チャコちゃん先生のつれづれ日記

きものエッセイスト 中谷比佐子の私的日記

春の色

2011年02月28日 21時05分42秒 | 日記
4度と言う寒さで霙交じりの雨が降っている
しかしもう冬の色が重い
萌黄色のきものや桜色、淡い藤色、連翹の色
どうも春の花の色を身に付けたくなる

春は先ず白が先駆け
白梅はまるで小雪が舞っている様
そして沈丁花などのやや渋い紅色
この時期に咲く花は香りが強い
色より先に香りが春を告げる

菜の花、連翹、蒲公英と黄色の花が続き
いよいよ春たけなわとなる
桃の花は旧暦のひな祭り近くに咲く

はより先に花の色が目立つのもこの時期の倣い
そしてついに待ちに待った櫻だ

チャコちゃん先生はこの花の季節は
出来るだけ緑系のきものを着る
花に葉の色を思い出して欲しいということもあるが
人も緑が恋しい

今年はそういう色の楽しみがずれていて
今日のように寒いと春の色は人に寒さを与えてしまうようで
気が引ける

今日は
もうこれで終わりですという組帯が届いた
伊豆蔵明彦先生はもう組み帯は作らないと言う
箱を開けるとそれこそ春の空の色
優しい甕覗の色と白の微妙なバランスにしびれる
終わりとなると欲しくなる
これが人間の心理だ

白大島にこの帯を着けたらどんなにさわやかであろうかと
しばし空想に身をゆだねるが
買える値段ではなく断念するしかない

友人に電話をし見せることにする
身近な人が持つことが望ましい

春色は人の心に希望をともしてくれる

草花の春色も私達人間が作るわけではなく
神の手作りだ
人間は感じるだけでもいい

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平野貞夫さん

2011年02月27日 19時02分40秒 | 日記
風雲急を告げる政界
その中で日本に王道を作ろうと
おお急がしの平野貞夫さんを
昨日我が「比佐子つれづれ」にお招きした

足摺岬での少年時代
田舎の腕白少年が伸び伸びと育つ様子は
やはりご両親の教育の賜物

昭和10年うまれ
終戦のときは小学校低学年
当時のお兄様たちとの年齢の差以上の思いの違い
そういう時代に育った少年であるからこそ
未来の展望が読める人なのだと
そのことのわかった会でもあった

平野貞夫さんの口から
小沢一郎さんが語られると
何か脇の甘い可愛い男として姿が浮かぶ

この期に及んでも
「菅さんも大変だ何とか手を貸してあげなければ」
小沢さんは「情」の人なのだと思う
どんなに痛い目にあっても
「全く坊さんみたいに相手を気遣っている」
そうだ

「どうして人が離れていくのか」
と言う質問に
「どんな人からも常に学びたいと言う姿勢があって」
煩いくらいに質問やわからないことを聞く姿勢が
相手にとって疎ましくなるのかもしれないという

それは
学生からすぐ政界に入り
社会をあまりにも知らなすぎるという謙虚さからきていて
なんでも教えを請うと言う態度が今でも強いのだそうだ
だから山間部に入り一人ひとりに話しかけ
酒を酌み交わしながら長老や若い人の話を聞く

何を聞かれてもいつも答えが用意されている平野さんは
小沢さんにとってありがたい存在であろう
小沢さんは平野さんに反発しながらも一目置いているようだ

私達はこの65年間
アメリカの庇護の下にのんきに暮らした
自民党は其れを上手に運営していたと思う
でものんびり寄りかかっている相手の国は
いつまでも甘いかおはしていられない
世界の情勢が変わったし
私達の国を軍事基地にしたくなったようだもの

そういう相手の国のあからさまな要求が
今の政府になって見事あらわになった
そういう意味では菅さんは私たちに覚醒の道を見せてくれたのだと思う

平野さんは
これからは何党とか思想別などの区別なく
皆がこの日本のためにどういう政治をしたらいいか
また国民はどのような国にしたいか
各自がしっかり考え行動するときがきているのではないか

立場が違うとか
考えが違うとか
だから立つ位置が別だと離れるのではなく
違いがある人同士が
同じ目的に向かって歩くことでより大きな道が作れるーーと

チャコちゃん先生は平野さんの話を聞いて
「きものだな」と思った
それぞれ形の違う8枚のパーツが一緒になって
きものと言う普遍の形を作る

そのきものを着た人は
100人いれば100通りの着方をする
だけどきものの形は一緒

こういう世の中はもうすぐかもしれない
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付け睫

2011年02月26日 10時13分53秒 | 日記
電車の中でつけ睫をつけている女性がいて
その手つきの素晴らしさに見入ってしまった
そしてグルリと見渡すと
20代、30代の女性では40%はつけ睫をつけている

そのほとんどは丸顔
どうしてなんだろう

付け睫をつけていない人は
びっしりアイブロウをしている
ウオーターブロウとか
水で落ちるとか
濃く見せるとか
長く見せるとか
各メーカーの競争は熾烈

付け睫はいまノリを使わずにつけられるものもあるらしく
電車やバスなど揺れるところでも簡単に出来るらしい

人工的な美人が増えるが
ほとんど同じ顔に見えてしまう

先日ヨシダとお茶をしているとき
古くからの友人で某デザイナーと出あった
あちらは立っていて、こちらは座っている
暫くするとヨシダが目配せをする

無視

後で聞くと
その友人の片っ方の付け睫が途中から外れていたらしい
こういうとき
教えてあげた方が親切に決まっているが
別れた後なので意地悪したみたいな気持ちになった

ところで
当方は目下絹で出来たブロウブラシを仕入れた
セリシンの付いたままのブラシなので
睫に優しい
目の周りの皮膚の弱い人に好評
墨も自然のもので水溶性
顔をブルンと洗ったときに落ちる

蚕の絹は働き者じゃて
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振袖

2011年02月25日 09時39分03秒 | 日記
最近大人が振袖を着たいという
外国で
お稽古事の発表会で
パーテイで

チャコちゃん先生は母親に反抗をして
振袖に手を通さなかったので
最もこのようにきものに深く関わるなんて
思っても見なかったがーー

大人の振袖があってもいいと思っている
それで二度ほど振袖に挑戦した

20年ほど前だが
きものサロンで
「江戸小紋の大人の振袖」
と言う企画をして竺仙で10枚ほどつくり
田村奈巳さんや小林かおりさんに大人っぽく
それでいて華やかに着ていただいた
それは当時の外交官夫人に皆売れた

いまでもその本を眺良きものじゃあ」
と思う

その気分のよさを自分に実行をしたいと思い
全員振袖を着て参加というイヴェントを企画した
なんとウイーンで行われている
ジャガーバルへの出席

この舞踏会は収益金を山の緑と動物を守ることに使われる
出席者は民族衣装を着て参加と言うのが条件になっていた
「振袖いいじゃあないの」
と簡単に考えていたが
元ハプスブルグ家が治めていた国に限ると言う
しかししかしとねじ込んで振袖参加

「東洋から蝶々がやって来た」
と新聞やテレヴィでチョット皮肉られたけど
参加した25人の老若男女が女は振袖男は紋付袴姿
これは壮観だった
面白かったのは
85歳の婦人が孫の成人式用の黄色い振袖で参加
若い男の子に一番もてた
ダンスのお誘いが引きもきらず
翌日は寝込んでいたがーーー

わざわざこの日のために誂えたのがチャコちゃん先生
しかし気取って茄子紺地に星を散らしたのにしたので
向こうの人には地味に映り若い坊ちゃんには
受けなかったのが今でも悔やまれる

まそれはともかく
今の振袖は我が政府と同じでお子チャマ色に柄
とても大人が着られない

色んなところから取り寄せた結果
織りのものではあるが能州紬の振袖が
色の美しさと柄の神秘さで舞台栄えがすることがわかった
しかも20歳も大人も着てしっくりする
昔人形作家のジュサブロウが作った振袖もいい
洋服のデザイナーの比嘉さんの振袖も個性的で舞台栄えする

振袖はいまではイブニングドレスの向こうを張る
大人用も少し作ってみては如何なもの
その昔
湯川秀樹の夫人がノーベル賞受賞のパーテイで大振袖を着て
マスコミの顰蹙を買っていたが
いいじゃあないのとそのときも思っていた

品のいい振袖姿の大人が外国で闊歩しろ

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再び転ぶ

2011年02月24日 09時53分17秒 | 日記
なんと根津神社におまいりに行って
手を清めようと思って歩いていたら
石にけつまずいた
見事だったと思う

きものを着た女が
ばたっと地べたにひれ伏したのだから
周りの人はあっけにとられ呆然として
ただ立ち尽くしているだけ
ドナタも手を差し伸べようとはしてくださらぬ

こういうときは
毅然とした方がいいので
すぐ立ち上がり
きちんと手と口をすすぎ
祭殿に向かう

なんでえ
神社におまいりに行っているのに転ばされたの!
御祭神を調べるとスサノウノミコト
徳川家の産土神なのだと由緒書き

近くの喫茶店に飛び込み足の様子を調べる
ヒザは打ち身の青あざになっているのに
コートもきものもすそよけ、長襦袢もなにひとつ切れていない
いまさらながら絹の強さに驚く

夜タナカと出かけたので
「神社で転ぶと言うのは何か意味があるのよね」
「週二回のバレエレッスンを1回にしなさいということでしょう」
と軽くさらりといわれる
「何事も自分の体力、年を考えないとね」
とさらにダメ押し

転ぶ
この言葉は余りいいことには使われない
まさしく今の菅内閣は従米に転んだ
転び芸者と言う言葉もある
「あのひところころ転ぶから」
と言うのは節操のない人のこと
「坂を転がり落ちるように悪くなった」

うーーん
転んだことは
きちんと軸足を確認しなさいということなのかなあ

青あざはご飯シップをして休んだら痛みも腫れも引いた

日本の米と絹この力の確認かもしれない

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転ぶということ

2011年02月23日 11時32分57秒 | 日記
昨夜バレエのレッスン中
回転のときに転んだ
そのときはなんともなかったが
今朝起き上がれない、必死でレイキをかける
レイキも波動だから痛みに効いたらしく今は普通に歩いている

この年で
クラシックバレエを始めたので
いづれやめるときが来ると思っていた
それは転んだりしたとき
と自分に規律を課していたのだがーー
とうとうその日が来た
つまり軸足に力が入りにくくなってきたのだ

だいたい
年配者は転んでからが体力が坂道を転げるごとく落ちてゆく
幸い基礎的なことはかなり学んだので
後は家で静かにレッスンをすればいいかなともおもう

先週の日曜日
我がバレエ団の発表会があった
クラスの人たちも出場したので応援に行った
そのとき思ったけど
下手な人でも手足が伸びていれば上手に見える
ヒザが真直ぐだと立っている姿も美しい

レッスンのとき
正しい姿勢をしつこく指導されるが
舞台上の人々の動きを見ていると
その注意の真意が良く分かる

いつやめるかはまだ決まらないが
いつやめてもいいような気持ちで真剣に取り組もう

今日はこれから
骨折をして運動不足になったために
心臓の働きが悪くなったつれづれの仲間
Tさんのお見舞いに出かける
昨日行こうと決めたら
自分が足を痛めるなんて

こういうことのシンクロニシテイはいかんな
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金モールの帯

2011年02月22日 09時57分02秒 | 日記
この帯に始めてであったのは
今から30年も前か
その頃カネボウ化粧品の「迎春」のポスターの
スタイリストをしていた
モデルは女優の小手川裕子さん
その前にかの夏目雅子さんも1回だけ

B全のポスターで胸半分を写す
きものの胸の柄と帯が命
毎回オリジナルのものを作る
そのデザインと色は全部チャコちゃん先生に任されていた

いろいろと隠れた思い出話があるが
20年余は続いたこのポスターで
一番気に入っているのが
辰年に鱗の片身代わりのきものを染め
それに龍の帯を合わせたもの

この龍の帯が金モールと言う織りの帯
前は瑞雲がくっきり金で浮き出ていて
後ろの太鼓には
龍の顔の大写ししかも五本の爪まで立体的に織り出されている

モール織りは明治時代にフランスから輸入された織物で
陸軍や海軍の将校達の胸や肩、袖口に飾られた織りのもの
単なる軍服がこの金モールをつけることで
一気に華やかになった

この織りは明治に大流行したが昭和に入って寂れた
その端切れを見て帯を作ろうと思った職人が居る
出来た当時取材に行った其れが30年前だ
針金に糸を巻き織っていく
絶対機械織りではこの感覚は出来ない

最後に針金を抜いてしまうので帯は軽い
小手川さんも一目で気に入り早速購入
二本しか作っていなかったのでチャコちゃん先生もゲット
色無地、色留袖、江戸小紋と登場範囲は広い

昨日久しぶりに金モールの帯が届いた
ヤハリ立体感と存在感がありそれでいて品格のある帯だ
もう作っていないのかと思っていたが
同じ職人が細々と技術をつないでいた
電話してみるものだ

嬉しかった

しかし数が少ないので二本がやって来た
はや一本は嫁いってしまった
どんなきものにもあう優れものの帯
しかし手仕事ゆえなかなか数がまとまらず
人の目にも触れにくい

世の中こういう優れものはいっぱいあるのだろうなあ
情報社会といわれながらも
ほんまもんは努力しないと目に出来ない

でも本物しかいらないと心に決めると
不思議と本物しか集まらなくなる
今の「気」はそういうことのようだ
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目白寄せ

2011年02月21日 10時36分34秒 | 日記
友人の庭に目白がたくさん来ていて
室内からのバードウイッチを楽しんだ
早速まねっこ

敬意を表して新宿高野で購入した
青森のリンゴ
「特別においしいからね」
と言いながら桜の枝や
金木犀の枝にリンゴの輪切りを差込み
手元に双眼鏡を置いて
準備万端

朝を楽しみにスキップしながらやってきたのにーー
ない
リンゴが消えている!
「此処はカラヤンのしょ場だからね」とセキド
そうカラスが必ず顔を出し溜まった雨水をおいしそうにいつも飲んでいる
「やられたか」
カラスを双眼鏡で見てもねえ


黒部に住む開沢恵子さん
「秋櫻舎に送ろうと思って魚を開いて干していたけど」
全部からすに持っていかれたの

からすは贅沢だ
味をしめてしまったらいつでも覗く
せっかく「ヤタガラス」と敬意を持って呼んでいるのだから
「物を盗む」
と言う下品なことをして欲しくない
もっと誇りを持ってくださいな

でも目白が来れば鶯もやってくる
そういう庭にしたい、13階のルーフガーデン

昨年鶯が窓をめがけて飛び込んできて
窓に突進脳震盪を起こした
傍で見た鶯は本当に美しかった
チャコちゃん先生レイキを使って鶯を蘇生させたんだ!

突進しなくてもリンゴを齧ってもらおうと思ったのに
カラスという伏兵がいた
だめかなあ
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作法

2011年02月20日 16時46分06秒 | 日記
作法と言うとなにやら古臭いと思うかもしれない
最も「作法」と言う言葉すら知らない人も多い
だからこそ
もう一度作法が必要なのだ

作法は波動である
とチャコちゃん先生は思う
量子学でこの世のものは全て波動で成り立っていることが
証明されている
波動と波動のせめぎあいが
居心地の良さや逆に心の乱れなどを呼ぶ

にほんは
この波動を整えることを日常の動きにおいてきた
其れが今壊れてきたので
とんでもない人間が蔓延っている

波動は
自然作用といってよい
何事も無理のないことがいい波動を出す
言葉が一番わかりやすい
にほんではそれを「言霊」と呼ぶ
「嬉しい」「幸せ」「感謝」「ありがとう」
といえば
その波動が広がり
家中の家具から植物そして表の空気まで波動が連動し
無理のない行動で
ひらったくいえば「運」がよろしくなる
だって自然が味方するからね、自然と言うのは神と思っていただいても良い

さて作法
自分の言葉に責任を持つ 嘘をつかない、約束を守る、言い訳をしない
ーこれ誰かが言ってたねー
食事排泄 お箸をきちんと使う、座って食べる。トイレは綺麗に
寝起きの作法 寝巻き、普段着、よそ行き着の節度
他人への礼儀作法 他人の目を意識できる人はきちんといている
恥を知る 見苦しいことはしない
耐える 我慢する

実は室町時代の武士の作法と言うのは以上のようなことを厳しく
親に鍛えられていたのだと友常先生が「剣道日本」に書いている
だから昔の家はたとへ長屋でも清潔で凛としていた
「お掃除をして運を開こう」
なんていうセミナーや本があること自体日本はくるって居る

食事の作法と言うのは
他人が注意しにくい
箸の持ち方、迷い箸、突き箸、口もぐもぐさせない、音を立てない
などなどの作法は
皆親から躾けられるものだから
大人になって「ああいかんなあ」
とおもってもなかなか注意が出来ない
それはその人の親を否定することでもあるから

それだけに子の親はしっかりせい
とチャコちゃん先生は思う
また親を否定されたくなかったら自ら整えて欲しい
こういう日常の作法のできる人が美しく見えるもの

作法は波動だなあとつくづく思うこの頃じゃあ

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絹の半衿

2011年02月19日 13時57分57秒 | 日記
「比佐子さんあなたの古い半衿頂戴」
「ウン?」
「御義母さんの体を洗うときに使うの」
「そういっぱいあるから持っていこうか?」
「これから伺うわ」

F子は90歳の姑の看護をもう5年
お元気だったが自宅の玄関の階段を踏み外して
足と手を骨折
その骨折は治ったものの筋肉が弱って
寝たきりになってしまった

美人で話題豊富、闊達な姑さんだったので
わたしたち同級生はよく説教もされたしご馳走にもなった
彼女のお洒落談義はいつも面白かった

一ヶ月に一度は
特級純米酒を一升お風呂にジャーと流し込んで半身浴
毎日の風呂上りは
顔だけでなく体中を裸体のまま百叩き
その後寝化粧をする

ご主人には一生素顔を見せたことがない
こちらの姑さんに限らず昭和のはじめまでに生まれた女性は
「寝化粧」と言うのは当たり前のようだった

それにしてもいつも身奇麗なお姑さんであった
肌はツルツルしみ一つない
それは紅絹の袋に糠を入れて
その紅絹袋で毎日顔や体を磨いていたからだ

お米も農薬をたくさん使うようになって
糠も農薬が強いからと糠袋はおやめになった
しかし
そこで紅絹の代わりに登場したのが絹の半衿
お風呂では顔からだ全部半衿がたわし代わり

「チャコさんはご存知よね絹にはセリシンというたんぱく質が残っているから」
といって黄変した半衿や胴裏を使っていらした
「チャコさん最近の絹は質が悪くなったわね」
「はあ苛性ソーダーでセリシンを取っているから」
「そうでしょうね柔らかさと張りがなくなっているわ」

まだお元気な頃こんな話もしていたが
「チャコさんの半衿ならきっといいものだろうから戴いていらっしゃい」
と言われたんだそうだ

チャコちゃん先生は半衿分限者で捨てられなくて
半衿つづらに500枚くらいは或る
24節気の半衿を揃えて使っていたが
黄変していて現役が勤まらないのも多い

「半衿も喜ぶわ」
と織り方の参考になるものだけ外して全部持っていってもらった
それと愛用のセリシン化粧水を手渡した
「私も欲しい」
「それはお金戴く」
「しっかりしているう」
「あたりまえでしょう?」

暫くしてーー
「チャコさんありがとうさすがいい半衿ねえ」
とお姑さんから電話を頂いた
昔の女性はお洒落の作法を知っていらっしゃると思った

身だしなみを整えることで
自分自身の精神をしゃんとさせていたのだと思う
見習わなければーーー

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