チャコちゃん先生のつれづれ日記

きものエッセイスト 中谷比佐子の私的日記

自分の仕事に誇りを持つ

2024年07月27日 08時20分19秒 | 日記
ここのところ
「そこまでするの?」
という方々に合う

ある染色家、パーていに御呼ばれし、その作家もいらっしゃるので
「あの帯締めていきます」
と電話をしたら
「絶対やめてほしい」
という。理由は発展途上中の作品なので自分の中ではもう封印したいと
「とても気に入っているのだけど」
「わかります。あの帯を注文していただき手掛けたことで、私の作風も広がりました。でもあれはやめてほしい。先生は舞台でご挨拶なさるんですよね、今すぐ現代の帯を送りますので、それと交換してください」
ここまで言われれば締めたいという思いを引っ込めるしかない

送られてきた帯は確かに完成度は高い。しかし私は封印する帯の方が好きだ
とあったとき話したら
「わかります。でも私の中では封印です」
「そこまでなさらなくても、いい帯だと思う」
この後も会話は続くが、ご自分の中での問題なのでこれ以上は突っ込めない

翻って私自身の本も作品なので封印したいものがあるかといえば、ない。むしろ昔書いた本の方が文章はうまいし、取材が丁寧。これって退化していることなんかな?
日々研磨している人のものは、発展途上の作品が目に留まると封印したくなるのだろうか

昨日もある染色家、反物を購入しようとしているお客さんのそばで
「ちょっとまって、それ自信作ではないので、もう少し手を入れるから購入は待って」
などと言っている現場に居合わせた

その染色家は時々自分の過去の作品をひっくり返してみて、新たに新しい手法で染めかえたりしている
「一生気に入る作品ってないんじゃあないの?」

あの有名な「ガレ」も最後の最後まで自分の作品に手を入れていて、一般的な商品は割り切って目をつむっていたらしい
「商品と作品」の境目でモノづくりの人は悩むのだ

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魂を磨く

2024年07月25日 12時08分37秒 | 日記
「私のテーマは魂を磨くなのよ」
と高校生のときに兄に告げたら
「その前に自分の部屋片づけろ」

よく母に言われていた
「兄さんの部屋はきれいに整理整頓されている」
翻って「お前の部屋はーー」とは言わないのが母のやりかた
比べられているのだけど、あからさまに言わず自分で悟る方法を模索させる

その後社会にでも男の方が整理整頓が上手、編集部というのは机にいろんなものが積み重ねられているが、総じて男の人の机は片付いている
引き出しも中身が整理されていている

だからといって男の方が魂が磨かれているとも思えない
身の回りを整理整頓できない人が「魂を磨く」なんてちゃんちゃらおかしいといわれた少女時代
でも自分の中では魂を磨くことと身の回りを整理整頓することは連動している

整理整頓ができるようになり、いよいよ自分の魂を磨く作業が始まった
それは人はどこから来てどこへ行くかだ
人を作ったのは誰なのか?
何のために生きているのか?
どう生きるのがいいのか
宇宙と人の関わりは?
なぜ日本人として生まれたのだろう?

こういうことを考えたり学んだりいていくと、究極は、毎日の過ごし方を丁寧に、今この瞬間をさらに丁寧にという生き方が魂を磨く最短距離だとわかった

まず自分に対して、人に対して、動物や生きものに対して、モノに対してーーそして一番大事なのは「言葉」日本語の言葉のエネルギーの強さは半端ではない
母が白黒つけず、あいまいな言葉を使いながらも子供を諭していたことが、今では理解できる

日本人の多くは「魂を磨く」ということを日常の目標にしていたのではないだろうか?だから深い文化性を持つ民族が存在しているのだろう


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湯文字効果 2

2024年07月24日 09時25分55秒 | 日記
コロナ騒動の時にわが社から独立したSさんは「湯文字」をつけるようになってヒップが7センチ縮んだそうだ
初めて当社に現れた時は、スピードスケーターだったとかで、ヒップが張っていた、三角形の体つきだ,腿も太い、着物を着ると裾広がりの姿になる
でもチャ子ちゃん先生は動じない、ヒップは湯文字で整うことを知っているから

そして5年見事に整った
ま時間はかかるしかしそれ以上にきもの姿が美しくなれば良しとしなければ
Sさんは、いくつかの仕事の遍歴があって、この湯文字に魅せられ「比佐子流」の着方を広めてくれている

「比佐子流」には湯文字のほかに、裾除けの「力布」も体を整える武器、更には胸元を整える「胸当て」、これは乳がんを患った友人のために考案したのだが、それがなんと襟を常に安定する役目をしている。その胸元をさらに美しく保つ「胸紐」、そしてこれも優れモノの「帯板締め」、もっと自慢はやや横に長めの「帯枕」、芯に赤松の粉末を入れて通気性を促している
それらはすべて絹で作っている

湯文字から始まったきものの下着一式だ
そして半襟の付け方も自慢ができる、ふっくらと優しい首回りだから、顔の表情が柔らかくなる

過去20年間毎日着物を着ていたとき、最も楽でしかも健康にもよく、更に着姿が美しく見えるものはないかと考案したものだ
基本の考えは
体に優しく
自然素材
動きやすい
手入れ簡単 絹は頻繁に洗う必要がない
10時間以上着ていても疲れない、苦しくない
どんな体形の方でもすっきり見える

湯文字を付けることで会得する「肩甲骨」の動かし方は、肩凝り、腰痛、便秘気味の方たちの救い主
骨の動きが柔らかくなれば免疫も上がりますわな

本日のチャコちゅうぶ湯文字とひっさこ流着付けについての話にしようかと思う。20時から


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三分でびしょ濡れ

2024年07月23日 08時27分17秒 | 日記
昨日地下鉄の駅を出たら公園の空に稲光、そして伴奏のようにゴロっゴロゴロと耳をつんざくような雷様。急がねば、ビルの谷間で休憩するところがない
走るような急ぎ足でチャ子ちゃん先生の住むビルが見えるところまで進んだら、なんと急に大粒の雨、しかも赤信号、逃げられない
遠回りでもいいからと空車を探すがこない。この赤信号幹線道路についているので、長いのだ。もうその間にびっしょり濡れる
見る間に道路は運河状態、羽が欲しい、あそこに見えてるビルだよ、翼よつばさ
そうだ裾をからげ、草履を脱ぎ青信号になるまでの準備をしよう
青になった!急げ――
走る走る

傘もさしているが日傘だ、それでも上半身はカバーできる。しかしその傘は風にあおられて役立たず、二本足遣って走るしかない、文楽人形だな

ひゃーやっとビルに入り濡れたものを脱ぎ捨て形だけは整えてほす

さて朝を迎えたらきものも帯もすまし顔
縮んでもいなければ、後ばねも上がっていない。「絹ってえらいね」と言いながらアイロンをかけ休んでもらう

こういう体験も絹のすごさを知ることになるために起きたことと納得。三分だぜ、たったの三分でこのドラマを演じる身にもなってくれ、しかしすごい、改めて絹の強さに感謝

考えたら糸からきものになるまで、絹と水は切っても切れない関係の中で練り上げていっている、水を恐れないのも当たり前なのかと思う。いい育ちをしているよ君は

日傘ではなく晴雨兼用の骨のしっかりした傘を持つべきだと反省。それにしても都会は雨宿りもできない建築状態なのだ、建物のひさしはこういう緊急のためにもあったのだと、人にやさしい昔の建築を懐かしむ。
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湯文字の効用 1

2024年07月22日 09時50分02秒 | 日記
湯文字は日本最古の下着
文明開化と一緒に日本に西洋式パンツが輸入され、洋装に走った日本女性はパンツをはいた
しかしその形に抵抗した女性も多く日本中の女性がパンツをはくようになったのはアの敗戦以来だ
それでも明治生まれの母たちの年代は洋服の下にも湯文字を付けていた
母は真夏に「アッパパ」と呼ばれるワンピースを家で着ることもあったが、その裾から湯文字がちらりと見えていたりして「みっともない」と姉たちに叱られていたのを覚えている。ひどいときにはそのアッパパに足袋を履いていたりして、あまりの不評に耐えかねて、母はまたきもの姿に戻った

その時ちらりと見えていた下着が湯文字なのだが、きものを着るようになったチャ子ちゃん先生が、その湯文字を付けるのには少し時間がかかる
当時は湯文字という名ではなく「おこし」と呼んでいた

その形状は力布が肚の周りにきて膝までの長さの布が腰全体を覆う
誰がこの形を考え出したのかはわからないけど、心してその「おこし」を身に着けながら過去を探ると、浮世絵や絵物語にその形状が登場する

早速次姉に縫ってもらい真面目に身に着けると、一気に背筋が伸び足が長くなったような気がする。つけただけで腰回りがすっきり。これはすごいやと湯文字生活をした先輩たちを集めて座談会を開いた

何と驚くなかれこの湯文字を付けているだけで、生理のセンサーが鋭敏になり尿意を感じると同じように、しゅけつを感じるので厠に行って流す。だから衣類を汚すなんてことはない

「えええー」と驚嘆

それだけではなく、自分自身の体の変調がいち早くわかるようになり、心の整え方もできるようになる
日本の女が賢かったのは自分自身がわかるので、人も理解できるということだ

湯文字一枚で人生観も変わる、現実に変わった人も多い

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米寿

2024年07月18日 09時02分21秒 | 日記
還暦 赤 60歳
古希 橙 70歳
喜寿 黄 77歳
傘寿 緑 80歳
米寿 金 88歳
卒寿 紫 90歳
百寿 白 100歳

こういう色を決めてお祝いをしていた時代があった。まとめて「長寿の祝い」
長く生きることがめでたいという考え方があった
それは老人は体験と経験を積んで「智慧」を身に着けていたからだ

分からないことがあると年配者に相談すると大体解決したし、励まされて元気になった。どの家にも老人がいることが家の重しになり重宝していた
それが日本の家族の姿でもあった
年を重ねることで尊敬を受けていたのだ。また尊敬や憧れを受けるだけの精進もしていたと思う

中野裕弓さんと中谷比佐子の共著を編纂していた時、私はたびたび彼女の住むワシントンDCに行っていた。その時ニューヨークとワシントンDCの間にあるランカスターの「アーミッシュ」という16世紀其のままの生活をしている村に行って宿泊もした

そこでは長老の智慧が人々の教育の基準になっていて、その長老たちの生活の知恵に全く間違いがないことを信じて生活が成り立っていた
人としての美しさに私たちは心の底から感動したものだ

戦後生まれの裕弓さんと戦前生まれのチャ子ちゃん先生は、日本の長老たちの暮らしぶりや若い世代との接触の仕方などについて、異なる感慨を持ちながら
もアーミッシュで暮らす人たちに惹かれていった
私はそこに父母たちが育った村の長老たちの姿を重ねていた
彼らは「いま」の自分の位置をしっかり把握してすべてを俯瞰して観ている人としての大きさがあった
年を重ねるということは「そういうこと」なのだと

そしてチャ子ちゃん先生は今日「米寿」を迎えた


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神のご加護

2024年07月17日 08時00分03秒 | 日記
「神を信じない」
という方結構いる それはそれでいいと思う
でも
「見えない力」
というのは確実にある

今回のトランプ暗殺未遂もそう。演説中ちょっと国旗に顔を傾けたら、銃弾がそれて耳をかすめ、軽傷で済んだ(スロー-ビデオみるとよくわかる)
何か気になって国旗を見た、そういうちょっとしたことに素直に従っていると物事というのは「うまくいく」感じがする

ところでアメリカって国はスーパーの自動販売機で銃弾を買える州があるらしいね、こわっ!

自分の意思より神の意思に従った方が物事はすいすい運ぶのだが、人間は「自我」が強いのでなかなかそうはいかない
これを「顕在意識」と「潜在意識」に分けて説明するとよく理解できるとして多くの方が、潜在意識の使い方という研究をしていらっしゃる

意識そのものを100%ととすると、私たちは15%くらいしか活用していないそうだ。潜在意識の大半を使わないまま一生を終えてしまうなんてなんともったいない

この潜在意識に「神宿る」という、私たちに与えられている「直感」という意識、これをもっと磨くといいんだね
その磨き方は「自我」を抑えるということなのかなと思う

「行きたくないな」と思ってその思いを尊重すると、事故を免れたとか、こういうことをもっと知りたいなあと思ったら、ふと付けたテレビでその解説をしていた、などミラクルなことが多いのも人の日常

そのミラクルに順応していると、自然にいい方向にしか歩まない
つまりは「生きる」ということは「流れ」にどれだけ身を任せることができるか、おおいなる「神仕組み」に身を委ねる事ができるかにかかっている。それができる人は「信仰」持っている人に多い気がする

今日の「チャコちゅうぶ」はミトコンドリアへの信仰が生んだ「ラドンカプセル」のところから発信 20時から

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失敗は「気づき」の始まり

2024年07月16日 08時22分45秒 | 日記
失敗は成功の基とか、昔有名野球選手が放った、失敗は成功の母などという言葉があるが、最近チャ子ちゃん先生は
「失敗って気付きを与えてくれるのよね」
と思う
多くの失敗を重ねて今日まで生きてきたけど
「あの失敗があるから今がある」
という思いが年々強くなっている

失敗の多くは、いえ全部が自分自身の思い込みから発する。自分自身の頑固さとかこだわり、自信のなさ、独りよがり、依頼心、自己中心的、見栄、孤独さなどなどその時のその人に押し寄せているいろんなネガテイブな思いから来ていることが多い
だからこそ自分自身を省みることができ、修正可能なのだと思う
「その道ではないよ」
という修正のチャンスが失敗という形をとる

同じ失敗をするときは、せっかくの修正のチャンスを見逃しているとき
失敗を人のせいにいしていると、同じ失敗を何度もして
「まだきづかないの?」
しかもその失敗が大きくなっていく
取り返しのつかに失敗をして初めて気づくということもある

しかしその失敗さえ「気づきの道」ととらえれば解決方法もあり、更に進化さえできてしまう
失敗を恐れず、前に進む人こそ幸せな生き方を自分のものにできていく

失敗を怖がる必要は全くなく、失敗をする人はアクテイブに生きているからだと思う。トップを走っていれば風当たりも強い、その分景色も違うし、受け取る容量も大きい、未知の世界を走るので失敗は当たり前

失敗を繰り返さないために、工夫を重ねる、工夫ということは物事をいろんな方向から眺め、試してみることなのでそこに気づきが生まれる

人生って「体験」を多くした人が自分の人生に満足感を覚えるのではないだろうか、体験を重ねれば失敗も多くなる、ということは気づきも増える。生きていることが芸術だわ
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私は友達を美しくしたいの!

2024年07月13日 09時53分00秒 | 日記
川邉サチコは
「私は未来を語りたい」
中谷比佐子は
「私は過去を知って未来を語りたい」
二人の未来は微妙に交差する
しかし40年以上の付き合いが続いている
お互いに表で仕事をしながらも違う業界にいたので、認識しあうのはかなり後になった

仕事を共にするようになったのはお互いに50代になってから
美を作り上げていく手早さと価値観が全く同じで気が合った。時間ができるとサチコさんの運転ではいろんなところに旅をして回った

その都度物議をかますのがサチコさん。それを面白がって見守っているのが比佐子さん。という感じで娘のちがやちゃんに言わせると
「二人は迷コンビ、二人の会話にはついていけません」

人生の半分を同時に過ごしているが、前のお互いの半分を最近はよく話題にする。東京育ちのサチコさんと大分育ちの比佐子さん、長女と末っ子
それぞれの環境での育ち方の違いが、ものの考え方対処の仕方に現れる
それをまたお互いが受け入れて「ほうー」と学ぶが、ジャッジはしない

サチコさんは日本中の大人の女をきれいにしたいという野望?を持っている。そして今の自分の立場で実行をしている
だからまず手始めに「比佐子さんをいつもきれいにする」というミッションを持っているのだが、この比佐子さんがなかなかそのサチコさんの思いを形にしない

戦前生まれの女は、自分でやれることは自分でする、という習癖を持っているので、人に頼ることができない、自分勝手にヘアーメイクをしているが、サチコさんは
「私が生きている限り比佐子さんをきれいにしたいのよ」
と言って叱咤する
ありがたい、でも遠慮するという思いが強く出る昭和の女
ややこしい気遣いがありながらもいろんなことを語り合って今日まで来た
昨夜は意を決して行ってきれいにしてもらった
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世の中は不条理?

2024年07月12日 09時49分13秒 | 日記
自分の思い通りにならないのは世の常
その「自分の思い」に固執していると世の中ますます不条理になる
他人の決めた「正道」は果たしてあなたにとって「楽しい道?」
愉しくなくても「正道」を歩むのがそれが世を生きる大人の姿と人はいう
1)愉しくないから正道から遠ざかろう
2)正道を歩む中で楽しさを見つけよう
3決められた正道を歩んでいれば間違いない
どちらの道を行く?

3)の人が多いと思う、というより選択肢がそういう道に行くようにできているのが今の世の中
世間と違ったことをすれば変人奇人反逆者と言われ正当な評価が与えられない
テレビに出たりマスコミが取り上げる人は正道を生きている人だと人々は思う

自分の一生を人に左右されるなんてこんなつまらないことはない
と思って自分の道を切り開くのも大変な労力がいる。それが敗戦から続いた日本という国の現状

その現状がここにきて変わってきている。まさに混とんとした世の中で、不条理に思えることだらけ
でも真実はシンプルなのでいづれシンプルで、自分の思いがしっかり形になる日が来る
だから自分の自身をしっかり認識して置かねばならない

何したいの?
どう生きたいの?
どんな自分になりたいの?
ノートにしっかり描いてみる必要があるかも
というのは信じられないことが今現実に次々に起きているから

世の中において価値ある人間って、誰が決めている?大体利権に忠実な人が価値ある人になっている

自分の価値は自分が決める、そうすると世の中を自分が作るのだから、世の中は不条理ではなくなる

日々楽しい道が開けているよ



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