チャコちゃん先生のつれづれ日記

きものエッセイスト 中谷比佐子の私的日記

その後の悪ガキ

2020年02月22日 10時09分48秒 | 日記
チャ子ちゃん先生を死の淵に追い込んだっ悪ガキは
その前にも二つ私にダメージを与えている

いつものように悪がき大将は子供たちを寺の鐘撞堂にあげてそこから飛び降りる競争をさせた、みんな必死に飛び降りる、その時飛び降りた子の足元から石が私の目を直撃した。驚いた悪ガキは急いで自分の母親のところに私を連れて行った。その母親は丁度授乳中ですぐに自分の乳を搾り私の目に当て包帯を巻いてくれた。その日は何回も何回も乳を当ててくれていた

母もその母親を信頼して私をそのままその家で寝かしていた
隣同士の信頼感というものに大人になってその時を思い出し感心したものだ

のちに母乳には殺菌力と止血の力があり、傷には一番の特効薬と聞いて、当時の母親たちの知識と知恵の深さに驚いた。そのお陰で、傷跡も残らず目もいたまず感謝している

もう一つは
やはり鐘撞堂でのこと、子供たちに鐘を衝かせるといういたずらを悪ガキは思い付き、鐘を衝くように命令、しかしなかなか重くてよく衝けない、お寺の鐘は時刻や火急の時を告げるものだと母親に聞いていたので、私は仲間に入らず鐘の外側にいた、そこへ和尚さんが駆けつけて叱り飛ばされたのだが、最後に衝いた子の棒を止めようと手を入れた瞬間、私の左手の親指がその下敷きになり骨が砕けた

これも黙ってやったことなので誰にも言えず痛いのを我慢して一夜明けたら親指がイチジクの様な太さになっていてそれを見た母は医者に駆け込んだ
ほったらかしたので筋肉が骨の周りについて指を支えたらしく、このままにしておきましょうとなった。そのため今でも私の左親指の関節はまっすぐのまま

こういうこともあって悪ガキはあの疫痢騒動以来、まるで王女様の僕のごとく私に尽くすようになった。しかし体の弱さは回復せず寝たままの状態が続いていた。絵本を読んでくれたり、おもちゃを持ってきたり、自分のおやつを分けてくれたりと至れり尽くせり

そのうちあの戦争でバラバラになって音信も途絶え、久しぶりに入った情報は
「修二は疎開先で川におぼれかけている子供を助けて自分が力尽きて死んでしまった」という彼の母親からの託

さらに時代が進み私が徹子の部屋の番組に初めて出演したとき、終わった後知らない女性が私のオフイスを訪ねてきた。聞くと
「修二兄さんの妹です」
「ああ あの時の赤ちゃん?あなたのおっぱいを横取りしたんでしたよね」
母親が番組を見て涙を流し喜んで修二さんの写真もテレヴィの前に置いて見ていたのだという

東京に住むその妹さんに母親から電話があり尋ねるように言われたのだという
その後はまたその妹さんとのご縁がつながり旧交を温めることが出来た
「あの病弱なひさこちゃんがあんなに元気になってーー」とよろこんでくださった
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あの世の話

2020年02月21日 10時25分18秒 | 日記
フッ出したと思いだしたことがある
中野裕弓さんがお母さまとの会話の中であの世に行く時のお話をなさっていた
そのとき鮮明に思い出したのがチャ子ちゃん先生があの世に行きそびれたときのこと

まだ小学校に上がる前だったと思う
隣が大きな乾物屋の問屋で広い倉庫がありその裏庭に梅の木があった
そこの次男が私より一つ下の悪ガキで、元気いっぱいで同じくらいの子供たちの先頭に立って遊びの大将だった

その子が
集まった子どもたちに無理やり青梅を食べさせようとしていた
青い梅は決して食べてはいけないと母に言われていたので私は「それ食べたら病気になる」と大声で制したら、それが気に入らないといって私にだけ食べさせた。案の定私は「疫痢」にかかった

だけど何を食べたかも誰といたかも黙秘。親より医者よりその子が怖かったのだろか。高熱を出し、医者も手の施しようもなく、家の裏がお寺だったので住職まで呼んで「その時」に備えていたらしい(これは大きくなって姉たちに聞いた)

当の私はすり鉢のような暗いトンネルに入り、もう苦しくて苦しくて大声を出しても誰も助けに来てくれない、と思ったら明るい光が差しすとんと降りたところがお花畑であった。今思うとポピーの花なのだが赤オレンジ黄色と美しくその花を駆け回って摘んでいたら、背中の方で「ひさちゃーーん」「ヒサコーー」母や姉の声が聞こえ「ああ夕食に此の花持って帰ろう」と思って振り返ったら、布団の上にいてみんなの顔が私を覗いていた。その中に件の悪ガキがわんわん泣いていてびっくりした。

そこまでは鮮明に思い出したがあとのことは全く覚えていない
前に同じような体験をした方とこの話をしたことがあるが私はずっと忘れていた。というより封印していたのかもしれない

「死」というものが今の私の年齢に近くなったけど、今このことを思い出したおかげで「死」を恐れることはない。「死」は新しい出発になるのだと確信する

生きていることに感謝し、そして楽しく幸せに毎日を過ごすことが一番大事なことかもしれないと思う。与えられた命を使い切るために努力しようと思った


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着物が繋ぐもの 295

2020年02月20日 10時46分08秒 | 日記
あなたはご自分のうちの家紋をご存じかな?
お墓にお参りして初めて自分の家の紋を知るという人も多い昨今
チャ子ちゃん先生の年代の人はおそらく家紋を知らない人はいないと思う
というのは冠婚葬祭に使う什器には必ず家紋が入っていたし
母親たちの卒業入学式に着る羽織は家紋付きの物だった

現役編集者の初めのころは
毎年春号は「卒園入学の黒羽織」という特集を組んでいたものだ
いまでも家のどこかには黒羽織のあるおうちが多いのではないかと思う

男の礼装には必ず家紋はつきもの
家紋も日向紋、陰紋、比翼紋、抱き紋さらに染紋、縫い紋、張紋、描き紋、染め抜き紋
などなど格によって家紋の表現にもいいろいろあるが、そういう決まり事を守る人も少なくなった

家紋から自分のルーツを探すこともできて、これはなかなか面白い作業でもある

さて
家紋を大事にしていた時代というのは、財産分与にも関係があった
戦前の法律では長男以外には財産分与はなかった、次男三男はその家によっては分配もあったが、女の子はなかった。そのため「花嫁道具」という名目で、親たちが衣装はもとより什器に至るまでコツコツとため置きしたのである

その時家紋をつけてその子の財産として嫁ぎ先に送り出した。もしも離縁ということでもあれば、その家紋のついたものを一式実家に持ち帰るという合理性も備えていたのだ、婚家先で作ったものは婚家の家紋がつく

本来の日本人の考え方はシビアでありながら合理的、そしてそこに美と深い愛があることを知ってくべきだと思う

家紋は正式に使う場合と遊びで使う場合があり、家紋の美しさをもっと日常に取り入れてもいいように思う。一時家紋柄の帯がはやった。その時私は家紋チラシの留めそでを作り母を呆れさせた

風呂敷やお懐紙に家紋を使うのが好


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一人一人の内観

2020年02月19日 13時39分34秒 | 日記
コロナウイルスの影響で大きな集まりの行事が自粛され始めた
東京マラソン、天皇誕生日、コンサートなどなど。その中で毎年日本語学校の卒業式で着物の着付けの仕事があるのだが、これは吹っ飛んだ。中国人留学生が多いことと、船をチャーターするので今はちょっとネーー

そうこうしているうち100人単位で集まるチャ子ちゃん先生の講演会も中止。学校の卒業式も危ない雰囲気。経済的に打撃を受けるが、この空いた時間をどう過ごすかで、次に飛躍できる気もする

人は生きている限りいつも危険にさらされている。危険の中でいろんな知恵が生まれた。その究極は自然を見ることであった。月や星の動き太陽の位置などで人はいろんな道を見つけたのだ。

何かが起きると人工的であると思うが、それは宇宙を動かしている大きな力を持った方の意思が働いている。だから何も考えないでその意思に従いうのが賢明なのだ。何も考えないというのには語弊がうまれる。宇宙の意思が何かを探ることが必要で、ぼんやり依存をしていればいいというものではない

今この時期にコロナウイルスが世の中誕生、なぜ?と考えたとき、コロナウイルスの性質をよく理解すれば、免疫力を持った人間には寄り付かないとある。免疫を上げるために私たちは何をしたらいいか?

衣食住を改めて見直すと、私たちは宇宙から与えられたものに自ら加工してややこしい化学物質を加え利用していることを知る

日本各地の休眠田をみんなで使えるようにすれば自給自足は夢ではない。世界で一番農薬を使っている日本の農業の在り方も考え直さなければならない。土に戻らない衣服を着たり、そういう家に住むこともやめる。宇宙が与えたものはすべて循環ができて次の命を育てる要素を持っている

コロナウイルスは
人に本来の宇宙意思を伝えるために沸き上がったものではないかと思っている
そういう生活をしていた兵器なしの縄文時代は2万年近くも続いている、最近の遺跡発掘では3万年も続いたという歴史証拠も出ている。私たちは何か踏み外している。その何かをこの騒ぎの中で見つけ改めて、美しく生きていきたいと思う
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着物が繋ぐもの 294

2020年02月18日 10時18分15秒 | 日記
染帯はいろんな構図で自由な柄が描けていて面白い
特に紬の好きな人には楽しみの多い染帯である
バブルのころは「染帯」を売る人はいなかった
織帯のほうが豪華だしお金が取れる、特に袋帯全盛であった
着物初心者にいきなり袋帯をあてがうのっだから無謀である
あの長い帯を一人で結ぶなんて至難の業、誰かに結んでもらうか、必死になって結び方を覚えるしかない

昭和40年以前はちょっとした家庭には必ず「女中」(今はお手伝いさんと呼ぶ)がいて、彼女たちは、行儀見習いも兼ねているので、着物の着付けは奥様やお嬢様の着付けを手伝いながら覚えていく、そのため帯結びなどすぐ出来るようになっていた

しかし高度成長でみんなが裕福な生活ができるようになったら、着物の着付けは人から人ということではなく、同じ人でも学校や教室などに通って月謝を払い教えを乞うという感じなった
ここから着物の衰退がはじまったとチャ子ちゃん先生は思う。着る人は確実に増えていったが、いついかなる時どこにい何を着ていくのかと、自分が住む階級の指導者がいなくなったのだ、そのため、通り一遍の教科書的な着付けや、組み合わせが主流になりちっとも面白くなく、おやっと微笑みたくなる着物姿、気品あふれる着物の立ち姿の麗人にお目にかかりにくくなってしまった

染帯は味のある着姿を演出してくれる
染帯にも手描き、型染、素描とあり染と刺繍を合わせた帯も味わい深い。刺繍だけでも豪華だ
染帯は旬の季節を表現できる、合わせる着物は小絣の紬や、江戸小紋、地越しの無地、縞、格子などの趣味的な装いなので、その柄の由来などにたけていないと面白くない。そうすると日本の文化に親しむことになる。着物の導きは半端ではない

ここのところの染帯は前がらも後ろの太鼓がらもどうもさみしい。着物が単純なだけに胴回りもお太鼓にも柄をたっぷりつけてほしい、それが染帯の醍醐味

熊谷好博子さんの帯は前も後ろもたっぷりで嬉しい




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真山美保さん

2020年02月17日 10時54分17秒 | 日記

真山美保さんは新制作座の創始者

昨年の今頃縁あって新制作座に保管されている着物を見る機会を持った

初めて伺った時も由緒あるひな壇が飾られて居て、その見事さに圧倒された

真山美保さんの私物で、劇団員のものはまた別にあるという解説

一つ一つの道具の細工があまりにも細やかで美しく、そちらに心奪われ、こういうお道具を集められた真山美保さんの伝統の美に対する感性に強い興味が湧いた

 

保管されている着物の数は想像を遥かに超えて居て、劇団員の皆様にも正確な数字はまだ出せていない。ざっと見積もっても万の数字であろうと思う。舞台衣装は別にある

 

何回か通ううち、どうしてこうも良いものを集めて居たのか、また何のために、という疑問が湧いてくる。

 

真山美保さんは劇団を作った時

劇団員にはアルバイトをさせない、演劇に専念してもらう

そのため三食を劇団で賄う

生活の場も無料で提供 

給料を出す

社会保険も全て劇団が支払う

冠婚葬祭の衣装は劇団で揃える

 

八王子の高尾に近い一山に劇場、練習場、食堂、マンションを建て全員がその場所で生活して芝居に精魂を傾けている。そこで作られた「泥かぶら」は全国の学校に赴き開演して文部大臣賞や公の賞をいくつも取って、今尚全国を回っている超ロングランの演劇でもある

 

その他にもヒットを飛ばし、其処で売り上げたお金が保管されている衣装に向けられたようである

 

真山美保さんの父親は真山青果という超有名な劇作家、今でも歌舞伎や前進座新派などで演じられている戯曲が多い。その戯曲を演じた役者に「真山青果賞」を新制作座は出して居て、その時に舞台に上がって賞を手渡す若き女優たちが着る大振り袖が毎年作られたという。この大振り袖の技術の見事さ、色の美しさ、着物って本当にきれいだとため息が出る

 

そのほかにも海外公演でのパーテー用の衣装、手抜きのものはなく、すべて当時の職人たちが渾身の力を込めて作ったものばかり、若い女優さんたちをより美しく見えるように、一人一人着物を着せて、帯小物のコデイネートを熱心になさったのだという

 

着る人を引き立てる着物の選び方が半端ではなく、心の底から着物を愛して居たのだと感じる

 

演劇を愛し、着物を尊び、人々の成長を喜びとした人生を送った方なのだと、着物を見ながら感じ取る。ここに静かに眠って居てくれた事に感謝、そして今本当の着物に出会う機会が少なくなっている時、職人さんたちの勇躍する喜びの中で作られた着物に出会う嬉しさ。幸せ

 

皆さんにも鑑賞していただきたく、「タンスツアー」を随時行って居ます  HP  http//kosmos.ciao.jp

 

#真山美保 #真山青果 #中谷比佐子 #新制作座 #泥かぶら #大振り袖

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着物が繋ぐもの 293

2020年02月15日 11時13分12秒 | 日記
コートの襟の形がいろいろあって面白い
道行襟、被布襟、道中着襟、立て襟、羽織り襟、へちま襟、水干襟
この羽織り襟が面白いと超ブランドの企業が、自社の夏のコートをこの襟で作った
しかも素材も紗、飛びつきましたね、今でも愛用をしている
カーデイガンも元は日本の襟合わせから来ているのではないかと思う
確かに洋服では襟の形はかなり固定される、そこへ来るとわが着物の襟は上にあげた以上に様々な形がある
これは重ね着をすることから生まれたデザインだ

さて
統計的な考察だが
コートを作るとき道行襟を選ぶのは伝統を重んじる良家のご婦人に多い。決して道中着襟は選ばない。お被布の襟はクラシック好みの人に多い、良家の方々は変形の襟を嫌う。最も車移動なのだからコートはあまり着る機会はない

道行襟は元もと蘭学者や医者、学者という知識人が着ていたし、そういう意味では「知的、品の良さ」という遺伝子を持っているのだろう

お被布は将軍の未亡人や大名の奥方、尼僧また小さなおこちゃまが着たので、なにか抹香臭い遺伝子があるやもしれない

この二つの襟がコートの襟としての王道であったが今はもういろいろ。襟元の寒さを防ぐためには立て襟や、マフラー形式が好まれるのは当たり前の世の中であろう

羽織に肩掛け(ショール)というスタイルに郷愁を感じる。着物にかかわり始めたときこういうスタイルのご婦人が街を闊歩していた。そのうちの一人が明かしてくれた
「羽織と肩掛けはおなかを隠してくれるので、子供が生まれたときみんな驚くの、えっ!妊娠してらしたの?ふふふ」

ついでに言えばチャ子ちゃん先生が学生の時総武線の中で着物を着たお母さんが赤ちゃんに授乳をしていた。はじめは気が付かなかったけど、羽織の中に子供を入れて、着物の身八つ口からおっぱいを出していた!仰天して食い入るように見つめてしまった。

若いお母さんと目が合ったとき、にっこり笑った母親に思わずお辞儀をしていたわたくし。神々しかったなあの姿
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誰もが思うこと

2020年02月14日 09時41分06秒 | 日記

コロナ様の事

普通の日本人がコロナウイルスに感染しおひとり亡くなったというニュース

都内のタクシー運転手さんが感染したということ、ひたひたと身近に近づいてきているコロナさま

このままの状態で果たしてオリンピックなどできるのだろうか?

東京の公共設備は日々新たに便利よくなりつつあるようだが開催までこぎつけるのか?

大体「くそ熱い」(ごめんなさい言葉が乱暴)夏のさなかの東京オリンピックの開催などはなから無謀

しかし誰も声を上げて止めていない みんな心の中では「なんでこの時期に?」という疑問があったはず

 

イロンナ識者の話を漏れ聞くと、わざわざ夏のオリンピックに「仕掛けられた」というきな臭い話もある

そのすべての裏に日本のお金が海外に流出しているという話も聞いた

 

またこのコロナ様はいわゆる人工兵器なのだそうだ。兵器として生れ落ちるとはお気の毒

何がなんだかわけもわからず右往左往するより、ここはひとつ腹に力を入れ肚で考え、肚から行動するという日本人の魂を思い出したいものだ。それには腹をまずきれいにしなければいけない。身土不二、自分の土地でできるものを食べ、旬の食べ物のパワーを信じ、化学処理されたものには口をつけず、日本本来の味噌醤油、豆腐、納豆、海藻、小魚などを主に食し、身を清潔に感謝の毎日を過ごす。ともかく免疫を上げるしかない。10時に休み6時に起きる。今日からでも遅くない、昔のお母さんが知っていた知恵で身を守ることにをしよう

 

自分だけが助かる

そういう思想ではなく「人を助けるためにまず自分自身を安全な場所にいる努力をする」この考え方を持つ限り日本は破壊しない

人に尽くして自分をなおざなりにするのではない。そこを間違えると社会は混乱する

まずわが身を強くすることが大事

 

昔のお母さんの知恵「節約精神」中谷比佐子著

 

#コロナウイルス #チャ子ちゃん先生 #酵素 #肚に落とす #肚で考える #日本の破壊 #東京オリンピック #身土不二 #節約精神

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着物が繋ぐもの 292

2020年02月12日 09時59分38秒 | 日記

昨日は国立小劇場の2月公演「菅原伝授手習鑑」を総勢14人で鑑賞した

始まる前の30分、吉田勘市さんの案内で舞台裏を見せていただきながら、また衣裳部屋や床山を見学して文楽のレクチャーを受けた

文楽を初めて見る人そうではない人も大感激、道具の一つ一つが本物だといって大興奮

開演30分前でぼつぼつお客様も席についているのでと、最後のほうの説明には声を潜める勘市さん。それに倣ってレクチャーを受けている面々もスリッパの音をたてないように気を遣う、こういうところが日本人らしい気働きなのだなあと感心するチャ子ちゃん先生

 

立て役は10キロの重さの人形を遣う、しかも指三本。肩から腕にかけては力をいれるが、肘から手首は全く力を入れないで10キロの人形を持つ、持つだけではなく動かし、仕草をするのだ。自分は指三本だけど、相手の人形は全身を動かす。だから足を動かす人、手を動かす人三位一体の人形遣いなのだと感じ入る

 

チャ子ちゃん先生の文楽歴は長い、ことは自分自身が着物をより美しく着たいので、いろんな着物の着付けを取材していた時「文楽人形の着付けを見てみたい」と思い立ち吉田簑助さんにお願いしたら快く東京公演の前々日から2日間の撮影を快諾してくれた。今から40年近く前のこと

人形遣いは自分の役の人形の着付けは必ず自分自身の手でする。半襟をつける、襟合わせをする、町娘、お姫様、未亡人、若妻、年老いた女

道行の時、祝言の時などなど細かく着付けを変えていく、そこに魂を入れると人形はその役を演じて動き出す。着物のもつ奥深さにこのときばかりは「恐れ入りました」という感じで簑助師匠の針運びに見入った

その後簑助師匠は病を患ったので今では貴重な資料となって私の手元にある

 

「次に生まれても人形遣いになる」という簑助師匠。言葉通り病後からはさらに人形が体の一部になっていて動きの美しさは絶品。これを見逃したくないので毎回舞台を見に行く。いまは弟子の勘市さんにチケットのお世話を頼んでいて、新しく見る方たちのレクチャーもお願いしている。そして時々師匠のお顔を見に楽屋を訪ねると、その時のお役の人形を遣って「こんにちは」とお迎えしてくださる

 

文楽の方々はお行儀がいいし義理堅い

お忙しいと思うので電話は控えメールにしているがいち早くお返事をいただく、おもてなし、お気遣いの大切さを知っているのは、きっと義理人情の情の世界をいつも演じているからであろうか。床本の言葉の美しさにいつも酔いしいれる

次回の東京公演は「義経千本桜」の通し狂言、5月9日から  良いお席準備できます

 

#文楽公演 #吉田簑助 #吉田勘市 #国立小劇場 #文楽人形 #チャ子ちゃん先生 #中谷比佐子

 

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男と女

2020年02月10日 10時41分12秒 | 日記

此処のところ凶事が続き気持ちが沈んでいたので、綺麗で優しいそして温かいものに触れたいと思った。音楽でもなく、明るく賑やかな芝居でもなくーーーと考えを巡らしていたら、先輩のFB に「男と女」の映画を見たという文章を見て「そうだ!それだ!」と勇躍上映映画館を探した。

 

この広い東京たった二軒。嬉しいことに渋谷のルーシネマで上映中、すぐ出かけた

「男と女」の前作は53年前、フランシスレイのスキャット「ダバダバダ」が全世界で流行ったし、主演女優「アヌークエーメ」の圧倒的な美しさに男性諸君は魂を持っていかれた

 

そんなことを思い出しながら急ぐ

監督、主演のお二人、音楽そして全てのスタッフは当時とまったく同じ人々で作り上げたのだと解説書。生憎昨年亡くなったフランシスレイ、しかし彼の音楽は健在だった

 

筋書きは負わない

アヌークエーメの86歳そのものの美しさに惹かれる。フランスを始めヨーロッパの女優達は老いを隠さずきちんと受け止めて気品溢れる姿を見せてくれる

 

体型は崩れている、ヒールのあるくつは履かない、シワもある、顔もたるんでいる。それでいて華やかな美しさを輝かせている

 

背筋を伸ばした歩き方、赤い口紅の効果、目をくっきりと描く、そして堂々とした仕草。自分が生きてきたことへの信頼と自信、思いの深さが会話に出て人を和ませる。

 

相手のジャンルイが「貴方は穏やかだから若く見えるんだね」という言葉にハッとした

 

さあ

今日から原稿書き頑張ろう!

#男と女 #フランシスレイ #アヌークエーメ #チャコちゃん先生 #ル・シネマ #老いを美しく

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