チャコちゃん先生のつれづれ日記

きものエッセイスト 中谷比佐子の私的日記

夏越の祓

2023年06月30日 12時16分23秒 | 日記

本日は夏越の祓(なごしのはらえ)

一年のちょうど半分を過ぎて、犯した罪汚れをはらっていただく

日本って神様は大きく許してくださる

 

もともと伊弉諾尊が黄泉の国から戻ってきて身についた汚れをはらったことから来ている神事という

水で清められるという考え方はに日本人独特らしい

このときの祝詞は「水無月の夏越の祓する人は千歳の命延ぶるなり」というのだそうで、母に連れられて茅の輪をくぐったとき教わった

こういう幼いころの習慣は何か続けないと物忘れしたような気分になり気持ちが落ち着かない

もちろん親はそのつもりであろうけど、その日が来ると母との茅の輪くぐりの様子を思い出すのだから

 

もっともこの後の「水無月」菓子も目当てだし、小豆好きはこういうところから植え付けられているのかもしれない

前夜から小豆を水でふやかして、朝から煮て姉たちとともに作る

夜の水無月ご飯もいい、土用のウナギは大流行だが、こちらはてんぷら、大麻の葉の上に大きなエビをにひきまーるくさらに盛り、丸の中に芋の黄色、野菜の青、ニンジンの赤、ごぼうの黒、玉ねぎの白を入れる

なんで?みんなが健康になるように

ということしか聞いていない

 

そのあと大麻の葉でつくった幣に、墨で自分の名前を書き、悪いことをしたことを書いてごめんなさい、と言いながら川に流す

「誰かに読まれる」

「読む人は神様だけ」

「はい」

 

というわけで本日は17時から夏越の祓の神事に参加

7月からは大変化がありそうな世界、ますます自分の軸をしっかりしておこうと思う

 

 

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AI Chato GPT

2023年06月29日 09時55分32秒 | 日記

どこまでも人間を能無しにするらしい

昔チャップリンの映画に機械がどんどん口に食べ物を放り込む場面があったけど、60年くらい前かな

日常の行動がすべて機械化されるという映画だった

人間の知能は人間を奴隷にもするのだなあ、とその時思った

その映画の題名も覚えていないけど、チャプリンが産業革命による機械化を揶揄したものだったのだろう

 

いまはAIのお働きを揶揄するどころか、それについていこうと人間がとてもとても頑張っている

若人だけでなく、老人といわれる階層の人たちも、その流れについていかなければ生きていけないと思っている人も多い、特に知識階級と思われる人はーー

 

確かに俳句も上手、文章もうまい、たくさん知識があるのでコピーなんて最高傑作ができるし、早い早い

人間が座ってポンと押せばなんでも代わりをしてくれる。らくちんらくちん

 

そんなことでいいの?

人は何のために生きているの?

体験するためでしょう?

その体験によって悲しんだり喜んだりそういうことで「人間力」をつくっていくことでしょう?

経験と体験の違いよく考えてみて?

体験すればするほど次なる課題が出てきて、その課題を解決すればするほどその人は豊かになっていく

それが私たち地球に出てきた意味だとチャ子ちゃん先生は思う

 

AIの奴隷になるのではなく、必要を感じるところだけを利用するという、あくまで「人」が主である生き方をしたいね

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14年の変わり方

2023年06月28日 09時30分39秒 | 日記

チャ子ちゃん先生が2009年に「きものという農業」の本を出版した

「えっ着物が農業?」

「確かにね養蚕は農業だものね」

「気が付かなかったなあ」

という衝撃的な驚きを聞いた

新しい着物の作家が生まれても、その方がどういう感覚でものづくりをしているかと、必ず現場取材をした

国が認め、人が持ち上げても、現場でのその方の着物に対する姿勢に納得がいかなければ、絶対に記事にしなかった

後に国宝にもなった方を取材したとき、いきなり手袋をはめるようにと命令っされ、手袋をはめた手でご自分の作品を扱うようにと指示された

その場で手袋を外し失礼した

更に人気ある作家の着物は「自腹」できることにしていた

そして

その着物の判断をしていた。もちろん今もそう

 

そのような考え方や行動の結果が「きものという農業」であった

 

今回ももちろん現場取材は欠かさなかった

そして作り手の確固とした自信と誇りに、かれらの「人間力」を感じた

更に「生き方の」哲学を教わった

 

巷で「原住民たちの生き方を学べば、自分の立ち位置がわかる」とか

「チベットの原住民のーーー」

「インデオの生き方ーーーー」

など外の国の人々の生き方が正しいと説明している若い人たちを見て

「日本はどんな国より歴史があって、その人たちがどう暮らしていたかw知ることの方が参考になるよ」

といいたい(若いときはそういう人がいたら首を捕まえて説教をしていた)

 

この14年の間

取材した方たちの生き方は、自然とともに共生をしながらのモノづくりが洗練され、笑顔の絶えないやさしさが満ちていた

しかし

一般的には「モノ」がどのような経緯をもって作られているかに興味のない人が多い

それは常に「完成品」を目にしてにしているからで、自分の手にその「モノ」が渡ってきた経路も知らなければ知ろうとも思っていない人があまりにも多くなった

 

すべて完成品しか目のあたりに見て居なければその「元の姿」を想像する感性も削られているのかもしれない

この14年間の時代の移り変わりと、人間の無関心さの増長に驚くものがある

モノを大切にする心は、自分の命も大事にするということ

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新宿区が3万円助成してくれる

2023年06月27日 11時59分15秒 | 日記

郵便受けにチラシが入っていた

新宿区に住んでいる人は一人3万円の保護金?がもらえるのだという

申請をするためにはマイカードが必要だって

 

なんだかすごい世の中になってきて

欲しかったらあなたのそれを提供しなさい、という交換だ

其の三万円はどこからのおかね?住民税か?区民税?

税金って色々ありその税金の金額だけではるかに3万円は超すよ

 

今やパスポートよりマイカードが主流になっている、国民健康保険所よりマイカード

三万円いただく場合もマイカード

 

郵便受けにチラシで入ってくるというのもなんだかーー

いっそのこと郵便受けに金三万円配ったらいい

3万円を稼ぐのは大変なこと、大事にしたいお金

なんとも不思議な時代だわ

 

 

 

 

 

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人の感覚が二極化された

2023年06月26日 07時21分11秒 | 日記

新聞やテレビの報道を鵜呑みにしている方たちと

どうも世界は違うねと自分の耳で目で心で考えようとしている人たちで二分された

しかし日本人の根底は「優しい」民族だと思う

 

マスクをするのも人のためだという人が多い

もし自分に「菌」があるならばそれをマスクで防ごうというのだ

清い空気の中でもマスクをしている方がいる

それは癖になっていて、今さら外すとなんだか恥ずかしいのだそうだ

マスクをしているのは自分の顔の劣等感を隠すため便利だから。という方もいた

なぜマスクをしなければいけないのかと不審に思うのではなく、マスクをしていることに安心感を覚え、自分を隠すことができると信じている人もいる

マスク一つその人の生き方や考え方がわかり面白い

マスク一つでもう二極が見て取れる

自分がどちら側で生活しているのか一目瞭然

 

未来の自分をどう意識するかは

日本の歴史を紐解く必要がありそうだ

今回のパンデミックは本当の日本の歴史を知ることにもなった

自分が生まれて住んでいるこの国のこと、もっとしっかり知って理解すれば自分の未来が見えてくる

 

大地と生活している人たちは、やはり自分の軸が定まっている

日々自然に教わることに間違いがないことを見ている

そう

日本人は自然からすべてを学んできた、だから自分の柱を持っていた

人の生き方の説明をしている方が、他の国の自然とともに生きた原住民の生き方を参照にするように導いている姿を見ると

「それもいいけど、日本人のこと知ることが先でしょ」

 

私たちはなぜ日本という国を選び、日本人として生まれてきたのか

自分で選んだ国のこともっと信頼し理解し愛してほしい

それはまず、自分を愛することと同じだと思うけどな

 

自分を愛していたらマスクはしないよ、自分が吐いた息をまた吸うなんて免疫を下げることだもん

 

 

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梅干し漬け

2023年06月23日 10時30分51秒 | 日記

世の中は変わった

と今更感心している

重い広辞苑や百科事典などめくらなくてもあらゆる知識を教えてくれるAI

現場に行かなくても臨場感あふれる写真をいつでも見られるSNS

日常を送りながらその感覚でコンピュータ攻撃ができる戦争

家族の安否を気遣うという目的でその家族の位置が明確に分かる仕組み

誰かがいつも誰かを監視している状態

人間が機械の奴隷になるといわれて久しいが、まさしく今この世はその道まっしぐら

 

そういう中で梅干し漬けが巷ではやっていて

その漬け方も見ていると面白い

重しなくビニール袋の中でつけてしまう。という人もいれば、昔ながらに土用干しまでを計算しながらつけている人もいる

結局度の梅がおいしいかにかかってくるのだが

下の感覚も変わってきた人間なので、従来の梅干し漬けを良しとする人のほうがどうも少ないらしい

味覚というものは8歳までの教育の中で決まるそうだが

手作りかーさんのものを食べて育った子とデパ地下総菜やコンビニ弁当で育った子の味覚が違ってくるのも当たりませなのだろう

各家の味というのがあって

それが嫁と姑の断絶に加担する原因だったが今はそれはないだろう

 

そのため

花嫁の道具開きという行事が各地方にあって

これからお付き合いする親せきや近所の人たちが、それぞれ続くり料理を持って集まり、お嫁さんに家の味、土地の味をさりげなく教えるという行事があった

変に楽しいと子供のころは思ったが、お嫁さんにしてみれば必死の勉強の時間だったのかもしれない

嫁いだ先の味になじむのには一番時間がかかったものだがーー

 

梅干し漬けに特にその家のこだわりがあるように思う

熟した梅を洗い、さらしの布巾で一つ一つ丁寧に拭いて水氣をとり、木の桶に入れ塩をまぶし、木の蓋をして重しを載せる。水が上がり、干して、今度は赤紫蘇を塩でもんで入れまた蓋して重しを置き今度は土用干し、ざるの中の梅は赤く染まっていかにもおいしそう

家によってはいろんなやり方がある

単純が一番おいしい

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着物が繋ぐもの 521

2023年06月22日 07時34分17秒 | 日記

「絽ちりめん」という夏の素材がある、いえあったと過去形になった

このパンデミックで製造中止になったと聞く

縮緬糸で絽目を作っている素材、普通の平絽よりちょっと重くドレープが多い

それがどうして湿気の多い5月の末からの生地なのだろうかと疑問を持っていたある日

今は亡くなった竺仙の先代の社長が

「絽ちりめんは、縮緬浴衣として素肌に着ていた女人が昔はいた」

と教えてくれた

「ほうー」

と思いすぐ実行、いやー気持ちがいい贅沢だし、極楽極楽

こういう贅沢でおしゃれな着物の着方があったのだ!

 

もちろん縮緬浴衣を着る女人は「堅気」の人ではない。「黒塀」に住んでる人だ

大店、政治経済界の大物の囲い者、場合によってはやんごとなき世界の人たちのーーーというのもあったらしい

一軒家を与えられ、身の回りの世話をする人、庭番などの使用人と暮らす。こんな優雅なことはない

身に着けた三味線や、琴、常磐津、などの師匠をして日銭を稼ぐ

お手当もあるが日銭もあるから結構裕福

 

黒塀に女人を囲っても本家は安泰

男も女も大人の生き方ができていたのだ

 

黒塀の女が湯上りに縮緬浴衣を素肌に着て旦那を待つ

日本画の世界だな

 

囲い者のおかげで

建築、建具、庭師、什器、衣服すべて美にあふれたものが作られていく

これもまた日本の文化だったとおもう

絽ちりめんの着物を表に着ている自分の野暮さ加減を笑う

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今日は夏至

2023年06月21日 10時01分14秒 | 日記

東京では冬至の日より昼が4時間50分も長い

大体このころは梅雨なので太陽の恩恵に浴することは少ないが、本日は大丈夫。存分に太陽を浴びよう

夏至の日を聞くと天蚕は繭を作り始める。体内に暦があるとしか思えない

ひとの手によって飼育されている「家蚕」は季節感がだんだん遠のいていっている感じがする

体内に残っている自然との協調が人の手によって壊されているのだろう

 

人ってどこまでも自分本位の生き方しかできない生命体なのだろう

キツネやタヌキなどの動物は穴倉を作りそこに住む

鳥は木を借りて巣を作りそこに住む

自然にあるもののを食して命をつなぐ、場合によっては弱いものを食う、弱肉強食の世界もある、しかしそれはあるものに手を付けるわけで、自分で作ってはいない

人は違う育てて食っちゃう

蝶よ花よと懸命に育てそれを食らう

罪深いよ

だから日本の言葉「いただきます」の前に「いのち」という言葉が秘められている。「ご馳走様」には私のためにあちこち駆けて物を集め作っていただきありがとう。

子供のころあったよこういう言葉

「箸とらば、天土(あめつち)御代の御恵み君と親とのご恩わするな」

(天(あめ)を雨と思っていて、そうか雨も大事なんだと解釈していたチャ子ちゃん先生)

 

小学校のお昼、弁当を開いて箸を持ち、上の言葉を唱えてみんなで「いただきまーーす」そして食事が終わり、最後の一人の食事がすむまでじっと待ち、全員の食事がすんだら「ごちそうさまーー」「わーーい」と運動場にかけていく

 

家庭でも食事の礼法はきちんとしていた

家族全員が食卓を囲み、一斉に箸を持ち「いただきます」ご飯は左、おつゆは右、先ずおつゆをすすり、それからご飯、おかずというように箸を動かす、小皿におかずがわけてあるので、お皿を持って中身を口に運ぶなどなど、いろんな決まりがあった。モノが口に入っているときはしゃべってはいけない

家族がそろうのは夕食の時間なので、その時間がその家の門限、それが戦前のどこにでもある家庭風景だったとおもう

夕食が終わり蛍狩りをしたり、花火をして楽しんだり、みんなで歌を歌ったり

でも戦争はこういう家庭の平和をもぎ取っていく

 

今は戦争屋たちが戦争を仕掛けていた事も明らかになり、私たちは戦争のない生活を送ることが本当は一番幸せなことだと気が付いてきた

注意深く世の動きを見て自分の心で考え行動したいものだと、つくづく思う夏至の朝

20時からチャコちゅうぶ

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着物が繋ぐもの 520

2023年06月20日 09時53分34秒 | 日記

きものの選択がむつかしい季節だ

こういう時に「絹縮」というのがとてもいいのだけど

名前の布地はあるがチャ子ちゃん先生が思っているというより身に着けている「絹ちぢみ」ではない

この手法は「中越地震」で途絶えてしまった

広幅に織った絹の反物を人肌のお湯につけて足でもむのだ

その塩梅が微妙

その塩梅を熟知した方が亡くなった

跡継ぎはいない、今ある反物で終わりとなった

当時お金があったので買い込んだよ10反

自分用に4反使いあとは譲った

麻が絹になりしなやかで涼しい

思ったことをすぐ口にするチャ子ちゃん先生。麻縮の現場取材で

「これって絹に出来ないの?」

「えええーーきぬに?」

と目をむかれたがそこは若手であった経営者、挑戦しようということになって、試行錯誤しながら作り上げた

いやいや今の季節にピッタリ

 

機械で強撚糸にするのではなく、足でもむのでその人肌具合がちょうどよい、しかし熟練を要する、本当の麻縮が作れる人でないとダメ

大豆で味噌づくり踏むように素人ができる技術ではなかった

 

人は今何を考えているのだろう

自分の五体を使ってできることはいっぱいある、と先人たちが模範を示していたが

それをすべて機械化してしまい、人の体は何もできなくなっていっている

頭だけで何もかもが出来上がっていく怖さ

 

関係ないけど電池の入れ方が悪くお湯が出なくなり、右往左往している自分は、時代に取り残されているんだなあとしみじみ思う

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嘘が明るみに出る時代

2023年06月19日 10時09分42秒 | 日記

令和に入ったときさる高名な占い師が

「これからは嘘が表に出る時代で大混乱の時代に入る」

という趣旨のことを言っておられた

「大変だ嘘ついていることわかっちゃうんだ」

自分の付いた嘘をあれこれ挙げてこれから嘘はつきません。ノートに書いて焼いた

ところが

こういう可愛いウソではなく世界的なというより国の誕生の時からのウソが次々にあらわになっていて、混乱状態の今

 

この三年間のパンデミックによって何が正しくて、何がおかしいかということを私たちは逐一見せられている

そして正しいと思えることをしている人は、みんな隅に追いやられていて、あるいは消されている

大きな嘘つきさんたちが世界を牛耳っているが、その人たちのウソがその人たちの行動で明るみなっているので、もう時間の問題で大ウソつきさんたちは退場をするだろう

しかしその嘘は実に巧妙で、その嘘が真実に見えていた

そのすべてに「お金」が存在している

「札束がすべてを解決する」

という世の中になっていて、お金儲けのためには何をやっても許され尊敬されてきた

 

心優しい普通の人を死に追いやっている医療の状況を見ていて、心がふさがれる、それをおかしいと感じる人が増えてきたことが何より明るい

「大本営発表に時代になる」

という方も令和の初めに警鐘を鳴らしていた

まさしくいますべてのマスコミは大本営発表になっている

 

こういう時何を信じる?誰を信じる?

信じるのはただ一つ「自分自身」日本人の知恵を信じることだと思う、それは日本人が自然と共存共栄してきた長い歴史からの信頼だ、そこに「根」がある

若いカウンセラーを名乗る人たちが、インデオにはこんな知恵があるとか、ハワイの原住民の知恵に学ぼうとか、もちろんそれもいい。でも足元の日本にはそれに劣らぬ生活の知恵が山ほどある。外に文化を求めるのではなく、うちにある宝を取り出し磨くほうが今の自分たちにとって簡単で分かりやすい

 

自然の姿を学んできた私たち先人の知恵に「嘘」はまかり通らない

 

 

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