チャコちゃん先生のつれづれ日記

きものエッセイスト 中谷比佐子の私的日記

AI ChatoGPT

2023年07月30日 09時33分28秒 | 日記

すごいものが開発されたと思う

しかも無料で使える

日本の国ってどんな国?と聞くとまあ一瞬にいろいろ教えてくれる

どういうデーターが入っているのかよくわからないけど、おかしい内容もあったりする

ネタは人間が作っているのだけど

情報も人が作っているのだけど

それらをまとめて流していく作業は見事というしかない

こういう怪しげなものは大はy利になっていて、大学の先生など困っているらしい

 

先般も書いたけど

この情報だけで3時間もあれば一冊の本ができるという現実

コツコツモノづくりをしている人たちにとって、こういう世の中って不安に思う人もできてくるかもしれない

つまりこういう世の中を多極的というのっだろうか

自分の信じる道をひたすら歩むことしかないとは思う

たまにこういうびっくりするようなものも「利用」しながら自分の道を行く

 

とにかく歩くしかなかった人たちが

馬に乗る

電車ができて電車の乗る、車ができて車に乗る、新幹線だ、飛行機だ

と新しいものを利用しながら日常を送る

それでいてやはりゆっくりした時間を過ごそうという人は歩いてみる、とことこ電車に乗ってみる

 

あるものは使うが振り回されない自分がいる。ということだろうか

日々変わっていくのはこれは「進化」ではない「便利、合理的」に向かうことと軽く考えておけばいい

だけどこのAIをだれが何の目的でどう使うかによって、人々を動かすことのできる武器にもなる

世の中が急速に変化するときほど「自分軸」というものが大事だなあとつくづく思う

 

多極化といえば先日ロシアを中心にアフリカ、中国、トルコなど40か国以上集まったサミットがサンクトペテルブルグで開かれ大成功に終わった

私たちは日本国自身の文化をきちんと伝承して誇りをもって生きていかねばと、その成功ニュース他国の国の放送を見て思った

こんなに世界が変わった、そうもう変わったのだ

流されても水は水の役目をすることだろうねえ

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汗をかきなさい

2023年07月29日 10時34分55秒 | 日記

汗は体中の毒素を出してくれるのでありがたい新陳代謝

最近は「熱中症」という言葉がバンバン出ているが、あれは「日射病」に直したほうがいい

太陽がギンギンぎらぎらと熱を帯びているのあ11時から15時の4時間は動き回ることに注意が必要

小暑に入り大暑に入って30日間が一年中で最も暑い。365日の間の30日だけが暑い。36度だ40度だと騒ぐなよ、夏は暑いのは当たり前

其の暑さをどう凌ぐのかを先人たちは工夫した、またその太陽の熱を利用して梅干し干したり、薬草を干して冬に備えたり、虫干ししたり30日間の太陽の熱は衣食住に貢献している

日本画によく見る行水、たらいに水を張り太陽の熱を入れておくとちょうど42度くらいになる、さいきんはホームプールなども子供たちは喜ぶ

 

この4時間に許されたのは冷やした果物を食べる、スイカなどまさしくそれ、かき氷はおおごちそう、冷たいものに甘みをつけているのがみそ、

昼食が終わると、子供は「金時さん」という腹巻の可愛いのを着せられて昼寝、昼の風は気持ちがいい。おなかを冷やさないということが大事、腸は冷やしてはいけない、い家は開け放して風を入れる。東京でもビルの谷間でも風は吹き抜ける

 

暑い寒いがわからないと、「心地よい」という感覚に感動がなくなる

いろんなことを経験してはじめて自分にとって何が気持ちいいかがわかる。人間ってそういう意味では鈍感だね、体験しないとわからない、経験して理解を深める

ある方が言っていたけど

「宇宙の根源様は人の体験をみて人の成長を促しているんではないか、だから人は体験するために生まれてきた」

「うんよくわかる、根源様は人の体験を見て自分の体験としているわけね」

せっかくだ、四季それぞれ体験し根源様を喜ばしてあげよう

夏は汗をかくのが当たり前、まさしく前半の罪汚れを汗で流し、後半はすっきりいこう

きものはその汗を吹き散らしてくれる通気口があり、糸の作り方に工夫がある。やはりここに落ちるチャ子ちゃん先生の話

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友と暑気払い

2023年07月28日 08時32分13秒 | 日記

「私は比佐子さんをきれいにする」と宣言して数年

頭をとっつかまえて整髪してくれる。ありがたや

「暑気払いしようよ、ゆっくり話そう」ということで出向いたら早速チョキチョキ

最近大人気の川邉サチコさん、憧れる人も多い

 

人生の半分を付き合っているのだから、お互いにいろいろ知っていると思っているけどさにあらず、今この歳になってみて、自分自身の生い立ちを振り返ってみると、自分の根本の性格とか、立ち位置が理解できる

こういう話をしてみると、社会の変化の中で自分自身がその社会とどうかかあってきているのかも検証できる

今のその姿は過去があってのこと、その過去との兼ね合いの中で自分を解剖してみる、そうすると自分自身のことが鮮明になってくる

お互いにそういう素材をまな板に広げて調理していく作業も友なればこそ

 

昨日もいい時間を持てた

そして髪もすっきり、残りの夏を軽やかに過ごせる

 

育ちも違い、環境も違う、やってることや表現方法も異なる。しかしはるかに向かっている先は同じ。それは何かといえば

「いやなことは嫌」といえること

 

 

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鎌倉時代

2023年07月27日 10時36分34秒 | 日記

「鎌倉殿」という大河ドラマがあったらしいが見ていないのでどういう内容だったか知る由もない

が鎌倉時代は日本人の文化の基本が培われていると思っている

きものが平安時代の下着であった「小袖」が上着になり、貴族の喪服であった直垂が武士の礼装、貴族の遊び着だった狩衣が鎧下に、衣装はうごきやすくシンプルになった。農民も武士になるという下剋上、地方の豪族が「大名」となり、家族も長男が家督を継ぐ、そのための什器の発達、その什器を扱う作法、つまり茶の湯、立花、気香、刀剣、書、和歌など日本独自の文化が芽生えてきた

 

鎌倉の町は「背山臨水」という権力が安定する街づくりだ

しかしその裏をかいた新田義忠によって、難攻であった海からの攻めにあっけなく敗れた

それは潮の満ち引きの計算をした新田川の闇討ちが功を奏したということ

すべてにいえることだが、一番むつかしいところから攻めるのが実は一番簡単、相手は安心して油断していて守りも薄い

この時代の戦いは、自然界の読みが勝敗を決めていたようにおもう、だから風水は武士の必須なのだ。風水で守り風水で敗れる

 

この時代の敗れる武士は、自分自身の作法によって逃げていく。城を明け渡すにはその城を美しく飾り立て、佐多に攻めてくる人が落ち着くように花を飾り香をたく、またそのっ作法を理解できるのが武士のたしなみ

 

鎌倉時代の終わりから出てきた「バサラ大名」いいよねえ

日本人のおしゃれ哲学はここから始まっていると思うね

日本の歴史をこういう角度から見ると、日本はもっと素敵な国に見えてくる

 

 

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大暑に入ったんだものね

2023年07月26日 10時25分13秒 | 日記

久しぶりに公園を散歩したら、なんと!アジサイの葉がみんなとんがっている。葉を広げられなくて「矢」のようになって空に向かっていた

つまりは水が欲しい。この公園は人工的に水撒きをしていないので、土もからから、さぞやのどが渇いているのだろう

梅雨のころは「アジサイ道」と銘打って花を楽しんでいた人たちも、今や見る人もいない状態

人に育てられている植物は、人の手を頼りにしているので自分ではどうしようもない。これって動物園も一緒。本来森林深くいる動物たちにとって、囲いに入れられえさを与えられ、時に芸も仕込まれて、人間に楽しんでもらう動物に仕立てられている

 

繁殖に使われる犬を引き取った知人がいる。繁殖するためにだけ生きていた犬は、人に絶対になつかない、しかもおびえている。そして繁殖期を過ぎたら簡単に始末されるのだという。

「もういいのよ頑張らなくて」と受け取った犬にいいきかせ、触らせてもらえるようになったのに6か月かかったという。今は飼い主にひたすら優しくされて、やっと生き生きと自分の性を忘れて飛び跳ねて生きている。子孫を残すためのマシーん。そういうことを考えつくのも人間だ。チャ子ちゃん先生は蚕とともに合宿をしていた時、人間の残酷さにあきれはて、だからこそ絹を大事にしたいと思った。

人間が手をかけた以上、最後までその命を大事に扱うことで、残酷の罪は流されるのかもしれないと思う。「大祓の詞」にもあるように「罪という罪はあらねとーーー」といいように解釈しているが、生きている人は呼吸をするだけでも罪深いことがあるやあも知れない

 

暑さがあるからこそ涼しさをありがたいとおもう、善があるから悪が見える、善悪双方ともに人にとって必要だろう

「暑さ寒さも彼岸まで」と言って暑さを嫌わず、寒さもまた楽しむ、私たちの先人は、生活上手、生き方上手だったのだなあ。と汗をふきふき自分に言い聞かせている

 

アジサイちゃんきっと大丈夫、近いうちに雨さんがやってくるからね、と言い聞かせているけどぼつぼつ一降り欲しいよね

 

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着物が繋ぐもの 523

2023年07月24日 10時05分26秒 | 日記

「きもの夏期講座」を開くことにした

8月11,12,13日の三連休

お盆なんだよね、お盆だからこそ「先人たちの智慧」をつないでいきたいともう

ある若い方が、

「チャ子ちゃん先生は戦前と戦中、そして戦後を知っている稀有な立場にいる、だからこそ、私たちにしっかりいろんなことを伝えてください」

と「喝」を入れられた

 

78歳までは自分の歳を忘れて過ごしていて、先へ先へと気持ちがいき、周りにいる人をもっと世に出す方法ばかりを考えていた

「こんなに過ぎれた方がいらっしゃるのよ」

「すごく勉強している方よ」

「とてもユニークよ」

取材先の人を、夫もっとみんなに知ってもらいたいと思うばかりの行動であった

しかし有難迷惑と思われた赤田もいらっしゃるだろう。自分が面白く思うことは人もそうか案じるものだと思っていた浅はかさ。少し押し付けがましく、お世話しまくりという感じもする、今では

 

高名な漫才師を取材したことがある

「人の笑うかを見るのが子供の時から好きだった、だからいつも笑顔の中にいたいと思ったので、こういう職業になってしまった」

でも人の弱い部分を触らず、いやなことをさらりと軽く明るく言える話術は日本語だからできる。日本語の言葉遊びを俳句で練習している、と言っていた

またある大学出の落語家は(今では珍しくないけど)

「人間ってほんとうにおもしろいと思う、見飽きないんだよね、いうことやることすべて、そういうちょっとした出来事を新作落語にして作ってみたかったの、でも古典落語のような深みがないと自分では感じている、これから古典落語を徹底的に勉強ですよ」

 

つまりは先人たちが磨いて残した日常の文化、それをつないでいく必要が今の日本にあるということ

鎌倉時代幽玄の世界から、質実剛健になって、衣食住の基本が整った時代の文化を私たちの先人がさらに磨き上げてきた

それを着物の着方から伝えていきたいと思っている

それを知っている年代の人として誇りをもって、伝えていこう、今こそ「私」だなんてにわかに思ってしまった(すごい)

参加お待ちしています

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魂と心の違い

2023年07月23日 11時32分41秒 | 日記

あれは「TM瞑想」に出会った時だ

本栖湖で手ほどきを受けた。友人の兄上の勧めで5泊の講義に参加。ちょうどベルリンの壁が落ちた瞬間を、参加者全員でテレビを見ていた

時代がどう変わっていくのか、当時は経営者の参加が多く、名の知れた上場卦会社の社長や、個人事業だけど大きく商いをしている男ばかりだったので、食事の後の自由時間では、これからの日本経済の行方という話題で喧々諤々。

「瞑想」をすることによって、宇宙からの啓示を受けやすい体になりたい、日本人としてどう生きていったらいいかを真剣に考えていた時代だった

20人の参加者で、女は4人、甘いスピリチュアルとは程遠い雰囲気だった

この経営者の一昔前の先輩たちは、中村天風さんや正岡正篤さんを師と仰ぎ、更にその上は内村鑑三、新渡戸稲造さんの武士道が人生の指針だったようだ

 

チャ子ちゃん先生もいっちょまいに、人生に対してどう生きるべきか、どう社会とかかわるべきかなどの悩みを抱いていて、まず自分自身との応答が一番だと思いつき、この仲間にはいった

 

その時脳外科医として活躍していた先生が、ある80歳の婦人の脳を「ぱきっと」割ったとき(これ先生の言葉)

「なんと美しい、みずみずしいとおもった」

内部的な損傷ではなく、外部で頭を打ったということで脳の中が乱れていたが、その手当をすれば、生き生きとした脳に戻るとと確信、その手術をし、その婦人といろんな話をするうち、脳の若々しさは「信仰にあった」

どの宗教を信じるとかそういう偶像崇拝ではなく、自分自身をしっかりと肯定して生きていた、それは信仰と同じだと思い、そこに達したいと願って、直感でインドの伝承医学をインドで勉強、そしてアーユルベーダ―医学に心酔、更に「TM瞑想」の教師にもなったという

 

その先生がかたる魂と心の違いに、その先生よりはるかに年上の経営者は「あっはん」という感覚で一気に明るい表情で聞いていた

もちろん私も目から鱗(この話はリアルで話します)

その説明が参加者全員に理解され、納得されてみんなスキップ状態でそれぞれの陣地に戻った

その後その方たちの経営ぶりは見事だったが、代代わりしてのち失速した会社もある

伝えられなかったのかと悔やむ

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比佐子つれづれ

2023年07月22日 07時53分05秒 | 日記

比佐子つれづれの会を毎月第四週の土曜日と決めて行っているが、かれこれ40年以上になる

始めはチャ子ちゃん先生もまだきもののことがわかっていなかったので

現場取材で仕入れたニュースをお話しする

また撮影などで知った着付けの極意を伝えるということだった

 

市ヶ谷のお堀の見える事務所で5人くらいから始めた会だった

当時は「きものKOSMOS」という季刊誌も出していたので、瞬く間に会員も増えた

その会員を中心に染織の現場にミニ旅行をしたり、歌舞伎や文楽または現代演劇などをみんなで鑑賞をしたり

きもののことを学びながらひたすら遊んだ。という感じ

 

チャ子ちゃん先生自身が行ってみたい、会いたい、やってみたいということに皆さんを付き合わせていた。という感じか

大赤字を出した船旅もその一環

でもそのおかげで様々な学びがあったし、生きるということはどういうことなのかを考えはじめるいいきっかけにもなった

 

現場に行くと本物が隠れていて、偽物が大いにもてはやされていることがわかる。そういう世の中なのだと思うから、何とか本物を世に出したいと努力する。そのためには自分で発信する道具を持っていなければならない。それが雑誌、当時はね、そして口コミ、この口コミが「比佐子つれづれ」だった

 

女の人の口コミは大きく広がるが、男の人はまず口コミはしない、動きが鈍い

こういう男と女の違いも理解できた

これは今の社会構造がそのようになっているだけで、本来の男はそうではない

 

市ヶ谷、中目黒、そして新宿と事務所を移し、今は縁あって銀座の「ゆうき丸」という料亭で開催している

その中には茶室がしつらえてあり、お茶席を開いてくださっている。なんともありがたい。会が終わると一服

 

内容は今年は「時代を色で感じる」ということで日本史を色と服飾の変遷で見ている

そこで自分が日本人であること、そしてこれから日本人としてどう生きていくかを感じ取っていただければいいと思っている

歴史から学ぶことは多い

 

きょう「比佐子つれづれ」だい

 

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今朝は涼しい 父の言葉を風が運んできた

2023年07月21日 10時30分33秒 | 日記

銀行に返済、国に返済という二重苦を背負っているチャ子ちゃん先生

お金を使うことが美徳のように思っていたが、今は違う

あるものを使おうという気になってきた(えらい)

お金は使えば使うほど入ってくると思っていた(バカだね)

でも実際そうだった

出れば入るというまさしく出るが先だよという感覚

貯金をしてある程度たまると病気になっていた

そのため未来に向けてお金を貯めようという気が全くなった

これは父の一言が効いている、もっともその言葉を自己流に受け取っているが

あるとき

「少しお金がたまったので家を買いたいと思う、足りない分貸ししてもらえないか?」

「まだ若い、そういうお金があったら海外に行ったり、いろんな勉強して自分自身にお金をかけなさい、人にお金借りて家を買うなんてとんでもない!そういう買い物はお金が余ったら買えばいい、投資もそうだよ」

と一蹴された

それから水を得た魚のように使うこと使うこと、お金が手元に残ることが罪悪のように思ってしまった(ほとんど無知)

しかし

だんだんいろんな人の考えに影響され、もっと大きく、もっと強く、もっと広くという考えになり、自分の実力以上の経営をしたくなってしまった。そのために喜んで貸す銀行も多かった

父が言っていた

銀行は町の金貸しと変わらない、利子で儲け返せなくなるとみぐるみとっていく、無借金というのが一番会社が健康、身の丈に合った経営をしなさい。と会社設立の時に注意を受けた

「お金の勉強が足りてないから会社なんて作るべきではない」とまで言われたのだ

それでも38期(えらいじゃん

 

このパンデミックでまさしく父の心配が現実になっている

だけどそのおかげで、今さらながら「身の丈に合った」ことができている

「買わない」という行為がどれだけことの本質を見せてくれるかも体験している

「お金をもつのはその人の一生を豊かにする

智慧を持つことは末代までの人を幸せにする」

だから自分自身に知恵をつけなさい、父の言葉が身に染む今日の風

 

 

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きものは涼しい

2023年07月20日 11時46分34秒 | 日記

きものの解放感は誰もが味わえること

浴衣がはやるのはその解放感だ

素肌の上に着て八つの通気口から風がビュンビュン入っては出ていく

この感覚がきもののだいご味だと思う

 

このだいご味をああだこうだと「着装」ということでいろいろ縛ってはいけない

多くの場合

紐を強く結びすぎていると思う

帯をきっちり強く締めすぎていると思う

きものを着つけている順序さへ守れば、着物は脱げない

その基本さへ知っていればいい

その基本はモノの一時間で覚えられる

着付けはむつかしい!とだれが決めたのかよく考えてみよう

何のためにむつかしくしたのだろう?

 

これはきものだけに限らず

戦後の教育の中で、簡単に身につくものほどむつかしいという植え付けをされている

私たちはいま、簡単なことをむつかしいと思いこまされていることに気が付き始めている

それがきものの着方にも言える

 

素材の涼しさ、特に麻は夏の王者

絹も涼しい、絽とか紗の素材は空気を完全に素通りさせる。だから冷房ガンガン効かされたら寒くて仕方がない

こんな素材を考えた先人たちがすごい

体が冷えていても、帯をすることで内臓が温まっている。そのために風邪をひきにくい

自分が住んでいる国の風土にあった衣服を捨てないでほしいと思う

 

昭和30,40年代

女たちは一時一斉にきものを捨てた。家からきものを着て表に出るのに「よっしゃ」と自分自身に活を入れたものだ

表に出ると「病気?」これは化粧していないとき、「おめでたい会?」これはお化粧をしているとき

この時期はまだ知らない人同士の会話があった

しかしきものを普段に着るのはびっくりの時代でもあった。着物は冠婚葬祭用になっていた

 

夏着物を着ていると「お暑いでしょう?」--無理して着物なんか着なくてもアッパパパと呼ばれていた簡単服のほうが涼しいでしょう・にーー

それでも

夏はきものの方が涼しいと思った

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