チャコちゃん先生のつれづれ日記

きものエッセイスト 中谷比佐子の私的日記

着物が繋ぐもの 498

2022年08月31日 10時26分48秒 | 日記
天が必要だと認めるものは確実につながっていく
選定保存技術「在来絹制作」保持者に認定された志村明さん
この技術は、文化財の保存のために欠くことのできない技術や技能を持つ人に与えられる、伝統工芸保持者の人間国宝と同じようなもの
いえ
其れよりもっと深く責任のある技術保持かもしれない
この制度は昭和50年に創設されて、現在は82件の選定保持技術が認定されている

志村さんは令和3年「在来絹制作」選定保持者に認定されている
よくご存じの正倉院御物の中の絹製品、またその他の文化財の絹の補正や修理に必要な繊細な糸づくりは、その時代の技術をしっかり考察し、その素材がどうやって作られていたかの研究も欠かせない

「絹の糸づくり」を追求し続けた志村さんは、終生の土地長野県飯島に移り住んでからは、桑の栽培、蚕の飼育、いい糸を作るための繭の塩漬け方法、また生繰りの糸の取り方の工夫、更には手織り機の改造まで、そのうえで最も美しい絹の糸づくりを長年続けている
しかもここのところ自分で蚕の種づくりも初めた

昨年は能舞台で新作発表、其れも8領の着物の表と裏をそれぞれ違う組織にして制作し、着心地を感じるという初めての試み、今はそれらは文化財保存所に預けられている

こういう志村さんの仕事をきちんと受け継ぎさらに次の世代に繋げようとしているのが秋本賀子(しげこ)さん。20年余志村さんの傍で片時も離れず修行し、今では完全に志村イズムが身に付き、更に若い人を育て始めている

「志」が同じということはお互いの使命を理解し合える同士がいるということで、絹の為にも日本の文化財の為にも実に尊いことだ

昨日久しぶりにあった秋本さんから、この技術を継いで繋いでいく熱い思いを聞き、ただただ感動で言葉がなかった

こういう方に出会っている幸せは、私を謙虚にしてくれる






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与えて与えまくるお金の勉強会

2022年08月28日 11時11分54秒 | 日記
常識の真反対を行っている「お金の勉強会」に誘われて行ってきた
先日も一回お話を伺ったのだが目からうろこの話で、もう一度聞きたいと思っていたから、喜んでお誘いに乗った

二回目はもっと具体的で、「稼ぐ」ということ「儲ける」「投資」というこの三つの常識が一気に覆された

つまりは自然の法則に適ったことをやればいいわけで、それが出来ていないから稼ぐことも儲けることもいわんや投資など全く持って遠い遠いこととなっている自分が納得

常識外れは
まず会費はとらない
「遠くからいらしていただいてありがとう」
なんて言ってくれる
飲み物はカップの中身が空くや否や注ぎ足してくれる
挙句の果てに話の途中で、手作りの「軽食」がでる。これがまた工夫された料理で美味

では最後に壺でも買わされるか、という心配など全くない
いつでも勉強をしあうための会員登録をして、次からは自分の都合のいい時にききたいことを教えていただくという仕組み

会員たちが集まる会食会があるがそれも手作りで会員のところの野菜や魚肉を使い、酒も出る。材料費は会員に支払うが、そこに集う人達の懐は痛まない

長い間生きている経験では
こういううまい話には、必ず裏があるということに何度も出あった
この疑いを質問すると
「私達はとてもとても豊かですから、その豊かになったことへのお礼も含めて、これから豊かになりたい人への応援です。何の心配もいりません」
「私も応援する側になりたいです」
「皆さんが豊かになっていった話も勉強になりますよ」
と布袋様のようにニコニコ顔で説明をしてくださる

頭の切り替え、心の開放、自然の循環の学び
確かに誘ってくれた友も、おっとりとした豊かな風情になっていた。地道に社旗貢献を行っている姿も美しい
静かに豊かになっていくという神髄がここにあった


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職人の技

2022年08月27日 10時10分40秒 | 日記
佐久平に仕事場を構えた東京手描友禅作家熊崎和人さんと東大阪の呉服屋北山社長をお引き合わせした
そのご褒美に軽井沢の豪華なホテルでの一泊をプレゼントしてくださった
夕食の予約が出来ていなかったので、飛び込みでレストランに行くがことごとく満員、その数8軒
「何かある、食べるなということか?いや私以外の人もいるしな」
こうまで行くとこ行くとこ満員でのお断りの結果何が待ち受けているのだろうか?とチャ子ちゃん先生逆にワクワクしてきた
取り合えずホテルにチェックインしてそこから考えよう。と

北山社長が電話をして予約をしたしたところは20時からならという返事。あと一時間
「お風呂にでも入りますか?」
「私あまり遅く夕食は取りたくないなあ」
とわがままを言う

ではもう一度と出かけると、ホテルのすぐそばに、ぼんやりした明かりの看板が見える「ここにしましょう」
なんと四人掛けの一席だけ空いていた。3人なので丁度良い
北山社長「お任せで」
見回すと家族連れが二組、10人、グループ4人が二組、個室にも何人か、厨房を覗くと料理人は一人、目があって挨拶、手を動かしながら目礼する寡黙な50代と思しき男

料理を運ぶ人は奥方か、きびきびしていて笑顔がやさしく美人
さー-てと待ち構えると運ばれれる料理の一品一品が超美味、しかも出すタイミングの絶妙な間、空いた皿を引き取るときの笑顔もイイ、静かに素早く音もたてずに持ち去る

料理が終わりに近いグループもいるが、これだけの人数の料理を一人で作っているのだ!大勢を一人で賄う料理人は他にもいる、しかし8種類すべて味の違う料理を作り、そのすべてがおいしいと、子供も老人ももちろん壮年たちも満足する技は神仕事だ
ああーこの店に足を運ぶための満員御礼のお断りだったのかと、こちらの神仕組みにも感謝
最後の野沢菜みじん切り梅肉添えのご飯は、さすがに残したが、お腹にもたれず、消化力満点、素材も油も吟味しているんだなあと感動の技を見せていただいた軽井沢の夜


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自分でもよくわからない

2022年08月25日 09時20分26秒 | 日記
死が近づいているのかもしれない
今までの総決算のような仕事を次々に思いついてしまう
今のうちにこれをしておこう
今のうちにこの方の仕事を応援しよう
いまのうちに、今のうちにー-

今までもこのように、人と人を繋ぐ仕事を思いつき実行していたのであるが
その時はスタッフもいてまずその方たちの給料、会社の存続ということが頭にあり、この仕事をやって稼げるのかと考えて立ち止まることもあった
思い付きで仕事をして大赤字を作り関係者に迷惑をかけたり、また支払い不能になって、相手の弁護士に脅されたり、私に不信感を持たれて離れて行った方も多い
いまでも恨みに思っている方もいるやもしれない
何もかも「若気の至り」と言えるだろうか
「面白そうだからやりたい」
それが先に立っていた仕事の仕方だった。付き合わされた方々はやり切れない思いをなさったことだろう。なんて今更言っても仕方がないが

しかし今は一人会社になったので、「生きていければいい」とい心境でお世話になった「きもの」の総決算をしている感じがする

毎水曜日の20時から行っている「チャコちゅうぶ」の題名が「着物を識れば日本が見えてくる」だが、まさしくその通りで、着物と日本の歴史は切っても切れない。その時代の衣裳や、階級の着物について学べば、本当に日本が見えてくる

その日本に生を受け、日本人の知恵を学んできた
振り返ると敗戦後から今日まで日本は坂道を転げ落ちているうな人間教育がなされている、それを解いていくと明治維新までさかのぼってしまう

多くの先人達に突き動かされているような「思いつき」がわいてきているのが現状
「日本が愛おしい」
それだけの思いで動いているが、昨日も日比谷図書文化ホールで「シルク時空を超えて」の映画上映をする手続きをしてきた
今日はまた染色家と小売屋さんを結びつける動画つくりに佐久平まで行く

世に必要とされている限り行動をしようと思うこの頃

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ちょっと夏休み

2022年08月23日 08時17分07秒 | 日記
友人の嶋田恵子さんが2泊3日の夏休みをプレゼントしてくれた
7月のチャ子ちゃん先生の誕生日プレゼントだという(ふたりの日程が合わず誕生日を祝えなかったからだと)
なにも予定のない日を選んで恵子さんの家に行く
「比佐子さんの部屋」にはすでに夜具が用意されていてまずはゆっくり休む

手作りの庭の草木を眺めながらぼんやりしていると朝食
映画鑑賞とカラオケで声の発散というのがこの日のテーマ
映画はエルビスプレスリー1時間のドライブをして目的の映画館へ
そうそう恵子さんは千葉の住民、千葉は海も山もあり、また古い家と新しい家が混在していて興味深い
更に主要の駅の近くは、高層ビルが立ち並ぶ住宅街となり、そこにモールが出来映画館が入っている
その映画館も都心の映画館よりはるかに居心地よく作られていて、椅子もゆったり、ロビーもゆっくりしていて遊べる。土地が広いのでこのゆったり感は至福。幼子を連れた若い夫婦たちが、ショッピングをしている
若い町だ、なんでもある

映画が始まる前お昼にしようといってレスとランに入ろうとするが、どこも満員、更に並んでいる
都心のデパートに入っているものはすべてこのモールにある
つまりはモールは遊園地でもあるようだ

何十年か前アメリカに何回かいき、モールで食事をしたり買い物をしたことが在ったが、それがそのままこの千葉県内に幾つもできている
アメリカ在住の友人が
「日本もすぐにこういうモールがいくつもできるわよ」
「そうかなあ、土地が狭いからねえ」
と思っていたがとんでもない、今や街の個人商店は日々姿を消し、モールに客を取られてしまっている

そうプレスリーの映画は感動的だった
終わって「カラオケなんてとんでもない」と余韻を楽しみながら早々に寝んだ

「時間をプレゼントする」という恵子さんの発想に感謝


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着物が繋ぐもの 497

2022年08月20日 09時31分52秒 | 日記
決まった!
日本茜、日本紫根で染めた着物と帯の展示会
「茜・紫根染め三人展」令和5年5月18日から8月20日の期間、長野県の
岡谷蚕糸博物館
染の高橋孝之
絞りの寺田豊
綴れ織りの帯服部秀司

三人はもともと三人展を個人的になさっていて、その時はそれぞれの得意分野の物を展示するという形だったが、それぞれの作品には触れていたが、茜と紫根をテーマにしたことはとても面白く、それを多くの方に見ていただきたく企画した

日本茜も日本紫根も今は珍しい
「茜さす紫野行き標のいきー--」という額田王の万葉集の中に込められた、茜と紫根の色、当時は天皇と皇后の色として庶民が使うことは禁止されていた
天領で茜と紫根は栽培されていたのだ
二つとも根が染料になるので、それこそ根こそぎに使ってしまうので、栽培は特別な土地で作られていた

茜色と紫の色が日本の根本の色となるわけで、その染材を使っての多様な染技術を見られるのは楽しい

三人とも
「自分たちは出来上がりを作っている者で、茜や紫根を育てていてくれた人たちがいるから、このように着物に表現が出来る、だからこの一枚の着物はその方たちの存在が尊い」
そういう思いが強く、今回の展示会は生産者たちとの交流の場にもなる
そうして出来上がった着物や帯を身にまとってくれる消費者の目に留まれば、こんなうれしいことはない

今までにない土からできた着物の発表会という感じなると思う
チャ子ちゃん先生のコーデイネートも展示出来そうなので企画者としては、喜ばしい。その前に「きものという農業」続編を完成させねば
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灯台でいようよ

2022年08月19日 06時45分55秒 | 日記
今の世界は複雑
何が悪で何が善なのか
悪も善も人の決めたルールに従うのではなく、自分の直感で決めることが一番だと思う
悪がなければ善はわからないし、善が光るのは悪のおかげ

先日「チャコちゅうぶ」で戦前戦中の女たちの衣服の話をしていた時、気が付いたことが在る
今の日本人もその頃の人と一緒で
「与えられた任務に忠実」
そして
「与えられた権限を振りかざす」
「ほんとうにこんなことをしていいのだろうか?」
「こんな命令を遂行して善き方向に向かうのだろうか?」
など何も考えない

上から言われたことを真面目に実行していて何がおかしい、何が悪い
という絶対の自信がある。上から選ばれた自分は偉いんだと傲慢になる

愛国婦人会の婦人が街角に立って、若いお嬢さんの着物の袖を鋏でチョキチョキと切る「戦地で戦っている兵隊さんを思うとそんな派手な格好は無礼だ!」
男女が肩を並べて歩いていると「戦地の兵隊さんに失礼だ」と二人を離す
バケツリレーでもたもたした動作をみて、班長を任命された男が「もっと敏捷に動け、戦地の兵隊さんは戦っているんだ!」と言って怒鳴りつける

戦争が始まるまでは町内会で仲良くしていた人たちが、ひとたび上からの権限をもらうとがらりと人が変わる

戦争が終わり権限がなくなると逆に今度は卑屈になって、人のご機嫌を取る
自分の軸を持っていないとこうなるのだろうなあ
常に強いものの言いなりになるという日本人の癖は明治時代からのように思う
そして今もそう

誰に命令されるのではなく、権限にしがみつくのではなく、自分自身の素質で生きて行くことがこれからの世界の生き方だと感じる

灯台のように自分から光を出して正しい方向を示すことが出来たら本望




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カラヤンの知恵

2022年08月18日 12時03分41秒 | 日記
秋櫻舎ご用達のカラヤンことカラス
「おはよう」
「かー」
「元気?」
「かあー」
少し鳴き声替えて返事をする

スカイガーデンのペンスがお気に入りでよく止まっている
ある時玄関先に来て
「カーカーカー」とうるさく鳴く
「何がそんなに悲しいわけ?」
「かーかーかーかーかー」
「お願い日本語で言ってよ」
「かーかーかー」
遠くのマンションの屋根にもカラスが集合し鳴き叫んでいる
「何か起きるんかしら、鎮まったね」
と話し合ってしばらくしたらいきなり揺れた
そうあの大震災の日

それからカラヤンの鳴き声に注意をするようになった
「かーかー明日は雨だよ」
「カーカー何か事故が起きるよ」
どこでどんな事故か言ってちょうだい
「カーカー人が死ぬよ」
誰なのか言ってちょうだい

こんな会話?をしているうちカラヤンはお相手を見つけて連れてきた
そして目の前で愛の接吻を見せつける
「良かったねお相手見つけられて、そうだ名前はマリアカラスにしようマリア夫人ようこそ」
「がー-がーかあー」
二人はハモッテお返事して飛び立った

実はカラスは4000語の言葉があるらしい、鳥の中では一番賢く、その土地の浄化もするし、死者を送り届けるということも、神代の時代から神の使いとして君臨しているという

明治神宮の杜ではカラスが集団で右にまったり左に転回したりしている姿をよく見かける、それは神事なのだそうだ
そういえば京都の廓育ちの安藤孝子の喪服には下前にカラスの刺繍がしてあった。聞くと
「昔からの言い伝えで八掛に縫いをしたのもあるえ」
死者を送る儀式だそうな

カラヤンのことば習わなあかんわ

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秋櫻舎の由来

2022年08月17日 09時28分57秒 | 日記
今朝道すがらコスモスの花を見つけた
秋を思い起こさせる花、それと同時にわが社の名前だ
株式会社 秋櫻舎
このネーミングは今は亡き「本多光夫」さんが付けてくれた
本多光夫、別名は諸井薫というペンネームで小説や随筆を書いていた

河出書房で「週刊女性」を出版、出版労働騒動で、今度は世界文化社に入り「家庭画報」の基礎を作り発展させ、家庭画報別冊茶席の着物という「きものサロン」元を作り、日本史、世界史のビジュアル本出版を企画大成功させ、その後プレジデント社の社長となり、雑誌プレジデントの基礎を作った出版の神様みたいな人、まだあった!オレンジページやダンチュウ、サラだ何とかとかもっとあった。つまり時代の先を読んだ雑誌つくりの名人だった

本田さんも大関さんと一緒で、よく予告なく我が家によって夕飯を召し上がっていた。専業主婦になっていた私を仕事に引っ張り出してくれた恩人
その本多さんのもとで、本づくり、文章の書き方、人との接しかた、取材の姿勢など20年間仕込まれた

自分の会社を立ち上げるときの相談役でもあり、会社名も付けていただいた
きものの布は八枚を繋ぎ合わせたもの、宇宙的な感覚で仕事をしたいということを伝えると
「何か好きな花ある?」
「強いて言えば百合とか秋桜かな」
「コスモスいいねえ、コスモスシャ
「やーだコスモス社ってバーの名前みたい」
「違うよ秋の櫻と書いて会社の社ではなく学び舎の舎」
「うん?秋櫻舎、いいですねえ」
コスモスはギリシャが原産でKOSMOS。宇宙という意味もあるけど「美の伝達者」の意味の方が強いと辞書に書いてあった

本多さん!その秋櫻舎私一人になっちゃった。でも株式会社にして38期、その前を入れると42年、おかげ様


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送り火

2022年08月16日 10時56分16秒 | 日記
お盆休み
両親のこと、姉兄、子供のころ、緑の風を頬に受けながら、自分で炒ったコーヒーを味わいつつ、過去のことあれこれ考えていると、身のすくむような恥ずかしいことばかりが思い浮かぶ

母に反抗し続けた事
友人やスタッフを傷つけた事
偉そうな態度を取っていたこと

ある時
「恥ずかしいことばかりやってきた感じがする」
とある人に話したら
「存在そのものが人を傷つけているということもあるね」
(では存在そのものが人を癒すことが出来る人になろう)とひそかに決心した

それは具体的に「魂を磨く」ということになるのだかけど
「魂を磨く」というのも抽象的だ
それにはどういう生き方がいいのか
試行錯誤の日々の中で、やはり恥ずかしいことばかりが表に出る

お盆というのは先祖を迎え、感謝しながら一緒に宴を囲み、そしてまた送り出す。その時先祖だけではなく、自分自身の過去も一緒に送り出してしまうということも含まれているのかもしれない
と思いついた

今日は自分自身の恥ずかしい過去を書き連ね
それをあちらの岸に送って
明日から生まれたばかりの自分に戻って生きて行こう

京都の送り火も今日




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