チャコちゃん先生のつれづれ日記

きものエッセイスト 中谷比佐子の私的日記

執着

2023年04月30日 09時46分26秒 | 日記

昨日は赤穂普門寺の住職藤本住職がなくなって49日め

普門寺では心温まる法要が行われたこと、信者のお一人からお知らせいただいた

檀家を持たず寺に出入りなさる方たちの下で寺は経営されていた

朝5時の勤行には数十人がおあつまりで、みんなで掃除をし、住職の講話を聴く、毎朝だ

泊まると朝は必ず「比佐子さんも講話を」ということになり、お話させていただく

内容は「昨夜住職とこんな話をいたしましたよ」

 

住職との大きなテーマは「執着」ということ

人の一生はこの「執着」との付き合いがどのように変化し昇華されていくかにかかっているという感覚を二人は持っていたので、自分の執着が何にあるかを知って、それを認め中にいれて消し昇華させるという作業がいいねえ、と話し合う

片やれっきとした宗教家、比叡山で修業した天台宗の教えを持っていらっしゃる

こちらはただの一般人

誕生日が同じというだけで、心を開いて話し合う仲になっている、同じ世代の社会経験も二人を近づけた要素だ

でも一番の要素は「愛」だった

お互いに相手の生き方を尊重し、承認しあい、そこからお互いに学ぼうとする姿勢、まさしく「友とは淡く付き合い深く思いあう」という関係だった

そして

最後に話し合った内容は

泥の中にいても泥にまみれず

清き水の中にいても清きに酔わず

何事にも執着の心をもたず

足るを知るこころ

 

こうありたいね

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

口と心と行い

2023年04月29日 09時44分16秒 | 日記

有言実行

昭和の初期までは「口と心と行い」が伴わない人は軽蔑されていたように思う

「あの人口ばっかり」

「あれは心が伴っていないから人に信頼されない」

「がむしゃらに行動しても成果は上がらない」

「あの人はえらい言ったことは必ずやってくれる」

このような大人の言葉を時々耳に挟んだ幼少時代がある

 

戦前の家には「縁側」というものがあって、中庭の縁側には、近所の人や、物売りや、植木職人などなどの人が、母のふるまうお茶を飲みながら世間話をしている

幼い子供たちはその大人の目の届くところで、ままごとや砂遊びをしながらそれとなく大人の会話に耳を傾けている

傾けているというより、自然に言葉のいいくつかがそれぞれの耳に入り心に残っていく

同じ話を聞いていても子供たちの頭ではみんな同じのことを感じているわけではない

 

それぞれが成長していって腹の底に位置ていた大人たちの言葉がよみがえることがある

失意や苦しみに向き合ったとき、ふと幼い時に聞いた大人たちの言葉がよぎる

「ああそうなんだ!」

そこから立ち上がることもある

 

昨夜信号を渡ろうとしたら、姪の娘にばったり

「比佐子おばちゃんに会えたうれしい‼ 付き合って」

ワインをごちそうになりながら様々話を聞いていく、とりとめのない肉親の話だったり、友達との会話の感想だったり、お稽古場の様子だったり

「肉親」という不思議さ、どんな内容の話でも忌憚なく会話が進む

 

神様もなかなかしゃれている

わざわざ「お話があります」という電話などもらうとお互いに構えてしまうが

こういうように自然に会えれば、昔の縁側の大人の会話ができる

結局

「口と心と行い」が一緒でないと幸せにはなれないね。ということでお開き

 

 

 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

現場に行きたい

2023年04月28日 07時41分55秒 | 日記

「そうかなあ」

という疑問が出たら直ちに現場に行きたい

ずっと感じていたことがある

日本の文化の「元は」すべて「中国」から「韓国」から来たものだと

「養蚕」「機織り」それはすべて「中国」から

 

確かに飛鳥は隋、奈良は唐という中国文化の影響が強い

それを取り入れて日本独特の文化に仕上げてきた

 

事の始まりはどうして「和服」ではなく「呉服」というのだろうかという疑問だった

「呉の服」は古代の服の状態に似てはいる

呉服屋という文字が頻繁に表れるのは江戸時代に入ってから

その時代はもう「呉の服」の形はしていない

 

布は風化するので、書いた書物からその時代の衣装の形を想像するしかない

旧約聖書時代の衣装も日本の縄文や弥生の衣装と似ているように思う

人間の衣装というのはその土地の気候風土に合わせて着るものが誕生する

 

日本には何も文化がなく、すべては近隣諸国の文化からいただいたもの、という考え方はどうも腑に落ちない

今まさしく「そうではないよ」という風潮が出てきて喜ばしい

だいたい「秦氏」はユダヤ人であったという方々もいる

日本人と旧約聖書を結びつける動きもある

 

「呉服」の名前の由来は私なりに納得できる歴史的事実を、広島の「呉」でつかんだ

これから「五福屋」にしたらいいなんて思ってしまう

1絹が体を健康にする

2色があなたにエネルギーをくれる

3模様があなたを喜びに連れていく(吉祥文様など)

4素材があなたを季節に合わせてくれる

5あなたに品格を与えてくれる

こんな素敵な衣服はないな

 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アナログは生きにくい

2023年04月27日 10時47分03秒 | 日記

何でも電子書面

捺印してくれと契約書が来る、証明書が来る、説明書が来る

ハイハイとパソコンの前に座って契約書を読んだりする

でも文字が素通りして時間ばかり食う、やってられねーぜ、いやだ!こんなことに時間を使うの

一人会社になってきたので事務的な処理も全部自分でやらねばならない

事務を補佐してくれる会社と契約した

パきパキ素早くものの見事に完了委する

しかし「いま」というときにそばにいないので、チャ子ちゃん先生がやらねばならないことが多い

この時間があまりにもかかるのでもったいないと思ってしまう

サクサクサクとできないもどかしさがある、しかしもうそれを習おうという気も起きない

できないことはできない

新しいことに挑戦していたのはコロナ前までだったと気が付く

この奇妙な三年間でじっくりと来し方行く末を考えた、そして分かったことは先輩たちの声をつなぐということ、これは日本のために必要だ

そして、自分がやることはほかにある。と思いつつも、やれることはやっぱりやろうという勤勉さが身についている昭和11年生まれ

 

申し訳ないけど紙の書類にしていただけないですか?

と今朝はメールした

老いた人が暮らしにくくなる地球。でも死ぬまで生きようって

 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

出遅れの日

2023年04月26日 15時48分27秒 | 日記

冷たい雨

雨は嫌いではない

ぼーと雨脚を見ているだけで心が収まる

今日は静かな雨

こういう雨には蛇の目が似合う

蛇の目に打つ雨脚の音もいい、時々その音を聞きたくて公園の中を歩き回る時がある

音に合わせてただ歩く

公園は舗装があまりされていないので、雨下駄との相性もいい

 

そんな遊びをしていたら

お約束のところに行くのの遅くれ、その時間が終わって恩師に花を手向ける予定だったのに時間を外してしまった

どこかで足が重かったのだ、何か体中に重しがかかる感じがしていくことに躊躇していた

いやなのだ、この世から消えたことが納得できないでいる

ご家族の悲しみを思えばそんなこと言ってられないというのは承知

でも体が動かない

 

静かな雨の降り注ぐ

世を去りし師の

我に残る面影しのびつつ

雨脚の音しみいる夕

 

さあさあ

今夜は「チャコちゅうぶ」だぜ

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

手放すということ

2023年04月25日 09時23分44秒 | 日記

なじんだものを手放すのはかなりの勇気がいる

すべての「モノ」に神宿るという考え方が日本人

使い切って使い切って処分するというのが昔の日本人

そのため「安物買いの銭失い」という言葉もあった

いいものを身の回りにおいていつくしむ心が大切だと、そしてそのモノの使命が終わったら潔く処分する

 

友人が経営する会社に女会計士がいた

当時はバブル真っただ中チャ子ちゃん先生もいい気分で消費をしていた

しかしその彼女いつもいつも同じハンドバック、靴もそう、更に着ている洋服もとっかえひっかえではない

でも有名ブランドのものだから仕立てはいいし貧乏くさくはない

「そのバックよほどお気に入りなのね?」

思い切って聞いてみた。答えは

「モノはだめにならないと新しいものは購入しないの」

「へーー」

腰抜かすほど驚いた

ご主人は有名カード会社の日本支社長、本人も高給取りだ、浮かれている人々の中でこういう人もいるのだと心底驚いた

「ご主人もそうなの?」

「主人がそういう考えの人なんですよ、でも私もそう思う」

「はーー」

私は絶対できない

ある時そのおうちに呼ばれた。ご主人の手料理は一流シェフそのもの、更に調度品,、什器、家具、料理を乗せる器も高級品で美しい。何もかにもが整っていて映画のセットのようだと思ってしまった。もちろん家屋も超立派、庭は庭師を雇い美しい。部屋は整理整頓されていて余分なものは一切目につかない

なるほどこういう生き方なのね

 

その女性の佇まいも品がよく静かだもの

なれるか?なれないと即答

 

その女性はしばらくして友人の会社を辞めたのでご縁がなくなった

ところが昨日電車の中でぱったり

「これから○○さんにあうのよ」彼女が務めていた社長とおしゃべりしようという日だった

「私も時間があるのでお会いしたい」

三人で盛り上がる。件のご夫婦は何もかも手放し、武蔵野の奥に引っ込んで自給自足の生活に入っているのだと、日焼けした顔で生き生きと近状を話してくれた

野菜送りますね!と言ってくれた。うれしい

 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

恩師逝く

2023年04月24日 07時37分09秒 | 日記

55歳になったとき声楽を始めた

業界で「せんせい、せんせい」と言われ、かなり重い仕事もしていて、とても「たかぴー」になっていた

自分の仕事に全くつながらない趣味持って、鍛えなおそうと考えた。選んだのが声楽

 

そのころチャ子ちゃん先生の秘書をしていた人が「ママさんコーラス」に入っていて相談したところ

自分の先生は女先生だけど、夫君の男先生が声学家を育てているその先生についたらどうでしょう?と提案してくれた

伺ったら「僕は素人は教えない、コーラスのほうに行ってください」とけんもほろろ

 

しかし話しているうち同郷だとわかり、少しずつ打ち解けた時、奥様の女先生がとりあえず声出してみたら?ととりなしてくれて何とか弟子にしていただいた

 

声は出ないが音符は読める

きものに関係はないと思ったのに、声の出し方がきものの姿勢に通ずる、更に骨の動かし方がなんと着付けの時にも使う骨、そんなこともあって声楽の面白さにはまった

 

30人くらいのお弟子さんの中で、素人は私一人、二期会に入っている方や舞台に出ている方も多い

そういう人の中で発表会に出てみなさいという

とてもとてもとしり込みする私に、女先生が

「私たちがどれだけみんなが成長したかを知りたいのよ、舞台に出て歌うということは中谷さんにとっても意味がある」

まさしくその通りで、日本語の美しい発音の仕方、言葉は言霊なのできれいにしっかり発音することが大事

日本語の練習が始まった、言葉の指導は女先生

 

常日頃は女先生とても家庭的で、夕飯を作ってくださったり、おいしいお茶を入れてくださったり、更には声の出ない私用に選曲をして楽譜を書き直しても下さる。常に夫を立てながら控えめにしていらっしゃる

しかしいったんレッスンとなると厳しい、歌詞の意味をどう表現するか、言葉のフレーズのつなぎ方など細かい注意があり、できるまで何度も繰り返させる、容赦ない指導

お二人とも芸大出身のオペラ歌手、現役引退のあと後進の指導に当たっていらしたので、素人のチャ子ちゃん先生には手を抜くかといえば、それはない、舞台での感想も手厳しい(私プロではないのだからゆるして)

 

そして両先生の指導の下来年は「八十路の会」を開こうとお二人が私を指名してくださった

曲が決まり細かい言葉の指導が始まったその時、女先生はがんに倒れ今朝逝かれた

 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

比佐子つれづれ

2023年04月23日 10時25分11秒 | 日記

「比佐子つれづれ」今年のテーマは「時代の色」

縄文、彌生、古墳、飛鳥、奈良、平安、鎌倉、室町、安土桃山、江戸、明治、大正、昭和、平成とそれぞれ時代に色がある

その色の感じ方は人それぞれなのだが、なぜその色を感じるかで、日本を、自分自身を、更に未来をどう感じているのかがうかがえて、毎回私自身が勉強の場になっている

昨日もそうだった

「飛鳥時代」を取り上げた

古墳時代の豪族たちを統一して統一国づくりが始まった時代だ

そこに「大王」という世のすべてを統制する「長」が据えられ、それがのちに天皇となる

それまではつまりは力のある豪族たちの連立国家、合同会社のようなものだったのだろう

そういう中でも権力志向の男が現れ、他をなぎ倒して国をわがものにしてしまうのだが、そこに神のような清廉潔白すべてを見通せる男の誕生、厩戸皇子、聖徳太子

聖徳太子が作ったといわれる冠位十二階・十七条憲法、これが日本人の基礎になっている気がする

 

 

十七条憲法は今の政治に絶対取り入れてほしいものだ

今も昔も権力にあがなわない風潮があったことに気づく

「民のため」の政治だとあえて言わなかればならないことは、この飛鳥時代にも富む和の国ものと瀕するものがあったという証

金銀体に付け華やかな人を優遇し、貧しき布をまとった者を邪険にするのも今と昔は変わらない

裁きは公平ではなく、自分に有利な者を優遇する

民からは税金を取り立て自分たちは優雅に暮らす

仕事は与えるもので自分たちは働かず、そこからの上がりものを検分する

このようなことは一切してはならない

というのが十七条憲法が言いたいことだ

 

冠位十二階では色で冠位を決めたのだが、それは陰陽五行思想から来ているもので、隋の文化を取り入れ「倭の国」ように日常に取り入れている

五行五色に紫を加え、その紫の意味を「徳」とした

人に一番必要な「徳」その紫を「紫根」で染めることにしたのだ

徳・仁・礼・信・義・智が人間の基本という、六色濃淡で12色、十二階

私たちの先祖は賢くて優しいとつくづく思う

 

来月五月のつれづれは27日(第四土曜日)

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

着物が繋ぐもの 517

2023年04月21日 09時04分46秒 | 日記

胴抜き仕立て

正確には胴裏をつけない、八掛だけを着物の裏に付けるという仕立て、別名人形仕立てともいう

人形衣装の考案をしていた時、人形の着物の仕立てが色々あることを教えてもらった

人形、とくに「市松人形」私たちは子供のころ「おぼこ人形」と呼んでいた。「かわいい」という言葉に「おぼこっぽい」という言葉を使う大人もいた、その市松人形は着せ替えになっていて、私たちはその人形の着せ替えをしながらきものの着方を学習したのだとお今思う

 

ほとんどの家庭で女の子のいる家には市松人形があった

その人形を大人になって改めて触ったとき、「どう抜き仕立てであった」ことに気が付いた

裾に「𧘱綿」(ふきわた)という真綿を入れて重みをつけ、帯をまく胴体はきものの布を減らして(どう抜き)にして金襴緞子の華やかで帯を結ぶ、なるほど「胴裏」というたった一枚の布がつていることで、胴が膨れ全体像が崩れていくのかと、たとえ子供の持つ人形であっても「美」を優先するために工夫が凝らされていることに驚いた

 

この胴抜き仕立ては人にも使える、と意気揚々姑に話したら

袷と単衣の間の季節に着るといいのよ、かーるくいわれて

「昔からこういう仕立てはあるんですか?」

「ありますね、季節に合わせて着物を着ればそういう形の追及は自然にするわよね」

なるほど

鬼の首を取ったみたいに意気込んで話したけど、毎日着物で生活していた女たちの知恵は半端ではない

 

ということで、ただ今の季節チャ子ちゃん先生の着物ライフには「胴抜き着物」がご活躍

これって結構仕立てがむつかしいらしく、やりたくないという方も最近は多いし、知らない方もいる

 

まえに透紗の着物の仕立てを若い方に依頼したら、裏返しに縫ってきた

裏に色の強い糸が出ていて、それが表に透けて見える織り方で、地味なほうが表になるそれが粋

先人たちの美意識はきものに結集していたのだなあと今更ながら驚嘆

 

さて本日も胴抜き、26度まで気温はあがるらしい

 

 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

山藤の花

2023年04月19日 09時50分23秒 | 日記

新潟の十日町に初めて行った時が山藤の花の盛りで、樹木を這い上って美しく咲き誇っている藤の花の姿に怖さを感じた

中には枯れた木もあり、藤の花の世紀にやられたのかと枯れ木に花が咲く姿にあきれ返ってみていた

山の春が来た頃は毎年この花の姿にややおののきながら山を見つめたものだった

初めて行ったときは峠を越える道順しかなく、山並みを車が走っていくのだが、我が物顔に咲いている藤の花に怖気ついた

それ以来

藤棚の下に立つのも、庭木の藤の花にも何か違和感を感じてしまう

本場結城紬に藤の花を刺しゅうして悦に入っていた時、今は亡き奥澤順(億順の社長だった)

「チャ子はどういsてこんなもったないことをするの、いやになったからって刺繡糸とるの大変なんだから」

刺繍は嫌にならなかったけど、なんだか藤の花の怖さにその結城紬に手を通す気にならず、ずっと箪笥のなか

 

さらにきものが連れて行ってくれる日本の歴史を学ぶうち「藤原家」の権力志向の陰謀にも気が付くと、ますます藤の刺繍の着物が遠のく

そしてある日

藤原家の政党の地を引く方にお目にかかり、失礼にも藤の花なお怖さと藤原家の陰謀などについて話していくチャ子ちゃん先生、周りから

「礼儀を知らないにもほどがある」

とさすような目で見られていることを知りながら、口がちまら#結城紬ない

しかしながらその話が功を奏したのか今は仲良しこよしで、ハウjわら家のことをを教えていただいている。ありがたや

 

今年は藤の花が早く咲いていて、あちこちからFBに写真が上がる。ほとんどが藤棚の美しい姿

一つ一つの花弁は本当にかわいい

岡谷で「登藤」の藤棚を見たことがある

そういうことを考えているうち、久しぶりにというか何十年ぶりにタンスから件の藤の花の結城紬を取り出してみている

今日はこれを着よう

こちらは山に藤ではないのだもの、それにチャ子ちゃん先生「結城紬大使」に結城市から任命されているんだものね

 

 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする