チャコちゃん先生のつれづれ日記

きものエッセイスト 中谷比佐子の私的日記

時代の変化

2018年12月31日 21時18分41秒 | 日記
時代が急激に変わっていると思うけど実は底を流れるものは同じだと最近気がついた
命とか本気とか覚悟という言葉がやけに響く
どれだけ本気で生きてるか
覚悟を決めて行動をしているか
命の尊さを本当に感じて生きているか
年の暮れにふとそういう事に気持ちが動いている

12月31日の告別式というのを生まれて初めて体験した
多くの方が次々と鉄の扉の向こうに消えていく
人は必ず死を迎える
その時「終わり良ければ全て良し」
という死に方ができるのだろうか
私はどうだろう
なんて思いながら事務的に流れていく進行ぶりと黙々とその流れに乗って行く人の群れを見続ける

空は限りなく澄んでいて
葉を落とした桜の木が根元から空へ伸びている堂々とした枯れ木だ
堂々とすることの美しさを知る

楽しむことも
喜ぶことも
悲しむことも
堂々と行うとそれだけで自分自身の周波数が上がる

取り留めもなく斎場で空を見上げながら感慨に耽る

さあこれから世界の平和を祈って除夜の鐘を撞こう

来年もほぼ毎日ブログを書いていきます
どうぞ宜しく


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着物が繋ぐもの 78

2018年12月30日 17時46分33秒 | 日記
札幌の商店街を歩いている時珍しいものが目に入った
靴屋さんの店頭に飾ってあった「アザラシの草履」
(実は本日大掃除でその二代目アザラシくんを処分した)

アザラシの毛がつま先カバーにたっぷりついていていかにもかわいいし温かそう
もちろん迷わず購入
札幌のように雪が積もっても道路が整備されていると道路が凍るのでスノータイヤのついたアザラシの草履は着物を着る人にとっては必需品
呉服屋さんにおいてあるのではなく靴屋にあるということがいかにも日常に必要かがわかる

アザラシの自然の色の毛がなんともかわいい
アザラシが水をはじくことは海の哺乳類だから考えなくてもわかるが
幼少の頃アザラシの毛皮を着た綺麗な女性が大雨の日家に現れ
姉たちが「雨にぬれても平気なアザラのコート」という言葉を思い出した

東京でもときに雪が降り道路が凍結することがある
毎日着物生活なのでそういう日に喜び勇んで穿いていた
15年もしたら毛が抜けて新しいのを求めようと思い購入した靴屋に連絡をしたら
「もう扱っていません」
みんなに吹聴して6人は欲しがっていた
さああ困った、今のようにインターネットがあるわけでなく探すのに苦労したが製作者にたどり着き依頼

ところが毛を黒や胭脂に染めていてあのアザラシの可愛さはなく単なる毛皮の草履という感じに仕上がっていた
それでも東京では扱われていないので(最近はあるようだ)
みんな喜んで購入

ところが作り方がもう中途半端前回のはきちんと縫い付けてあっるので毛が取れたいしない
しかしこの度のは糊付けしてあるので簡単に剥がれる(その糊付けも現在のように強固ではない)
ものづくりの人が形だけ元通りにして内容は手抜き(ご自分で履くことがないので仕方がないかもしれない)

草履は赤坂の叶やにたどり着くまで何十足も無駄にした
赤坂のその草履屋さんを紹介してくれたのが四谷の小料理屋の女将さん
もともと赤坂の芸者さんだったらしい風情が漂い特に足元が美しい
私の理想とする草履を履いていてどこで作っているのかと聞いて店に連れて行っていただいた

それ以来私の足型のぞうりを作り(柿の種という)鼻緒も面倒な二石を所望
場合によっては天鵞絨と革という二石
しかも横は一枚革
よく歩くので体重の重みでその一枚かわに緩みが出る
そうするとそこのご主人「草履の底三重にしませんか」とは口が裂けても言わず貼り方を工夫して弛みが出ないようにする
見上げた根性 しかし大將の死から数年してその店もなくなった
しかし草履の台は作っておいてくれたのでまあしばらくは大丈夫

#草履 #アザラシ #雪草履 
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正月飾り

2018年12月28日 17時19分47秒 | 日記
毎年恒例だが
十二社の鳶の頭が作った正月飾りを購入する日
門松やしめ縄は作るが「りーす」などは作る気もなかったらしいが
舍弟たちの進言を受け入れリースの正月飾りを作るようになった

これがやたらかっこいいしかも値段も考えられないほど格安
去年から門松で余った竹を利用して卓上門松も作りはじめた

「こんにちは」
「ああできてるよ」
「今年は鳥を入れて頂戴」
といったらちょっとエッという感じ(シンプルで入れたくないんだな)
そこへ舍弟が梅の飾り物を持ってきてニヤにゃ笑いながら飾ってくれる

早速家に帰って飾り付け
「お正月が来たね」
日本はやはり正月飾りしかもウラジロゆずりはだいだいしめ飾りと単純が美しい

あすは鏡餅のお飾り
押入れの掃除をしていたらお屠蘇容器も出てきて
ますますお正月が近くなる

でもまだ仕事納めとは行かない

正月飾りの写真が出てこないわFBで見てくださいな
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着物が繋ぐもの 76

2018年12月27日 19時33分05秒 | 日記
野村町でのSさんとの出会いは衝撃的だった
野村町は大昔から養蚕の地で種や(蚕の卵)を扱う企業もあり
明治時代はここから種生糸の出荷でかなりの富豪農家が生まれた模様
そのとき旅芸人の芝居小屋も作り市もできて大発展の街であったようだ

気候的にも養蚕に優れまた指導者も良かったようで良質の生糸ができ
エリザベス女王戴冠式用の白生地の輸出となった町だ
その伝統を守るために市が経営する博物館も誕生
豪商の人たちが用いた衣裳や裕福な養蚕農家の模型などが展示されていて
いかに日本の絹が優秀であったか忍ばれる

町ははや過疎化に向かっていて養蚕農家も全盛期の50分の一に減っていたので町は「織姫制度を」導入
養蚕と織りの技術を絶やさないように指導者を入れた
その方がS氏
沖縄で十分に染織技術を身に着け更にもっと良い糸を作りたいという情熱を持っていた

初めてその地を訪れた時いきなり私に中国の「古文書」を見せられた
傍線を引いてあった部分を読むと挿絵とともに繭の「塩蔵の図」と読めた
たった3行だ

その頃はというより今でもそうだが蚕が糸を吐き繭をつくる7日もするとその中で蛹になり蛾になり繭を破って出てしまう
そのため」高温の熱風を繭にかけて蛹を殺してしまう
その時大切なセリシンが分解されて固くなりそのセリシンを取り去る化学処理をして糸を取る
そうすると本来の糸の輝きしなやかさ強さが消失してしまう

その状況を変え蚕が吐いた糸の質をどうしたら保てるかをSさんは研究し「塩蔵」に行き着いたばかりだった
まだ蛹が生きている間にツボの中に塩を繭を交互に入れて蛹を冬眠させて眠っている間に命をいただく
最終的には命をいただくのだがゆっくりした乾燥して命をいただくのと塩蔵の糸とは雲泥の差があることを知った

いつものことながら早速一枚購入し仕立てた
軽い
布は重いほどいいと聞いていたのになんと片手に軽々乗る着たらまるで羽のよう

ある方の講演会で司会をした
その時「控えめに無地を着よう」と壇上に登りライトを浴びて司会を始めた
休憩時間に友人がすっ飛んできて「チャコ着物を着替えなさい」「なんで」「光りすぎるのよ、みんなの視線があなたに向いている、すぐ着替えなさい」

といってもーー打ち合せのときに着ていた母の結城紬に着替えて二部を始めた
つまり
本当の絹は艶があり光を発するということがその時わかった

その後S氏は桑の葉の選別、蚕の種類、飼育、糸のとり方、織り方すべてを「良い糸を作りたい」という強い思いで作業重ねている

いま
来年の大嘗祭関連の斎服をS氏にい願いした

#斎服 #塩蔵 #古文書 #チャコちゃん先生 #野村町 #エリザベス女王 #戴冠式 #養蚕農家 
 
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今日は愛について

2018年12月26日 21時02分57秒 | 日記
愛を恐れる人がいる
愛は怖いと思う人がいる
愛することはいいけど
愛されることは怖いし不安
そうして
自分の影を愛して執着して身を滅ぼしてしまう

そういう人は自分も愛せないので
病いを選びその病に同情する人を愛されていると勘違いする
しかし心は心底寂しい

この寂しさは幼児の時に受けた寂しさだ
母親の愛を存分に感じられなかった子は愛を怖がる
いつか捨てられると思うのだ

女は自分を愛することを知ってるが
男はそれができない人が多い

愛を怖がらないようにするにはただ一つの方法がある
自ら自分をこよなく愛することだ
それは自己中とは違う

死ぬ間際でもそれができれば絶対に幸せに休むことができる

愛を怖がった一人の男の死を悼む

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着物が繋ぐもの 74

2018年12月25日 13時05分39秒 | 日記
素材が気になり始めたのは生意気にも「着心地」という感触を肌が覚えた時だ
仕立ての人の手の違いが「着心地」をかえてしまうこと
それぞれの産地の絹の良し悪しが「着心地」を決める
表と裏の素材が違うとそれだけで着心地が悪くなる

襟付けの不得意の人がいるようでその人の仕立てた着物は襟が収まらない
着方が悪いかと思ったのだがそうではなかった
特に一重の着物の襟が収まらないことがあり
その原因は裏衿のそざいが表とあっていないことだった

撮影などで経費を節減するため襟裏に石油繊維のものを使うことがあり
そうすると表の絹と全く反りが合わず襟が浮いてシャッターを押す寸前まで襟元を抑えていなければならない

絹にこだわっている
一番いい繊維だと信じている
しかも肌にとっても酸化を防ぎ細胞にも働きかけて細胞を気持ちよくしてくれる
そのため素肌には絶対絹だと決めている

夏も絹が優れているが麻もいい
絹と麻は太古の昔から日本にある
みんな中国から届いたものだという文章が多いがどうも腑に落ちす調べた
最近やっと縄文の時代から絹も麻もあったという歴史的証拠が出てきてやっと私は落ち着いた
麻は大麻のほうが古く苧麻は少し遅れる
大麻は絹より日本列島では古株 大麻についてはいづれ改める

そう素材だ
その素材の研究のために蚕博士たちと仲良くなったのだった
そして養蚕の土地巡りをしたのであった
蚕の仲間たちの推薦で農水省の審議委員にまでなったのだった!その御蔭で更に絹に詳しくなったありがたいことだと感謝している

そういうお役をしているといろんな糸を見る機会がある
糸そのものに優劣が出る
そうすると蚕にもでるのかといえば「出る」はっきりと「出る」
なんと糸の良さは土壌に関係しそこで育つ桑が影響する
農薬のかかった桑の葉を蚕に与えることはできないが
根に化学肥料を使うことはある

良い糸を作るには土壌から変えなければならない
明治時代「富国強兵政策」で蚕の種、蚕の吐く糸は輸出ナンバーワンで「糸の良さ」「着心地を考えた糸作り」などはどこかえ吹っ飛んで、ひたすら大量の繭づくりに専念する政策が取られた

そのため本当に着心地のよい糸作りは忘れられた

毎日いろんな着物を着ていく中で「これが一番いいかな」という着心地のものが見つかったのは四国の野村町であった
そこの博物館には「エリザベス女王戴冠式」のときにエリザベス女王がお召になった白生地があった

そしてさらにそれより素晴らしい糸作りをしている人にそこであった(つづく)
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着物が繫ぐもの 73

2018年12月24日 13時05分59秒 | 日記
着物の自己表現に終わりはない
着物を着始めた頃「ねばならない」という感覚が強くて
家から一歩外に出る時周囲を見渡し緊張した
電車に乗れば視線が集まりどこかおかしいのだろうかと心の中で密かに点検する

道中知り合いに会うと病気?(お化粧をすることの大切さを知る)
すっぴんで着物を着てはいけないらしい
それは着物を貶めることになるのだと教わった
化粧をして会社に行くと
「オレ オタクに つけ ないよね」と男子社員にからかわれる
会社に着物を着ていくというのは本当に勇気がいる

でも日常に着物を着続けるということを腹に決めているのだから「これも研究あれも研究」と言い聞かせる
そのかわりとにかく目立つのでお茶くみも率先して行い
居残っている人に手伝いましょうかと問う
そうやってなんのために着物を着続けてるかということが認識されると
もう誰も何も言わず平常になる

撮影やテレビなどの現場にも着物を着ていく
ある時有名な女優さんが「ナカタニさん着物かなんか着ちゃってどうしたたの?」
なんて陰口叩かれたりする
「陰口叩かれるのは大物の証拠!」
と自分を慰めるがなんとなく肩身は狭い
女優さんとの撮影のときはひたすら地味な着物を着ていくという配慮もする

ある時
テレビドラマの衣裳を担当したので例のごとく黒地に渋い黄色の細い縦縞の草木染め(山崎斌作)そして渋い無地の紬名古屋の帯を締めて衣裳合わせをしていたら、共演の男優さんが「ナカタニさんいい着物着てますね、うちのカミさんが好きそうだな今度遊びに来てよ」
ということでそちらの夫人とすっかり仲良くなりお二人がなくなるまで交友が続いた
着物のご縁

ある時若い女優の味噌の宣伝CMがありその時初めて
カメラマンから「チャコ着物での動きを教えてあげて、君ねナカタニさんの動きを見てると参考になるからね」
現場での着物姿を認められた瞬間だった。安堵感が前身に染み渡った嬉しかった1

肩肘張って「とにかく着物を着続ける」という思いに柔らかさと当たり前という感覚が湧いてより着物を通して仕草や言葉使いに注意するようになった

着物を着ているのが当たり前
という認識なるのに10年はかかった
その間気苦労もありまた必死で頑張って馬鹿みたいに自分に使命感を押し付けていたので病気にもなったりして
「過ぎたるは及ばざるが如し」という言葉がすんなりと胸に入ってきた

着物は色んな経験を私に与えてくれたと思うし人生の師匠でもある

#着物  #チャコちゃん先生 #中谷比佐子
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天長節

2018年12月23日 16時51分28秒 | 日記
戦争が終わった日は9歳だった
何が起きたかわからなかったが疎開先の父の実家の庭で天皇陛下の玉音放送を従兄弟たちとおとなしく聞いた
ラジオから流れる声は雑音が多く何を話しているのか子供にはさっぱりわからなかった
照りつける太陽に辟易して蔵の中に入ってしまった
蔵の中は涼しかったし静かだった

蔵の二階に上がって積み重ねられた布団の上に寝転び寝入ってしまった
「ひさこーひさちゃん」と呼ぶ声に階段を降り庭に立つと
大人たちの顔がはちきれそうな笑顔になっていた
というよりいつもかぶっている防空頭巾を脱いでいるのでみんなの顔がくっきり見えたのだ

「戦争が終わったもう空襲はない敵機は来ない」おばが独り言みたいに繰り返していた
母はホッとした感じと気が抜けた態度で私の手を握りあるき出した

家を焼け出された私達家族は母の実家が所有している山の中の柿山で暮らしていた
山小屋に家族6人が体を寄せ合って過ごしていた
空襲が激しく姉や兄はそれでも学校に行っていたようだ昼間はいなかったから

元の家は全焼大人たちはどうこれから生活を立て直すのか大変だったと思う

元の家は終戦の一ヶ月前に玄関に爆弾が落ち家が吹っ飛んだ
庭の防空壕には両親と私が避難していたが爆風で扉が開かず
窒息寸前のところ学生訓練に駆り出されていた兄や姉書生たちが生き残って家の状態を見に帰り
防空壕の扉をみんなで引き剥がせてくれた

防空壕から外に出たらなにもない
空を見上げたら大きな木の枝に人がぶら下がっていた
「あれ」と声を出したら母が慌てて手ぬぐいで私の目を塞いだ
目隠しをされたまま母の背にぶされ途中兄や姉の背に変わりながら走り敵機襲来と聞くと近くの防空壕に入れてもらって
夜明けに父の実家にたどり着いた

天皇陛下が戦争のことをしっかりと正確に次の世代に伝えていかなければ
とおっしゃる言葉に記憶をたどって書いてみた

#戦争 #空襲 #玉音放送 #疎開 #天皇陛下 #チャコちゃん先生 #蔵
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骨の美しさ

2018年12月22日 15時16分40秒 | 日記
骨に興味を持ったのは
着物を着始めてからだ
骨を美しくしないと着物を着た時の動きが綺麗ではない

みんな贅肉の付き方を心配するが
骨が美しいと贅肉はつかない

骨を見るのはサウナが一番とばかりスポーツクラブの会員になった
それは今から40年も前のことだ
泳げなかったのでスイミングクラブに入ったが人と一緒というのが好きでなく
個人レッスンにしてもらった
そしてクロールを覚えたら水泳早めてしまった
水に顔をつけるのが苦痛

しかし終わってのサウナは私の研究の場だから楽しい
真っ裸だもの骨の様子がよく分かる
骨が美しい人は洋服を着てもスッキリしていた

骨の美しさの基本は背骨肩甲骨
背骨が湾曲になっている人はどの骨も美しい
骨の美しい人は声もいい
もちろん姿勢もいい

どちらかに骨が傾いている人は骨の代わりに脂肪が体型をカバーするとばかり脂肪がついている

では骨を綺麗にしたいならばどうしたらいいか
左右均等に骨を動かすといい
それにはクラシックバレエが一番とばかりチャコちゃん先生はバレエスクールに入った
この選択は間違っていなかった
贅肉のつきにくい骨になったもの

公园を歩くと葉の落ちた枝が目に入る
枝振りの良い木は葉を茂らしてもその姿は美しい
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着物が繋ぐもの 72

2018年12月21日 11時12分09秒 | 日記
撮影で学んだことをもう少し
当代一流のカメラマンたちそれぞれに癖もあり個性もある
その中で一番長く仕事を一緒にしたのが藤井秀樹さん

とにかくカメラ好きいつも35ミリのニコンを身から離さず
旅先で朝の散歩をしていてもシャッターの音の切れまがない
そういうときは人物を撮っているのではなく雲の流れ木々の葉の動きまた太陽の影などを撮っている
しばらくしてわかったのだが日本は四季によって太陽の色が変わるのでその時の強い色をどう表現するかの研究をしていたらしい
光線の色によってフイルムを変えたり露出を変える

この当時の先逹は弟子に細かく手取り足取り教えるということはしない
「黙ってみて身に着けろ」
という態度だから弟子たちは師匠から目を離さない
師匠が何を必要としているか師匠が考えた瞬間手が動いて必要な物を手渡す
外科手術でメスを渡す呼吸と一緒かもしれない
私語は一切禁物

スタジオでは息が詰まるほどの緊張感が走る
シャッターを押すときは藤井さんの声だけがスタジオに響き渡る
モデルの手の動きも一ミリ下げて?顔を一ミリずつゆっくり動かして?
とその人の一番美しい線を探してシャッターを切る
目線も下から上にゆっくり動かすほうがきれいな人
上から下に動かす場合は目玉を上げる感じ
肩を落として首を動かす
遠くを見るときは下からゆっくり顎と目線を上げていく

女の人の表情の変化や動きどんな女でも美しい場所があることを知った
それを引き出すから「女を撮って天下一品」と言われる
しかしロケ撮影は一挙に明るい
笑いの耐えない中で撮影が進んでいく

ロケハンは丁寧本番より時間をかける
前もって「ここの場所でこの着物」とロケハンして一緒に行くが
たいてい「却下」「なんで?」「たにやん(ちゃこちゃん先生のこと)が決めたときの太陽の位置と今は違うからね
光線が美しくない」
(よく云うよ)と思うがそのとおりだし出来上がりが綺麗なので文句は言えない

長く組んでいるとだんだん学んで様子もわかって理解できるようになる 呼吸もあう
女性を心から美しく撮りたいという思いが伝わるので一緒に仕事をしていて楽しい

当然メイクの色にもうるさい
着物と口紅の色が合わない 頬紅の色が強いと言って騒ぐ
「たにやん責任持ってしっかり指図してよ」とこちらに叱咤のお鉢が回ってくる
確かに企画者はすべての責任を持たねばならない
おかげでトータルコーデイネートが身についた

#トータルコーディネイト #ロケハン #口紅 #目線 #撮影 #スタジオ
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