チャコちゃん先生のつれづれ日記

きものエッセイスト 中谷比佐子の私的日記

除夜の鐘

2017年12月31日 11時39分52秒 | 日記
今日は忙しい
夕方は大祓の祝詞を神社であげていただき
この歳の罪穢れを取っていただく

深夜にはお寺で除夜の鐘打たせていただく
来るべき新しい年に向けて世のお役に立つ自分になっていくことを誓う

昨日私はセブ島で井戸堀の作業をしている友人から
学校づくりに協力してと依頼された
セブ島のとなりは「レイテ島」
先の戦争でどれだけの人が国のために戦って命を落としたか

逃げ延びた人たちがセブ島で暮らしたとも言う
お世話にったくににせめて役立てばと思う

さいわい3月にそのセブ島で「日比文化交流」をその友人が企画しているので
私はそこできものを持っていって
セブ島の若い女性に着せてみたいと提案した

そういうことを考えながら
今夜は除夜の鐘を打つ
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障子張り

2017年12月29日 21時40分48秒 | 日記
なかなか楽しい作業であった
見よう見まね生まれて初めての挑戦の障子張り

プロの貼った障子だったので実にきれいに剥がれた
乾いた障子を部屋の中に入れて
下に新聞紙を敷く

障子祇は一巻きが障子二枚分だと初めて知る
小麦粉で糊を作ろうとしたら
障子用の既製品があるという
鳩居堂に行く
あった

さて始まり
棧にのりをつけ左手に紙巻物を持って左へその巻を転がしながら貼っていく
途中棧を丁寧に指でなぞる
一枚を一時間もかけてしまった

!(・。・)b 「そうだ!」霧吹きがない
仕方がないのでワタに水を含ませ棧を叩いていく

糊も量の加減が難しく結局手で糊を伸ばしていく
難しいのは紙を切るとき
包丁でやってみた
うん うまくいく

生まれて初めてというのにまあまあのでき
先祖の人びとがきっと助けてくれたのだと思う

歳を重ねると「生まれて初めて」ということに挑戦するのも健康のうち
と悟った障子張りであった
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正月飾り

2017年12月28日 20時23分12秒 | 日記
もう大昔から28日は飾り物と決められていたようで
28日はいつも忙しい
この日からお正月だ

ここのところ頭の作った正月飾りにハマっていて今日もいただきに行く
」人気があるから避けといたわ」
と女将さん
何か嬉しいそばで頭が静かに笑っている

舎弟たちは新宿西口で店を広げている
最近は正確な正月飾りを購入する人は少ないらしい
正月飾の意味もわからなくなっている
デパートの行くと意味なく造られたリースが売れている

かえったらつきたて餅が届いていた
いよいよ近づいたな新年

今日は朝からガラス拭き
ガラスは財だと言うのに曇っていたことに反省

明日は障子張り
早寝しよう


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買い物の醍醐味

2017年12月27日 16時04分30秒 | 日記
今は買わないと「辛抱」をすることを覚えた
エライ(笑)

今年はお金の動きに心を込めることにしてすごした
その結果ちちゃかちゃか買わなくなってしまった
そういう中で
昨日久しぶりに「これ頂きます」と思いっきりの良い買い方
気分が良かったね

兼ねて会社の和室の乱れ方がすざまじく
荷物が溢れかえってしまっていた
その荷物のすべてが着物なので
なんとか整理したい
岩谷堂のタンス、仙台箪笥の上にタトウ紙が積み上げられている
痛々しく思いどうしても桐の引き出しか衣装箱がほしいと思って探していた

しかし値段と折り合いがつかずじっと我慢
そして昨日神様からのご褒美
「店においていて焼けてしまったから」
と願ってもない値段の桐の衣装箱

2つ合わせて一つ汾の値段よりさらに安い
「2ついただきますよ」('-'*)ホホホ気前が良いね
「じゃあ端数は切り捨て送料は無料でいいよ。ありがとうございます」

売る人も買う人もニコニコ
きっと作った人もニコニコまさしく「三方良し」

買い物の醍醐味を久しぶりに味わった

神様は一年の「辛抱している姿」を見ててくれたらしい
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巣鴨商店街が面白い

2017年12月26日 17時23分11秒 | 日記
12月19日に生まれて初めて巣鴨に行った
若い美容師さんが「シニア向けのシャンプーを重要視した美容院」
を~来年オープンするということで
私はシニアーのモニターになった
素晴らしいシャンプーで髪の毛はピカピカ
ちなみに「えがお美容院」

さてそれだけで歸るるのはもったいない
とげぬき地蔵さんにお参りをしよう
と商店街へ

そこで桐の衣装箱を見つけ
今日もう一度見に行った

その家具屋は明治11年創業今の主人は四代目
五代目が頑張っていた
思いがけず素晴らしい衣装箱が安価で手にはいり
しばらく話をする

もともと家具屋が多かったのだそうだ
あるものを売るといより職人として家具屋を守るが当たり前だそうな
それぞれの代の主が使ったかんやのこなど見せていただく

好奇心丸出しでいろんな質問をする
おじさんたちがたむろする喫茶店に誘われた
その名が何と「貴族」

そこで商店街の歴史をざっと学んだ
その喫茶店ではおじさんたちが美味しそうにケーキを頬張っている
みんなおしゃれして昨日の有馬記念を振り返っていた
地元の人ばかり

面白い街
不思議な街

そうつぶやいたら
「20年前はもっとおもしろかったよ」
「またちょこちょこよってね」
「はーーい」
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有馬記念

2017年12月25日 11時07分45秒 | 日記
名馬が出揃う「顔見世興行」
予想通り「キタサンブラック」
スッキリとしたきれいな馬

一時東京競馬場の常連になっていた
どういうわけか農水省の管轄なのだ
その頃農水省の仕事をしていたので女性も行ける競馬場ということで
着物を着た婦人たちを動員していた

岡部騎手のフアンで彼の乗る馬に賭けてよくもうけさせてもらっていた

しかしある時
「このお金お馬が走ってムチを打たれて手に入れたお金だ」
と冷静になって
気がついたらもう賭ける気がなくなった
さらに
競馬そのものを見ることもなくなった

昨日久しぶりにテレビ観戦
岡部さんが解説していたのは嬉しかった
その後のスター武豊さんが優勝ジョッキー

日本の馬は流鏑馬で活躍するほうが似合っている
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クリスマスイブ

2017年12月24日 19時27分54秒 | 日記
昨日聞いた話
キリストが生まれたのがクリスマスの人されているのですが
実際はわからないらしい
それより
冬至に入って太陽の光が強くなり
その光とともにイエス・キリストの光も強くなって私達を照らしてくださる
ということのよう

日本人は宗教を持っていないという
そうだろうか
自然崇拝も宗教の内
宗教は哲学だと私は思っている

哲学は自分がどう生きるかを追求する学問であるから
宗教を勉強しないと生き方の本筋はわからないかもしれない
一口に宗教と言っても色々あり
自分にあうのは神道か古典仏教か
なんでも頭を突っ込んでべんきょうしているうちに
歳を重ねてしまった

自然教宇宙派といきたい
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冬至ですね

2017年12月22日 16時15分09秒 | 日記
今日は夜が一年で一番長い日
そして一日一日と太陽の日差しが伸びてくる
冬至の日は一陽来復早稲田の穴八幡宮神社は大勢の人達で賑わっている

この一陽来復の御札の話を聞いたのは
オバキュウが人気になり始めた頃の我孫子不二雄さん

彼は十二社池の下の交差点のところにあるビルの2階が作業場だった
挿絵家と若手漫画家たちが所属していた「ポロリーズ」という野球チームがあり
中野の哲学堂でよく試合をしていた
監督である挿絵家のモデルをしていたので
試合後の接待にまだ学生であったチャコちゃん先生は同級生とともに駆り出され
楽しい時間を過ごした(なんとおばQちゃんはこの中のひとりと結婚したっ!)


チャコちゃん先生も十二社に引っ越してからは面白いから度々仕事の邪魔をしに行っていた
そうしたら「ぱーまん」という漫画に
とても意地悪なちゃこちゃんとして登場させられ
大抗議をしたらこの穴八幡の一陽来復の御札のことを教わった

「これを貼るとねジャラジャラ天から大判小判が降ってくるようになるんだよ」
彼はその頃本当に売れ始めていたので
すわ
とばかりに冬至の日に穴八幡宮へ急いだものである
たしかにご利益はあったように思う
数年続けている内婦人誌のお正月の巻頭ページを必ず任されるようになり
本も出版した

最近はもう人が多くて行ってられない
節分までの間に御札をいただけばいいと言われているのだが
やはり冬至の日にいただくのが筋だと固く思う茶kちゃん先生ではある
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ゴミ整理

2017年12月21日 18時12分56秒 | 日記
暮れになると「お片付け」をしたくなる
一年の垢を落としたい
さっぱりとして新年を迎えたいと誰でも思う

捨てられなかったり片付けられない人は
頭の整理ができていないと言われる

チャコちゃん先生はパッパカ捨てるタイプ
時々大切なものも捨ててしまうことがある
第一は母の形見のイエローダイヤモンド
指の細い母のものだから小指にしていた

仕事で反物を触るとき反物を傷つけるのを恐れて
ちり紙にくるんでハンドバックにしまっておいた
家に帰りハンドバックを整理したときゴミだと思ってそのちり紙を捨ててしまった

第二は講演前に奥歯がぽろりと取れて取れた歯をちり紙に包んでいてそれもゴミ箱に(*^_^*)ん
新しいのをつけるのに10万円もかかってしまった
それからちり紙に包むのは極力避けている
いい勉強だ

まだまだ数え上げたらキリがないこんなの自慢にはならないけど

自ら意思を持って捨てる場合は小さいものから捨てていく
写真とか手紙とか本も随分処分した
基本的に小説のたぐいはよんだらすてることにしているが
最近は本屋で立ち読みしてしまう
これが一番経済的

ゴミは貯めると運気が落ちると言われるのでゴミは捨てよう
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おくりびと

2017年12月15日 10時29分15秒 | 日記
臆病なチャコちゃん先生は遺体を触るとか見るとかだめ
「枕辺の別れ」はしんどい
両親のときも触れられなかった
どんなに悲しくても遺体に取り付いて泣くというのはないだろうと思う

この怖さはなにから来ているのだろうと考えた
昭和20年7月8日?我が家の玄関に爆弾が落ち
庭の防空壕に入っていた両親と私は危うく生き埋めになるところだった

学校に行っていた姉や兄が戻り爆風で蓋が防空壕に張り付いてしまったのを
一生懸命剥がしてくれて私たちは生き延びた
兄と姉たちの家族を思う心がなければ今頃私はこの世に存在していない

一瞬にして家が吹きとんで無くなった私達家族は
父の実家に行くべく行進
母の背におぶされた私が見たものは街に溢れた罹災者とおびただしい死体

それらを見た瞬間私は「嘔吐」
それから姉の制服のリボンで目隠しをされて家族が交互に私を背負って逃げた
途中何度も見知らぬ人の防空壕に入れていただき難を逃れた

この時の怖さが私を遺体から遠ざける

姉の遺体をまるで愛しい家族のように扱う「おくりびと」
家族の湯灌を避けて逃げ回っていたけど
今度ばかりは長老の私がしっかりしなければならず
いつも家族の「いざ」の時に仕切っていた長姉のその場で
しっかりと遺体と向き合うということを姉に学ばされた

世に役立つ仕事
それは「おくりびと」だと心から思った

怖くて映画も敬遠していたがこれからきちんと見ようと思う

命の尊厳はおくりびとの手に委ねられている

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