goo blog サービス終了のお知らせ 

チャコちゃん先生のつれづれ日記

きものエッセイスト 中谷比佐子の私的日記

ゆんたく

2025年08月16日 11時14分24秒 | 日記
沖縄の言葉で親しい人が集まっていろんな話に花を咲かせ、みんなで情報交換して調和を図る、井戸端会議とまたちょっと違ったニュアンスがある
昨日はその「ゆんたく」で友人たちとにぎやかな時を過ごした

友人の一人がシェアハウスに引っ越すことになり、新しい生活の門出を祝う会にもなった
四所帯が住む建物の一つが空いてそこに移り住む
写真を見ると2LDKで広いベランダでお花も育てられる、お風呂も一流ホテルのような大きなバスタブ、台所も使い勝手がよさそう。というより共同の広間がありそこで3食作ってくれる人もいる。食費も一日1000えんくらいだとか
天井も高く、お部屋が6畳と8畳そしてリビング、気になる値段は都内のワンルームマンションの月家賃とほぼ同じ
老後の一人暮らしでこんなに快適なことはあるまい
しかも規制などなく自由に出入りできるので、我が家で生活しているのと同じだ。同じ敷地の中には、温泉もあり、文化事業も行うホール、農園もあって花や野菜作りもできる

シニアマンションといってもいいが、常に「目」が行き届いているので安心

動けなくなったら、医者の手が必要になったら退園
元気なシニアには願ってもないところだ
リモート作業の今日老後はこういう施設に入って仕事をするのは快適だろう

聞くところによると
こういうシニア住宅は少しずつ増えてきているとのこと
個人で始める方もいらっしゃるが、会社の福利厚生で行う大手企業もあるみたい、いい時代の走りだ















コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

久しぶりの雅楽

2025年08月14日 07時02分04秒 | 日記
若いころきものを理解するのは古典芸能を身に着けることにある
と思い父がお稽古をしていた仕舞と謡曲をを教わっていた
昔の男は謡曲は必須のようであった
何かの折に朗々と謡うのが男の嗜みだったようだ

ある時
鐘紡のポスターの仕事で能舞台で写真を撮りたいということになり、家元に相談するとその時代は女が能舞台には上がれないということだった
其れでも諦めないカメラマン
日本中の能舞台に連絡を取ったところ岩手の平泉、藤原家由来の能舞台がオーケーとなりその場所で撮影をした
その時雰囲気を出すために「笙」の演奏ができる演者にその舞台で笙を奏でていただくことになり、またまた演者を探す役を引き受けてしまった

笙の音色の響く中撮影はしずしずと行われいい写真が出来上がった
そのご縁で
雅楽の演奏会に招待を受け、洋楽とは違った音の色合いにびっくりして、しばらくはまっていた。指揮者も中心になる奏者もいないのに、お互いの気配の中で奏でられる音の美しさに不思議な感覚を持ったものだ

しかしまだ西洋かぶれも甚だしいお年頃だったので、いつの間にか足は遠のきあろうことか、洋楽を教わり、クラシックバレエをたしなむようになってしまった

そして年齢を重ねていくうち
日本古来の伝統文化はやはり日本人の魂を揺るがすものだと思うようになり、雅楽をもう一度しっかり聞こうと思った
それはやはり雅楽の演奏に「指揮者」がいないというところに、日本人の神髄があるように思ったから

指揮棒に集中してみんなが一斉に音を出すのではなく、始まりも終わりも、お互いの気配を察して、それぞれが自分の音を奏でるのだが調和をしているという演奏、そしてまた美しく終わる
これこそが日本人のあるべき姿ではないかと感じた

久しぶりに雅楽を聴いて日本人の魂に触れた思いをした



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今 後藤新平

2025年08月13日 09時56分32秒 | 日記
頭の中でちらちら後藤新平の名前が浮かんできて、彼の本を読みたいと思っていたら、先日藤原書店に伺ったとき
7月20日出版の「後藤進平論集」が目に入った
もちろんすぐ購入、しかし目が不自由でなかなか文字が読めなかったけど、やっと目が見えるようになって一気に読む

後藤新平の名前は幼少のころから知っていた、しかも兄の本箱に何冊かの本もあった
東京の初代市長であったということで、関東大地震まで東京に住んでいた両親から後藤進平のただならぬ行動力を聞いていた

そして初めて台湾を訪れた時、丸山ホテルという蒋介石がらみのホテルに泊まり、トイレに入って手を洗っていたら、品のいい現地の老婦人が
「まあ―素晴らしいお召し物です事、わたくし久しぶりに和服をこれまで見事にお品よくお召しになってる方にお会いできてうれしゅうございますわ」

チャイナドレスの婦人に声を掛けられ、台湾人でありながらここまで美しい日本語を話す方に興味を持ち、誘われるまま彼女のお宅に伺った

もちろん邸宅であった
しかし応接間にかの「後藤新平」の写真が飾られていてそれに驚き
「後藤進平さんとご縁があるのですか?」
「あなた様は写真を観ただけでこの方が後藤進平さまとお分かりになるのですね?なんてすばらしいお方とお目にかかったのかしら」

其れから後藤進平が台湾のインフラを整えたこと、台湾の産業の開発、台湾人に教育を徹底したこと、しかも日本を押し付けるのではなく、台湾の文化を尊重してそれをさらに深く理解させたことなどを縷々話してくださった

台湾が親日国であることは「後藤進平」がたった8年で素晴らしい土台を作ったことにあったのだと胸が熱くなった
その進平さんのおかげで私は今見知らぬ台湾の婦人に歓待を受けている

「徳」というのはこうやってめぐって来るものだと理解した
一人の人が徳を積むことで、連鎖のごとくその「徳」がつながっていく、これが本来の日本人の徳の積み方なのだろう
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

掃除に明け暮れている

2025年08月12日 14時51分43秒 | 日記
白内障の手術をしてこんげつの21日までは仕事も運動もセーブ
そのため家の中にいるが
これがまた気になることばかり
「見える」
ということはいいのかわるいのか
とにかく髪の毛一本見えてしまって大掃除になっていく

こういう汚れを見落としていたのかと
いきなり「A型」気質になって恐ろしいほど真剣に汚れと取り組む
ゴマ粒くらいの汚れも見えてしまい気になる

この二日間ぶっ通しで大掃除なので「つかれた」
まだまだ続く
そのためのお休みだもの

しかし物事がよく見えるというのは
いいことなのだと思うけど
これ人に当てはめたらいろいろ気になることが出て来る
見えすぎるということは
あるものを見る時自分で整理する必要もあるなあ
ギシギシ磨いているとき考える
磨くのはまさしく内観で
このモノを買ったときのようにきれいな姿にしようと思うと
其れだけに専念して気持ちが収まる

誰でも生まれ赤子の時があったと思うと
人生の途上についた垢を取ってしまえばいいだけの話じゃあないの
人間って単純なのに玉ねぎみたいにどんどん重ねていくので中身が分からなくなるんだわね

それにしても
この勢いですべての場所を掃除していけば
21日までおとなしくなんてやってられないなあ

見えすぎつ!
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大奥展

2025年08月08日 10時42分28秒 | 日記
東京博物館で行われている「大奥展」に行く
先月の「比佐子つれづれ」で予習のお話をしたので、私自身も非常に身近に見えてしまって面白かった

もともとチャ子ちゃん先生は着物の柄や色は江戸時代に完成されているという感覚なので、御台所や側室の衣装の手仕事に集中してしまう
金襴緞子という織物に関しては男用や宗教関係者、または傾奇者のモノ
女たちは「刺繍」「絞り」「手描き模様」が中心になりその精魂込めた手仕事に心が震える

着るモノだけではなく、袱紗や、掻い巻き(掛布団)御台所や側室たちの小さなものぐさみと称する人形や小間物の手作りにも、その方たちの置かれている立場や心境が伝わってくる

御台所の輿入れ道具の品々にも、家の威信をかけたモノづくりに圧倒される
こういう仕組みがあったから、日本の職人たちが腕を競う場所が与えられ、芸術品がこの世に残る

封建制度を男側から見ると権力こそが「善」という構図になっていくが、表の政治から裏の血筋を絶やさぬという立場にいる女たちの生活は、権力とは違った「美」が生まれていた

刺繍の糸が無撚糸であるため、立体感がありながら滑るようなめらかな花や葉モノの表現に見とれる
久しぶりに「打ち出し鹿の子」の手法にも出会えて、手で絞ったものとはまた違った奥行きを鹿の子絞りに感じた
染匹田とは違った味わいがある

袱紗を使用する文化はある意味恥の文化でもあるのだなあと感じた次第

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

眼鏡が合わなくなった

2025年08月05日 09時45分48秒 | 日記
白内障の手術が終わったら手元用の眼鏡が合わなくなった
つまり
生の目の方が見えるということ

持っているものが合わなくなるということは多い
少し太ればウエストも寸法が変わり、お気に入りのスカートが入らなくなる

人とも気が合わなくなる、意見が合わなくなるということが長い生涯で起きる

自分が成長しているときは、人と意見が合わなくても受け入れる余裕があるが、自分の成長が止まっているときは、意見の違う人をやたら攻撃してしまう
攻撃性が顕著になったら、自分自身の成長が止まっているのだと認識した方がいい

自分自身の成長て必要なの?と思うときもある
そう必要だ。
成長をすることによって自分自身が常に平和で幸せ感に包まれるのだ。これがい一番尊いことではないだろうか

相手を自分の陣地に引き入れようとするから苦しくなる
相手も自分の陣地を持っているのだもの

お互いにその陣地を行き来した方が視野も広がり楽しい
目が本来の自分のものになったという喜びはたとえようもない

神様
お預かりした目が戻ってきました













コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

きものを識れば日本が見えて来る 17

2025年08月04日 08時17分38秒 | 日記
きものを深く研究していくと
敗戦後教わった日本の歴史がおかしいと気づく
まずは「生糸と工女さん」の話から教わった日本の社会現象に疑問を持つ
「女工哀史」というくくりがある
労働者は常に搾取されて少ない給金で働かされいじめられ苦しかった

ある日美しい生糸をを手に取って考えた
こんなにも美しい糸作りのできる女性たちが、苦しみや怨念の中でできることなのだろうか?
そしてつてを頼り、製糸工場で働いていた3名の老女を探し出し、インタビューをした

当時(今から40年前)80歳を過ぎていた方々だったが、結城縮の縞を着た方、結城縮の絣、大島紬の絣を着て集まってくれた
そして開口一番
「仕事が楽しかった」
4年か5年働いてそのお給金で家が建った、毎日お裁縫や、国語、そろばん、料理、作法などの講座もあって、教養を身に付けて生家にもどり、おかげで家も潤い、ランクの上の家に嫁いで幸せな家庭生活を送ることができた。生家では蚕を飼っていたので、糸を取る仕事は苦にはならなかった

10代の少女たちの関心はおしゃれと食べ物、お休みの日の小間物屋での買い物が楽しかったと話してくれた

糸取りも上手になればお給金も上がるので、みんな一生懸命工夫をして上手になろうと努力をした
どこが「女工哀史?」
もちろん厳しい指導者もいたかもしれない
しかし「負」の歴史ばかりを掘り出して伝える態度に何か作為を感じる
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

老化は病気

2025年08月03日 10時17分43秒 | 日記
「老化は病気だよナカタニサン」
「では治療法があるわけですね」
「そうだよ」
「教えてください」
「今からやるとそれは治療ではなく予防だがね」
「ではよろしく」

それはチャ子ちゃん先生がまだ50代の半ばだった
アーユルヴェーダ―医学を広めている蓮村誠博士に出会ったときの会話
年齢的にちょうど疲れがたまるころでもあったし、精神的にもぐらつきが増えていた

蓮村医師について体の勉強を始めた
それはきものを着るにも役立つことでもあったし、日々の生活を見直すことにもなった

とにかく体を一回赤ちゃんの体に戻そうということで
「パンチャカルマ」というのを5年間で10回も行った
細胞を若返らせたので、それ以降医者が不要、薬飲まないという身体が保たれた。と同時に精神も安定した

しかし老化は日々進行する
「日本人の体の遺伝子は日本食を食べることだよ」
味噌醤油塩などの使い方、お米野菜、たまに魚や肉そういう食事の指導のほかに「白湯」を飲むという方法で内臓の老化を防ぐ
白湯は薬缶に水を入れ沸騰して蓋を取り、弱火で10分、そのお湯を保温して食後に飲むと消化が良くなる

「内臓の老化は防げるけど、皮膚のたるみやしわはどうするの?」
「言い聞かせるんだよ、私はしみも肌のたるみもないわ、なんて美しいとね、わははは」

内臓が元気でいればあらゆる病魔も寄ってこない
これが老化を防ぐ一番いい方法だという



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

時には科学もすごいと思う

2025年08月02日 10時41分41秒 | 日記
白内障の手術を行った
1.2と1,5というよく見える目に生まれついていて、目の病気になったこともなく、70歳を過ぎたころから老眼の眼鏡にお世話になったけど、目は強かった

それが今年に入って急に見えにくくなり、しかも階段が怖い、道の段差が危ういという状態になり、友人が
「それって白内障ではないの?」
右目を伏せて左眼だけで景色を見ると全くぼやけて見えない、今度は右目かろうじて見える
「大変じゃあないの、私が手術したお医者さんに連絡するからすぐ見てもらって」

6月から丁寧な検査があり7月に手術となった

「よく日常生活ができていましたね」
と言われるほど重症だったみたい

眼鏡づくりの名手がいらして別の友人がその名手にこういう人がいるとチャ子ちゃん先生の話したら
「そういう方は頭でものをみているんですよ、私の眼鏡づくりも頭で見る範囲を計算して作っている」
と言われたそうな

よくわからないけどなんだかわかる
亡くなった大内順子さんは片方が義眼で全く見えない、もう一方も視力は弱い、それでも的確にものを見ていて
「よく見えるのね」
「なんだか知らないけど見えるのよね」
普通に見える人と全く変わらない行動だったのを思い出した
そうか頭で見ていたのか

意を決して手術台に乗ったが首に力が入り
「首の力を抜いて」
と言われるがなかなか指示通りにはいかない
手際よく、痛くもなんともなく、ものの10分で手術は終わってしまった
更にすごいのはそのとき目のレンズも取り換えてしまったという
おかげでこの文章も眼鏡なし
科学に感謝 すごい時代だ


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大正生まれの女はおもしろい

2025年07月31日 10時34分34秒 | 日記
一番上の姉と末っ子のチャ子ちゃん先生の年の差は13歳
彼女が13歳の時に赤ん坊だった私は
姉にとっては最後まで赤ん坊のイメージしかなかったようだ
子育ては上手ではなく、子供のしつけに対しても手抜き、嫁姑問題も知らんぷり
だけど13歳違う妹に関しては深い愛情を注ぐことを忘れない

今頃にいなって
この温度差っていったい何だろうと思う
姉はあくまで「身内フアースト」
その身内は実家であって婚家ではない、あくまで実家大優先
だから両親の動向や特に父への理解が深いし尊敬の度合いも違う、それが昂じてか父の親戚に厚い愛を注ぐ、そうすると次姉は母の親戚を大事にする
つまりは二人で申し合わせたように両親の親戚に心砕くのだ

大正生まれの女たちは自分の血筋というものに、何か深い執着を持っていたのかとも思う

我が姉妹だけがそうかと思っていたら
仕事を始めたころに出会った大正生まれの女性たちに、同じ傾向を感じた
いままでそれを深堀することもなく見過ごしてきたけど
今回社会学者の「鶴見和子」さんのことを着物を通して調べていたら、我が姉妹に通じるものがあり、お会いしたこともない方だが猛烈な親しみを感じてしまった

大正生まれの女たちのきものがあちこちいまだ残っている
それを通じて女たちの性癖を調べてみようかと考えついた

そういえば国会議員の中でも大正生まれの女たちはよくきものを着て議事堂の中にいた
特にその中で共産党員の小笠原貞子さんは100%着物姿で、私どものイベントにもよくいらしてくださっていた
共産党員ときものという取り合わせに興味を惹かれ取材に行ったのが始まりだが、姉のようにさっぱりとした方だった

今大正の女が新しいかも


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする