チャコちゃん先生のつれづれ日記

きものエッセイスト 中谷比佐子の私的日記

大祓

2022年12月31日 10時28分55秒 | 日記

6月30日の夏越の祓いに続いて12月31日の大祓いが各神社で行われる

今日がその日

こんな俳句を作ってみた

「善し悪しの中を流るる大祓」

何事もイイも悪いもないね、悪いは学びになり、イイは悦びになる。その間で心静かにしていることが一番

そんな感じかな

 

一年の終わりっていろんなことを思い返す日

一年どころかこれまで生きた、様々なことが頭をよぎる

恥ずかしいこともいっぱいある

そう恥ずかしいことの方に記憶が鮮明だ

しかし「れバ」「たら」はない

恥ずかしさの上に人の成長があることが分かるから

 

そして

人との付き合いも「らせん状」

おたがいに螺旋を作りながら進んでいるので、その螺旋が同じ速度で在ったり、遠く離れて行ってしまったっりする

追いかけて行こうとしても、自分も螺旋を描いているのだから、頭は追いかけていても相手は遠くにいる

そしてまた心が通じていれば螺旋を描きながら又近づく

 

ということは

頭と心を離れさせてはいけない

頭で思って心を動かすのではなく

心が感が感じたことを頭に載せることが、本当の道を見ることになる

それは自分自身との付き合いこそ大事だということであろう

外の情報をあさるより、自分の中から湧き上がる情報の方が真実

そうすると螺旋で近づいたり遠のいたりする人間関係も、心が常に中道でいられる

 

日本人の多くは人にやさしい

しかしもっと自分に優しくしていいのではないかと思う

「自分に厳しく人にやさしい」人が人格者と言われていたけど、自分に優しくできない人は人に厳しいという現状もよく見てきた。自分をみとめ、自分自身を愛する。これが来年のテーマだと、大祓の人型に清金を包みながら思う晦日

 

 

 

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襟付け

2022年12月30日 08時33分01秒 | 日記

着物は左右均等にできているので「襟合わせ」は最も重要な行為だと思う

やくざ映画全盛のころ、「高倉健」の着物の襟合わせと「裾さばき」の粋さに目を奪われ、すぐ取材に赴いた

そしてそのコツは

きちんときれいに着終わった後、衿は人差し指を入れて合わせ目を下す、裾の開きは普通の着物の寸法より狭くしているが、それでもきちんと着終わった後に手を裾に当てて広げる。そうすると腰から下、が広がりやすくなるけど、ひざから上はきちんとしている

 

成程

またある時文学座の公演を見に行ったとき、杉村春子さんが鏡のない舞台で、実に手早く着物を着ながらセリフを言う場面があり、鏡もないのに左右の襟合わせがきちんとしていて、それでいてゆったり感がある

そしてすぐこれも楽屋にお邪魔してそのコツをお聞きした

その時「鎖骨に添って襟をあわせる」ということをお聞きしたが、其れより目を奪われたのが「長襦袢の襟の付け方」

この襟の付け方も杉村さんご自分の発案らしく、役によって襟芯や半襟の種類長さなどを替えていらした。その後東と西の芸者さん、また旅館の女将さんたち、更には日本舞踊仕舞い、神官、僧侶、能役者などなど取材に明け暮れて調べてみた

 

そしてその中から分自身のいいとこどりの衿付けを創作、比佐子流衿付けを伝えている

チャ子ちゃん先生の衿付けにはこのように背景があるのだが、それをきちんと御説明をしないので、教わった方々にはあまりありがたさが分からないようで、受けがよくない

それでも自分自身は満足している

昨日は掃除や片付けの合間に5枚ほどの衿付けをして新年に備えた

 

 

 

 

 

 

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全ては自分の中

2022年12月29日 09時40分06秒 | 日記

昨日経営者仲間と「愚痴大会」

お互いに社員のあれこれを言い連ね、またやめて行った者のその後の行儀の悪さをあげつらね

お互いに一通りそれが終わったら

「結局はすべての責任は自分にあるのよね」

「自分が引き寄せているだけの話よね」

「彼ら彼女らは私の欠点や足りなさをただ行動で指摘してくれただけよね」

「すべての善も悪も自分の中にあるんだものね」

「そうそれを引っ張り出してくれたのよ」

「感謝しかないねえ」

と爆笑で終わった

 

そして

「なかなか豊かにならないなあ」

「一生働かなくてはならないないよ」

「A子あなたはいいよねえ、今や不動産で副収入が定期的に入ってくるんだものね」

「私は死ぬまで労働者だわ、銀行の借金もあるし」

「チャ子は私は死ぬまで現場にいる。と言ってるけどそれって死ぬまで続けなければならない理由があるんでしょう?」

「現場にいたいのよ」とチャ子ちゃん先生

「それじゃあ経営者とは言えないなあ」

「ハイ仰せの通り」とチャ子ちゃん先生

 

つまり経営者は自分は労働をせず、社員を上手に働かせて会社を豊かにし、給料も豊富に出した上にさらに黒字会社にして、富の循環を図る人が経営者の姿だという

「好きなことを仕事にするのは個人事業主、経営者とは言えないよ」

「経営者は社会を動かすほどの富を持ち、自分の意思で善の方向へ動かすことが出来る」

「イーロンマスクみたいに?」

「彼は大物、あそこまでなるのは大変だけど心根はそうありたい」

 

「稼ぐ」ということの根本は自分が豊かになることで回りも豊かにする。それが出来ないと「経営者」とは言えないと落ち着いた

 

結局は自分がどう生きて行きたいかの青写真がしっかりしている人がいい経営者だ、自分のやりたいことに人を巻き込んでいるうちは経営者とは言えない

話は尽きず深夜に及び御開きとなった

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実母と姑 1

2022年12月27日 09時36分04秒 | 日記

きちんとしたおせちを作らなくなって10年になる

もう作り方も忘れた感じ

お重もねむったまま

デパートに行くといろんな料亭のおせちが販売されている

素人が作るよりはるかにきれい

いろんな材料を購入する手間と時間、そして値段を考えると

出来あいのおせちは便利で安価かもしれない

しかし手を出す気にはならない

自分で作る味の方が自分の口に合っている

 

年ねん味は実母の味になっていく

お重の飾りも実家風

いまおもうと姑は本当にできたかただと尊敬する

味や盛り付けで何一つ苦情が出なかった

「綺麗ね、おいしいね、比佐子さん料理上手ね」

その当時は「これって褒めて働かされているんだわ」

と勘繰ったりもしていたが、あえてご自分の味を押し付けなかったのは見事というしかない

だからこそ、母の味を今も繋げているのだ

賢い姑だったということであろうか

 

良く嫁と姑の争いを面白おかしく小説にしたりドラマにするけど

実際には仲良く暮らしてる家庭の方が多かったのではないかと思う

とくに「味」については双方譲り合って作り上げていくというが私達の年代にはよく見受けられた

 

それはそれぞれの家庭の母親がどう過ごしているかということかもしれない

教育ではなく母の姿そのものが学びの背中だったように思う

 

こうやって「おせち」を思ったり年末行事を行ったりしていると、明らかに敗戦後の日本はゆがめられていると痛感する

それは「食」に強く感じる

家で作ると食の旬がわかり、彩の揃え方なども学べる、それぞれの味の違いで舌も肥える

 

やはり家族でおせち料理を作り、お重に飾っていく過程を子供と共に楽しむことが必要かな?

久しぶりに作ってみるか

 

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衣食住

2022年12月26日 09時50分52秒 | 日記

衣食住

いつもなぜ衣が一番先に来るのだろうか?と考えていた

この中で、多くの方が「食が一番大事、食べ物無かったら人は死んでしまう」

と思っている

その通りで、食べるものがなければ餓死するだろう

しかしもっと人間にとって必要なものが「衣」であると思う

 

裸で生活できるだろうか

大雪の中裸で一時間もいたら凍死してしまうであろう

その為に神代の時代から「衣」は神事としても大切にされていた

 

一昨日暮れ行く富士山の姿を新幹線での中から眺めていた

品川を出るともう富士山の姿がくっきりと目の前に現れる。三島の駅を過ぎるまで富士山を見つめていた

富士山はだんだん雲の衣を頭にかぶったり、顔を覆ったりしながら、三島に近づくと肩のあたりを包んだ

そのとき相似形の長い裾野が実にのびやかに姿を現した、富士山はこの裾野が美しい姿をささえているのだなあ、と見とれていたら、富士山の胸に巻いた白い布の雲と雪を頂いた顔が「尼僧」に見えてきた

思わず手を合わせてしまったが、富士山の裸の姿も形が美しいが、衣を羽織った富士山の姿はさらに神々しい、静岡から着る富士山は女、山梨から見る富士山は男と聞いたことが在るが、それはすそ野の広がりの違いなのだろうなあ、と勝手に思いながら見えなくなった富士山を胸にしまった

 

そして我田引水よろしく「やっぱり衣だよな」とつぶやく

人の姿もこの富士山のように「衣」の表現一つでその人の内面が覗く

あの富士山の姿はまさしく「慈愛」の姿だ、裸の富士山からは感じられない女性性のエネルギーだった

 

そうすると「衣」とは自分の内面の表現が如実に現れてよしとするものだ

形を追うのではなくどう自分を表現するが「衣」の命、そういえば生意気盛りに、カーライルの「衣服の哲学」を読んで「衣服はその人の象徴である」という言葉が心に残ったので、衣をかなり重要視してきたけど、日本人は言葉の中に「衣食住」衣を先に入れていることにいまさら驚く

この三つは人に生きる基本だがその中で順位をつけていることが凄い

住のない都庁舎の路上で過ごしているおじさんたちも、やはり衣は第一に考えて過ごしているようだ

 

 

 

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病は自分が作る

2022年12月23日 08時02分39秒 | 日記

ここのところ体調がすぐれなかった

それは自分の体の器以上に動き回っていることと

自分の頭以上に頭を使っていることであることを認識している

 

もうかなり前から

走りながら病を治すということを実行をしている

それは

小食にする、今は朝食をやめているが、残りの二食を腹6分目にする

白湯をいつもより多く飲む(作り方は薬缶に水を入れ沸騰したら蓋を取り弱火で10分、そして熱いうちに飲む)

早寝遅起き 遅くとも10時には休む、朝は体が起きたいと思った時間に起きる

食事と食事の間は3時間は必ず空けて、その間お茶も飲まない、水やお湯は飲む

 

大体病は食べ過ぎで「腸」の使い過ぎから来ているので、絶食をするといいのだが、目の卑しいチャ子ちゃん先生はそれが出来ない

出来ないことをしようと考えるだけでストレスになり、病に落ちる。だから絶食は無理、でも一般的にはどんな病も絶食に勝る薬はないと思う。わかっているけど自分はできない。できないことを無理無理やればそれが病の原因になる

 

こうやって日々の生活に注意を向けていくと時間はかかるが確実に完治する。そして病の前より治癒能力が高まる

このやり方は野生動物の病の直し方と同じだ、彼らはもっと徹底している

 

野生化した公園の捨て猫たちが、猫同士の戦で傷をおったとき、草むらの中でじっと体を横たえて、飲まず食わずで数日を過ごし、自分で克服している姿を多く見た。彼らは「口が美しい」決していやなものは口にしないし、怪しいものも臭いを嗅いだだけで素通りする、どんなに空腹であってもだ

 

病気はまさしく気の病「氣」という字を「気」に替えられて、体の中から力が抜けて行った

この「氣」を意識するだけで、体中にエネルギーが満ちる。日本人にとって「米」はエネルギーのもとだった

敗戦後替えられた日本の漢字をもう一度見直すときが来たとも思う。そうすると変な病は退散するかも

 

自分の中にはなにもかも与えられた力がみなぎっている。その力を信頼することが病に罹らないコツかもしれないと、強く思う。名医は自分の中にいますよ

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前提概念?

2022年12月22日 09時31分17秒 | 日記

量子力学の中には「前提概念」という言葉があるらしい

それは

「金持ちになりたい」ということは、現在はお金がない

「恋人ほしい」は今恋人がいない

「痩せたい」現在太っている

「いい仕事が欲しい」よくない仕事をしている

「結婚したい」結婚できていない

「」内が前提概念という。これを常に思っていると願いはかなうどころか、ますます現実がひどくなるのだそうだ

それはその人の意識の中にある足りない部分が逆に協調されていくからだそうな

 

ではどうすればいい?

思いだけで現実は替えられる、というのが量子力学の真骨頂

「お金持ちになりたい」ではなく「私にはお金が必要」と言い聞かせることが大事。「お金持ちになる」と断定するもよし。「こうなりたいわ」という思いは永久に「夢子ちゃん」で終わってしまう

 

昔から否定的な言葉は使わないように、と親に言われて育った人も多いと思う

「出来ない」ではなく「やってみます」というように

「無理です」ではなく「しらべてみます」

「あの人嫌い」ではなく「ちょっと苦手かなあ」とか

 

言葉は言った人を縛っていくので、最も怖いものかもしれない

冬至は一陽来復新たな日々が始まる日、この日の決心は見事に叶う

冬至正月という時代もあった、自然の運行から見ると冬至の正月が自然のような気もする。これから太陽が輝きだし、世の中が明るくなっていく

 

こういう日にいろんな決心をするが「前提概念」だけは外したいね

ゆず湯でのんびり、どういう自分でいたいかを考える日だわ

銭湯は柚子がポカポカ浮いている、町内の人みんなで冬至を祝うというのも、日常に足がついている感じで落ち着く、銭湯文化も又善きかな

 

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着物が繋ぐもの 509

2022年12月21日 09時51分44秒 | 日記

イヤー驚いたのなんの

今着物を売るとするとタンス一棹200円だそうな、たまに5000円という

「絹」をこんなにさげすんでいいのか

「絹」の存在が日本の近代国家を作ったんだよ、と雄たけびしても、「だからなに?」というのが現実

 

着物を売ることばかりに努力して、自然素材がいかに人間の心と体を潤すものであるかを説いた呉服屋がどれだいたのだろうか

その業界という世界に身を置いていたチャ子ちゃん先生

あれよあれよと置いてきぼりされ、絹のすばらしさを説いたり、着物の形に添った下着の話をしても、ほとんどの方が耳を傾けなかった。どころかとにかく「売る」という目的に向かって、多くの人が突進していた

その結果がタンス一棹2000円

 

そのタンスの中には玉石あれど、2000万円は軽く超える金額ではないだろうか

一棹2000円の中の着物はどこに行っているかと言えば、多くは中国、そしてヨーロッパやアメリカ

彼らはインテリアに加工して日常で楽しんでいるし、素材も染もデザインも飛びぬけた芸術性があるので、引っ張りだこ

 

江戸時代4つの港から今のように絹の着物は方々に流れていた

その結果、洋服の花柄や、色遣いが参考にされ、着物の形がバスロープに変形されている。着物の影響力は今も昔も変わらぬ力を持っているようだ

 

まあそれもイイだろう

ということで日本の女は西洋のブランド洋服をありがたがっている

江戸時代と違い今はその芸術性の跡継ぎが絶えそうである

 

昔も古着屋で着物を購入する人は多かった、今と変わらないだろう

しかし金持ちや資産家は「新品」つまり趣をこらした工芸を注文し、其れに応える職人の育成に貢献していた。だから技術が絶えなかった

 

現在の金持ちは車や時計マンションなどの不動産に資産を投じている

社会貢献は日本の文化をなくさないことだと思うけどな

 

 

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破壊と創造

2022年12月20日 09時29分44秒 | 日記

いやなことや苦しい時が続くときは、次なる創造の時ね

栄枯盛衰、諸行無常

昔の人の言葉だけど、心に響く言葉、言いえて妙という言葉を、昔の方はその時その時に応じて、適切な言い表し方をする

えらいなあ

と思っていたけど、それはただ偉いのではなく、物事の推移をきちんと見ているからだと思える

自然を深く感じてるからこそ、また生きとし生けるものの命をきちんと見ているからこそ、その奥の深い所の「義」が理解できるのだろう

 

少し足を延ばして、広い空を見に行くと「人と自然」は強調し合って生きているということが理解できる

自然との協調をないがしろにし「人間が偉い」という立場に立つと「破壊」が始まる、それは宇宙法則の一つ

いま宇宙法則を取り返すべく、世界中で破壊が始まっている。破壊の後に必ず正しい秩序が生まれる、これも宇宙法則の一つ

広い空、満天の星を眺めていてつくづく自然との共存共栄こそが、人が幸せに生きる道だと確信した

 

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生まれ赤子になれ

2022年12月16日 09時24分25秒 | 日記

日月神事には「生まれ赤子になって考えよ」という言葉がよく出てくる

赤ちゃんはその存在だけで周囲に明るさを呼ぶ

電車には若いお母さんが生まれ赤子を乳母車に乗せて入ってくる

思わず手を振り笑顔を向けると必ず足をバタバタして歯のない口を大きく開けて喜びを全身で表してくれる

ほとんどのお母さんは、嬉しそうにチャ子ちゃん先生にお辞儀をする(一人での育児時間が多いからねさみしい)

たまに硬い顔をしてさっと去っていくお母さんがいるのだが、赤子は首をひんまげて振り返り私を見て笑う

きっとお母さんは、チャ子ちゃん先生がマスクをしていないので、敬遠するのだろう

でも赤子はそんなこと考えず、笑いには笑いを返してくれるのだ

 

生まれ赤子というのは、このように自分を認めてくれる人を全身で受け止める。そしてを喜びを体いっぱいで表してくれる

肩書を見てとか、綺麗だからとか、おやつをくれるからとか偉そうだからとかそんな思いは一切ない

自分を受け入れてくれていることがうれしい

こういう付き合い方が出来なくなるのが、物心ついてからだ

だまされたり、いじわるされたり、冷たい仕打ちを受けたり、言葉で傷つけられたりして、自分自身おも閉ざしていく

そして笑顔がなくなる

とくにいまマスクでお顔の半分が隠されているので、笑顔が町から消えている

先日あるセミナーに行ったが、その講師が

「笑顔がその人の潜在意識をくみ上げ、細胞を活性化させるので、潜在意識を使うのは笑顔が一番です」とマスク顔でお話しされていた

事程左様に大人は矛盾が多いけど

生まれ赤子には一切矛盾はなく細胞も生き生きしている

 

私たちみんなが経験した「生まれ赤子」

時々戻ってみるのもイイ

速くマスク外してみんな笑顔であいさつかわしたいね、世の中一気に明るくなる

 

 

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