チャコちゃん先生のつれづれ日記

きものエッセイスト 中谷比佐子の私的日記

29日は苦が来る

2015年12月29日 12時00分53秒 | 日記
今日29日はお正月の飾り物はしないし餅つきもしない
9月くので苦が来ると昔の人は言った
玄関のしめ飾り門の門松は28日に設置お鏡ももそう

それがどうしてもできない場合は30日
そして31日の一夜飾りを嫌う

それにしても門松が似合うお家は少なくなり
玄関飾りもマンションではドアに付けることができないところが多い

こうして正月文化は刻々と消えていく
今朝は卓上飾りを購入しに「頭」の店に行ったら
なんと頭がいて自らの手作りで卓上飾りを作ってくれた
その間まとまった話をここ何年の間初めてしたように思う

一つ一ついわれを聞きながら
新しいリースも卓上飾りもいわれだけはきちんと守り
今風の形にしているところがにくい

卓上飾りは竹も使っているので小さな門松にもなる
守るべきものは守り
新しく取り入れるところは譲り
まさしく「ゆずりは」の精神だなと感心する

やかましく伝統を守るところと
どこかでホッと息をつくところ
そういうものが混ざり合って新しい文化が構築されていくのだなとわかる
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寒牡丹

2015年12月26日 10時34分10秒 | 日記
陰が極まって陽に転じる「冬至」に入ると
昔から「雪」の着物を着ることが許された
というよりそれがおしゃれだった

暦の気持ちを察してチャコちゃん先生今日は「寒牡丹」の帯を締めている
九州育ちなので「寒牡丹」なるものが存在しているなんて知らなかった
学生の頃付き合っていたボーイフレンドが
真冬の寒さ
「ボタン見にゆかない?」
「はあーーボタンってーー」
「花だよ雪の中に咲いている綺麗だよ」

彼は鎌倉生まれの湘南ボーイ
どこに連れて行くのかと思ったら自分ちの庭だった
初めて自宅に行ったが門から玄関まで「まだ歩くの?」という感じ
田舎育ちのチャコちゃん先生スッカリ度肝を抜かれた

兄に「東京はとてつもない資産家がいるよ」と聞いていたが
知らずに付き合っていたが財閥のお坊ちゃまであったのだ

案内された庭にはむしろを合掌づくりのようにした中に牡丹の花が咲いていた
前日雪が降って積もっていたので
その姿は誠に美しい

アールデコ調の洋間に落ち着くと
それこそ牡丹の花のような華やかなお母上が
「ひさこさんねようこそいらっしゃいませ」
満面の笑みを浮かべてお手製のシホンケーキをごちそうしてくださった

その時「寒牡丹をスケッチしてね帯を染めたのねご覧になる?」
「おばさまが染めたのですか?」
「そうですのよそうだスケッチさし上げるわ」

そのスケッチが未だに手元にあり
早速真似て帯に染めた(チャコちゃん先生はプロに染めていただいた)
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別珍の足袋

2015年12月25日 10時47分21秒 | 日記
最近町で別珍の足袋を履いている方をよく見る
若い人に多い
「まだこういう足袋を売っているのね」
とそばにいる若い人に聞いたら
「最近流行ですよ」
という

チャコちゃん先生の歳では
別珍を履く人は小さい子か女中さん
普通の人が履く場合は家でのみ
暖かくていいのだけど履く人の階級が決まっていたのだ

そういえば「平等」というのは「おしゃれ」から遠のくことなのかなと思う
大人の女をかっこいいと思うので
早くおとなになってあのようにおしゃれな格好をしたいと思わせる

日本では「かわいい」がもてはやされるので
いましたね自民党の国会議員でフリフリのワンピースを着て網タイツを履いたひと
国を代表する人たちがそんな格好をしているのですから庶民はますます「かわいい」が主流になっていく

階級制度は民主主義に反するけど
おしゃれの「分限」というのはあると思う
そうしないと
きものが「品格」ということからどんどん遠ざかっていく

別珍の足袋を履いて江戸小紋だど着てほしくない

やはり木綿かウールでしょう
100歩譲って絣柄などの紬でしょうか

チャコちゃん先生は古いと言われても
着物を着るのなら「品格」を目標にしてほしいと思うのね


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クリスマスは教會が美しい

2015年12月24日 13時22分47秒 | 日記
我が父は無教會の内村鑑三先生の末席の弟子だったので
家でもクリスマスになると賛美歌を家族で歌っていた

別府の別荘にある大手企業のオーナー社長夫人が温泉療養に滞在していて
イブの日はそこでクリスマスをする
伴奏はチャコちゃん先生の受け持ちでオルガンを彈く

みんなで聖書を読み合い
賛美歌を歌い簡単の食事会を楽しむ
我が家は純日本的であったので洋室に飾っているクリスマスツリーが
別世界のように眩しかった

東京から取り寄せた洋菓子につられて別府まで行っていたのだが
この夫人の美しさは格別
「おばさま」と呼ぶにふさわしい気品があった

その時いただくレースの縁取りをしたハンカチが嬉しく
友人たちに見せびらかしていたものだ

聖書の意味を理解することもなく
ただそのおばさまにお会いする嬉しさについていっていたので
信仰とはほどと遠いクリスマスイヴでもあった

あるときその父に
「キリストとお釈迦様はどっちが偉いの」
と聞いたら
その上に宇宙を作ったおお神様がおられる
人間も動物も植物すべて
その神様がお作りになった
その神様の教えを一組の先生二組の先生という感じで伝えてくださっているんだ

という解説
そうかーーーと変に納得して今日に至るまで大自然を神と思うチャコちゃん先生ではある
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頭の作る門松

2015年12月22日 13時12分38秒 | 日記
まだ写真を取り込めないので
新しい門松をお店sることができないのが残念
熊野神社で制作されている門松が出来上がり
神社の鳥居も門松がたち
その他クリスマスの飾りをしないお店に出来上がった門松を届けるという

いつも12月に入ると始まるこの門松作り
竹夜活が運ばれそれぞれ寸法が決まるとみんなで切り始める
12月1日からこの一ヶ月間できるだけ足を運んでみている

頭は無口でなかなか口を利いてくれないけど
舎弟たちとすっかり仲良くなり
細かいことを質問しては答えていただいている

みんな優しく馬鹿げた質問でも丁寧に教えていただく
今日はなんと頭自ら話に乗ってくれた
いなせで江戸前
そうでなければ「鳶の頭」にはなるまい

松竹梅の梅は縄で梅の花を組む
縄を綯う
こんな言葉もいつの間にか死語になっていた

この梅の縄は必ず頭が綯うのだそうだ

ここのところ門松の数が減っている
これもご時世かーー
門松は一軒家において美しい
しかし
ホテルやデパート用、ビル用の門松は増えているようだ

値段を聞いた一対4万円から
20日以上もかけての手作り
やすいか高いか
門松の似合ううちに住みたいと切に思うのがこの時期だ
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和洋折衷

2015年12月20日 17時25分02秒 | 日記
和洋折衷は
日本人の最も好むところではないかしら
着物や帯の柄を見ていていつも思う
洋の雰囲気を簡単に取り込みそれがあたかもそこに昔からあるような雰囲気になる

着物の柄の場合は今だったらクリスマスバージョンを巧みに入れる
こういうこと室町時代から当たり前のようにできているので
日本人の消化力に驚くばかりだ

こういう感覚を持っている国民は総ざらにない

ある時更紗模の陣羽織を見て
圧倒されたことがある
室町時代のものだが
あのコテコテした柄をいとも簡単に陣羽織に溶けこましている

チャコちゃん先生はどうもアジア系が苦手で
更紗柄はくどいという感覚で遠ざけていたが
この陣羽織を見てデザインセンスの素晴らしさに改めて日本人の消化力を見た

亡くなった池田重子さんも更紗の扱い方が群を抜いていた
うまいし似合う

あのセンスはどこから生まれるのであろうか

建築でもそうだ
和洋折衷はどこかおしゃれな感じがする
和室ばかりの家に門のところの空き地を利用し洋室を作る
それだけで異空間の新鮮さが出たものだ

クリスマスの帯を見ながら
日本人ってやりきれないなあなどと感心している
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田畑 健さん

2015年12月20日 16時53分05秒 | 日記
今日は田端さんの出版パーテイにおじゃましてきた
喉頭がんでなくなったあとに出版された本
「ワタが世界を変える」地湧社

チャコちゃん先生の本「きものという農業 」三五館
を出版するとき
過去の話を書くのではなく
全て新しく取材をしようと思った
そうして驚いたことは「和棉」の生産量は「ゼロ」
という現実にブッつかった

きものの仕事を始めた40年前は
まだ山陰地方ではワタの栽培をしていたし
布団カバーや風呂敷を織っていた
「絹」に集中をしている間に棉の世界はとんでもないことになっていたのだ
大麻は栽培禁止
和棉の栽培はゼロ
絹は3%という現実は
日本の衣はこれからどうなるのかと憂いた

取材先がなく構成を考えている時千葉の友人宅の食卓にあった新聞をさり気なく見ると
なんと「千葉の鴨川で和棉の栽培を始めた方がいる」という記事が目に飛び込んできた
その場ですぐ電話をし住所をお聞きして
帰って本の趣旨を書いた手紙を投函した

心よく取材をお引受けくださって
早速伺う
自給自足を目指し生活は養鶏
若い時はマルクスにかぶれたがそれは自然法則に叶っていないことがわかり
インドに木綿の勉強にでかけガンジーと哲学に共鳴
そして自給自足の生活を始めた

そんな昔を思い出しながらパーテイの席に座っていた

奥様の美智子さんも二人のお嬢さんも大きくなって
父親の意思を継いでいる
日本を良くしようとしている人はもっと長生きしてほしい
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簑助伝

2015年12月19日 13時17分48秒 | 日記
簑助師匠の写真集ができた
撮影は渡邉肇さん
チャコちゃん先生が「きものサロン」のために撮影をしたのは
いまから40年も前のことだという
素晴らしい写真を取らせていただいた

大阪と東京を行き来し
人形の着付けのところから楽屋での様々な人形との会話
文楽の虜になったのは
簑助師匠のおかげ

その頃歌舞伎の取材もしていて
歌舞伎と文楽では同じ演目でもその人物の捉え方が違うことをしって
とても興味深かった

簑助師匠が大病を患っている間
またリハビリの間
私は文楽から離れていたが
何かんお縁で楽屋におじゃましまた文楽通いが始まった

パリまでご一緒してフランスの方たちが文楽の人形に陶酔している姿を見て
とても誇らしかった

今回の写真集もなお上を目指す簑助師匠と
門弟たちの絆が感じられ
何回紐解いても楽しいページだ

こういう貴重な本を送ってくださったことに
ただただ感謝


2月の東京公演が楽しみだ
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お被布

2015年12月18日 13時19分43秒 | 日記
ある時被布に異常に関心を示したことがあり
長いの短いのと作り楽しんだしかし
それは一年しか続かず
箪笥の奥にしまいこんだ

つまり「どうも似合わない」
これは羽織と一緒でなんだかそぐわない
どうしても着る気がしなくなっていく
なんであんなに有頂天になったのか
意味不明

しかし今日
にわかに引っ張り出して着てみた
真綿を引いているので暖かく悪くはない

悪くない
そして気がついた
被布は本来老女か幼女または尼僧の着るものだった
私はその老女になって初めて似合うようになったのだ

なるほど
張りのある肌でなくなると
こういう被布が似合うようになる
ふわりとした絹の布の豊かさが
衰えた肌を包み込むわけだ

なるほどなるほど
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大人メイク?

2015年12月16日 11時13分59秒 | 日記
「顔を作る」
母が姉たちによく言っていた言葉
年頃になって素顔で人の前にでてはいけないと言っていた
粉をはたいて頬紅をつけ唇に紅花の赤を塗る
その様子をそばで見ていて面白かった

お正月に一番上の姉がどこかの方に「口紅」を頂き
キャップを外してまわすと赤い色の口紅が出てきてそれがとても新鮮
子供心に早くおとなになってつけてみたいと思った

長姉とは歳が一回り以上違うので
もう全く他所の人のような感覚だった
ある日こっそり鏡台の引き出しにあったその口紅をべったり唇に付けて遊んでいたら
兄が面白がって頬にもつけ「おてもやんおてもやん」と大はしゃぎ

聞きつけた母に兄はこっぴどく叱られたが
続いてきた姉たちから
更に顔中粉を叩かれ眉を粉で消していいように顔を作られておもちゃにされた

それ以来化粧するのが大嫌いになり結婚するまできちんと化粧をしたことがなかった
ある日兄が
「口紅くらいつけろよぼつぼつお前もそういう歳になったから」
と20歳の誕生日に口紅を渡された
そうすると益々反抗して化粧をしなくなった経緯がある

ずっと秋櫻舎を気にかけてくださっている山岸敦子さんが
「大人の上品メイク辞典」という本を出された

これを読んで顔を作るのではなくいいところを伸ばすメイク術を覚えよう
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