チャコちゃん先生のつれづれ日記

きものエッセイスト 中谷比佐子の私的日記

着物が繋ぐこと 119

2019年03月23日 13時09分40秒 | 日記
着物が日本の文化を濃縮していることが面白く
「着物」という軸を外れて着物という幹の「根っこ」に目を向けず
着物から教わるはりめぐされた枝にチャコちゃん先生は興味を持ちすぎたと今頃「ああーーそうだった」と頭をたれている
反省をしているわけではなく後悔もしていないのだがーー


野球のオチローさんの記者会見の中
「後悔なんてしもちろんない」
「小さいことの積み重ねが今のこの姿」
「記録なんてそのうち後輩が塗り替えるでしょう記録を打ち立てたことは評価できるけどそれが全てではなく、記録を出すための足元の努力の積み重ねがいろんなことを自分に教えてくれる」

今私の最も必要な言葉であった

神様ってこうやって必要必然絶妙なタイミングできちんと指導をしてくださる
これを知らんぷりしていると
また気が付かないでいると更にきついことが起こってきて抜き差しならない苦しみが与えられてしまう
そういう事は全て自分が勝手に引き寄せていることなのだけどーーー

ところで
着物の枝は伸び放題
「どうして左前ではいけないの?」
という疑問が養老律令で解決され「左は偉い」となるのだが
言葉としての左は左遷とか会社が左前など左をマイナスの言葉にしてしまう
こういうことをどうして?と思うと奈良時代の歴史が必要になりそこで聖徳太子の五行思想に出会いその五行から風水の勉強に入ってしまう

どんどん幹から離れて枝に飛びついてしまうのだまるで猿だね
風水が必要と思うと中国風水の導士に出会いなんと30年も勉強をしてしまう
五行の色の意味を深く知りたく思っていたらイギリス発症の「オーラソーマ」に出会いまたまた10年

しかしこの色は日本の草木染を凌ぐことは出来なかったのでまた草木染めに戻る

こんな枝ばかりを追求している間に着物本来の姿がおかしくなっていることに気が付き
あわてていま幹の大切さん気づく

残り時間は少ないが枝で教えてもらったことも活かしながら着物の道をきちんと歩いていかなければいけないなと思う

長年の友人にそのことをしっかりと指摘され自分自身も納得
やはりずっと見てきてくれた友の存在は尊い

人は「この人おかしい」と思ったら99%の人が黙って去っていく
その時とどまって諭してくれる人の言葉は神様からの言葉だと信じる

着物はいろんな文化をはらんでいるが
その一つ一つが独立して研究に足るものだと思う
50年着物に関わり着物から逃れられなかったのはこの文化性であることもよく理解できる
やはり面白い
着物は深くて面白い関わっていて楽しい美しい
今日はそんなことをつくづく思う日である
コメント
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