ここのところ
「そこまでするの?」
という方々に合う
ある染色家、パーていに御呼ばれし、その作家もいらっしゃるので
「あの帯締めていきます」
と電話をしたら
「絶対やめてほしい」
という。理由は発展途上中の作品なので自分の中ではもう封印したいと
「とても気に入っているのだけど」
「わかります。あの帯を注文していただき手掛けたことで、私の作風も広がりました。でもあれはやめてほしい。先生は舞台でご挨拶なさるんですよね、今すぐ現代の帯を送りますので、それと交換してください」
ここまで言われれば締めたいという思いを引っ込めるしかない
送られてきた帯は確かに完成度は高い。しかし私は封印する帯の方が好きだ
とあったとき話したら
「わかります。でも私の中では封印です」
「そこまでなさらなくても、いい帯だと思う」
この後も会話は続くが、ご自分の中での問題なのでこれ以上は突っ込めない
翻って私自身の本も作品なので封印したいものがあるかといえば、ない。むしろ昔書いた本の方が文章はうまいし、取材が丁寧。これって退化していることなんかな?
日々研磨している人のものは、発展途上の作品が目に留まると封印したくなるのだろうか
昨日もある染色家、反物を購入しようとしているお客さんのそばで
「ちょっとまって、それ自信作ではないので、もう少し手を入れるから購入は待って」
などと言っている現場に居合わせた
その染色家は時々自分の過去の作品をひっくり返してみて、新たに新しい手法で染めかえたりしている
「一生気に入る作品ってないんじゃあないの?」
あの有名な「ガレ」も最後の最後まで自分の作品に手を入れていて、一般的な商品は割り切って目をつむっていたらしい
「商品と作品」の境目でモノづくりの人は悩むのだ