チャコちゃん先生のつれづれ日記

きものエッセイスト 中谷比佐子の私的日記

御嶽山の噴火

2014年09月30日 11時53分35秒 | 日記
いきなりの噴火には吃驚
しかしチャコちゃん先生
「山が怒っていると思う」
と感じていた

うんと前から熊が里に下りてくる
これは山に熊が食べる食料が無くなったからで
彼らだって危険を冒してまでも里には下りて来たくない

でも次のせっだいの命のためには先ずは自分の身体を守らなければならない

ここのところぶなの木が伐採されていて
その実を食べる熊さん達は飢餓状態
更にぶなの木があると山の水が綺麗になり
其の水が川となり海に流れ込むと
海の生き物たちも生命が保たれる

とにかく「山」は大事
何十年もの間人々は山の手入れを怠っている
自然から目を背けているから
自然をないがしろにした事ばかりが謳歌する

ここらで
土に戻る物を食べて、着て、住んで
と言う自然循環の生活に戻って欲しいと「山」は教えてくれているのだろうか

 
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着物で旅行

2014年09月29日 14時04分32秒 | 日記
比佐子つれづれ十日町&旅籠龍言
つれづれに集まる方々は
着物が好きな方が多い
このたびの旅行もほとんどの方がきものをお召しだ
それぞれの好み
そしてその人らしい着こなし
個性的で見ごたえがある

そう言う姿を眺めているだけでチャコちゃん先生は嬉しい
何処に行ってナニヲするか
大まかなことを決めておき
細やかな気遣いはスタッフがやってくれる
なんと幸せ

チャコちゃん先生は皆さんとゆっくり行動をしていれば
全てが片付いていく

これも全て着物のお陰だと思う
着物に携わっている人たちはホントウに優しい
こころからのおもてなしをして下さる
其の好意に甘えていればいつの間にか用が済んでいく

きものに携わっている人たちはどうしてこうも優しいのだろうか
一つは着ぬをっさわっているからだと思う
蚕の無条件の愛を自らに修得しているのかもしれない
さらに一つ一つの手作り
そこで生まれる物との会話其の命

どんな小さなもの二も命の存在を感じながら仕事をしている人たち
与えることの尊さが自然に身についている
着物を着て旅することは
改めて細やかな思いを身につける事かもしれない
すこし疲れたがほどよい疲れ

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比佐子つれづれ研修旅行

2014年09月26日 11時56分09秒 | 日記
明日から十日町の滝沢晃さんのところで染めのイロハを研修し
六日町旅籠「龍言」で鮎に舌鼓をうち大宴会して
八海山の酒蔵を見学しもちろん試飲もして
そのご塩沢の工房へ

龍言の蔵美術館に飾って頂いている「季刊kOSMOS」の表紙絵を飾った原画も見所
皆さんワクワクしているのだが
「みんな何を着ていくのかしら」
と言う問い合わせが頻繁

「もう単衣ですよね」
「長襦袢は?」
「半衿は?帯揚げは?」
「帯をどうしましょう」

現地に問い合わせると
「長襦袢は麻です‥絽です」
では参考に

「二日間皆さん着替えるのでしょうか?」
着物を着ての研修旅行としつこくは云っていないけど
いつのころからか着物での参加が当たり前になって居る

ちなみにチャコちゃん先生のしつらえは
昨日までは着物二枚と思っていたのだが
今日は気が変わり
結城縮みのきものに帯二本にした

結城縮みは黒の地に雁の絣柄
茶色地に金だけで秋草を刺繍した名護屋帯と藤ピンクの地に撫子を手描きした帯を用意しようと思う
長襦袢は黒緑色に染めた平絽
帯揚げは絽縮緬半衿は楊柳

下着は平絹の湯文字、肌襦袢、蹴出し

電話の問い合わせにこの内容をお話しすると
「よく解りました」
と仰る
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9月の結婚式

2014年09月25日 12時12分12秒 | 日記
「単衣の色留め袖を結婚式に着ようと思うのですけどね」
と友人から電話
「ハイいつなの?」
「9月26日」
「何を悩んでいらっしゃいますか?」
「妹はね袷の黒留め袖を着ると言っているの」

「そうね単衣は作っていませんものね」
「そこに親戚の私が単衣でよろしいの?」
「よろしいでしょう?それとも袷の黒留め袖をお召しにナサイマスカ?」
「それはちょっとーー」

「T子チャンは母親ですものね正装でご挨拶ね」
「むかし貴方がおしゃっていたじゃあないの」
「花嫁や花婿のお母様は黒留め袖を着てほしい。そうするとご挨拶しやすいから目安が付くのでーー」
とチャコちゃん先生はいった事がある

「私は親戚席に座りっぱなしなので単衣で好い?」
「本来は単衣なのよ」
「そうよね、ところで長襦袢は?」
「この気候だと下着は冬物、長襦袢は絽ですね」
「半衿は?」
「絽縮緬があるはずよ」
「ネ半衿つけて下さる?」
「まったくうーーーいいわよ」

「帯はあの菊の紗織の物で好い?」
「いいわよ」
「着付けは?」
「そこのホテルで」
「あなた様もご自分で着付けられるのですからいい加減人に依存しない事よ」
「ハイ次回から」
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彼岸花

2014年09月24日 11時00分28秒 | 日記
曼珠沙華とも呼ばれる彼岸花
とにかくお彼岸のあたりに前触れもなくいきなり朱の色を見せつける
ちょっと前までは皇居のお堀に面した土手に
火の海のように彼岸花が咲いていた
それをみると
「アアぼつぼつ単衣を本格的に着なくては」と思った

其れ同時に「薄物の着物の手入れをしなくては」とも
季節の花で私たちに次の行動の道筋を教えてもらう
この考え方は日本人なら必ず遺伝子の中にある

それくらい日本人は自然を観察しながら
また自然の助けを借りながら生きてきた国民だ
其れは嬉しいことに四季がハッキリしていたから

遠い昔の「魏志倭人伝」には
「倭国には暦がないしかし春種を植えて秋に収穫することは知っている」
と言うような文章があるが
其れを若いとき読んだチャコちゃん先生は
「日本は文化がなく野蛮な国なのだな」
と自分の国を卑下してしまった

しかしその後着物の研究をすることになってからは
日本人は自然と共に生きていたので「自然暦」という宇宙そのものの暦を
使っていたのだと納得
だからこそ
着物に自然描写の柄が多いのも頷ける

自然の移り変わりを身につける感性こそが日本人の誇り

線路脇に咲いている彼岸花も
私たちに何かを告げている
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まだ絽の長襦袢

2014年09月22日 13時32分29秒 | 日記
単の着物に手を通すようにはなったけど
まだ絽の長襦袢が肌にはチョウドイイ
25度の日々がもう5日も続いている
昨年の着物日記を見ると
まだ30度あって夏結城に手を通していた
今年は立秋と聞いたあたりから秋風が頬を撫でる

そうすると透けた着物は何となく肌が受け付けない
気分の問題かとおもう
だって洋服ではノースリーブを着た方が街を闊歩しているもの
着物と洋服の違いをつくづく感じるのもこの季節

一昨日チョット肌寒かったので
着物の下着も絽から平絹に取り替えた
そうすると肌が温かく感じて
あの夏の雰囲気は一気に去ったように思う

その一昨日は風も冷たく感じたので結城縮みの単衣を着たが
今日はまた小千谷の絹縮みに戻った
しかし長襦袢だけは絽

チャコちゃん先生は
秋に近くなるにつれて絽の長襦袢の色が濃くなる
初めは白で作っているのだが
黄ばんでくると色を染めて
だんだん濃い色に染め変えるだいたい3回くらいで終わり

年数かいくと30年近く色を変えながら来ている
着物の生命力に改めで脱帽

きものは着続けることで洋服より遙かに原価が安くなるとつくづく思う
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帯板

2014年09月19日 09時51分21秒 | 日記
最近は帯板を使わない
その代わり芯がかたい伊達締めをつくり
それを帯板代わりに使う

母達が礼装以外には帯板を使わず
前帯の所だけ芯になるボール紙などを使っていたが
年と共に其れも外して前帯にシワができても知らんぷりのような着方

確かに帯板は帯を美しく見せてくれるが
この帯板一枚がかなり厄介なときがある
横隔膜が疲れて肩が凝ることも

帯板を外したら何と快適
帯は締まるしそれでいて々の周りは呼吸しやすい空間ができる
なんとなんとこんなに快適であったか

しかし
この伊達締めの作り方に工夫がある
3本付くって4本目に初めて合格点
なかなか快適

その内商品としてもご紹介しようと思っている

前にも造ったことがあるのだが
それは紐の部分で失敗をしてる
乞うご期待
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単衣の季節

2014年09月18日 16時53分10秒 | 日記
東京はまさしく単衣の季節
朝夕はめっきりと冷たい風
昼間はすこし暑い

今の単衣はやや薄手の生地が心地よい
長襦袢はまだ絽しかし半衿は楊柳か絽ちりめん
街で見ると平絽の人もいるし塩瀬の人も

こういうことも好いのではないかとチャコちゃん先生は思う
つまりは「心地良ければ良い」と思う
生まれて初めて「半襦袢」を着てみた

この半襦袢は長襦袢の傷んでいないところを選んで縫った
昔の人はこの程度だったら自分で縫えたのだと思う
偉そうなことを言ってるチャコちゃん先生
着物一枚縫えない
これでは完璧では無いと思うが自分に合っていない仕事はしたくないと言う困った正確

もうこの世を去った昔の同僚が
「あなたは自分のやりたいことをやればいい」
と言ってくれた言葉を後生大事にしている

さて単衣
5月6月そして9月10月時として11月にずれ込むこともあるだろう
単衣を着るる時期がどんどん増えてきているのは最近の傾向
帯は絽縮緬、絽紬、単衣の八寸、紗の袋帯


そうすると単衣の素材をみんなもっと真剣に考えた方がいい

写真は絹縮の単衣に紗袋の帯
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此の世に化学的な薬は必要?

2014年09月16日 10時05分05秒 | 日記
有る友人の家にお邪魔したら
あるわ有るわ薬の山
思わず「凄いわね」「これ全部主人の物」
そう
男の方って薬好き
有る友人などは25種類の薬を自慢げに私の前に店開きして
一つ一つニコニコしながら説明をしてくれた

どうしてこんなに薬を飲むのだろうと不思議だ
「クスリはリスク」と誰かが仰って居たがまさしく好いこと一つも無いと思う

どうして薬に不信感を覚えたかと云えば
幼少の頃重い腎臓病を患った
そのときハハは薬草と食事療法で治そうと一生懸命だった
しかし医者は調合した薬をどうしても飲まそうとこれまた必死

私は幼いながらハハの差し出す薬草を煎じたもののほうに信頼感があった
其れはトウモロコシのひげを煎じた物であったり
干し柿をつぶした物であったり
食事は白身の魚に塩気をつけないとかーーー

医者にもらうクスリは
「比佐子ちゃんこの薬を飲んだ後お菓子をあげるね」と看護婦さんが言う
其れを聴いていた兄が
「薬飲んでやるよだからその菓子くれよ」
「いいわよ」

薬を飲まない妹はみるみる元気になり
いまでは腎臓病の跡形もない
薬を飲んだ兄は何だか人が変わったみたいに反抗的になって
父とぶっつかっていた
其れは薬のせいではないかもしれないが
薬不信感になるには充分な出来事だった
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経て絽の着物

2014年09月06日 09時30分44秒 | 日記
今年は「もう最後になるかもしれません」
と経て絽の白生地を沢山送って下さった白生地屋さんがあった
ホントウにどっさりと

元々経て絽が大好きなチャコちゃん先生
すっかり嬉しくなり
しかも在庫なのであちらも生産時の値段で言いといってくれる

たぶんこんな形の白生地が日本全国にたくさんあるに違いない
しかも最近の白記事より遙かに糸の質も良い
かすかに黄変はしている物の
逆に化学物質を生地に与えてないことが安心

多くの方々は白生地を苛性ソーダ-で真っ白く仕上げ
染めむらのないように気を遣う
「染めむらができないように細心の注意をして染めるから腕が上がるのでしょう?」
とチャコちゃん先生は思う

誰が染めても斑がないと言うことであれば素人でもできると云うことだ

さて経て絽の着物はいつまで着られるのか
と言う問題になる
ここのところにわかに寒くなっているが
チャコちゃん先生はいつも「彼岸」までと思ってきている

昔の人は云いました
「暑さ寒さも彼岸まで」
経て絽は透け感がないのでこの時期まで着られるのでしょう
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