チャコちゃん先生のつれづれ日記

きものエッセイスト 中谷比佐子の私的日記

二月一日ですねえ

2023年01月31日 09時59分51秒 | 日記

私が教わった風水では

この日二月一日にしっかり今年やりたいこと

こういう自分になりたい

こんなことをしようかな

などと「志」をかんがえて

春立つ日 立春の日にきちんと細かく決めて、確り潜在意識に落とし

春分の日から行動開始

 

自然からのエネルギーがその思いを加速してくれるということだ

 

毎年忘れるので、今年こそは

まず形から入るチャ子ちゃん先生、昨日伊東屋で5色のノートを見つけゲット。五色ということは五冊、五個の目標を絶てればいいなあと勝手に思った

 

世界中が大変化の年

自分自身も変貌を遂げたいもの

なーんとなく毎年立春を迎えていたが、今年はっ!と思っているのだが、皆様は如何?

とにもかくにも、

自分のゴールは決めたいですわね

どんなゴールを目指すか今日一日おそらを眺めながら決めていく、きまるかな?

きょうはこれから「シルク時空を超えてイン京都」

一本のお映画が人を感動に引き込む、こういう仕事ができる人は素晴らしい

さー-て

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お金の使い道

2023年01月30日 11時09分01秒 | 日記

昨日個人が持つコンサートホールで後藤泉さんのピアノを楽しんだ

音響が優れてることはもちろん、演者の控室、休憩室も明るくて彩光がよく、くつろげる空間、一部の休みに音の余韻を楽しめた

ご家族がおもてなしをしているので、心がこもっていて、一口チョコレートを頂きながら、香りのよいコーヒーがまたおいしい

 

中世ヨーロッパではこのように貴族の館でコンサートが開かれ、モーツアルトやショパンなど多くの音楽家を傑出したのはこういうサロンコンサートが日々もよされていたからだった

日本でも将軍や大名たちが自分の屋敷に演者を招き、能楽や狂言音曲などを楽しんだことが、いいろんな絵巻で伺うことが出来る

富栄えた人々のお金の使い道は、その国の文化芸術を生かすことにあったようにおもう。だから国々の芸術文化が繋がれ残ってきた

著名な小説家の母上が残した着物や丁度品を見る機会がった

陶芸、漆器類は異論、着物や帯留めなど一流(有名ではない)の芸術家が作ったものに目を奪われた

作り手たちがどれだけ精魂傾けたか、その輝きが迫ってくる。しかもそれらを日常に使い生かしている。「もの」たちの喜びの表情が,名器をさらにひからせていた

残された着物もそうだった

着る人がいて作る人がいる、二人の魂が溶け合ったような着物づくり、枚数は少ないが、一枚一枚が芸術であり、それをまた着こなした写真も一緒に見せていただいた、モノだけ手にとって、技術のすばらしさはわかるが、さらに着た姿でモノが変貌する

 

友人の中にも、作り手の技術に敬意を持ち、ご自分の感性と同調したものしかそばに置かない人がいる。もちろん富豪だ、最高の技術、研ぎ澄まされた美しさ、それが自分の感性とあい、次の世代に残しておけるものがあると喜んでお金を使う(世にいう有名作家にではない)人が認めた人ではなく自分自身の目を信じている。むしろ無名の人の発掘を心掛けているようだ

 

お金の使い方でその人の品性が問われるとはよく言われているけど、昨日美しく響き渡る後藤泉さんのピアノの音を耳にうけながら、「お金も喜んでいるのだろうなあ」と嬉しくなった

 

 

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長寿の祝い

2023年01月29日 11時00分12秒 | 日記

60歳 還暦

70歳 古希

80歳 傘寿

88歳 米寿

90歳 卒寿

99歳、またが100歳 白寿

 

生まれてから成人するまで、とくに一通りの十二支が回る13歳まで、子供の祝いは数々ある。大人たちが温かい目で子供を見守り、その成長を神に感謝するため氏神様にお参りする

国を作るには人が必要、子供は特に国の宝としての存在だから、両親に限らず、親戚だけでなく、周りにいる大人たちもかかわって見守る。みんなが子供を大事にしてきた

 

それと同じように、我が国の人々は還暦を過ぎた年配者たちを敬愛の意味を込めて祝ってきた。

 

三十年近く前「婦人公論」に冠婚葬祭マナー百科というぺージをもっていて三年間毎月連載していた。

さいきんその記事を読み直してみると、とくに長寿の祝いについての認識が全く違う。50代から見た長寿、どういう祝いをしたら喜んでもらえるかなどのマナーを書いているが、その頃の長寿の方々に取材した。戦争で苦労なさった方々がおおかったので、やりたい事が出来なかった、行きたいところに行けなかった、見たいものが見られない生活だった、聞きたいことがいっぱいある。などの話が取れた

その話をもとにして、こんな音楽会にお連れするといいとか、少女が着るような雰囲気のパジャマプをレゼントしてみては?一流の料亭での宴会の提案などしている

 

現在には全く通用しない

それは私自身が長寿の祝いの真っただ中にいるから、自分自身がやりたいことがその当時の方と違う、また同級生などに聞いてみると、行く、とか見るとか知る、遊ぶというより、自分の話にしっかり耳を傾けてほしいという人が圧倒的だった

それも話を押し付けるのではなく、淡々と自分の体験を伝えたい、自分自身のことではなく、自分が生きた社会を語りたい

 

いろいろ考えさせられる長寿の祝い

冠婚葬祭の中で「長寿のことが抜けている」ほんまや。チャ子ちゃん先生が長寿の仲間なのに、その項目がすっ飛んでいて、昨夜慌てて書き下ろした

 

 

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冠婚葬祭

2023年01月27日 10時27分41秒 | 日記

久しぶりですわ

朝5時まで原稿を書いていた

この二日間で一冊の本を書き上げた、というより打ち上げたというのが正しいか

パソコンでの原稿作りに慣れようと思い、パソコンでこのブログを書き始めたのが20年前になる。しかしパソコンがパンクしてすべてのデーターが消えたので、今はこのブログは2009年からのしか残っていない

ある雑誌の編集者がチャ子ちゃん先生の手書き原稿を、新たにパソコンで打ち直しているのを見て、これからは原稿は手書きではなくなるのだとおもったし、これもある雑誌の編集者が

「原稿はフロッピーでください」

「うん?」

そしてまた「きものという農業」の原稿を書いている時、担当の編集者が、チャ子ちゃん先生の書いた原稿をパソコンで打ち直していた。

時代の推移ってこういうことなのか、この世界で仕事をしたいと思うならば、パソコンで原稿を作ることが肝心だ。と思っていたが

原稿用紙に向かって万年筆を持つと書きたいことが浮かんでくる

「手先に脳があるらしいのよ私、だからパソコンなんて使わない」

と頑張っていた

「あらチャコパソコンに向かうと自然に手が動くようになるわよ、今そういう時代なのよ、バカね」とゲイの小説家に諭され、其れではとおそるおそるパソコンに向かってブログを書き始めた

編集者はパソコンの手元なんて見ていない、手書きの私の原稿用紙を見ながらぴぴぴーと打ち込んでいく、驚いたのなんの、すごいとみとれていたら

「次回からパソコン原稿にしてください」と念を押されてしまった

 

ほぼ毎日ブログを書いていたかいあって、今回は二日で書き上げた

「えらい!よ私」

と自慢したら

「普通です」

と言われてしまった

 

しかしピアノを弾くように鍵盤見ないで文章を書いていくという技は身に付いていない。手元を見ているので、その分遅いし肩に力も入る

「そのうちAIが書いてくれますよ」

 

これについてはいろいろ考えることもある

「冠婚葬祭」2月11日秦野の出雲大社分祠での講演に出来上がるそうな

表紙はもうできていて美しい、内容は手に取ってお読みくださいまし

 

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AIはご活躍

2023年01月24日 10時39分24秒 | 日記

白生地の紋様も、着物の模様もデジタル化してる

「手仕事」が日々なくなっている

先般将棋もAIが人を負かした。短歌や俳句もAIの方に軍配が上がる

ややこしくて理解できないような複雑な仕事はこれからすべてAIの仕事になる

だから失業者が多くなり、AIの奴隷となって人間が働くようになってくる

そういって嘆く人たちに出会った

ITのコンテンツが提供できないとビジネスは成功しないと首を垂れていた

これからのビジネスの在り方が変わるー--と

「しかしAIにデーターを入れるのは人間でしょう?」

と言ったらその人たちは無言になってしまった

 

人間として生まれてきたんだもの、人間としての知恵を出し合って生きて行きたい。

考えられないくらい科学が発達していることは理解できる。何もかにも便利になってきた。人間の機能をAIが持つように仕向けていることも確か。人間が神の領域に入っていくと、アトランティスのように滅亡させられることを、私達は学習しなければいけない時代かも

人間はとてつもなく才能の宝庫をもっている

ひょっとして私達の潜在意識の中には、AIなんて及び持つかないほどに、知恵がいっぱい詰まっているのでないかしら、瞬間移動なんて簡単にできそうだし、無から有を生み出すことだってできる。外側で考えるより、自分自身の内側を信頼して開発したほうが元手もかからないしね

 

AIにおびえている人達にそんな話をしたら「あんたばかかー-」という顔された

もう付き合ってもらえないだろうけど、チャ子ちゃん先生は人間を信頼したい

 

 

 

 

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あらためて絹はすごいと思う

2023年01月23日 09時52分43秒 | 日記

友人が

「比佐子さんこれ使ってみて、すごいのよ」

と風呂に入れる「塩」の袋を手渡された

「買ってあげるわ」といってアマゾンに注文をしてくれた

どう凄いのか?、

「この塩を入れてお風呂に入ると、湯が黒くなるの解毒作用があるのね、お風呂の掃除が大変だけど」

毎日お風呂に入り体を清潔にしているのに、この塩を入れると体から毒素が流れ出てお湯が真っ黒になるという

 

「すごいね解毒作用をしてくれるのね」

とさっそく試してみた

「うん?」

量が少ないのかと思い増やして3日目、全く汚れない

体はポカポカしてぐっすり休めて「あらいいじゃん」と思う

「お湯汚れないよ」

と連絡すると

「えええーそんなー-」

と友は言葉が出ない

 

結論は「絹」

石鹸は絹、体を洗うのも絹の布、寝具もすべて絹、毎日の衣服の下着も絹。つまりチャ子ちゃん先生の体は絹が常に浄化しているということの証明が、この塩の存在

絹おそるべし

 

「シルク伝道師」をもっと養成する必要があるなあ

それにしても「蚕」に感謝しかない

 

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頭はいつも働いている

2023年01月22日 11時02分37秒 | 日記

ある学者が言うには

平均毎秒頭には10個の考えが渦巻いているのだそうな

集中している時でも他の手順を考えている

本を読んでいても(そうだあそこに電話だ)とかいう思いが浮き出る

 

頭を使いすぎると肩がこるのだそうだ

頭を使いなさい!と言われるが、頭は使わないようにとは言われない

頭と心は同じ行動をすることが多いが、頭と魂は離れていることが多く

魂の望むことを頭がやるようになると、必要なことしか考えないから物事はすべてうまくいくという

魂が望むことは潜在意識からの思いなので、それは神と相通ずるのかなと思う

人を一生をかけて魂を磨くことが生業だと思っている

魂を磨くということはいろんな体験の中で培うことが出来る

体験は肉体を持っていないと出来ない

肉体は頭に左右されて動く

 

こういうことを考えるのも

「いい加減頭を使うことをやめなさい」

ということだと思う

 

頭に入ったことを肚に落とすのか

肚からのお身を頭で考えるのか

そんなことを寒風にさらされながら公園を歩いていた

ひまだねえチャ子ちゃん先生

 

 

 

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今日は大寒

2023年01月20日 09時22分31秒 | 日記

今日は大寒

此れから15日が寒さの絶頂期

冬の季節の最後

各地で最低気温が報じられる

でも土の中を見るとフキノトウなどの芽吹きが始まっている

正月気分の一掃

この時期には「根菜」を食し体を温めるというのが先人たちの知恵

土の中のエネルギーをいっぱい持った根菜は「腸」を元気にしてくれる

体の中は調和していて、胃と腸は喧嘩しないし、手と足もいつも支え合っている

争うどころかお互いを認め合って協力し合っている

体を中心に様々な枝があって

その枝は外からの情報を体に伝えている

チャ子ちゃん先生は冬の公園を歩くとき、葉を落とした樹木を見て

「あああの枝たちが樹を支えているんだなあ」

とそれぞれの枝ぶりを見て「ご苦労様」と声をかける

 

そして振り返り

自分の体を支えている枝たちに感謝をささげる

この体の中何一つとして余分なものはなく、「私」を作っている臓器や血の流れ、大したもんだよと体にささやく

その中でも「腸」の頑張りはすごい

とくに大寒のころは「腸」を意識して大事にしたい。それは腸を温める根菜を食し、暖かい帯を巻いて腸を意識する

 

子供のころ小寒に入ると「腹巻」をつけて床に入っていた

そういえば外で作業する人夫たちはみんな腹掛けしていたな、寒風の中で守るのは「腸」だったんだ!

 

科学化学証拠は?数字で証明して?頭ばかりでっかちになった現代人は、自分の体の働きに真摯に向き合わなくて、「修理、修繕」という考えは消えてしまっている

大寒を大事に過ごせば病からも遠ざかれると思う

 

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着物が繋ぐもの 510

2023年01月19日 08時29分38秒 | 日記

「チャコちゅうぶ」で二週続けて「帯」についての話をした

人類がこの地球に現れてこちら「腰に帯を巻く」のは当たり前の姿だ

「かぶる」「合わせる」という二つの衣服の形がある

そのいづれにしても腰に布を巻きまたは毛皮を巻いて、布が体から離れないように工夫する・これは有史以前からの人類の衣服の在り方。しかも洋の東西を問わず

 

その中でもわが日本は平安時代から、衣服は「襟を合わせる」という形になり、そうするとますます、腰に帯をまかなければ恰好がないことになった。というより帯がなければ前がはだける

 

その帯は着る人の自由で前で結んだり、脇で在ったり、後ろで結んだりしながら、現在は後ろで結ぶっという形が定着している

 

着物はもともと無地であり、植物染料で染めた美しい布を重ね着して、その色の重なりの美しさを愛でた、その為帯は機能的であればよく、帯はまた着物の中に隠れていた。

それが段々帯が表に出るようになってきて、帯にも趣向をからすような時代になったのが安土桃山時代であろうか?男も女も華やかで凝った帯を締めている絵画が多くみられる、織の技術が発展して、錦織綾織という絢爛豪華な織物が作り始められたとき、打掛と帯との柄の連動も始まった

特に明治に入ると女も自由に外に出られるようになり、着物を短めに着るとどうしても帯の幅は広くなる。その方が裾もはだけないし、着物姿が安定する

帯の幅が広くなると、そこに描く柄は「絵画」となってくる。その絵もはじめは刺繍や絞り、または絵描きが直接布に描く「素描」から、江戸中期に出はじめた「友禅染」が好まれた

同じ柄を描くのなら「季節」を先取りしたいという思いが強く、季節の花柄が模様として選ばれていく。階級制度がはっきりとしていた明治から昭和の初期までは、貴族や華族、富豪の令嬢たちと、一般の娘たちの着るものは違ってくる。友禅染の華やぎのある着物は庶民の娘たちには縁が薄く、地味な紬にせめて帯を華やかにするという着方だった。その帯に思いを込めて季節の花などを取り入れていた

上の階級の令嬢たちの帯は丸帯か袋帯でほとんどは織の帯。華やかな染の着物にこれまた綾錦の帯を合わせるので、いまの私たちの目から見ると「満艦飾」。でもそれは富の象徴

帯の行方が気になる昨今ではある

 

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気候に恵まれている日本

2023年01月18日 08時43分34秒 | 日記

当たり前の季節の過ごし方をしている私たち日本人

二十四節気はもともと中国の暦であった

日本人はそれを季節の移り変わりのなかで把握して生活の中に取り込み、日本の季節と融合して日本人の二十四節気としてしまった

唐の時代の中国は世界でもっとも優れた文化国家であったかもしれない

唐からいただいた文明文化を日本は実にその地に合うように中国から見たら「改竄」している。しかしそれが「和風」となって、日本人の美学にまで昇華してしまった

応用する能力が優れている日本人

何もかも穫り入れ受け取って日本風にしていく

多くの国の文化が日本に根付いているのはそういうわけだと思う

応用が利くということは理解度が深く、それを自分の生活に密着させていく能力があるということでもあろうか

 

その根本のところは何だろうと考えたら「日本の気候」ではないかと思った

四季折々はもちろん、一日の推移も美しい風景を自然は見せてくれている

厳寒でも猛暑でもその時間はいづれ過ぎる、朝夕の気温の差はせいぜい10度、20度とか30度という一日の気温の変化の国があることを知ると、どういう生活になるのだろうかと想像を絶する

マイナス40度とか20度が当たり前という国もある

そういう国の人の人々の衣食住は日本とは違う、衣食住が違えば心の動きも日常の行動も違ってくる

 

日本人の心はこの国の気候が作っているのではないかと最近は思う。心だけでなく日常の過ごし方、ものの考え方。自然に生かされているこの国の人達は、自然との共存共栄を生活の中心に据えてきた

自然のすべてを「神」として受け止めて、自然に逆らってはいけないと。

だから本来は「戦う」ということは不得意で「協調,和」を貴んできた。

いま大国に呼びつけられた日本の首相が防衛の加担を求められ約束してきたが、日本人を戦いに参加させるのは本質的に無理であること承知なのだろうか?

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