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チャコちゃん先生のつれづれ日記

きものエッセイスト 中谷比佐子の私的日記

大奥展

2025年08月08日 10時42分28秒 | 日記
東京博物館で行われている「大奥展」に行く
先月の「比佐子つれづれ」で予習のお話をしたので、私自身も非常に身近に見えてしまって面白かった

もともとチャ子ちゃん先生は着物の柄や色は江戸時代に完成されているという感覚なので、御台所や側室の衣装の手仕事に集中してしまう
金襴緞子という織物に関しては男用や宗教関係者、または傾奇者のモノ
女たちは「刺繍」「絞り」「手描き模様」が中心になりその精魂込めた手仕事に心が震える

着るモノだけではなく、袱紗や、掻い巻き(掛布団)御台所や側室たちの小さなものぐさみと称する人形や小間物の手作りにも、その方たちの置かれている立場や心境が伝わってくる

御台所の輿入れ道具の品々にも、家の威信をかけたモノづくりに圧倒される
こういう仕組みがあったから、日本の職人たちが腕を競う場所が与えられ、芸術品がこの世に残る

封建制度を男側から見ると権力こそが「善」という構図になっていくが、表の政治から裏の血筋を絶やさぬという立場にいる女たちの生活は、権力とは違った「美」が生まれていた

刺繍の糸が無撚糸であるため、立体感がありながら滑るようなめらかな花や葉モノの表現に見とれる
久しぶりに「打ち出し鹿の子」の手法にも出会えて、手で絞ったものとはまた違った奥行きを鹿の子絞りに感じた
染匹田とは違った味わいがある

袱紗を使用する文化はある意味恥の文化でもあるのだなあと感じた次第

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眼鏡が合わなくなった

2025年08月05日 09時45分48秒 | 日記
白内障の手術が終わったら手元用の眼鏡が合わなくなった
つまり
生の目の方が見えるということ

持っているものが合わなくなるということは多い
少し太ればウエストも寸法が変わり、お気に入りのスカートが入らなくなる

人とも気が合わなくなる、意見が合わなくなるということが長い生涯で起きる

自分が成長しているときは、人と意見が合わなくても受け入れる余裕があるが、自分の成長が止まっているときは、意見の違う人をやたら攻撃してしまう
攻撃性が顕著になったら、自分自身の成長が止まっているのだと認識した方がいい

自分自身の成長て必要なの?と思うときもある
そう必要だ。
成長をすることによって自分自身が常に平和で幸せ感に包まれるのだ。これがい一番尊いことではないだろうか

相手を自分の陣地に引き入れようとするから苦しくなる
相手も自分の陣地を持っているのだもの

お互いにその陣地を行き来した方が視野も広がり楽しい
目が本来の自分のものになったという喜びはたとえようもない

神様
お預かりした目が戻ってきました













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きものを識れば日本が見えて来る 17

2025年08月04日 08時17分38秒 | 日記
きものを深く研究していくと
敗戦後教わった日本の歴史がおかしいと気づく
まずは「生糸と工女さん」の話から教わった日本の社会現象に疑問を持つ
「女工哀史」というくくりがある
労働者は常に搾取されて少ない給金で働かされいじめられ苦しかった

ある日美しい生糸をを手に取って考えた
こんなにも美しい糸作りのできる女性たちが、苦しみや怨念の中でできることなのだろうか?
そしてつてを頼り、製糸工場で働いていた3名の老女を探し出し、インタビューをした

当時(今から40年前)80歳を過ぎていた方々だったが、結城縮の縞を着た方、結城縮の絣、大島紬の絣を着て集まってくれた
そして開口一番
「仕事が楽しかった」
4年か5年働いてそのお給金で家が建った、毎日お裁縫や、国語、そろばん、料理、作法などの講座もあって、教養を身に付けて生家にもどり、おかげで家も潤い、ランクの上の家に嫁いで幸せな家庭生活を送ることができた。生家では蚕を飼っていたので、糸を取る仕事は苦にはならなかった

10代の少女たちの関心はおしゃれと食べ物、お休みの日の小間物屋での買い物が楽しかったと話してくれた

糸取りも上手になればお給金も上がるので、みんな一生懸命工夫をして上手になろうと努力をした
どこが「女工哀史?」
もちろん厳しい指導者もいたかもしれない
しかし「負」の歴史ばかりを掘り出して伝える態度に何か作為を感じる
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老化は病気

2025年08月03日 10時17分43秒 | 日記
「老化は病気だよナカタニサン」
「では治療法があるわけですね」
「そうだよ」
「教えてください」
「今からやるとそれは治療ではなく予防だがね」
「ではよろしく」

それはチャ子ちゃん先生がまだ50代の半ばだった
アーユルヴェーダ―医学を広めている蓮村誠博士に出会ったときの会話
年齢的にちょうど疲れがたまるころでもあったし、精神的にもぐらつきが増えていた

蓮村医師について体の勉強を始めた
それはきものを着るにも役立つことでもあったし、日々の生活を見直すことにもなった

とにかく体を一回赤ちゃんの体に戻そうということで
「パンチャカルマ」というのを5年間で10回も行った
細胞を若返らせたので、それ以降医者が不要、薬飲まないという身体が保たれた。と同時に精神も安定した

しかし老化は日々進行する
「日本人の体の遺伝子は日本食を食べることだよ」
味噌醤油塩などの使い方、お米野菜、たまに魚や肉そういう食事の指導のほかに「白湯」を飲むという方法で内臓の老化を防ぐ
白湯は薬缶に水を入れ沸騰して蓋を取り、弱火で10分、そのお湯を保温して食後に飲むと消化が良くなる

「内臓の老化は防げるけど、皮膚のたるみやしわはどうするの?」
「言い聞かせるんだよ、私はしみも肌のたるみもないわ、なんて美しいとね、わははは」

内臓が元気でいればあらゆる病魔も寄ってこない
これが老化を防ぐ一番いい方法だという



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時には科学もすごいと思う

2025年08月02日 10時41分41秒 | 日記
白内障の手術を行った
1.2と1,5というよく見える目に生まれついていて、目の病気になったこともなく、70歳を過ぎたころから老眼の眼鏡にお世話になったけど、目は強かった

それが今年に入って急に見えにくくなり、しかも階段が怖い、道の段差が危ういという状態になり、友人が
「それって白内障ではないの?」
右目を伏せて左眼だけで景色を見ると全くぼやけて見えない、今度は右目かろうじて見える
「大変じゃあないの、私が手術したお医者さんに連絡するからすぐ見てもらって」

6月から丁寧な検査があり7月に手術となった

「よく日常生活ができていましたね」
と言われるほど重症だったみたい

眼鏡づくりの名手がいらして別の友人がその名手にこういう人がいるとチャ子ちゃん先生の話したら
「そういう方は頭でものをみているんですよ、私の眼鏡づくりも頭で見る範囲を計算して作っている」
と言われたそうな

よくわからないけどなんだかわかる
亡くなった大内順子さんは片方が義眼で全く見えない、もう一方も視力は弱い、それでも的確にものを見ていて
「よく見えるのね」
「なんだか知らないけど見えるのよね」
普通に見える人と全く変わらない行動だったのを思い出した
そうか頭で見ていたのか

意を決して手術台に乗ったが首に力が入り
「首の力を抜いて」
と言われるがなかなか指示通りにはいかない
手際よく、痛くもなんともなく、ものの10分で手術は終わってしまった
更にすごいのはそのとき目のレンズも取り換えてしまったという
おかげでこの文章も眼鏡なし
科学に感謝 すごい時代だ


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大正生まれの女はおもしろい

2025年07月31日 10時34分34秒 | 日記
一番上の姉と末っ子のチャ子ちゃん先生の年の差は13歳
彼女が13歳の時に赤ん坊だった私は
姉にとっては最後まで赤ん坊のイメージしかなかったようだ
子育ては上手ではなく、子供のしつけに対しても手抜き、嫁姑問題も知らんぷり
だけど13歳違う妹に関しては深い愛情を注ぐことを忘れない

今頃にいなって
この温度差っていったい何だろうと思う
姉はあくまで「身内フアースト」
その身内は実家であって婚家ではない、あくまで実家大優先
だから両親の動向や特に父への理解が深いし尊敬の度合いも違う、それが昂じてか父の親戚に厚い愛を注ぐ、そうすると次姉は母の親戚を大事にする
つまりは二人で申し合わせたように両親の親戚に心砕くのだ

大正生まれの女たちは自分の血筋というものに、何か深い執着を持っていたのかとも思う

我が姉妹だけがそうかと思っていたら
仕事を始めたころに出会った大正生まれの女性たちに、同じ傾向を感じた
いままでそれを深堀することもなく見過ごしてきたけど
今回社会学者の「鶴見和子」さんのことを着物を通して調べていたら、我が姉妹に通じるものがあり、お会いしたこともない方だが猛烈な親しみを感じてしまった

大正生まれの女たちのきものがあちこちいまだ残っている
それを通じて女たちの性癖を調べてみようかと考えついた

そういえば国会議員の中でも大正生まれの女たちはよくきものを着て議事堂の中にいた
特にその中で共産党員の小笠原貞子さんは100%着物姿で、私どものイベントにもよくいらしてくださっていた
共産党員ときものという取り合わせに興味を惹かれ取材に行ったのが始まりだが、姉のようにさっぱりとした方だった

今大正の女が新しいかも


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シルク伝道師協会設立一周年

2025年07月30日 07時45分38秒 | 日記
コロナパンデミックが始まった5年前
一気に仕事がなくなり、そのため会社を閉じるという方向に決め、先ずは小さなところに引っ越して、一人社長で残務に取り掛かった
そのとき
これから私自身は何をすればいいのかを考えた
「先生はシルクを深く研究しているから、その知識を伝授したらどうですか?」
と風水の弟子であり今や独自に開発した「ドライヘッド・マッサージ」の事業が乗りに乗っている広瀬恵子さんがアドバイスをくれた

当分は自分の事務所を使ったらどうかというありがたい提案もうけ
早速「シルク伝道師油性講座」の第一期生を募集した

10人の方が受けてくださり
これまでの取材や研究で得た知識を余すことなく伝えることができた
手探りで始めた講座だったが
セミナー進行の先輩になった広瀬恵子指導の元、アーカイブも取り入れ順調に講座は進んだ

第三期生の講座が終わった後
「シルク時空をこえて」の上映会を伝道師たちの主催で行ったらどうかと提案した。第一期生で再受講に出席していた「岡野曜子」さんがすぐ手を挙げて、早速会場探しからみんなで動き始めた

映画上映は大成功
ここで伝道師たちの心が一つになり、日本のシルクを何としても守り継承をしていこうという堅い決心が生まれ、結束ができ自然に「シルク伝道師協会」が第四期生の講座の後に設立された

設立日をチャ子ちゃん先生の誕生日に当てていただいたので、設立記念は誕生日の祝いにもなって超うれしい(笑)

六期生からは講座はシルク伝道師協会の主催へと移行、そのことによって伝道師たちが「公」の心をもって、わが日本に古くからある自然素材に触れる喜びを味わっている。そしてその現場から本当の日本の歴史に触れることができて、彼女たちの意識が深まっていくのを感じる

彼女たちは日本を変えていく存在になっていくだろう

本日20時からチャコちゅうぶです

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車窓の景色

2025年07月27日 07時40分52秒 | 日記
目の治療に平塚まで通っている
新宿から湘南新宿線東海道直通という電車が一時間に一本出ていてちょうど新宿平塚間が一時間
その間ずーーと車窓を見ている

新幹線に乗っても、在来線でも、バスに乗っても車窓の景色を只見ている
だから移動は苦にならないどころか楽しい

そして昨日悟ったのだが
人生も同じだと
気になる事柄があればあるほど、この車窓を見ている感覚位なっていればストレスはない

このことを教えてくださったのは上田康清・和子夫妻
世界で行われていること
日本の様々な動き
それを演じている人たちについ感情をゆにゅうして、あれこれ心痛めたり、人とそのことで争ったりしてしまう

いろんな仲間たちの中で、また家族間でも、時代を動かしている演者たちのあれこれの批判が争いの元になっているかもしれない
それはお互いがその演者に感情ゆにゅうしているからであろう

野球選手の贔屓、歌舞伎俳優の引き、宝塚のひいき 
いろんな事柄も過ぎ去っていく車窓の景色だと思へば、それを観る者の心はいつも平和
それはまた「傍観」とも違う
ボーとみているのではなく、かといって感情を注入するのではなく、空は空として美しい、緑は緑のさわやかさが伝わる、あの家は住みやすそうだ、などの感想はあってもいい、あった方が楽しい
そうすると「モノの本質」もみえてくる

ただ行き先ををしっかり決めておかねばならないけど
いやふらっと降りて散策するもありかな
感情を入れ込んだり、どちらかを応援して力んだり、そういうことから卒業する世界になっていっているのかもしれない
それは日本人から始まっているように思う
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魂を磨く

2025年07月24日 06時56分38秒 | 日記
外の状況に流されず
今はひたすら魂を磨くことらしい
魂を磨くというのはどういうこと?

「愛だあねえ」
そうまず自分を愛することだわね
中野裕弓さんの「愛のコーヒーカップ」という本があるけれど
彼女がその話を始めたは40年近く前だった
「人にばかり愛を注ぐのではなく自分自身に愛を」

人のために尽くすことが美徳と思われていた時代だったので、新鮮であると同時に「自己中」という批判もあった
つまりは「自分フアースト」今風に言えばだけど

でもちょっと違う
自分を愛するということは
過去のすべての自分を愛することになる
そうすると自分自身が犯した罪や、ひどい仕打ちを受けたこともすべてそれを取りだして、そこからどんな学びがあったかを検証し手放す
この手放すという行為を「破壊する」という言い方をしていらっしゃる方もいる。破壊という行為に暴力的な感覚が付きまとうので、手放すの方がチャ子ちゃん先生はピンとくる

この手放す時きれいな箱にその思いを全部入れて美しいリボンをつけて手放す
かっこいいねえ

どんな状況になっても
アナ嬉し、アナ楽し、アナおかし
と言い切れればそれでよし

魂を磨くということは、愛を持ち、調和を尊び、感謝の心を持っていれば美しく魂は磨かれる

今は外の状況に右往左往するときではなく
ひたすら愛、感謝、調和に生きる時のようだ


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わが顔に驚く

2025年07月23日 08時20分41秒 | 日記
目がすっきりはっきり見えて来たら
鏡に映った老婆の顔にショックを受けた
誕生日の再生であったが、それは自分の本当の顔を知る日でもあった
そのうち慣れるだろう
これが本当の顔、たるみがあり、しわがありしみもある

さて痛いの怖いので朝から緊張
血圧測ったら205
「これでは手術ができません、しばらく待ちましょう」
付き添いの友人がけらけら(笑)30分ほどして再度測ったら160「
「では始めましょう」

バイバイ行ってくるねと手を挙げて勇躍手術室へ
(そんなにりきまなくてもいい)
がちがちに手足が固まっているのがわかる
(ありがとうありがとう)
と唱えながら手術台へ
「よろしくお願いします」
「はーいすぐおわりますからね」
有無を言わさず手際よく手術が始まる、それでも肩に力が入っている自分がわかる
(りらーくす、ありがとうありがとう)
痛くもなく流れるような技術
(手品だなあまるで、手先が器用でないとできないなあ)
なんて余裕が出てきたな、とおもったら
「おわりましたよ」
とさわやかな声で呼び戻される
「早いんですね、ありがとうございました」

痛々しい感じの眼帯姿
友人に抱えられながら病院でいただいたサングラスをかけてあるく

ひと夜あけて病院で眼帯を外す
きゃーこの世の中の美しさ、景色がクリア緑がキラキラして輝いている
まさしく誕生だ、目の誕生!

家に戻りサングラスを外してかがみをみてわーお
あと右目の手術が終わったらどんな状態になるのだろう
今から覚悟が必要だなあ
目をつむり内観の日々を過ごせたことに感謝

本日20時から「チャコちゅううぶ」
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