今は「薩摩上布」とは言わず「宮古上布」で通っている
当たり前だ、その土地の風土の中で生まれたものはその土地の名前を冠するのが自然である
薩摩はその他にも「薩摩芋」と沖縄では「からいも」つまり唐からの輸入品だあったのものを「唐いも」と名付けていたのを、薩摩に渡ったら「さつまいも」となった
唐からいただいたものは、文化度が高く貴重品で「唐来物」ともてはやされていた。百済からの品も珍重され、よくないものを人に渡すという謙譲の気持ちの時「くだらないものです」という言葉を使っていた
話はそれたが薩摩は離島の検閲に余念がなく、沖縄は特に中国との貿易の要所として貴重な島でもあった
その頃の中国の文化は高度なので、薩摩はそれを独占できた
絣技術などは大いに発展したし、養蚕、染、機織りの技術も高度なものに発展、ここで培われた「琉球絣」は日本全国に技術伝播して、特に山形県長井に落ち着いた「米流」という琉球絣のような絣の誕生も見る。八丈島に織機が琉球から伝えられているのも、日本が黒潮に乗っての海洋文化が発達したことを示している
薩摩だけでなく他の土地にも琉球の文化が点在していく
ご本尊の薩摩にも「苧麻」栽培がありこれぞ正真正銘の「薩摩上布」が大隅地方で織られていたという話も聞き、チャ子ちゃん先生が指宿に行ったときにはもうすでになかった、現物もわからない。その時指宿の宿で見たものはロバートケネデイが暗殺されたテレビ画面だった