チャコちゃん先生のつれづれ日記

きものエッセイスト 中谷比佐子の私的日記

着物が繋ぐもの 419

2021年03月31日 18時35分53秒 | 日記
今日は埼玉川口市にある着物お助けクラブ「丸富」さんの工場を見学した
京都、十日町など着物を美しくする会社にはよく昔から取材に行っていた
そしてそこで働いている方たちの姿にいつも感動をする
本日ももちろんそうなのだが、特に深い理解をしたのは「ガード加工のこと」

この加工は昭和40年代に何回も取材し記事を書く機会があり、その都度私には受け入れられなかった
その理由は

着物は汚れをはじくということ、汚れをはじけば、よごさないようにという着物への思いやりがなくなるではないか?という疑問
汚さないようにという心配りが、美しい作法となっていくのではないかと信じていた
その為いまだチャ子ちゃん先生はがーど加工をした着物は一枚もない

絹の呼吸を止めるのではないか
せっかくの絹の艶を消すのではないか
実際に風合いも変わってしまっていいる着物を随分見てきた

生徒さんのきものにしみがついて、悉皆屋さんに出したところ「ガード加工してるから取れないよ」と言われたこともある

今日もガード加工のところはスルーをしようと思っていたら
「うちは結城紬と大島紬にはガード加工はしません」というのがまずは一声
「オヤ?」
と聞く体制になった

フッ素の解説があり、先代であるお父様が
「汚れを取るというより、汚れない方法を考えてみる」
と言って紆余屈折の中から縦糸横糸で織りなす布の呼吸を損なわないガード加工というものに行きついたのだそうだ

ガード加工をかけた着物を触っても、絹の心地よさは全く変わらない
長年の「食わず嫌い」が一挙に解消

またベトナムでの仕立てに関しても「?」がついて回っていたが
着物を着ない人たちに優しく真剣に教えた日本の女性たちの心温まる交友を聞き、「ありがたい」という気持ちがわいてきた
着物の仕立てをしなくなった日本人が、外国の人たちに仕立てを依頼することがどんなにご苦労であったか、ベトナムでは袖なら袖、お身頃だけというパーツ縫いに徹底し成功をしているようだ。

そのパーツを集めて最後に全体を完成させる人は30年のベテランで、日本の文化の勉強もおこあらず、浴衣も着ているという
まさしく手塩にかけて職人教育してきた富田社長を改めて尊敬しきり

常に現場に行っていろんな情報を教えていただかないと、自分の想いに凝り固まってしまうということを感じた取材日であった
早速洗い張りと丸洗いをお願いしてきた

それにしてもウナギがおいしかったな。もともとはこれにつられたのだけど――
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陽気に誘われる

2021年03月29日 12時51分30秒 | 日記
公園の桜は昨夜の豪雨でさすがに落ちてしまったらしいが、都庁の桜は今日満開。昨日の雨で逆に咲くことを刺激されたようだ、桜と一口に言っても、土壌が違えば咲く日も違えば、色も異なる 環境というのはそういうことだろう。人間って一口に言ってもいろいろあるのですから 税金の支払いや何やかや都庁の銀行まで出向く 都庁には銀行も郵便局、本やコーヒー屋もあって結構重宝している。ありがたきかな 会社を小さくし、社長兼小使い役をやっているのでボケる暇がない。いいことだと自画自賛 公園では保育園の子と保母さんたちが朝日を浴びて遊んでいる 昨日みたお父さんが子供を遊ばせていいるのと違う。子供たちが絶対の信頼を保母さんにいている お父さんの場合は親子の間に微妙な緊張感を感じた 此れって何だろうと思いながら眺めているチャ子ちゃん先生 友人同士の間でもある 緊張する相手と心全開で付き合える相手 それぞれに友人として必要な相手なのだと、今は思えるようになっている 先日も緊張する偉人に会い、エネルギーが下がったなと感じていたら、心を全開できる友人から電話が入り、そのことを話していたらいつの間にかお腹の底から笑ってしまい、抱えていた緊張感が解けた そのとき 「ひさこちゃん、あなたには時々緊張した相手が必要なのよ、そうしないとあけっぴろげのままでは危険を伴うからね、今までもそういうkとあったでしょ?」と優しい忠告 世の中に無駄なことはない そういうことも全て体験しながら進化していくのだろう そんなこと考えながら公園の花壇に見とれていた
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目出度しめでたし

2021年03月28日 15時13分25秒 | 日記

めでたしめでたし、いいなあ日曜日のお楽しみだった昔の朝ドラ

やはり思い通りの筋書きとなり、チャ子ちゃん先生喜んでいる。平和だわさ

NHKの朝ドラ「澪し」がそれ

まあ見事に戦争で人を殺してしまい、後の時代に役立つ人が残る。神仕組みのような筋書き

運命の流れに沿って生きている女主人公は、周囲の思惑を知りながらもその中で自分流の幸せをつかみ、日々暮らしている。自分に「いまは幸せ」と言い聞かせながら、心の底ではいつも初恋の人を思っている

昔はこういう女性が多かったのだろうなあと思う

幸いドラマの中では男が待ってくれている。ここで思うのは男の方が自分の想いを通しやすい時代でもあったのだ

跡取りなのに自分は初恋の女としか結婚しないと言いはり、そのように行動をする。そこまで愛せる人と人生の中で巡り合えることは苦しくも幸せで、自分自身を強くする。そういう男は人の痛みもわかり、周囲からも慕われる。真実の愛しか受け入れないので、遊び女との交際は全く考えられない。つまり自立っした見上げた男だ

 

女の方も戦争で未亡人になっても、まだその妻だと言い張っているが、其れもこの時代では仕方のない女の生活。しかし最後はいつの日か、自分を待ってくれている初恋の人のもとに行くだろう自分を許している。

筋書きを描く人はやはりうまい

特に毎日の連続ドラマはその日の15分の中に紆余屈折を入れねばならないし、さらに先の布石も作っておかねばならない。視聴者を一喜一憂させながら話を作っていくのだから、作者もいろんな体験が必要であろう

 

若い頃小説家の先生たちにいろんなところにお供させられたが、先生たちはただ面白おかしく飲んでいるんではなく、そこで情報収集をしていたのだと思う。必ず感想を聞かされ、その感想が役に立つと褒められ、更に褒めてもらおうと、必死に、耳をダンボにして、ママさんや女たちの話を黙って聞いていた時代がある

男の視点と女の想いが全く違うことも人生勉強だといわれた

女を利用してのし上がる男は最低だと軽蔑した、というより女の方がもっとしたたかだということもわかった。女の方が怖いなあ

 

しかしこのドラマの中で輝く男は世の中には基本的に少ない

ややもすると女々しいと思われてしまう「いつまでも昔の女への想いを引きずってーー」と

しかし違う。潔さと深い思いというものが同居することをこの作者は伝えたかったのかもしれない。それが男の本音なのかも。作者は男だから、そこを感じてほしかったのねと思った

 

楽しかった!さあ気分よく歌のレッスンに励むぞ!

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如月の望月

2021年03月27日 09時56分21秒 | 日記

今日は旧暦2月15日如月の望月

「願わくば 花の下にて 春死なん その如月の望月のころ」

と詠んで西行法師はご自分は如月の16日に亡くなった

花を追いかけた人、その花はずっと想いこがれた女人とダブっていたのだろう

そしておのが恋は桜の花びらのように風に吹かれて散ってしまう

その風は周囲のあらゆる誹謗や忠告や、ま、色いろであったことだろう

当時は身分というものも垣根になる

 

空海も想いを遂げられなかった

しかし和紙が貴重な時代、その美しい和紙に詠んだ空海への想いを後世の私たちは知ることが出来る

和紙を使える女人は高貴な方に違いない

 

優れた男たちが愛したというより恋焦がれた女人たち

その美しき姿を如月の望月が見せてくれるかもしれない

「恋」は人を情緒深くする

「愛」は人を深く大きくする

 

今宵は幸い望月が望めそう

静かに酌み交わす相手を見つけてーーー花と月を愛でようか

 

 

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花見でいっぱい

2021年03月26日 17時57分00秒 | 日記

今宵は月もいい花もいい

みんなマスクを外して自然を愛でようではないの

自然は春を迎え

生き生きと息ぶいている

いままで

こういう日をどのように過ごした?

花の下で仲間と語り合ったのではなかった?

心の交流を確かめ合い

さらにそれぞれの愛を育んだのではなかった?

 

今日は花の下に集おう

老いも若きも月の明かりのもとに花の美しさを愛でよう

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笑ってください

2021年03月22日 09時06分50秒 | 日記

NHKBSの再放送で、昔の朝ドラを放映している

日曜日に一時間半つまり、一週間分を放送しているのだが、今それにはまっていて。一喜一憂している

今はもう見るたびにぷんぷんしていて、一日中面白くなくプりプリしてる

精神衛生によくない

 

川野太郎と沢口靖子のカップルがとてもよくて大応援していた

初恋同士目出度く結ばれ「めでたしめでたし」で終わるのかと思いきや、川野太郎が海に沈み行方不明になる

きっとどこかで生きているとおもっていたら、3年後に生きて戻ってくる。しかも記憶をなくして

その時かねて沢口に思いを寄せていた、仕事でも、恋慕においても耐えて耐えている男柴田恭兵との結婚話が持ち上がり、親の思いを叶えることを主に考えた沢口は結婚を承諾する。しかも早々と双子の男の子も生まれた(気に入らない)

記憶を取り戻した川野太郎は沢口靖子をあきらめきれず、生地からまた姿を消してしまう

結末はどうなるのかわからないが、くらい柴田恭兵に尽くす沢口靖子が面白くない(かなり感情輸入しているチャ子ちゃん先生)

 

さてこのドラマが放映されたのはかなり昔で、全部を見ていないが初々しい二人はともに新人で、綺麗というよりかわいく明るくひたむきで、とても気に入り、「職権」を利用して川野太郎さんにはすぐ取材を申し込み記事にした、誠実で初々しいくまぶしいような若者だった。沢口靖子さんは「カネボウ」のポスターに登場していただいた。美しく、清純そのもので嫌味のないオーラ―があった。

 

ドラマの方は当時は最後まで見ていない、毎朝ちんたらと話が進む速度はその当時の私の気性にはあわず、結末は知らないまま今日に至っている。

 

勝手にいろんな結末を想像し、私だったらこう書くかな?などミーハーをやっている

シナ事変、大東亜戦争と続いた戦乱の世の中で、銚子の漁業と醤油醸造がそれこそ時代の荒波の中生きていく様子は、今この時代転換の中でも意味深い諭がある

先人たちが「先祖の仕事、その家に生まれた使命」をしっかり認識し、腑に落として繋いでいく姿は尊い。日本の文化「家族経営」のなかで育まれてきたのだと思った。同じようにいま大河ドラマで「渋沢栄一」の生涯は始まったようだが、これもまた家族経営の中からの生まれた数々の知恵が、近代国家の経済を支える原点になったのだと思う

どんな時代も「家族」が原点

 

 

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着物が繋ぐもの 418

2021年03月19日 11時39分28秒 | 日記

「帯花」

聞いたことがないかもしれない

アートフラワーデザイナーの嶋田恵子さんが創作した新しい花の姿「帯花」

近年「帯」捨てられていたり、投げ売りされていたり、そういう現状の中で嶋田恵子さんは、「ここまで手が込んでいて美しい帯が可哀そう、何とかしなければ」と心いためていた

この帯の命を輝かせるにはどうしたらいいかと、用済みになっている帯を手にして考えた結果

アートフラワーの花瓶にしようと思いついた。美術品の帯を濡らすわけにはいかず、アートフラワーと組めば双方が輝く。そして出来上がったのが「帯花」

 

その出来上がりの優雅さにほれ込んだ築地の丸山海苔の社長さんが、早速「帯花」のコーナーを作りそこに華々しく設置されている

帯もうれしそうだし花も生き生きしている

アートフラワーというのは生花ではないので、生花の持つエネルギーはない、しかし恵子さんのいけるアートフラワーは生きている花と同じに見えてしまうことが多く、恵子さんの作った花を差し上げると毎日水を注いでしまう人が多い。挙句の果てに5年も10年も処分をしていなくて、久しぶりにうかがうと、まだ恵子さんの創作花が飾られていて、苦笑する。そのためまた新しい花を贈るので、古い方は始末してくださいね、と言って新しい花を送ると、古いのも一緒に飾っている。

事程左様に彼女の花には人を元気にするエネルギーがあるようだ

それを聞くと

「飾ってくださる方が幸せになるようにという祈りを込めて作っているからかなあ」と笑う

その言葉を聞いてチャ子ちゃん先生は送る相手の情報をできるだけ詳しく恵子さんに伝える。そうするとますますその花のエネルギーが高まっているのを感じる

すごい人だと思う

「皆さんが処分してくれないので、ビジネス的にはよくないけどね」って

「そうよね」

この度は「帯花」という新しい創作花が考案され、帯をどうしようかと思っている方がたの救い主っともなっている

 

今日の「YouTube」は恵子さんの仕事場に行き、帯花つくりを拝見する、ぜひいらしてくださいね

 

 

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着物が繋ぐもの 417

2021年03月16日 15時46分08秒 | 日記

茜さす

日本茜で染めた色の美しさは古代から人々の憧れの的

茜も紫根も奈良時代は天領で栽培されていた

それは万葉集に現れている

額田王の歌がそれ「茜さす紫のいきーーー」つまり茜と紫根の天領で、天武天皇と天智天皇たちが遊び戯れている情景

もともと額田王は天武天皇の恋人であったが、天智天皇の后になり、今はもう人妻になった恋人に未練がましく袖を振っている。額田王はそれでは目立ちすぎるのでお控えください。という意味の歌だと中学生の時に教わった

しかしそれがなんと

新宿の伊勢丹で行われていた「万葉を染める」という山崎斌さんの展示会にふらふら入って、チャ子ちゃん先生は着物の道にはまってしまった。その時山崎斌さんの解説は、茜の色は少し紫を指すことで色に輝きが出る、という意味のことを述べていた。恋歌だと思っていたのに、そういう解説も付けられるのだと面白いと思った

茜色は皇后の袴の色だとも教えられた。しかし戦国時代になると甲冑の脅しいろ、または紐、更には下着と男たちの身を守る美しい色になった

茜も紫根もその染材が根であるため非常に希少だ。そのため昨今は西洋茜の輸入、インドや中国からも輸入されていて、日本本来の「日本茜」はさらに少なくなっている

その日本茜は皇居でも発見され、上皇皇后さまが大切に育てている

上皇皇后さまは、皇太子妃、皇后妃殿下の時代軽井沢で山崎桃桃麿(山崎斌さんの次男)さんの茜染めがお気に入って、何枚かお持ちだ。そして山崎桃麿さんの展示会には必ずいらしていた。確かに奈良時代から皇后の色と定められただけある高貴な色なのだと納得。

若いとき、結城紬の糸に山崎青樹さんに茜色を染めていただき、結城の地機で織っていただいた。美しい色の着物が出来上がったけど、あっという間に年齢が通り過ぎ、気前よく一番似合う方に差し上げた。ところが昨年その茜染めを着たその方に出会い、「返してほしいなあいい色だものね」と冗談に言ったけど。心底「惜しかったなあ」と思った

青樹さんが「茜はきる人と一緒に年を重ねていくからね、似合わなくなったなと思っても又必ず着るときがくる」と教えてくださっていたのだがーーー「短気は損気」だね

 

今日は寺田豊さんの茜染めの展示会に出かけた。京都で日本茜を栽培する方がいらして「いい色に染まりました」と寺田さん嬉しそうだった。思わず微笑みたくなる可愛い色。これぞ日本のいろ

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着物が繋ぐもの 416

2021年03月15日 10時00分49秒 | 日記

着物を着る必要のある人

気分転換に着物を着る人

自分自身を変えるために着物を着る人

冠婚葬祭だから着物を着る人

洋服の延長で着物を着る人

着物が好きで着る人

 

着物を着る人にはいろんな目的がある

その目的によって着物選びが決まり、着方も決まる

人それぞれ目的があるのできものを着る人にとやかく言う気持ちはチャ子ちゃん先生にはさらさらない

 

長年着物を着て過ごしていると着物を着ることの意味がいろんな方向から見えてくるので面白い

昨日も友人と語り合ったが、私たちの世代はとても中途半端だ思うーーと

大人たちは敗戦の立て直しで真剣に生きていて、私たち子どもは親の手伝いをした子たちは立派な大人になっていったが、子供は子供らしくしていなさいという余裕のある家庭の子は、甘く育ったと思う。大人たちは自分が子供時代の時の豊かさが、この子たちにはない不憫だな。という思いがあったのだと思う。だから甘く接してくれる

それに乗じて大人になり切れずに大人になってしまったのが、私たちの年代であろう――と

 

気が付いた時は先輩はみんな大人。何をしても先輩には追い付かないし、甘いままに背丈は伸び、いっちょまいに社会人になっていく。しかし先輩たちのような颯爽とした生き方はできない。大人の女たちを一歩引いた感覚で眺めていた世代が、私達だ

 

そういう意味でも与えられた着物の着方を踏襲している

若い時に少し跳ね上がった着方をしても見たが、美しさとはややオールドということもわかった

今いろんな着物の着方があふれている一方、着方を型にはめて、やかましく言う人も多いらしい。そういう人を「着物警察」というのだと若い知人が教えてくれた

 

ドンナ着方ををしようが人それぞれだが、その人の品位が落ちる着方は残念と感じる。それとやはり町は美しい方がいい。卒業の若き人々の着物姿を眺めていていろんな思いが込み上げてきた

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結婚しないのが当たり前

2021年03月13日 14時16分35秒 | 日記

我々の世代は、結婚するのが当たり前の青春だったが 

今は結婚しないのが当たり前の青春を多くの人が謳歌している

そんな感じの時代になってきた。姪の娘とランチをしてきたが結婚の話はまず出ない

婚活は真面目にお相手を探すという目的もあるが、多くは異性の友達を得るために参加するのだと若い友人から聞いた

 

「釣り書」というのがある

仲人4組させていただいたが、そのうちの一組は釣り書から書いた

釣り書という言葉が何か腑に落ちなかったが、こういう縁組を取り仕切るのは大人の「定式」を身につけることだといわれ、釣り書を交わすお見合いの席からおたおたしながら、表面上は落ち着いたふりをして進めた

 

その時「釣り書」というのは、私が考えた「相手を釣るための物」ではなく、「釣り合いの取れた結婚のための釣り書」だと理解できた

大人たちが相手の家庭環境はもちろん親戚に至るまで、また財産、趣味すべてが一目瞭然とわかるように調べ上げた釣り書は、知らない同士が新しい世界に羽ばたくのに合理的でもある

家系図がすべてわかるので、そこからの未来像ものぞくことが出来る

 

当社はうらわかき乙女が多かったので、「うちの嫁に」と懇願されることもあった。釣り書を交わすというところまで行き、いい感じかなと思っていたら、女性の方が国立大学出身なので不釣り合いだと断られたことが在る。

そういう断られ方もあるのかと時代の変化に驚いた

男性より少し下の方がいいらしい

「あなた学歴詐称しなさいよ」と冗談を言ったこともあるけど、こうなると自分で探すしかない

しかし今は結婚そのものを望まない人が多いので、女性はのびのびと自由に学問が出来る

 

結婚は「学びの場」だと思っている

環境の違う者同士が一つ屋根の下に住み、子供を作って家庭を経営して行く。社長と専務になり、未来を見続けて船を出す。そのやり取りの中でお互いに学び合う。また子供の世代との対応にも新たな学びがある。

地球に住むことは「体験」をしながら自分の魂を磨いていくことだと、チャ子ちゃん先生は思っているので、体験を多く学んだ方が魂の進化は早く進む、結婚は自分を早く成長させる道だとおものだがどうだろう

学び終わったら卒婚

こういう学びはいやだと思ったら離婚

責任と勇気のいることではあるがーー

 

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