チャコちゃん先生のつれづれ日記

きものエッセイスト 中谷比佐子の私的日記

開花宣言

2024年03月31日 06時59分07秒 | 日記
恋こひて道走り抜け花吹雪

花の道仰ぎ見し顔美しき

待ち人の肩に寄り添う花びらひとつ


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本日晴天

2024年03月30日 07時41分18秒 | 日記
イヤー一気に初夏ですたい(なんで熊本弁?)
太陽の光は本当にありがたい
人間らしい氣持ちになる
人間らしいって何だろうか?
自然に対する感謝の気持ちが持てるということかなあ
太陽にむかって「ありがとう」と言ってみる
そうすると自然に笑顔になる
そうか笑顔も人間らしい表情なんだと氣が付く

戦後長屋に住んでいた時、隣に住むおじさんが朝日が出るとすぐ柏手(かしわで)うって太陽を拝んでいた
パーんぱーんと空気を切り裂くような大きな音で目が覚めた(隣の家の物音が聞こえる、その音がすぐそばで聞こえるのが長屋だ)
水道は共同で、その音に目を覚ました家族が顔を洗いに出てきて、みんなで大きな声で挨拶を交わす
まだ戦争の名残が消えないので、太陽を拝めて水の出ることがありがたく、屋根のある下に家族の顔がそろっていることにみんなが安堵していた。だから何事もない朝を迎えられて嬉しかったのだ。空に飛行機の姿が見えない朝がうれしい。おじさんの柏手がみんなを幸せに導いた

音を出してもいい
大声で話したり笑ったりしてもいい
飛び跳ねてもいい

防空壕に入っているとき、赤ちゃんの泣き声にみんながその口をふさごうとして躍起になっていたことを思い出す
大声を出していいというのは、心からの解放感だった

そんなことがふと頭をよぎった今日の朝
古い記憶が出てくるというのは老化の始まり、と聞いたことがある
でもそのおかしな恐怖の記憶があるから今の平和に感謝できる

人間らしさというのは、ささやかなことに感謝できる心を持っていることなのだなあーとも思う

本日新宿最高温度が22度だそうだ
これでまちに待った花も咲く


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愛のコーヒーカップ

2024年03月29日 10時46分34秒 | 日記
中野裕弓さんが今から20年くらい前に出した本に「愛のコーヒーカップ」というのがある
自分を責めたり、人のことばかりを優先したりするより先に
まず自分自身に愛を注ぐことを進めている内容だ
当時は「まず自分のことより人の幸せを優先、という考えが強くて、そんなこと自分勝手だ、とか自己中だとかの批判もあった
しかしよくよく考えれば自分自身を愛せない人がどうして他人をいつくしむことができるだろうか

中野裕弓さんによると、彼女は外資系の銀行の人事課にいて、人の様々な相談を受けていた、のちに世界銀行の人事コンサルタントしてヘッドハンテイングされその手腕を発揮するのだが、その基本だったのが「愛のコーヒーカップ」論だった

ある日彼女の元に「膝が痛くどの病院に行っても原因がわからない」という女性が現れ、じっくり彼女の話を聞いていると、家族のため、会社のため、友人のため、知人のためと自分のことは常に後回しという生活をしていることがわかり、そこでひらめいたのが「愛のコーヒーカップ」

二人でコーヒーを飲んでいる、彼女は相手のコーヒーの空き具合だけが気になっている、会話が弾まないのはコーヒーを注ぐタイミングが悪いのだと自分を責めている、そうやって自分のどこが気に入らないのだろうか、と自分のいたらなさばかりを責めははじめる、そうするとますます暗くなり会話は途切れる

そういう彼女の姿を解決するには自分自身のコーヒーカップにコーヒーを注ぎ自分を満たした余裕で相手と話をすると、相手も楽しくなりそこに愛が生まれる
このような話を相談に来た女性に語ったところ、みるみる顔が明るくなり、しばらくしたら自信のある穏やかな顔を見せるようになって、ひざの痛みも消えたという報告があった

一番大切にしなければいけない自分自身をないがしろにすることで、自分自身が悲鳴を上げている状態だったのだ

ひたすらコーヒーをカップに注いでいるとあら不思議下にセンサーが伸びてあらゆる人のそのコーヒーが運ばれていく

自分を愛で満たすことがすべての平和の基礎

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去る人来る人

2024年03月27日 08時37分30秒 | 日記
「友とは淡く付き合い深く思いやる」
ということを大事にしている。それが自分自身をいつも平和な状態においてくれる。人に対して過剰な期待はしない
長い年月の中去っていった人も数知れず。そのことを信頼している友に話すと
「人と人の縁は螺旋だからね」
お互いが螺旋状態で回っているので近づくときもあれば、遠ざかる時もある。同じ螺旋を二人で動かしているときもある。そして別の螺旋に飛び移る時もある。更にはまた巡りめぐって同じ歩調で、おなじ速度の螺旋にのる場合もある

この螺旋状態は仕事にも言える
家族はなかなかそうはいかない、常に同じ螺旋に乗っているのだろうか
いやそうではない
新婚時代は二人は同じ螺旋に乗っている、そして子供ができると母親と子供はしっかり同じ螺旋に乗っている、子供に自我が芽生えると子供の螺旋、父の母のという別々の螺旋に乗って家庭を営むことになる

人はみんなそういう状態だから「去る」ということも「来る」ということの繰り返しの中で人は成長をしていくのではないか

「去る者は追わず」
という格言があるが、それも螺旋とみるとわかりやすい。追うには自分が自分の螺旋から降りなければならない、かといって相手の螺旋に乗るわけにはいかないので苦しくなる
「来る者拒まず」
という格言も螺旋が同じ速度で回っているので、拒みようもない

自分の螺旋の速度と相手の螺旋の速度が合わなくなるのも自然なことのようだ、そしてまたどこかで会う、縁があれば
その縁は自分が引き寄せたり、神に与えられたりするようだ

ということは自分自身をしっかり確立していることが一番大事なのだろう

こんな話をしてくれる友をがいることが幸せ
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佐藤しのぶさん

2024年03月26日 09時53分11秒 | 日記
昨日は終日こもっていて佐藤しのぶさんの歌声に酔いし入れていた
2019年61歳の若さで亡くなった惜しい、本当に惜しい
天性の美声もあるがしのぶさんの「思い」があの美声を保っていたのだとわかる

彼女と初めて会ったのは長野の呉服屋さん
まだ学生でコロコロ太っていて明朗で活発、そして優しくそこにいる一人一人に心を配っていて、みんなに愛されていた

そのころの呉服業界は「きものパーテイー」が盛んで、まだ学生だった彼女がチャコちゃん先生の講演の前座みたいに三曲歌ってくれた
その声の美しさと声量にあっけにとられたのは私だけではない
最近甲子園で高校生が君が代を歌っているが、その美声に聴きほれるけど、佐藤しのぶさんの声には度肝を抜かれた

舞台から下がってきた彼女に
「やりにくいわね、あなたの声すごすぎる」
キャハキャハと笑って
「先生のお話深みがあるから大丈夫です!」
と優しく太鼓判を押してくれた

卒業してからはみるみる頭角を現し、世界的なソプラノ歌手になった
そして大人になるにつれほっそりとした姿になり、衣装の選択がまた素晴らしく、耳で満足目で満足心で満足という大歌手に成長、いつ聞いても素晴らしくその歌声は心に響く

そして思わぬ機会があり奇跡的にある地方のホールで再会
世界的な歌手としての貫禄がありながら、人に対してとてもやさしくチャーミング
いろんな国をめぐり、ただ好きで歌を歌っていたけど、歌も歌えぬ国の子供たちがいる、また日本の広島長崎のように今もってその病に苦しんでいる人たちがいる、その中で自分ができることは歌を通してその方たちに愛と優しさ、さらに平和を送ることだと思った、会場に来られなくても、私はそういう人たちに向かって歌を歌っているの、と話してくれた

柔らかい立ち姿で歌い派手な動作をしないけど、しっとりと心に響く歌声はどうして出るのかしら、という私の問いに答えてくれた言葉だった

その場その場で社会に貢献できることを教えていただいた

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コートが手放せない

2024年03月25日 14時36分24秒 | 日記
それにしても櫻はどこへ行った!
待ち焦がれつつ桜の木を眺めているが固い蕾が冷たい雨に濡れている
早く「帯付き」の軽装で歩きたいのにそれができない
チャ子ちゃん先生は何と冬のコートを7枚も持っている
すごいね
駒子マント(角巻)
神父マント(ウイーンの神父さん用のもの)
真綿入りロングコーと
真綿入り被布コート
袷せのロングコート
コーじゅろいの道中着
毛皮マント

大いに活躍が真綿入りロングコートと袷のロングコート
しかしここのところもう毎日が真綿入りのロングコートにお世話になっている
裾が擦り切れ袖口も危ない、更には紐も余命いくばくか
このコートをここまで着るのはここのところの気候のせいだ
「暑さ寒さも彼岸まで」というが、春分過ぎてこの寒さ、桜も花を開く気配もない、こんな気候過去にあったかなあと考えるが、4月に大雪が降ったのはよく覚えているが、そのときはもう花が咲いていた
櫻の花に積もった雪が美しかった、しかし花弁が薄いので雪は滑り落ちる、その様子が面白く傘を片手に落ちそうな雪を掌に受け止めて雪を口に入れて遊んでいた
その時も真綿入りのロングコートを着ていた
とすると
あのコートとはもう40年にわたるお付き合い、裾が切れるのも当たり前だ
早くコートなしで歩きたいなあ
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高齢者は早く死になさい

2024年03月24日 10時14分08秒 | 日記
作家の曽野綾子さんが、高齢者はいいかげんに自分の始末をしたらどうか?というような記事を新聞に書いたらしい
知人がその記事をメールで送ってきた
「そういう考えもあるのだな」
という感覚しかない、曽野綾子さん自身が93歳で現役なのだもの、いい生き方をしてらっしゃるのではないかしらん

人それぞれだし、高齢者は今まで生きた年月をどのように結末をつけようかと思っていらっしゃると思う

人の人生にあれこれ口をはさむ必要はない
お荷物として存在している人もいるかもしれない、しかしそれはお荷物と感じる人への学びのために重荷を演じているのだと思えば、両者の間に違う思いが通ってくるのではないだろうか

むかし「おばすてやま」というのがあったという、人間の間引きだ、働くことができない老人は山に捨てられる、そこで寿命まで静かに生きているらしいけど、負ぶって母親を捨てに行く子も哀れ

この世に生を受けるということは恐ろしいほどの奇跡である
それを本人が自覚して自らを清く正しく、さらに美しくしていたら、その姿を見ただけで、老いの身であっても人を幸せにすることができる
それには自分軸がしっかりしていないといけないけど

お金を稼ぐのが尊いという風潮より、その人の存在だけで人を幸せにする波動を出せる人の方が価値がある。という社会になったとき、やさしさにあふれる社会になるのだろう

基本的に今の社会の成り立ちは高齢者には不向きだよ、そこをいただいた命を全うするには、自分自身を整えて周りの人に愛を注ぐことだと思う

昨日の川邉サチコさんの話もそこが核心だった、85歳の彼女が言う言葉に重みがある







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依怙贔屓

2024年03月23日 07時39分15秒 | 日記
昔から贔屓の引き倒しという言葉があるけど
この人をひいきしたらあちらをけなす
という志向がある

皇室に向ける様々な不評と称賛、これどこから来ているのだろう?
野球選手の結婚報道と通訳の詐欺問題
陰と陽で自分自身の調和を保っているのだろうか?

遠くは源氏と平家
義経と頼朝
人間の感情の中で好き嫌いがあるのは当たり前、それが増長して悪口や誉め言葉になっていく

人ってほんとうにおもしろい

スカッとする話という動画があったのでみたら相手を徹底してやっつける話だった。ちっともスカッとしない

今ワンネスの時代に入って、みんなと平和に暮らすということが大きなテーマになっている。日本史や童話もちかじか書き換えられていくだろう

縄文人への迫害で生まれた数々の物語や習慣は、どのように糺していくのだろう。縄文に帰れという思いが強くなっている今、縄文人の迫害に手を貸した人々の話もこれから出てくるのだろうか

今年は人類の歴史の中で最も印象に残る年になるのかもしれない
自分軸をしっかりしていれば何も問題ないと思うが




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白い着物

2024年03月22日 08時59分58秒 | 日記
今朝スマホを開けたらいきなり
「白い着物がはやっています」
という声が聞こえ、場面を見たら大昔「秋櫻きもの塾」で学んだ方で、今は大層な「先生」のよう
素晴らしい、こうして自立し、きものの教えで世界が広がり、人脈もできていい生き方をしていらっしゃるのだなとうれしい

さて白い着物のことだけど
日本が景気のいい時代、きものパーていーというのが頻繁に行われていた
高価なきものをを購入しても着ていく場所がない。という声が高く、きものを販売した店はその責任上、ホテルの宴会場を借り切ってパーていをする

チャ子ちゃん先生は招かれてご挨拶というお役目が多く、その時着ていくきものに苦慮した。そして考えたのが「白い着物」を着るということっだった
白は誰のきものも邪魔をせず、壇上での挨拶にも映える

先輩たちは「白い着物って縁起でもない」と大反対、だけど私の着る理由を聞いて納得
「時代ね」
という言葉が返ってきた

それ以来白いきものは私の定番になっていて、その後オーラソーマという色彩鑑定をするにあたって、ていちゃーは必ず白を着るという決まりがあり、きものを着て教えていたチャ子ちゃん先生は、白い着物が重宝した

白にもいろいろあって
一枚は本当の白生地を着た、丹後で白生地の取材をしたとき、白生地でもいろいろと紋様、つまり地紋なのだがその地紋がなんとも美しい
乱菊の地紋を見つけその中心にスワロフスキーを埋め込み楽しんだ

このスワロフスキーは大内順子さんが日本に初めて紹介したもので、二人でどうやったら生地にはめ込むことが出来るのかを考えあったことも懐かしい
竹で白が染まるということを教えてくれた人がいて、早速岐阜の竹で染めていただく、真綿のような白に染まり、織人が真っ白だと寂しいからと、ヨモギで染めた糸を薄く入れてくれたのだがなかなかの出来栄え

白樺での白染めは高橋孝之さんの草木染の原点になった
白の種類は多い、今度はいろんな白を染めてその糸で着物を作ってみたいと思う
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きものを識れば日本が見えてくる 9

2024年03月21日 09時51分02秒 | 日記
昨日大阪のリーガロイヤルホテル宴会場で行われた「きもの日本グランプリ」は大成功を収めた
一企業の社長が発奮して全国から「きもの好き」を集め、年齢制限なし、国籍制限なし、男女区別なしと募集、280人の応募があり、書類審査の結果30人が残り、それぞれの年代から一名ずつ、そしてさらに特別賞を全体から二人選んだ

主賓挨拶と審査員を仰せつかったチャ子ちゃん先生、甲乙つけがたい着物美女たちに圧倒された

きものが見せるものになった
それぞれが自前の着物を着てその思いでを語る、舞台で映えるきものを着るのではなく、自分が好きな着物を着る。そしてそれを美しく見せる術を身に着ける

年齢では50,60歳が多かったけど、まさに「女ざかり」ともいえるのかもしれない

そしてもう一つの発見は「スピーチ」がうまい
本番になるまで歩き方、きものの柄の見せ方、思いの伝え方その時の顔の表情など、全員で二回にわたってプロの指導を受けたそうだ
それでは完璧でないと思う方たちは個別で指導を受けたという

ライトを浴びて舞台の上を歩くそれだけでも緊張をする
其の上自分の考えを話す
すごいことだ!
でも笑顔も美しくしっかりとした足取りで、260人も集まった会場をうならせた

30代から70代の方々が美を競ったけど、年齢の違いがよくわからないほど、きものというすごさを見てしまった
きものを着る限り「年だから」という選択はない
日本人の先人たちは同じ形のきものを200年近く着てきたのだ
色や柄の違いだけで着る順序は変わらない
奥の深い衣装だとつくづく思った
きものが日常着だったころには思いもよらぬことであった

春分の日と新しい出会いは、来年も同じ日に催すと主催者の「北山典彦」さんは決めた。出場者のほとんどが海外に向けて着物文化を発信したいと語っていた
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