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チャコちゃん先生のつれづれ日記

きものエッセイスト 中谷比佐子の私的日記

トランプ革命 1

2025年03月28日 10時38分17秒 | 日記
トランプ革命で見えることは
自分がこの地球に降りてきた目的を考えそれを鮮明にして次に進む
ということを教えてくれる
トランプチームがやっていることは
まさしく「嘘」で塗り固められた厚い壁をはがしていく作業でもある

嘘つきは泥棒の始まり
日本の子供たちは親にこの言葉を聞かされて育った
嘘をついて自分を正当化し
嘘をついて自分に従わせる人を作っていく
嘘をついて自分を聖人に見せる
こういうことを一番嫌っていたのが日本人だった

巧妙な嘘は頭のいい人にしかできない
それで「正直者は馬鹿を見る」ということだった

大衆時代劇を見ていると「悪代官」が自分の私利私欲のために権力をかさに着て人をたぶらかし、悪徳商人を太らせる
しかし日本人はそれを正しい道に成敗していく
だから正直に生きていくことが「善」だと教えられる

この敗戦後80年の日本は「金と権力」がすべての王者であった
お金になびく人のなんと多いこと
お金で相手を従わせる
もうすでにお金のある人には恐怖で従わせる
金も恐怖にも屈しない人には権力で従わせる

心の優しい日本人は
「このお金で可哀そうな国々を救います」
という募金活動にこぞって参画する
しかし募金の清いお金は戦争用の武器購入に充てられてきた

こういうことが毎日明るみに出ているが
白内障にかかっている人たちの目には何も見えない
耳の遠い人には真実は届かない

トランプ革命は私たちを「真の人間」にしてくれている
それにしても、トランプチームの人々の若さと行動力そして真実から目を背けない強靭な精神力 すごい‼

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桜梅桃李

2025年03月26日 09時12分33秒 | 日記
この季節は次々花が咲く
季節の花を帯やきものにしてめでる習慣のある日本人は
自然の移り変わりに敏感だ

桜梅桃李(おうばいとうり)梅が咲き、桜が咲く、そして桃、李(すもも)みんなピンクの濃淡であることがまた優しいし愛らしい
ピンクの色は「無条件の愛」をあらわすといわれている、つまり「愛」の色
確かに
紅色を身に着けると人は自然に優しくなる、おおらかになる、すべてを受け入れて動じなくなる
自分自身を愛するためにはたまにはピンクを身に着けるといいかも

そういう意味では
紅花染の下着は効果的だなあ
人に見せるというのではなく
「私自身への愛」

自分に厳しく人にやさしい
というのが人格者だといわれていた
しかしそれは少し違う
自分に厳しい人は自然と人にも厳しくなっていく

自分に厳しい人で人に優しく、人のこと夫のことをばかリお世話する夫人は、人にどう思われるかが自分時氏への評価だった。その夫人が死んだとき地獄に落ち
自分自身フアーストで、好きなことに打ち込み、人にも精いっぱい愛を送っていた彼女の夫が天国に行った
という映画をワシントンDCで見たことがある
そのとき「愛」について開眼した瞬間を覚えている

自分を愛している人は誰にでも優しくなれる
自分を甘やかす、自分の勝手気まま、これは自分を愛しているとは言えない

梅は何年たっても梅の姿、桜はどこで咲いても櫻、桃も李も自分の姿をかえない、そしてお互いに競い合ったりもしない

桜梅桃李この季節存分彼らとともに楽しみませう

本日のチャコちゅうぶは「長襦袢」についてです。20時から

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神棚

2025年03月24日 09時51分52秒 | 日記
神棚はいろんなことを知らせてくれる
先ず御榊
身体の調子が悪いと御榊の枯れ方が半端ではない
精神的に病んでるとこれもまた御榊が枯れ始める
心身ともに調子のよいときは1か月はおろか3か月も保つときがある
でも一応お朔日には新しい御榊にする

つまり御榊は人型となって代わりをしてくださっているということだろう
ありがたい
御榊の様子がいいときは神の御意志に逆らっていない時だと考えている

御榊は荒神様である台所
トイレの神様にも備えている

チャ子ちゃん先生の朝は神棚を整えることから始まる
神棚から一段低いところに両親や家族の写真を置いていて、毎朝感謝をしている、お湯を沸かしお茶を入れ掃除をして――と結構忙しい
しかしこれを実行をしないと一日が始まらない

昨年の夏神棚に備えたお米が散らかっているので、ニ三日様子を見ていたら、ゴキブリの仕業だった
台所には食べ物の残りを置いていないので、なんと!神様のお米を失敬している、ふといやつ!だから嫌われるんだよ

その後は神棚に備えた水もお米もお茶もすぐ取り除くことにした

生家では全員うち揃って神棚に朝の挨拶をしていたので、神棚のない生活は考えられない

生涯を聖書研究に当てた父も神棚に参拝していた、キリスト様ではない
なぜ?
と幼いとき聞いたら
「この宇宙を塑造した神様を拝んでいるんだよ」
と説明を受けたがチャ子ちゃん先生がそれを理解できたのは大人になってから、それ以来神棚に親しんでいる。だからお札はたった一つ、自分で考える創造主の神様だけ
父がまだ存命の時その話をしたら、父は大きく笑いながら
「それでいいそれでいい」と

今日も御榊は生き生きとしていた安心
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お行儀が悪い

2025年03月23日 09時39分35秒 | 日記
昨日のことだ
お会いしたことのない人からメッセンジャーで詰問された
昔のチャ子ちゃん先生の写真があり
「胸に柄が付いているのにどうしてこれを色留めというのか、生徒に留袖は上半身に模様を付ないと教えているのに困ります」」
ということだった

丁寧に解説した
「つまり島原模様と江戸褄模様というのがあって、島原模様には胸元に柄がある、江戸褄は胸に柄はない、しかし紋は同じ、この写真のきものは島原模様の色留め袖です。島原模様は昭和40年代まではよく見ましたが、最近は江戸褄模様の留袖が一般的になりまいたね」

しかもその色留袖は白地で麻に染めたもの、今では派手になり浴衣代わりに素肌に来ている「大人の浴衣」と自分で言って楽しんでいるのだ

この方は人の写真を保存して何かの参考にしているのだろうか、まあFBで出したものだから「使用禁止」と目くじら立てることもあるまい

そしてチャ子ちゃん先生の文章を読んだという「ハートマーク」の赤い印が来てその文章に対しての感想も何もない
「お行儀が悪いお方だ」
と思う
この手の人が増えた、いま日本は日本人が少ない、礼節とかいう言葉も死語になっている
がしかし
そういう自分を恥じて苦しんでいる人もいる
「何かが足りない」という思いで自分自身を責めている人もいる
そのような人に
「あなたは悪いのではなく、人としての一番の基本である教養を外し「教育」にうつつを抜かした国政の問題、あなたはそれに悩む感性があることが素晴らしいと思う」
と言いたい

お行儀の悪さは教養のなさと同じ
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自分がワクワクしていると、10万人を幸せにできる

2025年03月22日 09時29分36秒 | 日記
3月19日「チャコちゅうぶ」二回目の御登場上田康清さん
インドで生まれた「UE]という自分自身を清らかに強くする技術を和子夫人とともに広めていらっしゃる

もともとは大手のの電機会社の開発者
たくさんの特許を取り私たちの日常を助けてくれた人だ
物理学の専門家がどうして精神世界へ?

物理学者が神の領域に入っていくのはアインシュタインを初め数多い
それは自分自身の発見や発明は神の領域から渡されているということがよくわかるからだ
それを教えてくれたのは村上和雄博士
「イネの遺伝子を発見してすごいですね」
と伝えたら
「いやその遺伝子を書いた方がすごい」
「それを神様とよんでいいですか?」
「そうね、僕はサムシンググレートと呼んでいる」

そういう感覚の中にいる上田康清さんが神様との事を考えるのはごく自然のことだったようだ

私たちが潜在意識の中にため込んだネガの思いをどうやって消していくか
其れには壮大な宇宙の歴史も知らなければならない
それは私たち人間が宇宙の一員だから

そこから研究が始まり人の思考や意識はすべてエネルギーということがわかり、そのエネルギーが自分だけでなく、周りの人たちへ影響を与えているということも分かった

ということは一人が放つ波動は周りの人に影響を与えつながっていく
「ポジ」の波動を自ら放つことによって周りもそのポジに染まっていく
「類は類を呼ぶ」ということはそういうことなのだ
一生懸命社会に貢献しようとか、出かけて行って人々を幸せにしよう
ということもあるけど、その前にまず自分自身が毎日ワクワクして過ごすことが最も社会にとって必要なこと(自分勝手とは違う)
続きはどうぞ「チャコちゅうぶ」で
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量から質の社会

2025年03月18日 08時58分52秒 | 日記
あらゆる世界から「モノづくり」の人が減っている
基本的に大量生産大量消費政策はもう終わりだと思う
この制度に踊らされた日本は「何もかも失った」という感じだ
技術が途絶えていることが多く
途絶えた技術はもう必要がないのかな?と思ってしまう

下仁田でチャ子ちゃん先生を駅まで送ってくれた農夫が
「祖父母の時代の養蚕は桑の葉を早朝摘んで自分の目で蚕の様子を確かめながら与えていた、フンも毎日取り換え清潔そのものだった、自分たちは蚕の飼育期は納屋に移動し、蚕はいい環境に置かれていた」
ところが父母の時代になると、ビニールハウスを作りそこで蚕の飼育が始まり、桑も枝ごと与え、フンもそのままという状態で、蚕の数は増え、家族もいい生活になった
「しかしそのころから人間が変わった、蚕に限らず野菜やお米に関しても人は傲慢になり、何事も大切にしなくなった、自分で考えて仕事をするのではなく、何もかも農協依存という体質になって人としての優しさが無くなった」

そうなんだ
紅花染の山岸幸一さんも同じようなことを言っていた
「最近の農具は人がいかに楽ができるかで作られているが、昔の農具は土に優しい、草に優しいという農具なんですよ、ほらこのざるもね」
「でも人には酷ですよね」と昔の農具を使いながらチャ子ちゃん先生は言う
「確かにね、でも人はせいぜい100歳、土は何億年と生きている」
その土を扱う人の手によって、土の命が決まっていく

昭和の40年代までは人は自然に対して謙虚だった
だからいいモノづくりもできたわけ

しかし世界が大変化している今は、人と自然が共存共栄する時代になっていくと思う、それには質がモノをいう、いいものを長く丁寧に使う人になる必要がある。そうするといいモノづくりの人たちの生活も成り立っていく

量より質
それを見据えた生活がこれからの生きる道のようだ
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花咲月というけれど

2025年03月17日 09時55分29秒 | 日記
今年は花の開花が遅い気がする
今朝散歩に出たらやっと「白モクレン」が満開になっていた
クラシックバレエををやめて4か月になるが、体がなまってきた感じがする
日々体は衰えていく
70歳になったとき始めたバレエ、何もできないという位置にいることで、自分自身が謙虚になると思った
その通りで一つ一つできないことを教わっていく過程で、人にものを教える身としての学びもあった

身体は見違えるほど健康になり、階段もすいすい上り降りできるようになるのも時間がかからなかった
颯爽とした歩き方になったが、ますます外叉になってしまったのは笑える

やめて4か月だがもう階段はしんどい、ホームにつくと目がエスカレーターを探す、では散歩に行けばいいかといえば、外に出るのが億劫で運動不足になる

友の川邉サチコは犬を飼って朝晩の散歩を楽しくやっている
そういう手もあったかと思うが幼いときから動物と一緒だったことがないので、自分にはできないと思う

だから動くのが好ましいのだが、バレエの基本はできるので家でやればいいと思うが、それも続かない
基本怠け者なのだと認識する
こんなことを続けていたらきっとデブになる

人生最高に太ったときがある60代後半5年ばかり
その頃友人の息子が結婚しお祝いに行ったその時の写真をその友人は飾っていて「この人だーれ」という感覚、今より6キロ増

どうして元に戻ったかといえば、会社経営がうまくいかなくなったおかげ、世の中から「和」の産物が置き去りにされ、「和」を求める人も減り、きものを中心の仕事の人は、チャ子ちゃん先生にかかわらず皆さん厳しい状態に陥った

そしてもう一つは食事
おうち食事が多くなり、みそ汁煮物ご飯漬物という簡素なものが主流になったら体重はあっという間に落ち、更に神経性の便秘も直った

日本の昔ながらの食事はすごい
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きものを識れば日本が見えてくる 15

2025年03月16日 15時42分58秒 | 日記
養蚕農家が急激に減っていったのは日本政府の方針が大きく作用している
後継者不足?
高齢化?
きものを着る人が少なくなった?
違う
2000年のことだった、生糸の輸入に一気に舵を切った日本政府
それも基本的に中国の糸を輸入する方針になった
木綿もしかり、麻はもうすでに輸入品がほとんど

その時チャ子ちゃん先生は政府の動きの真っただ中にいた
しかし凡庸の頭の持ち主故、政府の行おうとする目的が見えていなかった
消費者の側として安い絹を支給されるのはありがたいではないかとすら思った
自分の國ということにとらわれず世界中の國と仲良くなるには、そちらの産業の発展に力を貸すのもいいのではと思っていた、めでたい

しかし違った
わが先人たちの蚕の飼育は他の國には全くない「愛の深さ」があった
早朝から桑の葉を積みその葉っぱだけを与え、蚕の糞の始末もして蚕の住居は常に清潔を保っていた

人と同じ屋根の下に住み、温度調節をしながら10万頭以上の蚕を丁寧に育て上げていた、だから蚕はその人間へのお返しにいい糸を吐き、世界で最も美しい糸を人に与えた、先人たちはその美しい糸を一本たりとも無駄にしないように、平面截ちの着物の形を編み出し、一ミリも布を捨てない裁断法を編み出した

しかし国の方針は「効率」を尊び、「愛」は必要なかった
蚕はビニール部屋で育てる農家には助成金を配り、桑も蚕に枝ごと与える方法を教育した、蚕の糞もそのままで上に上がる習性がある蚕は重ねられた桑の枝を伝わって上に上に上り、しまいにはくわのざんがいが1メートルにもなった

愛されて糸を吐いた蚕ではなく、お金のために吐く糸を強制されたわけだ
この時代少年だった人と話した
「そのころから人間が変わったと思う、祖父や祖母のような温かい人間がいなくなったと感じる」と70歳の農夫が話してくれた

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江戸小紋は式服にならない

2025年03月12日 15時01分41秒 | 日記
ある学校で、式服は無地のきもの江戸小紋は式服には不適当だと
この学校は文化を継承する学校なので
チャ子ちゃん先生静かに考えてみた

きものサロンの前身は「茶席のきもの」という家庭画報別冊としてはじまった
企画者は本多光夫さんでのちにプレジデント社の社長になった方
そしてチャ子ちゃん先生はその創刊からお手伝いをした

たまたま姉が茶道の師匠だったのでそのつてでいろんな先生たちを紹介していただき、取材をした
千利休が残した衣服に対する古い書も見せていただいた

茶道が始まった当時は武士の教養としてあり、話し合い、作戦会議、重要なおもてなしには茶道が用いられていた

茶室ではすべての人が平等、そのために刀は持って入れぬ、それゆえにじり口があり、亭主と客、もてなす人ともてなしを受ける人、室内のしつらえはもてなしの心、それで茶道には華道、書,香道、料理、しつらえ、什器、作法、礼法などなど、日常生活でのすべての教養が含まれている
そこに「衣」の作法があるのも当然のこと

茶道が生まれた当初は男の嗜み、そして長い歴史の中で女のお稽古ごとの始まりは江戸終わり特に近年になって女の嗜みとなった

そうすると着るモノにあれこれ決まりをつける人が現れる
そういう時「江戸小紋に一つ紋を付ければいかなるお茶会でも大丈夫」と先輩たちが言っていた

しかしここにきて江戸小紋は式服にはダメと大ぴらに告知されている文書がある式服には無地の一つ紋のこととな

江戸小紋には武士が愛用した柄の「裃小紋」町人たちが遊んだ「しゃれ小紋」
がある、裃小紋は藩主たちが式服として来ていた柄だ、それはやはり格が高いのではないだろうか?

文化を繋ぐ稽古事には、文化を繋ぐモノづくりを大切にしてほしいと思う

今日のチャコちゅうぶこういう話をしようと思います 
20時から
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3月11日

2025年03月11日 10時53分51秒 | 日記
数秘学では11という数字は「神」の意志のある数字という
その時点で考えると
この11日に起きた数々のこと、このいまの時間になると様々なことが明快になる

一番初めに神が国を治めようとしたとき「日高見國」と「四方の國」という文言があり、それを東北と四国とあてる学者もいる

その東北が神の意志を伝える日に揺れた
そして多くの人たちが命を落とし家屋を失った
国民に知らされていなかった原発も破損したくさんの人がその土地に住めなくなった

わが新宿も大きく揺れて、本箱は倒れる、オーラソーマの美しいbotoruは落ちて割れるという災害にあった
スタッフ四人は運よく屋内にいてけがは免れたが、それぞれの自宅に帰る交通がなく、会社に寝泊まり

そういう中で
東北の方々が見せたお互いを思いやる心、自衛隊の方々の働き、瀕死の状態にありながら、「自分はいいもっと苦しんでいる人のところに行ってあげて」と救助隊に哀願する年配の女性たち

炊き出しにきちんと並んで平静を保つ、すぐに全国から救援物資が届く、特に日本をこよなく愛してくれる台湾の人々の恩情は忘れられない
それは我々の祖先が台湾に誠意を尽くしてくれたお返しだという

ここ東京でも人々は助け合っていた
交通は遮断されていたので、徒歩で帰路に向かう人々の数がすごい、その方たちに向けて「トイレをどうぞ」「お茶をどうぞ」「お結びをどうぞ」と差し出す人々

新宿のホテルはロビーを解放し毛布や飲物を差し出していた
コンビニは飲み物や食料品はすぐ売り切れていたけど、誰一人買い占めるのではなく、今自分に必要な量だけで譲り合っていた

この民度の高い日本人の姿を私たちはもう一度思い出さなければいけないのが、神の意志の数字11日なのだろうと思う

3月11日に亡くなった方々のご冥福を静かに祈ります

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