チャコちゃん先生のつれづれ日記

きものエッセイスト 中谷比佐子の私的日記

着物が繋ぐもの 482

2022年03月31日 09時01分52秒 | 日記
きものは人を笑顔にする
きものは人に安心感を与える
きものは人の心を穏やかにする
きものは人に信頼感を呼び起こす
きものは心身を健康にする
片や
着物は高い
着物を着るのは苦しい
着物は約束事がありすぎて窮屈
着物は手入れが面倒

着物に対するネガテイブな思いを重要視して着物をアレコレいじくりまわしたのがこの77年間だったかもしれない

昭和40年(1965年)は日本は生糸の輸出量が世界一だった。養蚕業は国の経済を支えていたのだ。20万軒以上の養蚕農家がいた
現在は生糸の輸出はゼロ、輸入が世界一の国になっている
養蚕農家は平成30年(2018年)300軒を切った 現在は200軒を切っているらしい

着物が高い
という思いはみんなにある。ほとんど嗜好品になってしまった
日常着に古着や頂き物を着るということが在るが、其れには寸法が合わない。仕立て直しには5万円くらいの値段が付く、そうすると古着も高い、ということになってくる
洋服がどんどん安くなっているので、それと比べたら着物を購入したいという気持ちがなえる

呉服屋さんが日々店を閉じている
一人の子供が親の跡を継ごうとすると、兄弟姉妹たちが店を閉じて土地を売り自分たちに現金をよこせ、といって家族が争うというケースが増えてきた
すべて「金」が主役の世の中だったから、お金を持つことが幸せになると信じている

そういう中で学生のころからチャ子ちゃん先生のところに来ていた呉服屋の娘
「私着物の仕事今がチャンスと考えています、確り母の跡を継いできものを広めていきたい、ナカタニさんのご意見もうかがいたいので上京します。会ってください」
「もちろん!」

狂気に満ちた77年間が幕を閉じ、落ち着いたモノづくりの時が来ているとひしひしと感じる昨今、嬉しい話をいただいた

きものが導く日本の文化、これから始まる「日本文明が世界の中心」を支える若い人たちの目覚めの役に立ちたい
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カール・マルクス

2022年03月30日 09時29分29秒 | 日記
マルクスを知らないのは無知とまで言われた青春を過ごしたチャ子ちゃん先生
勿論チラリと読んだだけで、基本はプチブル世界にいた
マルクス=共産主義、共産主義は怖い。ロシアと中国そして共産党はダメ
という図式があり、すべての人間が平等という解釈には何か釈然としないものもあった

マルクスの深い理解もないまま毛嫌いして過ごしていた
ソビエト連邦が崩壊し、東西の壁もなくなり、あらためてマルクスの思想というのはどういいうことだったのだろうと、かなり大人になってよんでみた
そうしたら資本主義が成熟した先はみんな豊かになり、すべての人が平等になって、搾取したりされたりすることが無くなる、それはが共産主義なのだと読めたときは驚いた。みんなが自立して自分の仕事をすることが共産主義なんだってさという感じ

そして今
プーチンのロシアは怖いという人の流れ
ロシアはとっくの昔に自国の人たちが自立する道を選んで生活できるような国づくりをしている

ソビエトが崩壊する前、飛行機がモスクアに立ち寄ったことが在る。女性がピストルを腰に差し、ニコリともしないで私をトイレに案内してくれた
「ありがとう」
とにっこりしたら優しそうな笑顔が返ってきた思い出がある

どんなに主義主張が違っても、人は笑顔で理解し合える。と確信した瞬間だった

そして思う
人の解釈は千差万別、人の考えに同調するのは最も危険だ、自分の人生をその人の運転に任せていることになるので、どこへ連れていかれても文句は言えない

本当の幸せは「自立」することだと昨今特に思う、精神的自立だ

いまあらわになっている「グローバルエリート」たちの地球制覇の目論見に、唯々諾々とついていっていいのだろうか
自分の目で耳で心で真実を見ないと、とんでもない世界に連れていかれる。
自分の人生は自分の手で運転しよう

おしらせ
今日20時からチャ子ちゅーぶです
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文化を捨てるということ

2022年03月29日 11時24分41秒 | 日記
つくづく思うことが在る
敗戦の時JHQが日本の文化をいろいろと壊して規制したが、その時「着物を着てはいけない」という条例がなかったことよかったと思う
「日本語を使わせない、すべて英語にする」といって必須で中学からは必ず英語の教育がなされた
その時「日本語を残したい」と命を懸けて戦った言語学者のおかげで、私達は日本語を使っていいようになったのだが、それでも使っていい単語と使えない単語が厳しく規制された

日本史は改竄され神話を教えることは禁止された
そんな中で着物を着ることは許されていて、着物を着てお稽古する茶道や日本舞踊、仕舞、琴三味線、長唄などは残ったが、其れより洋楽やバレエ、ダンスなどのレッスンに進む人の方が増えた
みんな豊かなアメリカ人の暮らしぶりやモノの豊富さにあこがれたのだと思う

街の中の、自然がいっぱいのいい場所には進駐軍の家族が大勢住んでいて、そこに縁あっていけばバターや砂糖、チョコレート、ビスケットなどが豊富にあった
また洗濯物を棹に干すのではなく、広げて紐にかけ洗濯ばさみで挟んでいくという干し方に、主婦たちはすぐ真似して、「棹えーさお」と売り歩いていたおじさんたちの仕事はなくなった

無くなった仕事は多い
茶碗が割れた金つぎしてもらおう、お椀が欠けた塗り替えしてもらおう、傘の柄が折れた、継いでもらおう、ザルに穴があいた編み継してもらおう、鍋に穴が開いたー-
そういう作業を家の前や縁側でやってくれるので、子供たちは一心に見つめて、モノを大事にする生活の基盤を身に付けた

しかし戦勝国はそうはさせない、石油製品で日常の什器は大量に生産され、消費するように仕向けて、国中にごみを増やし自然との共存共栄で文化をはぐくんできた日本人の生活を一気に変えてしまった
石油製品を使うことは戦勝国を富栄えさすことでもあった

きものもここへきておかしくなっている、石油繊維の物が多くなり養蚕で潤った日本の絹文化は風前の灯火

そして80年近い月日が流れて来たら、その前の日本人の多くの文化が抜け落ちてしまっている
文化のない国、神話のない国は国がつぶれるという諺があるが、正しく今の日本がそういう形になっている

日本を愛する人達に国を動かしてもらいたい


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比佐子つれづれ 大阪編

2022年03月28日 09時43分47秒 | 日記
それぞれその人らしいお着物で20人が集まってくださった「比佐子つれづれ」大阪編
集まりの場所を、東が銀座だから大阪は心斎橋で、とお世話係の田中美咲の発案で、英国屋という老舗のレストランセミナールームを推挙してくれた
バルコニーに可愛い花が咲き乱れ、明るくて穏やかな雰囲気のお部屋だった

主題は
昨年末に出版した「きもの古今東西」を著者二人がリアルに語り合う。というもので、京都から安藤孝子が登場
二人でまるで漫才のようなやり取りで話が進んでいった

花柳界に長くいる安藤孝子は着物が制服のようなもので、その季節にはどういう装いをしたらいいか、着物は崩すものではなく、品よくきちんと着なくてはならないという、確固とした思いがあるし、またその通りに着物と付き合っている。それを一概に西の着物の着方とは言えないが
「私はオーソドックスに着るのが好き」
ここまではいいが
「大体最近京都では変なレースの着物を着ている人が街を汚してはるしーー」
と続いていくので
「まあねそれでも着物を着たいということがありがたいのではないの?」
「それ違うと思えーーー」
と舌鋒激しくなる

この辺のやり取りが面白かったらしく、大笑いで時を刻む
なにせ「祇園甲部」に籍を置いた芸妓としての誇りがあるので、今の着物の潮流には流されない確固とした自信がる。今回その姿勢を美しいと思った

「誰かがきちんとした着物の着方を見せへんときものがくづれていくとおもうえ」
全くその通りだけど
「基礎を知ったうえで、自分の冒険というものをしていくのもいいと思うわ」
「その基礎をキチンお教えていあはる人がすくないんとちがう?、比佐子ちゃんシッカリしてな」
とオチがついてしまった

孝子はんのまっとうな着物観をもっと聴く時間も必要かもしれない

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昨日の続き

2022年03月25日 08時57分53秒 | 日記
思い出した時に書いておこうと思う
チャ子ちゃん先生をそこに案内した日本人宝石ブローカー、其れにいつも身辺警護のような風姿で黒い衣裳のイギリス人、今は亡き人になっているので、その時の詳しい事情がいまだもってよくわからない

ダイヤモンドの出る山を幾つも持っているという人の屋敷に案内されたのは次の日だった。深い緑色のロールスロイスがホテルに迎えに来て、私一人がそれに乗っていくのだという。ブローカーと警護の人はもうあちらに向かっているのだと制服制帽の運転手が言う

乱暴な英語しか話せない私(着物が泣くよって)だから英国ではしゃべるなと言われているので、黙って車窓の風景を見続けていると、昨日の屋敷よりさらに大きな建物が見え、門番のチェックの後玄関に向かう。その道の長いこと

ここも執事が慇懃に迎えてくれて、まず試写室に入る。そこでダイヤモンドの山での作業風景を見せてもらう
ダイヤモンドというものの力強さを感じる映画だった
小さなダイヤモンドしか目にしたことのはないし、ダイヤにそれほどの金融価値があるとは知らず、全く見たことのない世界に戸惑った

つまり彼らが話している内容はダイヤモンドの相場の話、更に過去のダイヤの持ち主の話、山で働く労働者をいかに警護(つまり盗掘されないように)の話で男たちは盛り上がっている
ロンドンの霧のような話の中にいて、すべてがお金に行き着くことが「善」という考え方なのだなと、住む世界の違いをひしひしと感じ、何か背筋が寒くなった

ダイヤモンドに十字架が現れる研磨の技術も研究していると、ルビーとかサファイアは自然に十字が出てくるのでそれでいいではないの?と静かに一人で思う

そのあとアフリカにダイヤモンドの山の取材に行き、特別なダイヤモンドを作り上げ、その小冊子と共にダイヤの販売で完成ということだったが、その話は途中で消えてしまった

自然からの贈り物に「相場」など似つかわしくない、といった私の言葉が仕事が流れた原因だと今ではわかる






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ロンドンシテイ―

2022年03月24日 09時22分53秒 | 日記
最近ユダヤ人とかロスチャイルドなどの言葉が頻繁に出ていて思い出したことが在る
多くの方がイギリスに行けばグリニッチビレジを訪れると思う
そこロンドンシテイ―に初めて行ったときは、ここから暦が全世界に広がり、アングロサクソン文明が隆盛を極めた大英国の心臓部分ね、と思い無邪気に感動

その時は色の勉強のために訪れたのだが、さすが大英帝国なんてはしゃいでいた
帰ってロンドンシテイ―のことを調べていたら、このロンドンシテイ―とバチカン、アメリカのDCはそれぞれの国の物ではなく、ロスチャイルドを中心にした国際金融資本の持ち物であるという本があって仰天した

その話を半信半疑で受け止め再度ダイヤモンドの取材のためロンドンに渡った
連れていかれたのはユダヤ人しか入れないという、ダイヤモンドの取引場であった。黒い衣装を身にまとい、黒い帽子を頭に付けた男たちが、のんびりチェスやカードに興じていた

着物姿のチャ子ちゃん先生を見て粗末なカップに紅茶を注いで持ってきてくれたり、クッキーを渡してくれたりするが、話しかけてはいけないと聞いていたので、ニコニコ笑って受け取り飲んだりした後、ダイヤモンドの研磨の場所に案内された。ここでは写真は許され技術者とも写真を撮り、細かい説明もしっかりと聞かせてもらった

前の部屋では何をしているのかただ集まって遊んでいるように見えたが、実はその場所こそ全世界のダイヤモンド相場を決める所だった。うろうろしながら何億、何十億の取引が行われていたのだ

その建物を出たとき思いきり深呼吸をした。
その後ある方の屋敷に連れていかれた、其処ではデザインされたダイヤモンドの数々が拝見できるという

連れていかれた屋敷の豪華さ、定番のようにイングリッシュローズが庭に咲き誇っていた。シルクの絨毯が張り巡らせてあり、思わず草履を脱ぎたくなるような整い方、執事の案内で応接間に入り、体のすべてが沈み込むような椅子に掛けていると主が現れ、ワイン色の宝石箱の中からいろんな珍しいダイヤモンドを見せていただいた

「ヒサコさんの英語は下品なので日本語で質問するように」(笑)
と言われていたので日本語で質問すると、なんと日本語で答えてくださる

不思議な取材だった
大富豪であることははっきりしているが名前も住所も教えてもらえなかった。つぎの日も異体験が続くロンドンシテイ―の取材
その日々を思い出したのである

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着物が繋ぐもの 481

2022年03月23日 09時13分42秒 | 日記
「腰に帯をせよ」
新約聖書「ペテロの書」にそうあるのを見つけたとき、日本人はとっくにそのことを知っていると誇らしく思った

今現在のように社会が騒がしい時、あっちの話、こっちの話にうろうろするのではなく、しっかり腰に帯を巻いて、心落ち着けなさい、という意味
仏教の座禅もそう、もちろん瞑想も、肚に意識を集中して落ち着くことが肝心、肝と心という字があてられて「肝心」

静かに自分との対話が必要な時なのだと思う
腰を落ち着けるということは東西で同じ意味を持つ、しかし日本の場合はそれが常に一瞬に出来る民族、勿論着物を着ていればーーーということだけど

帯の役目を考えたとき
着物の裾がはだけないようにしているだけでなく、帯の位置を自覚し、その場所に意識を集中することで、心落ち着かせているということだと思う

心が落ち着くと人の言動に左右されない
今やらねばならない小さなことに専念すれば、必ず明るい未来に行ける。今から2000年も前の聖者もそういっている
ですけど
日本は聖者に言われる前から、腰に帯を巻き心を整えている民族なのだ。それを私達は忘れてはいまいか

男の着物姿がめっきり減って、日本は女々しい国になってきたように思う
肚が座っていないのだもの
男は帯一本で着物を着ている、女も昔は腰紐一本で着物を着ていた時代がある
紐が増えていくことで、紐に頼り、肚で着物を着るということを忘れてしまった。恥ずかしいことに男まで腰紐を使っている。ああ恥ずかしい

着物を忘れた民族は、肚に力が入らないので右へ左へゆらゆら気持ちが動き、挙句の果てにはすべて人のせいにして、自分で責任を取らない

肚を意識して落ち着こう、今はそれが急務。着物を着て帯をびしっと締めてごらん。腹が落ち着くと同時に心が揺らがない

今宵の「チャコちゅーぶ」でもっと詳しくお話しします
20時です

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マスク考

2022年03月22日 09時01分55秒 | 日記
マスク顔は年齢を隠す
初対面でマスクを外した途端!えつこんなおっさん?えっこんなぶすこちゃん?
ひとって年齢が現れるのは「ほうれい線」とか「口角」なのだと理解できた。このことがマスク人生のプラス

レースのマスクや不燃織、手術の時に使うものや、絹、まこも、麻、ガーゼ、草木染、絞り、大島紬や結城紬、友禅を描いたもの、浴衣地などなど実に多種多様
最近は電車に乗るのが楽しみ
99%の人がマスク姿でスマホと格闘、これが東京の人の姿だ

色は白が圧倒的、黒の人も結構いるね、黒いマスクをしている人は、サングラスをかけ、黒い帽子をかぶっているので、きっと身を隠す必要がある人かもしれない

マスクはノーメイクでもいいので、起き抜けの顔を隠すにはもってこい、それにしてもマスクを外した顔があんなにも崩れてしまっているのだとびっくり、顎もだらりと下がっている人を見て驚く。マスクを外した後のお顔の手入れはかなり気合を入れないと、そのまま老けてしまう人もいるかもしれない
だとすると
ほうれい線と口角を上げるということに氣を使っていれば、顔は若々しく見えるということだ

とりあえずマスク
口封じのマスク
みんなといっしょにいないといけないという社交マスク

もう多くの人はコロナ菌をマスクで防ぐといううことはあり得ないといううことを知っている。逆に自分の吐いた炭酸ガスを再度吸っているので血栓をおかしくするということに気が付いている

いつ外すのだろうと思っていたら
国土交通省からこんな文書が出ていた(マスコミは一切取り上げていない)
公共交通機関のマスクの着用についてという公文書
マスクは新型コロナウイルスの感染防止に効果があるという根拠はない。マスクの強要は刑法223条の強要罪にあたり、強要した場合3年以下の懲役となるのだと書いてある

先日ワクチンを打った友人が
「ワクチン打ったらコロナの陽性になっちゃった」
本来の日本人の食事さえしていればおかしな病にはかからないことを信じよう
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お中日

2022年03月21日 07時57分35秒 | 日記
本日は春分
真東から昇る太陽を拝もうと思っていたのに、曇り
夕方は陽がさすだろう、そうすると真西に沈む太陽が眺められる
風水の仕事をしていると磁石をもって東西南北を図るので、現実の日の出の位置の東と角度がずいぶん違い、戸惑ってしまう

地球が動いているのだから仕方がない
最近は地球は丸くなく平面だと主張する方もいるがーー地球儀で見る地球と地図で見る地球の雰囲気は確かに違う。国境のない国に住んでいる私達は「地球」というとらえ方も他の国の人達と違うと思う

さてお彼岸にはお墓参りは欠かせない
「お墓」という解釈も時代によって変化をして来ている
もうお墓はいらないという方も多い、現在の焼き場の熱はとんでもない高温で、場合によっては骨など一切残さないほどの骨の焼き方があると聞いた

其れとは別に鳥や猫(外ネコ)達は、この世から姿を消すのがうまくて、宇宙の波動と同調をして姿を消してしまうのだそうだ

新宿中央公園に60匹の猫がいたとき
「にゃじらはどうしたの最近いないわね」
「ああ消えたよ」
という会話が当たり前のように繰り返されていた
「猫は決して自分の死んだ姿を人にみせない、鳥も大体消えるね」
「その消えるということはどう言うことなの?」
「よくわからないけど、特別な消え方があるんじゃあないの」
この会話は猫を世話している公園に住むネコニーさんとのやり取り

その後インド哲学に詳しい先生にお聞きしたら
「人も無になって食べ物を入れない生活を続け、祈りの毎日を過ごしていると、自分の死期が分かり身を消すことが出来る」
「死者の書」というのを渡されて読んだ
アメリカのテレヴィのクルーズがその映像を撮影し、本にしたものだった

日本にも土の中に入って静かに死を迎えるという手法があった。しかし身は残したようだ

確かに何もない所から身を育ててきたのだから、何もない消え方もできるかもしれない。それには宇宙の波動と合わせるほどの清き魂にならねばね、かぐや姫みたいに消えていきたい(笑)
牡丹餅ほおばりながら空想するチャ子ちゃん先生


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美しいキモノ

2022年03月20日 10時32分26秒 | 日記
昨日の「比佐子つれづれ」には、美しいキモノの元副編集長の「富澤輝実子」さんをゲストにお招きして、在籍40年の歴史を語っていただいた

正道を歩む編集態度に改めて尊敬の念が生まれた
一本の糸を辿ってその糸がどういう旅をしていくのかを、一年間かけオールカラーの40ページ、圧巻の編集を若い時にして、その時の思いが「産地取材」に軸足を置いた仕事姿勢になったのだとおっしゃっていた

始めは小千谷、昭和村の苧麻畑から、績む人の取材、新潟での織り、その種類を女優さんたちが着る、さらに着た後の小千谷の雪晒、小千谷縮を細かく細かく取材し、写真に収め、着方まで丁寧に編集されている

同じ姿勢で奄美大島の大島紬、絣くくりの時代から締め機になり、絣の美しさを競う人達の取材、しかも島の人たちの大島紬に対する深い喜びを感じるモノづくり

結城紬、十日町織物、足で歩きこまかく取材した一つ一つの話が、聞いている人たちの胸に響く
日本人の物づくりに対する真摯な姿勢が富澤さんからユーモアを交えて話されると、作る人たちに心を寄せた着物の着方をしたいと思う

岡谷の製糸工場での「工女さん」たちの話は、皆さんが「野麦峠」の悲しい物語とあまりにも違うのでびっくり。90歳をはるかに超えた方々の、聞き取り調査の結果を目で確かめ、調査した方の(その方も90歳になっていた)生の声を聴いて、日本が生糸で外資を稼いでいたころの風景が、聞いてる人たちの脳裏に宿る

十日町蘇生の一つが黒絵羽の羽織生産であり、明石縮であった。織の産地であった十日町に型染の技術を教えた人、各産地同士の技術の交換も、富澤さんはしっかりと現場で見てきた

そして今なお現場で、精力的に作り手とのおつきあいを広げている

淡々と深いお話をなさる姿に感銘を受けた時間だった
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