チャコちゃん先生のつれづれ日記

きものエッセイスト 中谷比佐子の私的日記

菊枕

2008年09月30日 14時15分38秒 | 日記
初秋の季語に「菊枕」という言葉がある
昨夜は句会でこの季語が兼題の一つだった
絹縮み ゆるりと着つけ 菊枕
「菊枕は色っぽくしてはいけない」

チャコちゃん先生のあだ名
「マボ天」
つまり幻の天
「言葉を入れ替えていたら天をあげようと思ったのに」
と宗匠に毎回注意されているが
いつも取り逃がすので
「幻の天」でマボ天

ところで菊枕
目に良い
熟睡できる
目覚めが良い
気管によい

ぜひお勧め
さんざ眺めて花びらだけを取り天日干し、
絹の枕がより効果的

全部を菊にするのはかなりの量が必要
普通の枕の上に
上布のように載せるのでも良い

宮中では平安の昔から
菊の花びらを真綿の中に入れて四方に吊るしていたという
魔よけと浄化

そのためにも
お蚕を育てもしょう
わが蚕
睫から3センチになり申した
真綿を作って菊の花びらをいれ頭の傍において寝よう

やってみなはれ
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駅野中州信

2008年09月29日 16時21分58秒 | 日記
いまだに右読みの駅「信州中野」
長野電鉄の駅のホームに座ってキョロキョロ看板を見ていたら
野口雨情・中山晋平のコンビで
「中野小唄」という歌詞が大きく書かれていた

其の三番に
信州中野はお蚕どころ
中野紬のなかのつむぎの
出るところでるところーー

ほーヤハリ養蚕の町かーー
と思いながら
線路脇に咲く秋櫻を見やっていると

「着物姿は良いですねえ」
と婦人の声
駅のゴミ箱の整理をしているヒトで
年のころは50代後半

「ありがとうございます」
「私も一時着物にはまって、小紋や紬をいっぱい買いました」
とゴミ袋片手にニコニコと近寄ってくる
「着物は本当に好き、良いですね」
「着ないの?」
「はーい」
「ホラあそこの看板、昔お蚕さん育てていたのねこの町」
「あらそんなことかいてますかねー」

ホームで仕事をしているのに全く気がつかなかったといって詫びる

地元の人はそういうものかもしれないなあと思う

急に寒くなった信州は
一晩で黒姫の山頂に雪が降ったらしく
山頂は真綿を被せたような雪景色だ

長野までの小一時間
たわわに成ったりんご
ぎっしりと実をつけた栗
頭を垂れた稲穂
そして風に揺れるコスモス
其の間を千曲川が悠然と流れる
景色に見とれながら
右側の窓に移ったり
停車時間にちらりと外に出たり
と景色を満喫

食べ物の危機を迎えている日本
しかし「身土不二」
つまり住んでいる土地で出来る食物を口にすることが
人の最高の幸せ
日本の食物はこうやって粛々と自然の中で育っている

農家の主婦に大勢会ったが
みんな自分の作るものに誇りを持っていたのが嬉しかった

土とともに過す人は誠実な人が多い

空の広い信州から人の多い新宿へ
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王監督勇退

2008年09月24日 23時08分49秒 | 日記
このニュースを高知で知った
感慨深い
チャコちゃん先生が始めてインタビューをした有名人
大きな温かい目
誠実な受け答え
真摯な言葉
イチローも語るように器の大きい人

新聞を買いあさり
隅から隅まで読む
あのインタビュー以来
ずーとフアンでいた

福岡に都落ちみたいな状態のとき
わざわざ福岡に飛んだこともある

14年間
今は心から土地のみんなに愛されていて
それが嬉しい

西日本新聞などの地方紙は
「麻生総理誕生」より
「王監督勇退」のほうが一面で大きい

それらの記事を読むと
記者たちの思い入れと
深い愛が其の文章に表れていて涙を誘う

当時スポーツ新聞に就職した記者仲間が
「長島さんは近くて遠い人、王さんは遠くて近い人」
といっていたが
今になってみるといいえて妙

王監督はともし火のようにみんなの胸の中でともり続ける
そういう温かい人だと思う

そのような素敵な人に
一度ならず二度も取材が出来たことに今は感謝
買い集めた今日の新聞
大切に取っておこう

それにしても今日の胴上げを現場で見たかった!
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秋祭り

2008年09月21日 19時41分26秒 | 日記
チャコちゃん先生の
産土様である熊野神社はお祭り真っ盛り
今年は露天商の数が多く
お参りの人も大勢

大鳥神社、お稲荷さん、弁天様の三社も
お供え物が満杯
しっかり観察すると
野菜は秋のものだが色が五行

なるほどなるほどと参考に

おはぎを作る
昨夜から小豆をふかし
ゆっくりと煮る

もち米を2割の地
あんこは粒餡
雨の中あちこちに配って
事務所の神様にも
お蚕にも

この蚕瞬く間に1.3ミリ
それにしてもそれにしても
桑の葉と一緒に処分してしまったこと
バカバカバカ

人が居なかったので
ビックリするようなゴキブリが
悠々と歩いていて
ひょっとしたらコイツにもやられたか

おはぎを持って早く帰ろう
ゴキブリなんかにやらないもん

こういう拒否をしなくなったら
チャコちゃん先生もたいしたもの
ゴキブリ数寄という人いるのかなあ
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睫のような蚕から

2008年09月20日 14時10分59秒 | 日記
いやあー
孵化したばかりの蚕は
まるで睫のよう
それが10日間のうちに
体調一センチ、体周りも1ミリとなって
桑の葉っぱの上に体をさらすようになった

やや茶を帯びた黒から
白い蚕へと変身

ところがところが
小さく切った桑の葉は
すぐ乾いて丸まるので

気をつけながら
其の乾いた葉を細い竹箸で取り除いていたのだが
どうも
小さい蚕も一緒に葉と処分したらしい
コレは老眼のチャコちゃん先生が犯人

睫ほどの蚕が孵化したとき
たしか17頭いたのにーー。
キョウハ3頭シカスガタガミエナイ

生存率の低いこと
といっても原因はチャコちゃん先生にある
余分なことするんではなかったと
今日は大反省!

二眠に入り
オナマに大人と同じように頭を持ち上げて寝ている
可愛い

養蚕は国営にすべきとつくづく思う
この程度だって手間がかかる
オーストリアでは
刺繍や陶器、オペラなどの伝統文化は
其の継承に国が責任を持っている

これからの伝統文化の継承は
国が本腰を入れない限り
風前の灯

残った蚕に愛を注ごう
亡くした蚕への償い
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中原淳一的

2008年09月18日 13時52分12秒 | 日記
大体チャコちゃん先生は自分の着るきものは
自分でデザインしている
今回は
中原淳一的なデザインの着物を作った

中原淳一といっても知らない人が多い昨今でもある
「ひまわり」「それいゆ」という雑誌
75才上の人たちには懐かしい名前だ

二人の姉が居たチャコちゃん先生の家は
この雑誌が姉達の部屋にあって
ときどき遊びに行って見せてもらっていた

衿をきちんと合わせた着付けで
白黒と分かりやすい着物
そして赤や黄色のアクセントが綺麗だった

なぜかフト其の頃の絵を懐かしみ
白地に黒のボーダー柄を手書きした薫物に
黒地に松を図案化した帯を添えた

出来上がったらとてもすばらしく
独り悦に入ったのだが
何せ目がチッコイチャコちゃん先生
イメージが違う

周りを見渡したら
目がくっきりと美しい人が居た
狩谷久美子
東京ますいわ屋創始者の長女

「ねえあなたに着てほしいきものがあるのよ」
と押し売り
本日其のきものを着て写真を撮ったら
まさしく中原淳一の世界、で美少女?

ピッタリ!
こういうの本当に嬉しい

こういうコーデイネートは天才的!と自画自賛のチャコちゃん先生
気分が良いですわ
きものはコレだから麻薬
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樹木に疲れ

2008年09月17日 14時33分14秒 | 日記
どういうわけか今日の私の目には
木々の緑が突然吐息をついているように見えた
疲れている
葉が丸まり精気を無くした

秋なのです
この疲れの出た樹木を見て
50代の終わりから60代にかけての
お父さん達を想像する

栄養を与えてもらっても
栄養ドリンクを飲んでも
おいしいもの食べても
いいワイン飲んでも
好みの女を見ても
何かきりっとしない

疲れている
形は一緒でも
中身に精彩がない

樹木が今丁度そんな感じ

しかしもうしばらくすると
突然輝きを増す
多彩な色に染まり
人の目を引きいきなりスター

60代後半から70.80.代
光り輝く人が多い

樹木のこの疲れから一気に黄金の道へ

疲れた木々の葉を眺めながら
次のステージの輝く姿を想像するのも楽しい

紅葉の時期を迎えた人々の知恵を
たくさんたくさん集めることも
われら「サンバの会」の仕事となる

木の疲れを見ると
軽い生地の単を手に通す
夏の疲れが癒される

木も人も感覚は同じ
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サンバの会

2008年09月16日 12時18分08秒 | 日記
昨日の敬老の日に
私達「サンバの会」を立ち上げた
サンバ
産婆
三羽
三馬
つまりはサンバーのこと

文化女子大学の名誉教授でありあの有名な「道明」奥様
道明三保子さん

法政大学で教鞭をとり、その後民族文化の研究の一人者
竹内淳子さん

さておしめえに控えしは、かのチャコちゃん先生こと中谷比佐子

三人寄れば文殊の知恵、アハハだといいが
三人で水辺のチェアーにくつろぎながらー飯田橋だよー
これからの養蚕、きもの文化に
はては日本人の魂の問題まで
話は尽きない

お二人は大変アカデミックで
型破り、さらにいい加減なチャコちゃん先生とのトリオ
こいつは秋からおもろいでーー

お二人が居る限り
具体的に形になっていくであろう

お二人とも神楽坂の住民
誇らしげにわが町の案内に熱が入る

牛込城なるものを
家康がつくったという跡地に
大きなイチョウの木があって
力強さを頂いたみたい

三人のコレからを
きっとこの大銀杏が見守ってくれるのだろう

いよっ!頼りにしてまっせ
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服部 正先生

2008年09月15日 11時22分38秒 | 日記
誰もが知っているラジオ体操の曲
幼い頃口ずさんだヒョックリヒョウタン島のテーマーソング
小さい秋などなど
誰の作曲?
と気にしないでなじんだ曲を
たくさんたくさん作曲した服部正先生

また作曲家のお弟子を
小林亜星さんを始め大勢育て
近代の西洋音楽を広めた方

何よりも
慶應マンドリンクラブの育ての親
そして
はは、これはーー私側の仲人
われら結婚披露にも
慶應の有志のマンドリンクラブの方に来ていただいた

ああ
前置きが長いが
100歳でめでたく旅立たれた

家族は密葬という形をお取りになったが
それはならじとばかり
弟子やマンドリンクラブのOBたちの提案で
「お別れの会」を催した

なんと700人
100歳までの間に
かなりの方とお別れになったと思うが
コレだけの方達が
先生を慕って集まる
音楽で結ばれた心もさることながら
ヤハリ先生のお人柄

残された曲は
みんな明るくて楽しいもの

チャコちゃん先生
こういうときにフト思いつき
奥様に
「そういえば結城にご一緒したとき素敵な白結城をお求めになりましたよね」
「そうそうあれねカビが生えてるかもしれない」
「そうですか?」
「着れないわ、着て頂戴」
「ふふふふ待ってました!伺います」

不謹慎ですよね
でも二人でけらけら笑いながらおしゃべり

この結城行きのお陰で
私は奥順の今の社長順と知り合った
彼はまだ19歳の慶應ボーイであったがーー

其処に連れて行ってくれた
マンドリンクラブのマネージャー窪田稔とも
生涯の友となった

どういうわけか
この三人今でも姉弟のよう
多分これからも

服部先生のお導き
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目じから

2008年09月13日 11時04分31秒 | 日記
女性誌のほとんどは
「目じからをつけよう」
と特集ページを設けて
アイシャドウ、アイライナー、アイブロウの紹介
それらの遣い方
年齢によって
目の形によってとご親切な特集ばかり

電車の中でも
めじからをつけようと
揺れなど何ほどのものと
人前はばからず目の化粧に余念の無いバカ女の群れ

でも上手なのよ彼女らは
チャコちゃん先生じーーーと眺め
ホホホーと感心して自分の手法に取り入れている
ありがとうですな

しかし
「伏し目がち」
というしっとりとした女の風情は皆無

目パクチリで
堂どうと顔を上げて行動する女がいっぱい
時代はこのような女を求めているのか
最近は
男が伏し目がちだね
陰と陽が逆になったちゃった
太陽が西から昇るほどの変化だ

賢い女は
ここ一番では伏し目がちになって男を倒すよ

たまに伏し目がちになってごらん
絶対にモテル
チャコちゃん先生が保障するよ
やってごらん

やり方分かんない?
そうだろうって
今は親に躾けられていないもん

コレ大和撫子しかできない奥の手だよ
文楽見て研究けんきゅう
昔の女はみんな出来ていた
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