなんだろう?

一言でいえば「自然との共存共栄」ではないかなと思っているチャ子ちゃん先生

 

「命の尊さ」

その考えでいただいた命をすべて使い切る 蚕の吐いた糸で作るきものは、仕立ての時一ミリも捨てない

ここが一番大事なとこ

大根一本きれいに使い切る、そのため江戸時代までは「生ゴミ」が少ない

 

「自然に対しての尊厳の念を持つ」

季節の過ごし方にそれがうかがえる春夏秋冬の四季折々の暮らし方、旬のものをいただいて体を元気にする

猛威を振るう台風にも(最近は人工台風が多いが)逆らわず、海が荒れれば海の循環が行き届いたといって祈る、山が荒れれば自らの浄化に感謝する、川が荒れれば土砂に混じった栄養が平地を潤すとおもう、危険なことにならないよう自然と協調しながら危険に備えての対策を練る

明らかに危ういところにはすまない、家を建てない

手折った花を惜しみその姿を絵画にしたり、着物の柄に映す、枯れ行く植物にも歌や俳句などでその命を惜しむ感性

西に暗い雲が出れば雨が降る

朝焼けは天気が崩れる

秋の夕焼け鎌を研げ

など自然が教えてくれることに忠実であった時代の人々がいる

 

「見えないものへの畏敬の思いを持つ」

これは信仰といっていい

「おてんとうさまが見てるよ」

この言葉がすべてで正しい道に入っていく

 

昨日聞いた話

新しい学習指導要領書に以上の三つが入っていたそうだ

「生命の尊重」

「自然に対する畏敬」

「神秘への感動」

それに「先祖に対する敬愛」が入れば、日本人の根っこが若い人たちにもきちんと生えていく

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大東亜戦争

2023年08月15日 07時35分06秒 | 日記

今はもう仕掛けられやむにやまれね戦争に踏み切ったという話が真実のよう

アジアの諸国を植民地から解放の手助けをした

それが植民地政策を取っていた大国から憎まれ疎んじられ、怖がられ「日本つぶし」が始まった

いまは戦争中だとみる識者もいるし、まさに日本がつぶされそうになっているという危機感も持つ

 

2009年に出版した「きものという農業」の中で田畑健さんに和棉の取材をした

その時インドのガンジーの話が出て、ガンジーのことを国会図書館に行って調べた

そしてガンジーは木綿の生産を国の基幹産業とするために、土の手入れから木綿をつむぐ道具などの考案、そして自ら木綿づくりに邁進していたことがわかった

この木綿の生産権をイギリスがインドを植民ととして握っていたのだ

そして手紡ぎではなく産業として木綿の需要を伸ばそうとし、産業革命で紡績の機織り機ができ、木綿は大量生産の道へ行った

世界中の多くの人がその恩恵に預かり、木綿が衣服素材の中心に

素材を安くイギリスに渡すだけではなく、自分の国の手に産業として戻そうと実践したのがガンジーだった

 

同じことが日本にもあった

大麻栽培の禁止、ゆるやかな養蚕産業の廃止が○○の条件としてあり、その代わり化学繊維の使用が求められた

絹を知らない若者が多いことに心痛む

今その密約に立ち会った方々のなかから、そういう真実が語られ始めている

その話が公になり、日本人が日本人としての誇りを持てるようになることを願うばかり

 

日本人の本当の良さを隠くした教育が始まったのも、大東亜戦争終了後だ

日本は残虐な民族だと学校教育で植え付けられた

幸いなことにチャ子ちゃん先生は小中高大16年の教育の中で、日教組の先生による洗礼を受けていない稀有な学生であったことが今わかる

これはいったいどういうことだろうと驚くばかり

 

今日はゆっくりそのあたりを紐解いてみたいと思う

 

 

 

 

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