チャコちゃん先生のつれづれ日記

きものエッセイスト 中谷比佐子の私的日記

はっちゃんとお日様

2014年04月27日 09時08分54秒 | 日記
はっちゃんは
「ハチ公物語」という映画が上映されたとき誕生したぬいぐるみ
愛らしい

秋桜舎にいらっしゃるお姉さん達にこよなく愛されている
みんなだっこしてかわいがっている

このぬいぐるみを創った人は
きっと愛情豊かな人に違いないといつも思う
みんながだっこしているときのはっちゃんの目が優しい

静物としてのぬいぐるみも色んな波動を出すことが解る

スカイガーデンの緑が気持ちが良いので
其の薔薇の木にはっちゃんをのせた
まるでお日様とお話ししているような雰囲気のようになって居た

そこにカラスがやってきて
はっちゃんを視た途端
「がーうを」
といつもと違う鳴き声「あんただーれ」とでも聞いているみたいだ
「がーーーお」
かーかーカート鳴かないカラスに人間の方が戸惑う

我が物顔に来ていた鳩も近くまで飛んできてUたーん
スカイガーデンは
はっちゃんとお日様and植物たちの語り合いの場になったようだ

暫く其の雰囲気を保って
「では草取りをさせていただきます」
とことわっているチャコちゃん先生

長閑な日曜日
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落としちゃった!

2014年04月26日 10時03分49秒 | 日記
カード入れを落とした
慌てていた
あるところへ絶対行きたいと思った
ひたすらそのことだけを考えていた

事務所を出るとき
別の誘いがメールできていた
一瞬そちらに心が動いた
お世話になっている人の誘いだし
更に其の周りの人たちも今後のチャコちゃん先生の人生を豊かにしていただけそうな人ばかり

しかしあるところに行こうと思った
途中紙袋の底が破れ中身がバスの中で散乱した
中身をショールに包んでいるとき一瞬疑念がわいた
行くべきではないーーと

しかし一途に行こうと行動した
改札口でタッチしカードケースをバックに入れた
ショールに包んだ包みを胸に抱え
目的の駅についてカードを取り出そうとしたら

ない

バックの中身を全部出して点検したけど

ない

ここでもう一度そこへ行きたいか
あのお誘いの場所に直行しようか
3分考えた
それでもあるところに行こうと行動をした

この「我」を通した結果は
カード以上のものを失った
しかしそれはまた新しい始まりでもあった

カード入れは15年愛用しているエルメスのカード入れ
中身はチャージしたばかりのパスモ

「我」の行く末を教えてくれたカード入れであった
ありがとう、愛してます
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ルーキー

2014年04月25日 09時38分23秒 | 日記
昨日は久し振りの野球観戦
神宮球場ではボックスシートが在り
そこを用意して下さったお仲間五人と楽しくすごする

この秋結婚予定のお二人は
会社早退で鯛飯やおかず数種更に日本酒などを用意し振る舞ってくれた
もう一組ののご夫妻とチャコちゃん先生がキューピットになったのだから
この接待は当然!
と飲み食らう

ところでヤクルトのホームグランドであるはずなのに
なんと倍の人数が外や内野を真っ赤に埋め尽くしている
スゴイね

カープの先発はルーキーの大瀬羅大地
実に小気味良い投球
玉は常に低めに入っているが
たまに高めに行くと好い打者にはばしっと捉えられていた
しかし8回まで2失点
カープの方は9点ももぎ取っている

ランナーが一塁三塁に出ていたところで
打順はピッチャー
ここで交代かと思いきやピッチャー交代せずそのまま打席へ何とヒットを打って
その前にホームランで一点取られたのを自ら取り戻していた
たいしたルーキー

ところがその後点数が開き8回まで簡単に打者を打ち取っていて完投間違いなしと喜んでいたら
なんと抑えの投手が出てきた

「カープの監督は何考えてるのかしら、完投させるべきよ」
と大声で抗議するチャコちゃん先生
それに同調する大人のカップル
ところが
「ああーオールドフアンの考え方ですよ」
と若いカップル
フアンもぶーぶーいわない

つまり何はともあれ「勝つ」「手堅く勝つ」ことが今のプロ野球なのだそうだ
個人の記録よりチームの勝率
そういう時代なのだと教えられた
ふーーん
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衣ずれの音

2014年04月24日 09時15分58秒 | 日記
チャコちゃん先生は病院は苦手
できるだけお見舞いに行かないようにしている
冷たいと思われるかもしれないが
弱っているその人のお顔を見るのが辛い
外科の場合はまだしも

先日長く患っている方のお見舞いにちょっと遠くまで出かけた
というのはその方の奥様から
「主人が比佐子さんに会いたがってるの」
と言うご連絡をいただいたから

病院ではなくご自宅に帰っておられた
病室に上がる
できるだけ音を立てないようにと静かに廊下を歩き
顔を出すと
「好いねえ衣擦れの音」
第一声
心が静まっていくようだと
身動きする度にでる絹の音にじっと目をつぶって聞き入る

「こう言う音を日本人は忘れていくのかもしれないね」

チャコちゃん先生が着物の仕事をし始めた頃
着物姿の美しい人のいる場所へと連れ回って下さった恩人のお一人
芸者であったり舞踊家であったり
当時はホントウに美しい女人たちがアチコチにいて
其の所作を学ばせていただいていたのだ

「比佐子さんあんたがきちんと伝えなければね」
「ハイ」
「デモ良く続けてもらっていて嬉しい今日はあんたの衣擦れの音が聞けて満足」

目を閉じられたので
また廊下を静かに歩いて奥様に入れていただいたお茶をいただきながら
お世話になった当時のお話しをアレコレさせていただいた
たぶん最後のお別れになるのだろう
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ホントウの自分は何でも知っている

2014年04月20日 10時12分51秒 | 日記
あの人にも尽くした
あれにも充分なことをした
人を裏切ることはしてこなかった
いつも自分より先に相手のことを思ってきた
色々と面倒を見てあげた
みんな喜んでくれたし自分のことを頼りにしてくれている
関わった人に無礼はしていない
自分の幼少のときと重ね合わせ不幸にならないように血は繋がっていないけど導いてもきた
向こうもとても頼りし好きという気持ちを表してくれる

「偉いわね」
「だけどここまでヤッタのにと言う満足感がなくて何だかとても寂しい」
「自分自身のホントウの自分を愛してないからよ」
「エッホントウの自分ってナーニ」
「人に見える表側の自分ともともとずーーーーと一緒に過ごしている自分自身」
「潜在意識と云うこと?」
「まそう言う理解でもいいわね

表側の自分は人のためと言う行動に走り其れがドンドン肥大していく
しかし置いてけぼりのホントウの自分は
相手にされずに静かに寂しくまっている
「いつ私に気が付いてくれるのかしら」ーーーと

赤ちゃんの時は表もうちも一緒だったのに
大きくなるにつれて表だけが外に向かって大きく拡がっていっく
内側の方には宇宙からの直接の情報が入ってくるのに
其れを無視し否定の感情だけを詰め込んでいく」
「あまた失敗しちゃった」
「馬鹿なことをしてるな」などなど

「あなた自身を見つめてかわいがってあげて?ね、其れから人に手をさしのべたら?」
「そうか、そういうことが自己中心的と思って避けてきたけど」
「自分をあまやかすことと、ホントウの自分を大切にすることは全く違うと思うわ」

時々偉そうなチャコちゃん先生
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布が笑って居る

2014年04月18日 09時10分33秒 | 日記
たまたま骨董屋さんに行ったとき
美しい打ち掛けが店の隅に丸められていて
布の悲鳴を聞いた気がして思わず購入した
其れがきっかけで布集めを始めた伊藤あきらさん
元々はミュージシャンでヨーロッパでの活躍が中心だった方
其れもあって
日本の芸術文化を俯瞰して眺められる方

奥様の朱さんは手工芸の達人
其の布をどう生かすかを考え
どんな小さな布きれでも活用できるタペストリーを製作

今から3年前チャコちゃん先生は其の作品を初めて見て
思わずつぶやいた言葉が
「布が笑って居るわ」

その言葉は伊藤夫妻の魂に届き
それ以来尊敬し合っている

作品もたまり其れをチャコちゃん先生に見てほしいなと思っているとき
粋人の隆さんが
「チャコネーさん一日黙ってボクにつきあってくれませんか?」
「解ったわ」
と言って車に乗せられていったところが
懐かしい、お会いしたいと心にいつも願望があった伊藤家

途中で気が付いたけど嬉しくて嬉しくてーー
朱さんはこの日のためにときものを着て待っていて下さるし
あきらさんは美味しい山菜の天ぷらやタケノコご飯その他沢山の料理をつくってくださって
大宴会

其れよりも何よりも
新しい作品では布が誇り高く輝いていた
「布を製作した人たちの喜びのざわめきにはいったみたい」
と言うのがチャコちゃん先生の感想

近いうちにデパートでの個展が決まりそう
よかった!
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着物は己を「無」にしてくれる

2014年04月17日 09時26分29秒 | 日記
下着を着けていよいよ着物を着始めても
内観は終わらない
自分自身の呼吸と身体の動きを見極める動作は
自分をしっかり見つめていないとできない

空気を上手に取り込みながら
紐や帯を結ぶ
この空気を入れることで
夏は涼しく冬暖かい

空気と自分の呼吸が合っているとき
着物は自ら身体に沿ってくれる

やがて着物を脱いでたたむときも内観できる
脱いだ着物は暫く空気と話し合ってもらい
人の体温をきれいにぬぐい去ってくれる

そのうち着物をたたむ動作に入るのだが
たたむときは空気をしっかり飛ばしたたたみ方
縫い目縫い目を合わせ空気を逃がしながらたたむと言う動作は
自分の手と着物とのスキンシップだ

そしてきちんと折りたためば
余分なシワも自然に伸びていく
たたむとき
今日の様々な記憶も一緒に消していく
そうすることで自分自身が「無」になっていく

「無」になるとどうなるか
自分自身の直感が豊富になり日々が楽しい

半衿つけからたたむ作業の中で
いつも着物に色々と助けられていると思う

こう言う衣類を残してくれた先人たちに
感謝感謝
感謝だけではなくしっかりと繋いで行きたい
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着物内観のツール

2014年04月16日 09時15分25秒 | 日記
長襦袢に半衿を付ける
そのことに集中しないと針で指を指す
慌てていても針は思うように運べない
その上半衿がだぶつき着た後衿がぶかぶかして気持ちが悪い
一日中衿元ばかりに気を遣う

肚に気を入れ自分が今ナニヲしているのか確認する必要がある
これはほとんど瞑想の世界だ

足袋をはく
そのときの足の状態で自分のその日の健康状態が解る
むくんでいる日はこはぜがきついと思う
きっとそう言う日は何か頭に残っていることがある
其れを先に見つけて消しさえすれば足のむくみは取れる

湯文字を着ける
呼吸を詰めて巻き付ける
其れが一気にできるときは身体の調子が良い
精神的にも落ち着いていないと一気に締まらない

湯文字の上から裾よけを着ける
湯文字をカバーするので優しさが嬉しい
裾よけはおかあさんのように優しい

胸当てをする胸元をいつも安定させる
肌襦袢の上に胸当てでもいい

長襦袢を羽織る
衿合わせに鎖骨の登場
自分の鎖骨の形を知る事は全体の骨を理解することになる
人によって微妙に違うのも
人は皆同じではないという気づきになる

胸紐をする
紐を締め終わった後ちょっとみぞおち部分を下げる
この動作が呼吸を楽にさせてくれる
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お宅は着付け道具を売るんですか?

2014年04月15日 09時42分10秒 | 日記
ええ
確かに着付けの道具を売っている
其れを道具というのはその物達に失礼に当たる

着付けには
「着付け方を合理的に簡単に」
「着付けの手順を少なく省いて簡単に」
「着付けた後着崩れないような着方」
「品よく着付ける」
「着ていて気持ちが良い着付け」
「動きやすく食事も無理なく取れる着付け」
「楽でいつまでも着ていたいきつけ」

どれを目標にするかは個人の選択

チャコちゃん先生は20年間365日きものを着続けて感じた事がある
それは
「身体が喜ぶ着付け」
この感覚を軸にしている

そのためには先ず自然素材を直接肌に付ける
素肌が喜ぶと身体の内蔵や血液までもが狂喜乱舞する
さらに
年齢と共に増える贅肉を上手に「補整」として使う
そのために「湯文字」や「胸当て」「裾よけ」に小さな工夫をしている
これらは付け方にコツがあって
そのとき自分自身の身体の声を聞くことになる

立派な自然素材のきものを着るのだもの
紐や伊達締めも自然素材にしたい
その上肝心なのは
長襦袢の紐きものの紐の太さを変えることで着崩れは防げるし
簡単に着方を覚えられる

帯板を使わないで済むにはどうしたら良いかを考えたら
伊達締めの仕立て方に工夫をすればよいと言うことが分かった

こう言う話をすると皆さんやはり使ってみたいと思う
チャコちゃん先生も40年の試行錯誤があるので自信を持って薦めたい

けっして「道具」を売りつけてはいないのだけどーーー
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フジコ・ヘミング

2014年04月14日 11時37分18秒 | 日記
久し振りにフジコ・ヘミングのピアノソロを聴きに行った
なんと
チャコちゃん先生は一気に瞑想状態に入ってしまった
居眠りではない念のため
この感じは
文楽の太夫の住太夫さんの時に起きる現象と似ている

驚きましたね
音楽評論家ではないチャコちゃん先生
彼女のもう完璧に自分の音楽にした演奏には
いい悪いを通り越し
なるほど解釈というのはこれでいいのかと思った

先日浅田真央ちゃんに感じた「ありがたさ」とどこか似ている感じがする

作曲者は一人だけど
その曲をどう表現するかは千差万別
そして聞く方も自分の感性に合う人の演奏を良しと思う
不特定多数がよいといえばその人が名人となる

自分自身だけが「いいなあ」と思うことが一番大事
何事につけてもそうなのだ
ソシテそのことを経験している「今」が更に大切
だって自分の選択だから

フジコ・ヘミングは今までと違う世界の音の中にいる気がした

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