チャコちゃん先生のつれづれ日記

きものエッセイスト 中谷比佐子の私的日記

着物が繋ぐもの 512

2023年02月26日 07時12分26秒 | 日記

いま「比佐子つれづれ」では「時代と色」をテーマにその時代の色をみんなで作り上げている。面白いといって取り組んでいる方は数多くの色が誕生していて興味が尽きない

昨日は「縄文時代」を紐解いた

今正式には縄文は15000年続いていた平和の時代と言われている。しかし色のことを勉強していると、そんなに短いものではなく、ひょっとしたら20万年くらい続いていたのではないかという気さえしてくる

 

というのは世界がいろんな気候を迎えていて、100万年前今の南極の海の底に地下都市があったということも、2017年NASAが発表した

どんな都市だったのかはまだわからないが、想像するに楽しい

そういう時代に人間がいたということは、陸地は今尾は違っていたわけだから、縄文ともつながった人種がいただろうと思える

縄文土器の縄目の柄は、紬に応用されている絣柄も多い

漆器も縄文時代にはあったので、土器とは別に麗しい華やかさが生活に色どりを与えたのであろう

きものという底知れない文化度の深さは、「衣」というものが日常であるがゆえに、色々と工夫されてきたのだと思う

 

新潟の十日町で初めて「火炎土器」(今は国宝)を見たときは「うそだ!」と思った

完璧な美しさで、どこも欠けていない、こういう土器が1万年近くも土に埋まっていたのかと信じられなかった

しかしその時の縄目の柄や、火炎の形が、その十日町で取材していた十日町絣に類似していたことにも驚いた

編む、組むという技術が半端絵はなく、この時代に網代編みとか、さや型組みなどがあり、更に一越、二越の編み方など多種多様だ

その形が今着物の地紋になったり、帯の柄になったりしているが、さりげなく続いた手仕事が2万年も近く続き私達の日常を潤してくれている

弥生から現在までが高々3000年、縄文の長い時代を考えるとその時代の知恵を私達はもっと探って自分の物にしなければ先祖に申し訳ないと思う

まだまだ着物の道は続く

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理解不能

2023年02月24日 09時18分59秒 | 日記

まだ買って4年目に入ったばかりのアップルのパソコンが動かなくなった

充電ができない。然も充電器は健全でちゃんと電気をパソコンに送っている

これはパソコン自体の故障だと思い、近くのヨドバシカメラ修理受付に持って行った

渡したパソコンを手に取るや 何やら印刷した紙を持ち出し

「この番号に電話をしてコールセンターと相談してください」

「なぜ?お宅で買ったのにお宅では直せないの?」

「はい、アップルの物はアップルのコールセンターとお客様が話し合い、その結果をもって再度この窓口にいらして下さい」

「それっておかしいでしょう?ご自分のところの商品はお宅で責任もってくださるのではないの?」

「申し訳ありません。そういう決まりになっているのです」

「では他のメーカーの物はお宅で修理なさるわけ」

「ええまあそういうわけです」

「腑に落ちないですが持ち帰ります」

窓口の方は最敬礼をしてお詫びをしている、私がエレベータに乗って姿を消すまで頭下げている

頭下げりゃあいいってなもんでもねーや

なんなのこれ!

わけわかんない!

窓口で怒鳴ってもせんことなく、相手はただ最敬礼するだけだろう

綺麗に帰るしかない

 

アップルのコールセンターはまずつながらない、結局一日つながらず

然も日曜祭日は休み

幸いもう一つもう10年も使っているパソコンは何の問題もなく動いているので、何とかチャコちゅうぶやズームはとど小売なく勧められたが、こちらはマイクもカメラも入っていなくて、ただ原稿を書く事だけに使っているので、やれカメラ、やれマイクと準備が大変、しかもYouTubeにつなぐ作業を、IT関係の先生なバル女史に遠隔で入って指導していただき、チャコちゅうぶ始まり10分前に整った

 

機械の故障を専門的に直してくれるところはないのかしらん

それにしても

最近は量販店は場所をメーカーに貸しているだけ、デパートもそうなった

物を置いているだけで、その物の責任は持たないのだ、そういう商売になっている

そういえば随分前から呉服屋もそんな感じ、とくに大きな店は

 

なんだか不自由な世の中だ、老人は生活しにくいね

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かすかな光明

2023年02月22日 08時57分36秒 | 日記

最近環境問題に取り組む若い方々が増え、その集まっりに招かれることも増えた

在来種を大事にしてそれで野菜を作っていくグループ。効率だけではなく、地球にとっていいか悪いかが標準となり、生活は雨露しのげて心穏やかに暮らせればいい

 

このような生活に切り替えている人たちの前歴を聞いてびっくりする

大手企業で将来有望な戦士であった、年商10億の経営者であった、商社マンとして世界をめぐって働いた、世界銀行に勤めていた、学校の先生をしていた、などなど輝かしい前歴を持っているひと、または今の学校での落ちkぼれの中で自分の生き方を長い間かけて模索した人達

それぞれ勇気をもって今の生活を始めている

「土にかえる」

そして縄文時代を懐かしむ

チャ子ちゃん先生がどこかでしゃべり、どこかで書いた縄文の話を見つけて、彼らの場所に迎え入れてくれる

縄文時代はBC3000年前まで1万5000年続いた、争いの全くない時代だったといわれている

遺跡から出土する土器の美しさをもって縄文を語る人は多い。教科書では、原子民族の貧しい絵を見せられていたが、実はとんでもなく豊かな時代だったということが、日本国中の遺跡からだんだんわかってきた

 

その時の日本国の形も今とは違い、入り江の多い島だ。当時はカヌーを使っていろんな国の人が訪れていただろうことは想像に難くない。その時に世界中の文化や文明がこの小さな島にやってきていた。と考えると1万5千年どころか5万年も続いた縄文であったのではにだろうか。稲作もあり、農地もあった

 

人が和をもって生活できた時代を私たち日本人は経験している。5千年続いたエジプト王朝だって戦争に明け暮れている。実際に15000年も争いがなかった国はこの日本の縄文時代しかないようだ

ここでのコミニテイーの作り方が、若い人たちの模範となっていて、その仲間の中にいるだけで安らぐ。然もこのような方々は外国にもご縁があり、言葉も達者なので、他国の志を同じくする人と連携も組める、世界が一気に変わる日も近い。この方たちが動きやすく出来るような道を作るのが、長くこの世に生きた者の役目でああろうかと思う

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小池百合子様

2023年02月21日 09時54分13秒 | 日記

小池百合子様

あなたは昨日あの絵画館前の美しいイチョウ並木の伐採に許可のサインなさったのですね

これから芽吹いてくるイチョウのあの小さな葉が、太陽の光、風、土の気をもって日々大きくなり、そして秋に色ずき、都民の目を和ませて幾年月、その時の私達の幸せ感がどんなものであったか、あなたはご理解できますか?

 

然も銀杏の葉は東京都の「シンボルマーク」ですよね。都民はどこに行ってもそのシンボルマークになじんでいます

東京は銀杏の美しさで観光客が集まるほどに、ここかしこに銀杏の木が存在しています

その中でも最も美しい銀杏並木

そのすべてを伐採して高層ビルを建てるのだそうですね

 

多分あなたのいらっしゃる窓から

新宿中央公園の緑が眼下に見えるはず

その景色をほっとした気持ちで眺めることはありませんか?

 

人は自然から様々な恩恵を頂いています

その自然を率先してつぶしていく都知事がわが東京のリーダーとは

今でも空が狭い東京都、高層ビルが立ち並ぶ東京の空はもっと狭まるのでしょうねえ

 

家康と天海和尚が風水を駆使して作り上げた我が江戸は、世界一住みやすい街だったということは歴史が証明しています

天守閣が焼け落ちた後、その修復にかかるお金を「江戸の町づくりの資金に回した」江戸幕府

この心意気が民のこころっをつかんで、300年近く幕府が続いたのでしょう?

東京都はその江戸の地に作られた都、今までも風水のいい気が漂っていて発達したのだと思いますけどね?

民の生活、自然との共存を大切に考えていただきたい、其の血が脈々と百合子様にも流れているはずですよね

 

考え直してくださいまし

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イイ女が増ええてきた

2023年02月20日 10時31分52秒 | 日記

今は世の中が混とんとしている

その中で女たちは前を向いて自分の軸をしっかり持ってい生きているなあ

とここの所お会いする女たちに感心しきりのチャ子ちゃん先生

 

そういえば

かすかな記憶ではあるが戦後の女たちのきびきびとした動き、家族を養うことの手際の良さ、気の合った者同士とのコミュニテーの作り方、お互いが連携し合いとにかく今日をしっかり生きる

そういう姿の大人たちをいっぱい見てきた

チャ子ちゃん先生は戦後はずっと臥せっていたけど、入れ代わり立ち代わり女たちが慰めに来る。みんな自分が食べるのでさえ乏しい所、少しでも元気になってほしいと笑顔を見せに来る

そういう女たちの毎日の笑顔が病気を早く治してくれた

 

土曜日に銀座でお目にかかった女たちの中でも、介護の生活をしている方が二人もいらして、其れも二人とか同時に三人とか、それでも明るく活発に暮らしている様子が、あの戦後の女たちと重なって見えた

「自分を高めるために何か偉い先生について学ぶ」という生易しいことではなく、毎日が自分の魂を磨いていることにつながっている様子だ

「この経験をするために私は生かされている」

その経験から多くのことを学び明日に生かしていくという心のたくましさ

 

みんなまぶしいほど美しい

お洒落も怠りなく、苦い経験は冗談で笑い飛ばす

日本の女は逆境にいると本領を表すと思っていたが、それはしかし過去の女たちのことだと思っていたのに、違う、今もこの姿が日本の女だ。愚痴など彼女たちの辞書にはない、すべて学びの場と心得ている

 

凄いよね

偉そうに講義している自分が小さく見えた

 

でも晴れやかな明るい顔を見ていて、純粋に感じて表現する姿がすがすがしかった

日本は大丈夫❢

 

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女殺油地獄

2023年02月17日 10時24分41秒 | 日記

近松門左衛門作「女殺油地獄」

いま国立小劇場で21日まで文楽公演上演中

文楽鑑賞歴48年なので、いろんなコンビの上演を見せていただいた

 

殺されるお吉という女性は、美しい顔をしているのに身を飾らず、貞操強固、子供の世話をしながら家事万端整えている。ただし常に一言多い、人に説教する、自分に関係ある人以外にも世話焼き

こういう女は男たちにとって格好の相談相手だ、特に若い男にとっては

昔は身近にこういう女がよくいた。何事も見て見ぬ振りが出来ない、自分の領域以外の物にも手を出してしまう

自分の美しさを自分自身が感じていない、だけど子供を二人産み体に丸みが出ていて、自身が気が付かないけど匂いたつ色気を男は察知している

近松はこういう人物を登場させるのが天才

 

対する若い遊び人与兵衛は芸者の小菊といい中、放蕩息子だけど親から見たら可愛い、借金をつくって遊び狂っている。親は息子の回心をもとめて勘当をするが、ひそかに小金をもってお吉に渡し、「機会が在ったら倅に渡してほしいと預ける」それを潜んで聞いている与兵衛

 

親が立ち去ったあとあと、お吉に渡されたお金では返済金に届かない、金を貸してくれとお吉にせがむ

この時の態度がいつも小言を言われていて、更に世話焼きだから簡単に承知してくれるだろうと甘えている男の姿

しかしお吉の説教が始まる、頭に来た男は組み伏せる、その時の体の丸みに遊女とは違った女を感じる、更に身持ちの硬い女が逃げまどうとき帯がほどけて、本人も気が付かない怪しい色気をだし、逃げながら男を誘っている感じになってくる。しかしお金は貸さないと一点張り、言葉の硬さと、体の柔らかさの幻惑の中、男はもう野獣。女は油屋なので油をこぼし男を近づけないように必死、つかまっては刺され、逃げては転ぶという繰り返しの中で、男は散々に女を切り金をとって逃げるー-幕

 

文楽の先輩たちはここの油地獄を陰惨だけど美しく、しかも情緒的に演じていた

しかしいまは----言うまい

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偲ぶ会、別れの会

2023年02月16日 10時42分47秒 | 日記

最近は通夜も告別式も家族だけでひっそりと行

49日や50日祭が済んで「会」が行われるケースが多い

縄文にさかのぼっても、火で焼ききってしまうということが多いし、偉い人の場合以外は身内でひっそりと、おいうことの方が圧倒的に多かったように思う

大勢の日おtが集まって告別儀式として執り行うようになったのは、外国との戦争が始まってからだと何かの本で読んだことが在る

お国のために命を捧げたのだもの、みんなでお送りしようおいうことだったのだろう

 

デザイナーの花井幸子さんが昨年の11月に84歳で亡くなった

葬儀は身内だけで行うとされた

そして昨日「お別れ会」が行われて多くの方がお別れに参上、祭壇に向かってお別れするだけだったので、集まった方は物足りないのか、知り合いを見つけては三々五々喫茶店へと行く

 

時代が冠婚葬祭の儀式を替えていく

どれがいいとかそういうことではなく、時代というものの大きな流れの中で人々の意識も変わって會行くのだと、つくづく思い知らされる。そうすると「個」が大事「自分が最優先」という生き方をしないっと、大きな流れの中で埋没していくのだろう

 

タワーマンションや、新興都市の小さな戸建てで、核家族の生活の仕方が、人々の意識をがらりと変えてしまったと感じる。農業を主とした日本人は、土着民族として自然とのつながりを強く持っていたはずだが?

チャ子ちゃん先生はお別れ会の物足りなさのおかげで、川邊サチコが「ねえ今日のチャコ中部一緒にやろう?」の申し出がラッキー

おまけにメイクもヘアーも全部気に入らなくて直してくれたキャハッ!お別れ会さまさま

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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着物が繋ぐもの 511

2023年02月14日 09時23分56秒 | 日記

太物屋と高級呉服屋

丁度チャ子ちゃん先生が着物の仕事を始めた昭和30年後半は、まだ「太物屋」と「高級呉服屋」という店があった

太物屋は木綿、ウール八端などの布団布、モスリンなどの広幅の布が売られていて、一反単位でなく、自分が必要とする量を計って購入する。そこには当然真綿などもお家あった。小物も別珍の足袋やモスリンの紐、ネルの下着、綿入れちゃんちゃんこなど日寿に必要なものが売られていた。そして店は大きく店内は広く、近所の日tが在っ詰まっておしゃべりしながら買い物をしていて姿があった

 

高級呉服店は誂えが主、または店主のセンスで染められた着物が美しいたとうしに包まれタンスに収っていて、高級住宅地の客が相手で、着物を届けたりしていたので店は小さく、美術的な佇まい。行けば高級菓子にお薄という接待で在った

 

悉皆屋という職業の店もあり、染織工房や洗いはり屋さんや仕立て屋さんを束ねていて、きものの「見本長」を置いて、染め替えや、新しく刺繍を加えるなどの着物のお手当てを解消をしてくれていた

 

かつぎ屋さんもあり、産地と直接契約して、反物をかっつぎ、又は車でその日緒然も手にあ反物を個人の家や、グループの奥様方のところに持って行って商売する、こういう方は白生地屋さんとも懇意で何かと細かい注文に応じてくれていた

 

着物の販売もこの様に細分化されていて、自分の懐にあった相手、または今回の着物はこの店というような付き合い方が出来ていたのだ

 

昭和40年の後半に入ると太物屋がまず高級着物を売るようになり、店の規模も大きいので「問屋」さんたちが力を入れて商品を「貸す」つまり「浮き伝で」品物が行ったり来たり、お店はとにかく客を集めればあとは問屋さんたちが売り方を考えてくれるというシステムになっていく

 

悉皆屋さんもかつぎやさんもなぜか問屋に吸収されてしまった形になったところが多くなり、大きい店屋やデパートが着物を売る実権を持ってしまった

それがいいとか悪いとかではなく、時代の推移というものを考えさせられているチャ子ちゃん先生

本来の高級呉服屋さんは昭和の終わりにはひっそりと店をたたむところも多くなって、着物に詳しい染矢織に造詣の深いお店が少なくなってしまった

 

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IT分限者

2023年02月13日 09時09分29秒 | 日記

分限者ちう言葉も死語になってしもうた

限りがないほどお金が在る、限りがないほど物持ち、限りがないほど知恵がある

知人の長男の嫁が突然子供を連れて家を出ていった

共働きで、お互いに会社をもって大成功をしている、もちろんIT長者

子育ては夫の方が子供好きで何かっと子供の世話をしている、自分の手に負えない時は実家の母親に来て貰っている

2歳と4歳一番かわいいし親が必要

子供好きの夫は生活の最優先に子育てを置いているが、才能豊かなので会社経営もうまくいっている

タワーマンションに住んでいて他にもマンションを二部屋もって人に貸して家賃収入も得ているやり手さ

 

誰の目にもうらやましい家族だが

しかし知人と私は懸念していた、子供を好きでない嫁は夫の世話もしないし掃除洗濯もシルバーさん任せ、子供たちは父親と一緒にいたがって母親にはなつかない、しかし私達は知っている、子供の本当の心は母親に抱かれたい、愛されたい

「どういう子に育っていくのか心配ね」

その家族の話を聞いた時の私の一声

 

その心配が現実になったのはそれから間もなくだった

「突然出ていったので、もう同じ部屋に住みたくないので別のマンションを買いたいから、ナカタニさんに風水を見てもらって購入するって」

 

理由もわからず留守の間に荷物など一切を引き上げてしまったので、その心の傷深い

その傷をいやすように頻繁に私達と共に居たがる。泣き言をいうわけでもなく、私達も叱咤するわけでもなく、日常の会話をただ楽しむ時間を持つ。そうして傷も癒え始めたころ、マンションが決まった

勿論タワーマンション、そこに住む8割が30代40代のIT長者。夫婦で赤子を連れて散歩をしておる姿がちらほら

超一流ホテルのようなロビーがあり、美しくて若い女性がコンシェルジュとして颯爽と動いている

知人の軽車で駐車場に降りると

「比佐子さんあれ3000万、こちらは2000万」

「うちらの車は足、動けばよいのじゃあ」

 

高齢者マンションも都内に多くできてきた

パソコンで人生を送る人たちの群れが段々多くなっていく

ま、とにかく今を大切に生きるしかないな

 

 

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建国記念日

2023年02月11日 08時46分44秒 | 日記

神武天皇が国を治めはじめて2683年

小さい頃頃姉たちが「きげーんにせんりょっぴゃくねん」と謳っていたのをかすかに思い出す

あれから83年だ

謳って居たころは日本はまだ平和だった

記憶がよみがえるけど町内会というのがしっかりしていて、大人たちはみんなで子供を育てていたみたいだ

一人でふらふらしていると、必ず大人が声をかけてくる

喧嘩をしている男の子たちの仲裁に入っていく

赤子が泣いているとあやしにいく

人の子であろうが悪さをした子を叱る

 

兄は悪ガキで端午の節句の時飾り棚から刀を持ち出し、お豆腐屋さんに行ってとーふを全部切ってしまった

知らせを受けた母は支払いに駆け付けたが、町内会の人たちが「ちょうど豆腐を購入しようと思っていたから」と次々に買ってくれて損害が少なく済んだ

大人たちは特にお父さんたちは「わかるよなあ、切ってみたいよな」と笑っていたのだという

 

大人たちが豆腐屋に集まって、豆腐屋の損傷をみんなで責任を取ろうとしている姿に、兄は自分がとても悪いことをしたと豆腐屋の主人に深く頭を下げたらしい。その後豆腐を買いに行く時は兄は率先してお使いに行っていた

 

それ以来悪ガキが収まり「秀才」と言われるほどに成長

 

朝日を浴びながらそんな昔のことを思い出していた

「人が変わった」そのころから見ると

「声を掛け合う」ということがまずない

 

ある朝活の会に何か月か通ったとき、エレベーターで顔を合わせて「おはようございます」と声をかけてもほとんどの人がスルー。なのに会が始まると大きな声で「おはようございます」とあいさつをする

この態度いったいなに?そう思ったら、話す容人が話す良い話もむなしい

人と人の付き合い方がかわってきたことが、日本人の変化かもしれない

ほとんどこううやって成功したという内容だ

目礼とか、会釈とかそういうのは一切消えてしまった

 

電車で奥の方から出口に行く時「恐れ入ります」「ごめんなさい」と声をかけると逆に異邦人にあったような表情をされる。神武天皇様日本人は様変わりしましたぜ

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