チャコちゃん先生のつれづれ日記

きものエッセイスト 中谷比佐子の私的日記

着物が繋ぐもの 108

2019年03月06日 11時06分08秒 | 日記
池田重子さんが目黒にお店を持たれた時
古着が美術品になるということに驚いた
古着を骨董品という美術品に高めたのは池田さんの功績だと思う

池田さんと市がたつ芝の美術俱楽部に何回かお供した
とにかく目利きの池田さんは誰よりも早く高値で落とす
そして持ち帰ったものを詳しく検証する
その検証の場に立ち会い様々なことを学んだ

その時もっとも私の興味を引いたのは「帯留め」
それは母がなくなった時着物の殆どは親戚一同に配ってあって
遺っていたのは姉妹がプレゼントした着物と時々使っていた帯留めだった

お茶の師匠の長姉と専業主婦の次姉は「帯留めは使わないからひさちゃん持ってなさい」
といって持たされたのは彫金で季節の花の物や翡翠や珊瑚の細工物
帯留めは机に引掛りあまり使用する機会はなかったので
「じゃあもらってあげるわ」という感覚だったが

池田さんの収集したものを見ているうち母が使っていた帯留めの価値もわかってきた

取材先で知った京都の舞妓さんたちの色石を散りばめた見事な帯留めは代々置屋が保管していて
舞妓さんの帯を飾っていることも帯留めに興味を持ち始めて知ったこと

自分の本の何冊かに池田さんの帯留めのコレクションの中から撮影させて頂いた
帯留めの事の起こりは江戸時代末期文化文政の頃に始まるらしい
流行は芸者から
お茶屋に上がる富豪の商人武士たちが持つ柄頭や目貫、根付、キセル細工の美しさに目を留めて
それをねだり、また同じ意匠のものを持つと言う契の印に帯留め用に作ったり笄に作り楽しんでいる

明治維新で廃刀令が出て柄頭や鍔などを作る必要がなくなったら
その職人たちは一斉に帯留めを作るようになり刀を飾った技術が女の帯の要となっていった

面白いことに洋服礼賛の鹿鳴館が華やかに浮き立ってくるとその反動で
「着物はこんなに美しい」
と着物が今までになく華美になりそれを飾る帯留めにも趣向が凝らされた

平成のはじめ「大正ロマン」といって溝色のような着物が流行ったことがあるが
それは全くのあやまりで
大正時代ほど色華やかな着物を一般の人達が着た時代はない
そこにも職人の腕の光る帯留めが必ず使われていた

将軍や大名に仕えた「家彫」職人と町人たちのために加工をしていた「町彫」職人とは当然作風が違い今の帯留めのデザインはこの町彫の流れを引いていると思う

女の帯を飾った帯留めには美術品が多いのだが
今の伝統工芸では帯留めは美術品とはみなされない風潮があるようだ
彫金で春夏秋冬の植物を表した帯留めは見ているだけで和む
その帯留めに通す三分紐は少なく二分紐に至っては機械織りでしか作っていないのが現状
いつの時代も変革は甚だしく残る必要のあるものしか残らないと思う

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コメント
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