チャコちゃん先生のつれづれ日記

きものエッセイスト 中谷比佐子の私的日記

いよいよ秋

2017年09月26日 12時16分25秒 | 日記
我がスカイガーデンは今模様替えの真っ最中
それを察したのか今年は金木犀がご機嫌斜め
花数が少なくてチャコちゃん先生がっかり

今日は色々と支払いを抱え都庁にある銀行と郵便局に早朝から足を運ぶ
展望台に行く人がなんと9時30分だと言うのに長蛇の列
外国の観光客の方ばかりだが
私も経験があるが団体旅行は早く起こされて次々と色んな場所に連れて行く
楽しいけど疲れる

ここに並んでいる外国の方も楽しいけど疲れるのだろうなと思いつつ眺める

都庁の中には本屋、コーヒーやと結構遊べる
先日は地方の物産展も開かれていて
両手で必死に抱えるほどのトルコキキョウを400円でゲット
帰る途中公園で知らない婦人に
「どうしたんですか?」
「都庁内で買ってきましたのよ」
「私もいこう。おいくら?」
「400円」
「へっーー」

ここは新宿の田舎十二社、いいですねこういう感じ

どこからか金木犀の香りが流れてきて平和

都庁ではマスコミの人たちが小池知事の到来を大勢待っていた
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お米が美味しい

2017年09月15日 16時52分26秒 | 日記
炭水化物は体に良くないと言われるが
日本は「米・絹・大麻」だ
この3つなくして日本とはいえない
とチャコちゃん先生は思う

稲刈りが盛んで農家の方は今忙しい最中
これが終わると皆さん温泉旅行
日本は世界で一番温泉があるらしい
東京にも温泉がたくさんある

3年前まではここ十二社(じゅうにそう)にも温泉があり
時々浸かっていた
広いお座敷があって焼きそばやビールなど食べられて
近所の人の集会所になっていた
都会の中の田舎という感じ

温泉は真っ黒ですべすべするのだがちょとお見た目は不気味
しかし冬は湯冷めせずポカポカといつまでも温かい

新米の頃は大きなお櫃に山盛りの銀シャリがデてきて
胡摩塩かけて食べているひともいた

明日からこの氏神様の熊野神社の秋祭り
お神輿担いだ人たちの溜まり場でもあった
賑やかだったけど、継ぐ人がいなくて閉じてしまった
こういうこといっぱいある
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どうも夏が続くらしい

2017年09月14日 10時46分36秒 | 日記
昔の人のことわざはいつも正しい
「暑さ寒さも彼岸まで」
この言葉とおはぎが重なる
今年も母が作っていたような「ぼたもち」を作ろうと小豆を購入

夏に疲れた胃は甘さのある小豆がいいらしい
科学的なことも知らず昔の人はそう考えた
秋には小豆が取れる

農家の軒先で
ござを敷き枯れた小豆の枝をポンポンと叩く
小豆の実がコロコロと落ちる
それが面白くて子どもたちの遊びとなる
誰が一番多く小豆を落とすか競争

子どもたちはなんでも遊びにするのが楽しい創造性がある

疎開先の風景だが
私は監督のようにそばで成り行きを見ている
偉そうに優劣を決めている
中に入って競争はしない
そういう児なのだ。別の味方をすると協調性がない

その頃疎開っ子は仲間はずれになることも多かった
お座敷借りています。と言うような気持ちもあり遊びの仲間に入りにくかったのだ

夏の終わりになると
そういう風景が思い出される
今は小豆はどういうふうに豆を取ってるのだろう

ぼつぼつ軽井沢の花豆も取れる頃
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曼珠沙華

2017年09月11日 11時27分46秒 | 日記
むかし皇居の土堤が一気に赤く染まる時期があった
曼珠沙華が満開になる
その時期が彼岸前後つまり「秋分」前後だった
その景色をみてチャコちゃん先生は着物を単衣にかえたものだ

最近はその土堤に色がない
あれは球根なので全て掘り上げてしまったのだろうか

よく行く公園に「あれっ」といきなり赤い花が咲いていて驚く
つまりいつも突然なのだこの花は

曼珠沙華と言う歌曲がある
北原白秋の作詞、作曲は山田耕筰

ゴンシャン、ゴンシャン,どこへ行く
赤いお墓の、ひがんばな
ひがんばな
今日も、手折りにきたわいな

と四番まで続く
ゴンシャンとは九州熊本地方では「お嬢さん」という意味
しかし私は「ぼんさん、ぼんさん」と聞いていて
自分が歌うときに「ゴンシャン」であることを知って大笑い

しかし
この歌も何かおどろおどろしい
皇居の土堤を真っ赤に染めた曼珠沙華も見ようによっては不吉だったのかもしれない

季節を確実に告げる花
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決算期

2017年09月10日 11時45分31秒 | 日記
ずっとずーーーーと帳簿は経理の田中に丸投げしていたので
チャコちゃん先生はただ経費を使っていればよかった
資金繰りもすべて丸投げ
こんなにいい加減な社長もいない
しかも40年も

それが今一人で全部やらなければいけなくなって
気が重いというよりわからないことだらけ
数字は弱い方ではなかったけど
使わないので劣等生
また事務的な書類も書けない
何回も失敗する

なのにやらねば前に進まない
人数も少なくなったので「株式会社」を返上しようと思うが
その書類を書いたり届けたりが面倒で先延ばしになっている

縮小をするのはエネルギーが要る
一度消費税が3%になったとき本造りをやめて会社も小さくし
私一人で再出発をしたことがある
バブルがまだ弾ける前だったので
みんなに退職金も支払い、就職先も世話ができた
今でもその先でチ・カ・ラを発揮している元スタッフも数人

一人が二人二人が四人とふえていき
また小さくしたいと思い始めた
今度は私自身が「この世から消えていく日のほうが近いので」
もっと真剣に考えなければならない

それにしても帳簿整理は苦手

朝から公園で遊んでいた
ぼつぼつ取り掛かろう
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紅絹の「またわれ」

2017年09月09日 13時27分43秒 | 日記
きものを通常に着るようになって
困ったのが下着
私が着物を着るようになったときには和装の下着は殆ど使われていなかった
つまり洋服のときと同じように「パンツ」をはく
すごい人はガードルも身につけていた
用をたすのが面倒くさくなりだんだんきもの離れを起こした

母や姉の姿をチラチラ観察すると「湯文字」というものを素肌につけていることを識る
母とは「きものは絶対着ない」と宣言していたので
何かと聽くのは憚れる

さり気なく見たり、また昔の婦人誌を眺めたりする内
湯文字の効果使命は半端でないことに気がつく
更に「またわれ」というのがあることを知った
これは日本舞踊を教わっている先輩の楽屋で見聞きした

なんだ
こんな便利なものが昔から有るのにどうして普及をしないのだろう
市販をされている物を試してみて
いろんな不都合に気がつく

そして作り上げたのが「湯文字」と「またわれ」
何年も履着心地を試し素材を麻と絹、木綿に限ることにした
今こういう体験を無料で試していただいている

写真は湯文字
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自分のほんとうの道

2017年09月08日 11時16分02秒 | 日記
日本がどんどん変わり、
また徐々に戻っていきつつある
そんな感じの毎日

変わっていった頃は国中に活気があり上昇気質がみんなにあふれていた
どちらかと言えばその上昇気質についていけなかった感じがする
乗り遅れ

また乗ろうとすると何か足を引っ張られて自分の場所から動けない
足元の整備に明け暮れていたように思う

夢はいっぱいありそれに向かって行きたいのだが
「まだ時期でない」という内側の声
それを無視して何回も失敗もした

その都度まとまったお金の損失
そういうことの繰り返しをしながらも
神様はきちんと正しい道を示される
その道をまっすぐ行きさえすれば失敗も何もない

しかし寄り道したくなるのが性分だ
そこで学ぶことも多いがいらない知識にも惑わされる

持っている夢が人のお役に立つと信じたとき
それだけに向かって生きていくのが最も生きがいがある
それがその人の本当の使命ならば絶対邪魔は入らない

秋風に吹かれながらそんなことを考えて過ごす散歩道
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秋になりました

2017年09月07日 17時41分16秒 | 日記
今年の夏は麻の着物3回しか着なかった
もちろん暑い日もあったのだけど
特に東京は雨が多く肌寒かった
8月22日の新月から地球がシフトしたらしいが
しばらく調和を取るためにいろんな現象が起きるのだろう

その宇宙の波動は人にも影響するので
調子の悪い人は「浄化」と思ったほうがいい

チャコちゃん先生きょうはわけもなく悲しく涙が出てきて止まらない
理由はない
しかし胸に寂しさが宿っている

友人にはなしたら「浄化よ泣いて涙流せばいいわ」
いいも終わらぬ内
天から大粒のナミダ
暗くて重い一日

雨の公園がすきなのでしばし散歩
雨に叩かれた病葉が積もっていて
ほんとうにもう秋なのだと一人納得

秋はなぜに物悲しい?
それはいろんなことの移り変わりを見るから

若葉には希望があり枯れ葉はやはりご苦労様
そこへ雨だと余計ふさぎ込んでしまう
しかしその病葉も次の世代の栄養になる

自然の法則の中には「無駄」はまったくないことを思い知る
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