常に着物を着ている人が洋服を着るとまるで印象が違ってしまう。という経験をよくした
着物を着続けるとご自分の体形のことをすっかり忘れると同時に洋服の選択を誤ってしまう人をよく見かけた
日本の女性は着物と洋服で自分自身の雰囲気を替えられて幸せだと思う
その幸せをもっと生かしてほしいとよく思っていた
また逆に
洋服ではあまり目立たない人が、着物を着たとたん「ご令室」になったり「ご令嬢」になったりする
更には「こんなに色っぽい人だったの?」という雰囲気をお持ちの人も出てきて着物の姿の面白さをひそかに味わっている。ご本人はあまり自覚に乏しいので、ほめてほめてほめまくる
日本の男性は心の中と別なことを言う癖があるので、いいなあと思ってもなかなかご婦人を誉めない
その点ヨーロッパやアメリカの男性は通りすがりに「トレビアン」とか「グレート」「エレガンス」などの言葉を投、振り向くとウインクする。そういうことが出来ない日本の男性は日本の女性をきれいにする努力を怠っていると思う。だからチャ子ちゃん先生日本男児に成り代わり褒めまくることにしている
さて着物から洋服になったときの洋服の選び方、独断と偏見ではあるが、ドッレシーにするかスポーテイーにすると洋服のあなたの良さ、着物のあなたの良さが現れる
お洒落には作法がある
女がおしゃれを忘れたらもう社会に顔出さない方がいいとさえ私は思う
高齢になった二人の「男と女」の映画にあるようにしわを無理やりのばすより、自分自身の心の豊かさ、経験に培われた優雅さを表に出すのが美しい、そして言葉の優しさ
荒い態度心のこもっていない言葉はどれだけ人を傷付けるか、着物を着ているときはかろうじてそういう態度を隠す気持ちがあっても、洋服になったとたん「素」の自分になってしまう。ということはやはりいつも「素」を磨いておかなければならない。みんながその人の場所で「居心地がいい」と思えることが、社会の豊かさになっていくーーとチャ子ちゃん先生は思う
年齢とともに自分自身の欠点や至らなさを指摘する人が少なくなる。幼いころの母の叱咤や友人たちから受けた苦い指摘、上司や夫から発しられる真実の欠点、そういうものを時々思い出すのも着物を着たときの立ち居振る舞いに役立つ
そして自分自身を自分でほめたたえることが最も必要
だってこの私はこの世でたった一人しかいないのですものね、しかも死ぬまで付き合っていくのですもの、いい仲になっていたいものですわ