チャコちゃん先生のつれづれ日記

きものエッセイスト 中谷比佐子の私的日記

着物が繫ぐもの 163

2019年05月31日 16時44分42秒 | 日記
着物からわかっていく日本の文化がすごい
決められたことに反抗する性癖があので「なぜ?どうして?」と疑問に着物は100%答えてくれる
なぜ?を紐解いていくと日本の奥深さに触れる
それが面白くてまいにちなぜ・どうして?の連続だ

最近は足袋について思う
外国人に不思議がられるのは足袋の形だ
いまでも街を歩いていて外国人の集団に出会うと彼らの視線の先は私の足元に来る

外国船で船旅をしたことがある
デイナーのときの正装で必ず着物を着て出るのだがその時の質問は「その豚の足のような履物はなんなんだ?」という質問をもらう

「たびだよ」ここでは絶対にJapanese ソックスなどとは言わず日本語で「たび」といったあと、親指と四本の指が離れていて、親指の股を刺激するので体全体が敏感になり特に脳の働きが良くなる。と言って煙に巻く

次に来るのが
「そのクッションのようなベルトは?」
「おびというものだ」
これは人間の腸を温めてくれるので腸の働きが活発になり頭がクリアになる。と説明する
着物で生活をしていた頃の日本人は、あまり難しい病気もせず賢い人が多かった
という内容を加えておく

「これは?」とたもとを触る
「これは袖というここに知恵と知識を沢山入れるので日本人は頭が良い」

わかったようなわからないような顔をするけど「着物というものはとても尊いものでありなおかつ美しいのだ」ということは理解してくれる

船旅は1週間も続くのでデイナーのたびに着物談義となりいつの間にか最も人気のある女性として有名人
そうすると仕草から言葉まで優雅な立ち居振る舞いをしなければならず「日本代表選手」という感覚になって日本の文化的なことを必死に思い出す

柄のはなし、色のこと、着物と帯の物語性、コーデイネートの楽しさ、語り始めたらキリがない。そのうえ
「全てシルクか」ときくから「オブコース」と答えると
今度はシルクについての質問となる
中には半襟を「これ何」と引っ張り出す人もいて着物に対して並々ならぬ興味にこちらが辟易してしまう

英語はひどいブロークンもいいとこだ
ある日ドイツの男性が
「HISAKOあなたはとても素晴らしい女性だと感じるが英語はもっと品の良い言葉を学ぶべきだね」
まいった!全くそのとおり
その日から何年もたっているが未だ英語は身につかず

しかし
着物に関しては口からでまかせみたいなことではなくちゃんと裏打ちされた着物の長所をきちんと科学的に研究ができている
チャコちゃん先生にとっては英語を勉強より着物の文化的要素の研究のほうが楽しい


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おもてなし

2019年05月30日 14時53分13秒 | 日記
国賓第一号の粗野な大統領におお浮かれの我が総理と国営テレヴィ並びに皇室持ち上げ組
相撲観戦で升席に椅子を置くお馬鹿な相撲協会
国技であり神事であることの説明ができなかったのだろう

おもてなしとは自分の軸を外さず
自国の文化を愛し理解し誇りに思うことで、その志を忘れずそれでいて謙虚に相手に優しく相手をリラックスさせ居心地よく喜ばせること
これが日本のおもてなし

その時自分を卑下してしまったり媚びれば
それは相手を侮辱することにもなってくる
自分を凛とさせ相手の立場を尊重する

マス席に椅子を置きその周りを関係者で埋めて
土俵に上がる力士を緊張させては思いやりのかけらもない
持ち物検査や自動販売機の使用禁止、弁当販売の禁止という愚かな行為で多くの相撲フアンを苛立たせた

当日は私は前から行く予定であったが
ダブルブッキングで仕事の方を取り千秋楽は行けなかった
もしその場所にいたら「スリッパ脱げー」ときっと大声を上げ今頃留置されているだろう

明治の初期日本の使節団がイギリスを訪れ歓迎の食事のテーブルを囲んだ
その時テーブルに出されたフインがボールの水を茶道の作法よろしく美しく飲んだ人がいた
それを見たイギリスの要人はその堂々とした美しい姿に敬意を払いご自分も同じような作法で水を飲み込んだそうだ
そして食事が終わりスモークタイムになったときその武士の作法を褒め実は自分の国ではフインがボールの水で指を洗うことになっている
「お国のように箸を使わず手で食べ物を持ったりするのでその都度指を洗うのです」とキチンと自国の習慣を説明したのだという

相手を傷つけず自分の国の習慣に誇りを持ち相手の国の作法にも敬意を表する
これが本当の「おもてなし」
日本は礼節というものをどこかに置き忘れてしまったか

また新皇后陛下の美しさ聡明さを称える記事も多い
たしかに美しい恐れ多くも聡明ではないと思う

国賓と直接に英語で話ができる流石に元外交官と褒めちぎっているが
「通訳」という仕事を持った人への「思いやり」はどうなる
実に失礼千万ではないか

上皇殿下妃殿下も流暢な英語をお使いになる
しかし公の場で職業的な通訳が配属されているときはその通訳に言葉を委ねている
私的な状況のときは直接に会話をなさっていた
つまり「ハレとケ」「それぞれの立場と役割」それが日本独特の「陰と陽」の使い分けであるだからこそ世界から尊敬されたのだ

新しい時代だからこそ
日本人の本当のおもてなしの心の模範を新皇后陛下は示してほしい
それではじめて美しくて聡明という言葉が実態をおびる

#おもてなし #心遣い #新皇后陛下 #美しさと聡明 #使節団 #国賓 #力士 #升席 #チャコちゃん先生 #中谷比佐子 #通訳 #ハレとケ #立場と役割 #陰と陽
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着物がつなぐもの 162

2019年05月29日 13時12分10秒 | 日記
女性の体を自由にしたい
ココシャネルではないが痛切にそう思う
本来は着物は体を自由にするものなのに最近の着物の着方を見ているとがんじがらめに自分を縛っている
これでは精神的にも頑なになり何も受け入れられなくなるのではないだろうか

頃合いだと思って話をする
秋櫻舎は自然繊維を肌に直接身につけるということで着物の下着を提案している
湯文字、裾よけ、胸当て、胸紐、伊達締め、帯板締め、帯枕一年中絹の素材を提案麻のいい人には麻を勧める

どんなに細い人も
また大きな人にもこれ以上のものは必要ない
「湯文字というものを試したい」という方が飛び込みでいらっしゃることが多い
「では試着してみましょうか」
と全部脱いでいただく
デルはデルはおちるはおちるは世に言う「補正用具」
しかも汗びっしょり

「これらは全く使いませんのでお帰りになるときもう一度あなたの着付けをなさってください」
といって湯文字からつけていく
その時湯文字の付け方にコツがあるので体で覚えていただく
お腹についた贅肉が面白いように上に移動する
「バストが悩みです」とおっしゃってお乳を抑える和装ブラや~なるものをし外していただく
「絹の胸当てです」
と胸当てをする
大きなお乳の方は真ん中に乳房を寄せる  あら不思議脇にあふれていたお乳が一気に小さくなる

「σ(^_^;ワタシ?胸が全く貧弱で」とゴムの入ったブラジャーをしているのを外していただく
胸当てで脇の肉を真ん中に寄せると胸元ふっくら

ない人も
ありすぎる人も
この同じ胸当てで理想のバストラインになる

ではその姿で着物を着てみましょうか?
「着物ってこんなに体が自由になるんでしたか?」
「そうですよ、着物ほど開放され体を自由に遊ばせる衣類は他にありませんよ」
「昔の女の人はこういう着方で毎日仕事をしていたのでしょうか?」
「もっと自由だったかもしれません。私の母は一年を通じて着物を着ていましたけど腰紐一本で着付けていたようですよ。夏に洋服を姉たちが贈ったら、ありがとうと言ってきたけど暑くて窮屈だと二度と手を通さなかったとか」

母にはもっと楽なアッパッパーとよんでいた今年流行のような身幅が広いワンピースをその後送ったら、今度は
「体が冷えるわ、いくら暑くてもこんな形の洋服若い人が着ていたら体が冷えて子供ができにくくなりそうね」
とこれも不評だったとか

自由で開放感がある着物は帯で内蔵を温めているので体は冷えない
昔の女は健康だった

秋櫻下着を試しその上から着物を着た方は
「こんなに気持ちのいい着付けは初めてこのまま歩きたいです」
といって結局補正用具を捨てて帰っていく

チャコちゃん先生は着物で女の人を自由に開放したい
受け入れること流すこと自分自身を守ることそして明るく生きること
以上のような生き方は正しく着物を着ることで体と心が覚えていく

#着物 #秋櫻下着 #秋櫻舎 #湯文字 #胸当て #帯板締め #腰紐 #絹の帯枕  #チャコちゃん先生 #中谷比佐子 #胸紐 #補正用具 #ココ・シャネル

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着物がつなぐもの 161

2019年05月28日 09時48分08秒 | 日記
うちには電子レンジがない
もう30年も前だろうかスタッフの一人に子供が生まれ出勤は子連れでオーケーにしたので、その時離乳食を温めたりするのに電子レンジを会社においたことがあるが、私自身は使ったことがない

つまり直感で「異なもの」という感覚なのだ

それと同じように絹や麻の着物にゴムのバンドを使ったりすることに違和感を感じる
絹には絹、麻には麻、木綿には木綿、ウールにはウールの紐を使えばいい
ゴムの着物ができればゴムの紐も合うかもしれない

この電子レンジは二種類あるアミノ酸のうち、人間体に必要なアミノ酸を壊してしまい、毒になるアミノ酸が残るのだと先日科学者に聞いて「ああチャコちゃん先生の直感は素晴らしい」と自画自賛した

賢い昔の日本人はと言っても石器時代まで遡るのだが悪いアミノ酸は海中深く沈めたのだそうだそれが「石油」という形で今私達の生活の中で無くてはならないものになっている。
いかし
これは一旦人間にとって必要のないものとして処分したものだから今取り出して再利用をする必要がどこにあるのだろう

石油繊維の化学繊維を身につけると肌が日々衰えていくし、アレルギー体質になっていく
古代の人が「これは人にとって有害」と破棄したものをわざわざ取り上げて病気の元を作ることはない
絹には必須アミノ酸が含まれていて、悪質なアミノ酸はまったくない
大麻は古代から神の依代として大事にされているのでそれを身につけることは魂を磨くことに落ち着く

こういう尊い繊維に有害なアミノ酸でできたゴム紐を使っていいのだろうか

絹は消臭効果、保湿効果、活性酸素を遠ざける効果があるため腐敗しない、浄化効果。速乾効果、紫外線避け、保温効果、などなどとても優秀、その良さを生かしてきたのが着物の形であると思う

絹のユイツの欠点は「摩擦に弱い」ということ
その一番弱い部分を強調させるゴムのバンドを使う必要がどこにある

こういうことは着物に限らず矛盾したことが現代社会に多くあるように感じる
本来の人間の直感を大事にしたいと思う

今日はこのような話を早稲田大学のOGたちにお話できるチャンスを頂いた
おじさんは特に絹の肌着を身に着けて健康になっていただきたい
頭で理解すると男は実行する
女は直感

# 直感 #アミノ酸 #必須アミノ酸 #チャコちゃん先生 #中谷比佐子 #秋櫻舎 #新宿 #絹
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着物で裸足

2019年05月27日 20時22分45秒 | 日記

今日は仕事の合間に大きな沼のある公園にでて足袋を脱いで裸足で歩きまわった

土の上をしっかり足の裏をつけて歩いていると体の中に溜まった電磁波が抜けていくのを感じた

さらに歩いていると

足が軽くなり駆け出したくなった

踊りたくなった

昔の人が輪を作って裸足で踊っている絵をたくさんみたことがあるが

そういう感覚になった自分が愛おしくなった

 

2日続きのセミナーをしていて

少し興奮していた頭までスッキリした

土の力は凄い

 

沼を覗くと

トンボの愛の乱舞が始まっていて

相手を求めて猛ダッシュで飛び交いサッと交配出来るカップルもいるが

相手が逃げ回ってなかなか思いを遂げられないトンボもいる

 

そういうトンボは沼に浮く草の茎に体を擦り付けて居る

可笑しいやら哀れやら

自然界の生き物は誰に遠慮するわけでなくストレートに自分の思いを出しているのでみているこちらが恥ずかしくなる

着物姿の女が裸足で沼をのぞいている姿もはたから見たら狂気かもしれないな

でもスッキリとした時間をモテた

#沼  #裸足  #着物で散策  #中谷比佐子

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神事の相撲

2019年05月26日 21時41分23秒 | 日記

本当は相撲の千秋楽に行く手はずになっていた

しかし仕事優先してその権利を人に譲った

それが良かった

アメリカの大統領がスリッパを履いて土俵に上がりSP までそれに習ったという連絡があり

もしその現場にいたたら「スリッパを脱ぎなさーーい」と大声をあげていただろう絶対に

相撲が神事であることを日本の総理大臣も認識していないようだ

 

最も日本人以外の力士を育てるようになってからこちら神事という観念は相撲協会にも薄れてしまっているのかもしれない

ーしかし外国の力士も作法をよく勉強し身につけている人もいるので、100っぽ譲って見過ごそうか

 

それにしても私たちは相撲がなんのために行われているのか、ただのスポーツではないということをもっとしっかり考えなければいよいよ日本はおかしくなっていく

 

日本の総理大臣は日本を愛しているのだろうか?

おもてなしの精神を発揮するのはこちらの文化をきちんと伝えることにあると思う

腑に落ちないままおやすみなさい

#大相撲#アメリカ大統領  #総理大臣  #神事  #土俵  #力士  #ちゃこちゃん先生  #中谷比佐子

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生きてることがご褒美

2019年05月25日 10時40分00秒 | 日記

考えたら奇跡の連続の中で我が命がある

幼い子が片言を喋り始めたとき

「あなたどこからきたの?」と聞くとタイミング良ければ

「かちおびやとかあんどろめだ」と答えてくれる

「お母さんのお腹の中」なんて答える子はまずいない

しかしきちんと言葉を話し始めるともう聞けない

聞くときは子がなにかに夢中になっていて集中しているときが一番答えてくれる

フット腹から言葉が出るようだ

 

聞いたからと言ってなにかがあるわけではなく

人間の命は宇宙からの授かりものだと敬虔な気持ちになるだけだ

その気持を大事にして人の命はもちろん自分自身の命も大切にしたいと改めて思う

子は10ヶ月間母のお腹の中で成長をしている

母と子の蜜月状態である

子にとって母はすべて宇宙そのものだ

しかしお腹の外に出てしまうと母は自分ばかりにかまっていられなくて

父親の世話を始め多種多様の仕事の中に生きているのでこ子と母の蜜月状態は続かない

大人たちはそれが当たり前の日常だが

子にとっては考えもしなかった母の裏切りとなる

 

それぞれの出所の星か月から地球めがけていえ母親めがけてやってきたのにこの母の冷たさは何?

このとき受けたショックがその子の一生を左右する

自分の母を始め大勢の中で自分中心にときが回っている子は愛をたっぷりもらって健やかに伸びていく

 

ある時チャコちゃん先生はその事に気が付き母親を天敵と思うことの間違いをしっかり認識した

つまり自分が母を選んでこの地球に出てきたのだから母親から何を学ぶかを注意深く研究しなければいけない

他に好奇心を向けている場合ではないのだ!

母が生きた明治、太正、昭和そして敗戦後の日本

男中心世界から男女平等子と親の関係の変化激動の女人生を母たちの世代は過ごした

しかもサラリとさり気なく

この賢さと腹の座った日本のお母さんをとことん学ぼうと思う

#明治 #太正 #昭和 #アンドロメダ #カシオペア #母と子 #天敵  #敗戦後の日本 #チャコちゃん先生 #中谷比佐子

 

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着物がつなぐもの 160

2019年05月24日 18時05分40秒 | 日記
着物の柄の生い立ちがひどく気になった時期がある
どこからそれは生まれたのか
誰がそれを描いたのか
そして自分なりに理解したのは
1 旬の季節を身につける(花であったり植物や自然現象など身近に見えるもの)
2 おめでたい柄例えば瑞雲とか鳳凰などを身に付ける
3 偉い人が好んでいた柄を身につける
4 連続もの終わりのない繰り返しの柄をものを身につける
などなど

そしてそれらの柄はどこから来たものかと探っていっていると古事記だったり枕草子や源氏物語だったりする

なんでも面白いというものを柄にしてしまう日本人
ある時古代語と言われているカタカムナの文字やホツマツタエの図式を帯柄や着物の柄にして面白がっていた時がある

引き寄せの法則そのものでそういう柄をほしいという人があり差し上げた
今も手元にあればよかったと少し「チッ」と後悔
古代の人のように自由に着物に柄を描きたいと思ったのだがいかんせん自分で作れないので染色家に頼むしかなくついつい厚かましいと遠慮する気になって、そのくせが消えていっていた

ところが
ここ3年チャコちゃん先生は異常に縄文時代興味を持ちあちこちで発掘された縄文土器を見て回っている
そして気がついたことがある
縄文土器の柄全てとは言わないが多くが絣柄と同じであった!
密かにその思いを温めていたところ友人の長吉秀夫氏が「縄文の本を出すのでインタビューさせてほしい」と懇願され私の考える縄文の話をいたしたところ
なんと!
縄文土器を作っている陶芸家の大藪龍二郎さんを紹介してくれた

大藪さんの火焔土器の素晴らしさには圧倒されたけど
縄文の縄の作り方を研究されその縄での文様の出し方もほぼ縄文と同じように完成されていた

縄についてはいろんな繊維を試してみた挙げ句「大麻」であっただろうというのが一番自然だという

繊維を縒り縄にして土に転がしていく手法だが(簡単に言えば)多分それぞれの集落で柄が決まってただろうと思う
その証拠に九州で見た縄文土器、四国で。山陰で、信州で、関東で、越後で、東北で微妙に違うのだ
なんたって縄文時代は1万5000年も続いたのだ!1万5000年だぜ
いろんな文様が逢ってしかるべきだ

まえに十日町で火焔土器を見てすぐさま帯にし絣に織り上げたが皆自分の手元にはない(惜しいよな)だってその時模様の面白さにうつつを抜かしているだけで、それがすでにある絣と照合する知恵がなかったのだもの(うかつだよ)

今回大藪さんの土器の中に絣や江戸小紋の柄まであって狂喜乱舞のチャコちゃん先生
それで9月に大藪さんと長吉、中谷3人の縄文を遊ぶ会を開くことにした
場所は奥多摩の澤井
多摩川の上流で美しい川音を聞きながら楽しいトークショーをする予定 9月29日だ

#奥多摩 #縄文土器 #着物でトークショー #大藪龍二郎 #長吉秀夫 #チャコちゃん先生 #中谷比佐子 #澤井 #多摩川 #火焔土器
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着物がつなぐもの 159

2019年05月23日 16時02分13秒 | 日記
着物を着たときは髪はアップにする いや髪を結い上げる そして襟足の美しさを強調する(美しければということだが)
着物を着るには「拵える」という言葉があった
普段の自分から別の人になるということだ
どんな自分になるのか一人ひとりがイメージする
「〇〇ちゃんはひどくこしらえてでかけたよ」という言葉を使っていた
花街でも「さあこしらえようか」と芸者さんを促す言葉を聞いたこともある

普段家できる着物とは違う外での着物の着方があった
今私達はそれを忘れているように思う
いいとか悪いではなく普段と違う拵えた着方というのがあってもいいと思う

あるとき
素顔を一生通すという友人がいてパーテーに一緒した
友人は本場結城紬の訪問着を着ていて帯は唐織の見事なものを合わせていた
会場に入る手前で品の良い老婦人が私達の前に静かに立ちはだかり
「よろしいかしらちょっとお友達拝借するわね」と友人を連れ去った
何が起きるのかと思っていたらその友人は見るからに華やかで品の良い若奥様として私の前に現れ嬉しそうにニコニコ笑っている
件の婦人私にニッコリと一礼してご自分の席に向かっていった

「きれいよ」
「あのね”素顔も好きだけどこんな素敵なお着物をお召だから着物の気持ちを察して差し上げてね”ってバックから口紅を取り出してつくてくださったのよ、びっくりしたけど着物の気持ちというフレーズに何故か納得した自分がいたの」

小さなつげ櫛で髪を整えて軽く眉毛も描いていただいたという
たったそれだけで友人の立ち居振る舞いに自信がつき華やかになっていた

「もし私が同じことをあなたに言ったら同調してくれた?」
「うんもちろんよ、私比佐子さん信頼しているから」

そうなんだ!
私も気になっていて「口紅くらいはつけたほうがいいわよ」と言いたいところを我慢していた
もし拒否されたらキマづくなると思って一歩踏み出す勇気がなかったのだ
「着物の気持ちを察してね」という言葉はやはり人生経験を積んでいいないと出てこない
友人も私も30代の頃の話

今だったらどうだろう相手を傷つけず美しくして差し上げることは難しい
それは言葉だ
美辞麗句ではなく本当に着物を愛し着る人を心から美しくしたいと思えばきっと言えるだろう。日本の言葉にはそう美しい言葉に神力があるそれを信じればよいのだ

チャコちゃん先生髪の毛を染めないことにした
そうすると手抜きは許されない着物は黒髪が好きなんだなと思う
でももう黒くしないのだから着物が喜ぶ方法を探る旅にこれから出る

新たな気持で着物との関わりが始まりそれはそれでまた楽しい
失敗もあり「うんよし」と云う日もある
拵えなかったら母の普段の顔になりそれもまた思い出を蘇らせてくれる

#拵える #本場結城紬 #お化粧 #黒髪 #中谷比佐子 #チャコちゃん先生


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着物がつなぐもの 158

2019年05月22日 13時34分34秒 | 日記
古着という商売がなかなか難しくなったようだ
かの大手も売上が落ちているらしい
というのは古着を買っても自分の寸法に合わせて仕立てかえるのに時間とお金がかかりすぎるということ
それにくりまわしができる人がぐんと減った
更に縫いかえを嫌がる仕立て職人も増えた
また匂いや汚れが気になる人も多くあまりにも値段が乱暴だ(安すぎるということ、絹の着物一式1000円という表示もある)
古着を買い取る業者はタンス一棹2000円と聞いたことがある

昔大手チェーン店の社長を取材したとき
敗戦後農家に渡った(一般の人は着物とお米の物々交換をしていた)着物も農家では着るチャンスがなくそれを買い取り闇市できものを売ると買ってきた金額の10倍で売れたそうで、その商いで一代を築いたと語ってくれたことがある

明治時代の近代化は蚕が担い、敗戦後の経済復興は絹の着物が主役を務めていたときもある
当時の女性は着物を縫うこともできるし、洋服も縫える
闇市で購入した着物を洋服に仕立てかえそれを売りフアッションデザイナーとして世界で名を遂げた人もいる

古着は衣の世界を変えていった

もともと古着屋は盗賊の親分富澤が日本橋で古着商を開いたのが始まりと言われている
今でも町名で残っている日本橋富沢町(ちょっと前までは繊維問屋がひしめいていた)
其処に盗賊の親分が子分たちに気質(かたぎ)の商売をさせようと思い手っ取り早い古着商を始めたのだ
江戸時代はこの古着商売は大人気で着物を扱う店の90%が古着屋であったという
当時の日本ではほとんどの女性はお針ができるので
自分で好きに仕立てかえていた

なんたって洗い張りも自分でできる
古着を買ってきて自分で解き洗い仕立てる
しかし礼装は新しい反物を購入しプロに仕立ててもらうというメリハリのある衣生活

染職人も新人は染め替えから始め師匠の腕を学びその後一人前の染師になっていく
そうやって育つので基本がしっかりしていて
自らもアイデイアを出せる染職人になる

織は本来売り物にならない玉繭の糸や汚れた繭の糸を丁寧に扱って糸を造り手で織ったものを紬の着物として着ていたのでこれは明らかに自家製
織の上手な人がプロになっていく
当時のプロの織は大島紬や結城紬、小千谷ちぢみ、十日町紬などその土地で作り上げた織物が多い

織りの着物は裏表が同じなので汚れたりやけたりすれば裏返して着る
これで一枚の着物も50年は着られる
更に着続けようと思ったら色替えという手法もあるそれは悉皆屋さんでもできた

古着というのはこうして手かえ品変えその着物が誕生して100年もの命をつなげていく
ゴミ袋の中に捨てられている着物を見るたび
動力機にたより大量生産に踊らされた結果が今あると思う

和洋ともに針を持つ生活の再現が望まれる

#盗賊富澤 #大島紬 #結城紬 #小千谷ちぢみ #十日町紬 織りの着物 #古着 #大量生産 #動力機 #秋櫻舎 #新宿 #骨格着付け #湯文字 #中谷比佐子
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