チャコちゃん先生のつれづれ日記

きものエッセイスト 中谷比佐子の私的日記

人って傲慢になるね

2023年10月31日 08時22分42秒 | 日記

チャ子ちゃん先生はある時大変な失敗をしでかした

失敗を指摘されるまで気が付かないという深い失敗

それを知ったとき一瞬ですり鉢の底に落ちた感じだ

相手の痛みが自分にきてわなわなと震えた

先ずは自分の非を認め謝るしかない

謝った、失敗を全部自分の責任としてとらえたとたん、覚悟が付いた

とにかく誠意を尽くして修復するしかない

それに対しての時間もお金も惜しまない、とにか自分から出たことなので、自分で解決するしかない

少し気持ちが落ち着いたとき

この失敗は自分にとってどういう学びになっていくのか

書き出してみた、チャ子ちゃん先生の足りなさをあぶりだして出してくれたのは神様だ!そかみさまはときとして「こつん」とやる、そして納得

とにかく何を言われても弁明なし、誠意の限りを尽くして相手の信頼にこぎつけた

 

事はこれで完了

というとき、相手はひどく傲慢になり、私を見下げた言動を繰り返してきた

しかし

ここからはもう「対等」だ、堂々と対応する。そうすると相手に対して卑屈さはわいてこない、相手を神の使いだと思うと感謝しかない

 

「私はあなたに感謝する、しかしもっと感謝する相手はあなたを遣わしてくれた神様よ」

心の中でそう語り二度と自らは会わない

 

失敗を認め誠意をもって解決することで、無二の友になることの方が多い。人との縁は尊いものだとしみじみ思う

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真実と愛に生きる

2023年10月30日 08時30分31秒 | 日記

この四年間のパンデミック社会で、真実を述べ伝えている人は尊い

真実をを語る人は「モノの本質がわかっているひと」と思う

本質を理解できていないと真実は見えない

いつの時代も真実を語る人は、時の権力者によって抹殺される

死を覚悟して真実を語る人は「愛ふかきひと」なのではないか

 

権力を持つと人はその権力を手放すのが怖くて、ますます権力にしがみつき権力を行使する

歴史の中で人類はそういうことの繰り返しをやってきた

歴史を振り返るとよく見えてくる

 

しかし今

真実があらわになり、多くの人は権力に媚びなくなってきた

もう少し、もう少し

長い何千年も続いた権力志向社会が消えていく

 

真実を語ることのすがすがしさをみんなが享受するときはもうそこ

真実を語ることは勇気がいる、覚悟がいるそういう人は軸がしっかり定まっているので微動だにせず、美しく輝いている

そのような人が少しずつ増えてきている

そんな気がする朝日の輝きそして青い空

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雨上がりの朝

2023年10月29日 09時12分02秒 | 日記

夜来の雨が上がったら

なんと公園の樹木の葉が一気に赤く染まった

水を含んで中から色がにじみ出たのかしら

としばし見とれる

 

日本に四季があるから

人はそれぞれの季節に合わせていけるのだなあ、と感嘆

だから日本人って、様々な時代の変化に黙々と従っていけるし、その時代に合った生き方を自分流に進めていけるんだなあ

「日本人はおとなしい」

とやや蔑視した言い方や、自傷する人もいるけど

ほんとうは積極的に、自分自身を環境に沿わせていて、きちんと軸を持っている人種なのではないだろうか

と最近思う

 

街に出ると

なんと何と外国人ばかり、わさわさとした雰囲気の中で、静かにあるいているのがわが日本人

電車に乗るとギャーギャー騒いでいるのは外国のお客様、目をつぶって座っているのはわが同胞

おとなしい、覇気がないといって悔しがる人もいるが、日本の四季に慣らされた日本人の精神性というものも考えてみたい

 

人は環境に支配される

だからこそ環境を整える必要があるのだけど

整理、整頓、清潔、静寂 そこに身を置くことが一番落ち着く民族なのではないだろうか?

 

最近は語りたい人が増えた

聞く人が減った

母たちは「聞く人」だった。それが母親の姿

 

雨上がりの公園を散歩していてあまりの寒さに思考がとまる

秋が深くなった

 

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着物が繋ぐもの 524

2023年10月28日 05時53分01秒 | 日記

「比佐子つれづれ」では今年は「時代を色で感じる」というテーマでみんなで勉強をしている

縄文から始まったこの講義も今日は江戸時代に入った

江戸は世界でも珍しいほど「循環社会」であり「色」の美しい時代であったと思う

江戸は4期に分けられる、初期、中期、後期、終末。これをチャ子ちゃん先生は慶長小袖、寛文小袖、元禄小袖、文化文政小袖として、模様の好み、色の配色などでその時代を見ていくと、そこにどんな人たちが暮らしていたのかがわかって面白い

日本史は男の目から見た歴史として、どちらかといえば「争い」を中心にとらえていることが多い。争いでなければ「色街」の様子が細やかに伝えられている

これを女目線で「衣」から見ると、また違った日本が見えてくる

女たちの「衣」を作る手は「男の感性」が大いに見えるのだが、そこに「オンナを美しくしたい」という気持ちが出ているのではなく、「自分はこういうものを女に着せたい」という気持ちの方が強い。だからこそ衣装は面白い

着たい衣装と着せたい衣装のはざまに商人がいて、そこにそろばんが介在、作る方はここまでやりたい、しかしそれではあまりにも高価になる、着る人の顔を商人は思い浮かべるけど、相手探しに苦労する。ただしこの相手探しにも商人の感というのがあり、その感が見事当たるまでには、かなりの人間観察が必要だ

そのために着物業界のみならず、商人教育に「丁稚奉公」という習慣があった

現場で色々と商法を身に着けていく、現在のまーけっちんぐだ

マーケッターや経営コンサルタントという近代職業があるが、丁稚奉公にはかなわない感じがする

丁稚奉公で鍛えられた商人は足が地についていて、常に相手の心を読み解くのが敏感だ

して何をこの世に残していくべきかも察知できている

ふわふわした時代はもう少しで消えていく、色を見ていると時代がわかる

 

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無条件に自分自身を愛せる?

2023年10月27日 07時08分11秒 | 日記

「自分に厳しく人にやさしく」

これが人としての「道」、そういう人が「立派な人」という風に育てられたと思う

最近ようやく「自分のことを大事にしよう」「自分を抱きしめよう」というアドバイスをする方が多くなて来たようにも

「私はだめなんです」

「私は失敗ばかりするんです」

「あの子がぐれたのは私の育て方が間違っていたんです」

「夫の浮気は私のせいです、私がもっと女らしくしていればそんなことはなかった」

「私は雑なんです、いつも失敗ばかり」

こうやって自分自身を責める人も多い

 

ある時

チャ子ちゃん先生は「この体をだれが作ったの?」と問いかけた時、「神の創造」という答えが返ってきた

そうか

親鸞万象すべて神の創造であるのは理解できていたが、そうかこの体は神様にお借りしているのか!そうであれば大切に扱わなかれば失礼だ、申し訳ない

自分を責めることは

「神様を責めることになるのだわ」

そう感じた瞬間!わっと視野が開けてきた、雲一つない真っ青な空が現れた感じだ

 

よく失敗をする

「あらら何か私を学ばせているのね、なるほどこう考えればもっと素敵な自分になっていく、感謝感謝」

お気楽な感じではあるが、自分を責める前に「神様はどんなテーマを私に投げかけているの?」と謎解きを始めると、なーるほどとうなる

「うわっ」と眠れぬ夜もある

「またまた難題ぶっつけてきたのね!」

つまりは生きること生き続けることは、自分自身との付き合い方ひとつで、楽しくも憂うつにもなる

自分自身を無条件に愛せることが一番だと最近思う

 

自己中と自分を愛するという違いを理解しないといけないけど

絹を身に着け自分自身の体を守っていることも、神様を大事に思ってのことなーーんて自画自賛 

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多彩な民族文化を洗練したわが日本

2023年10月26日 09時18分38秒 | 日記

長崎の出島に遊んでつくづく思ったことは

あらゆる世界の民族文化を、洗練して美学、芸術に仕上げた日本人って、その根本は何だろう?

貿易の時代は古くからある

縄文の時代平和な1万5千年(学術的に)の間、日本列島という名前はないが倭の国としてカヌーに乗っていろんな国に出かけ、そこの文化を学習し、独自のものに作り上げている。そして人類平等の生活を送っていたが、大陸から「権力」という武器が入ってくると、それに対抗できず北へ北へと追い詰められて消えていった

 

権力志向の人々は支配する側と、支配される側の律法を作り、その律法に従わせる国づくりが始まった

その律法は高句麗、隋唐などから学んだ。そして独自の律法を作り上げ、そこに作法や色などの美学を入れている。その作法も「すべてのものに神宿る」という思想であるから、物事は丁寧に心込めて扱うことが基本となり、いただいた命をを使い切ることが礼節であると言い切る人種になっていく

出島に西欧文明が入ってくると、それを「道」に作り上げる。茶道、華道、武士道、剣道、柔道など、勝った負けたの世界のことでも、そこに立ち居振る舞いの美しさがないと、勝者としての尊敬は得られない

 

美しさは「自然であること」

美しさは「媚びを売らないこと」

美しさは「呼吸が楽なこと」

美しさは「無駄がないこと」

美しさは「人を癒す力があること」

美しさは「力を誇示しないこと」

美しさは「整っていること」

そしてこれらを「美しい」と感じる心こそ日本人の心根

 

出島に案内され、改めて日本人の優雅な魂を感じた

人をどこまでも美しく存在させるそれが日本人の洗練された魂なのだろう

文化人は文化で競い合う、そして双方の文化を高め、認め合って平和になる

権力と金がすべての野蛮人は力で競い合いお互いを傷つける

 

洗練された日本人として「和」を広げるときは今

 

 

 

 

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金と自由

2023年10月25日 16時27分54秒 | 日記

お金の世の中になって本当の「自由」は亡くなったと思う、そう死んだのだ

お金があれば何でもできるという時代になって

お金を得るためにみんな不自由になってしまった

 

日本人はというより、今の時代は金がすべてを牛耳っていることに気が付く

お金を稼ぐために伝統文化は消されている

最近電車に乗り田舎に行けばいくほど、昔の畑にソーラパネルが整然と置かれている

畑で作物を作る作業は消されてソーラーパネル設置のため畑を差し出している

畑で作物を作るより手間がかからずお金になるのだと聞いた

畑が無くなれば作物を育てる人がいなくなり、作物は消えるので輸出を余儀なくさせられる

 

日本には地産地消という美しい習慣があった、だがそれな今はほとんど見られない

遠い外国の作物を輸入し、近くの土地にはソーラパネルで現金収入をもくろむ

車で移動していると見えないものが、在来線での移動で見えてくる

 

こうして技術や思いまでもが次の世代につながらなければ、伝統や文化はこの国から消えていくだろう

農業ではその姿が著しいが、実は昭和の終わり、バブル真っただ中のころから、着物の世界にははっきりと伝統と文化の代わりに「金」が大手を振っていた

大東亜争敗戦から二年目大麻の栽培が禁止され、神社各地は一斉に石油繊維のしめ縄に代わった

大麻を育て、その茎から繊維を作り、残った芯は粉にして壁を作ったり紙を作る、大麻は夏は涼しく冬は暖かい繊維として庶民に愛されていたが、石油繊維に代わり、茎から繊維を作りそれを糸にする技術が絶えそうな気配だ、これを労働と決めつけて、機械が勝手に繊維を作る工場に人手は取られていく。こうして縄文時代から続いた技術が消えていく。

これは一例でこういう形で地球から文化や伝統が消えていけば「人」はいったい何をするのだろう?

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「つなぐ」ということ

2023年10月24日 13時22分10秒 | 日記

長崎の「きものをつなぐ会」の企画「目から鱗が落ちるチャ子ちゃん先生のお話会」に行ってきた

そして皆さん目からうろこが落ちたらしい。うっふ

それはたった一人の思いから始まった

長崎在住の着物好きのお役人さんが、ある日突然チャ子ちゃん先生の事務所にいらした

そう5年前だと思う

「来る人拒まず、去る人追わず」の感覚で生きている身としては、訪れる人を拒むわけがない。しかも着物好き

こういう場合

「何か新しいユニークなことをお話しよう」とは考えない

昔これをやって疲れた

ご本人の目的もわからず、何か新しいことを与えないといけない、という思いに取りつかれていたことがあった。しかもそれは何十年も。イヤー疲れたよ。しかもそれの失敗が重なりひどく落ちこみ自分を責めて苦しんだ時期も長かったなあ

 

その方がいたらしたときはその泥沼から抜け出ていて、とにかく楽しくお相手ができる時期になっていた。そしてそれから淡い交友が続き、お互いに理解を深めながら日々を過ごした。その方も定年を迎え楽しみで一人二人と長崎で着物フアンを増やし、着物を着て集い、おいしいものをいただくという会を続けていらした。そうするときご主人に先立たれ、そのショックでご自分の体調も崩され、そのニュースを聞くたびはるか遠くから、ただお話を聞いて祈るしかなった

その時きもの仲間がその方を支えたのは言うまでもない

少し元気になったので「チャ子ちゃん先生をお呼びしたい、この小さなグループでも来てくださるかしら」

「もちろん喜んで」

伝え聞いた若手が今度は中心になり、みんなで人集めをしてなんと!当日100余人もの方が会場に詰め掛けてくださった

手作りの企画、しかも8割の方がきものを着ての出席、張り切るチャ子ちゃん先生!

 

チャ子ちゃん先生を知らない人は半分以上、一体何をお話しするのだろう?見当もつかないわ、でも来てみたの、着物を着るチャンスだから。そんなお顔がいっぱい。でもでも、司会のかたのプロフイール紹介で、一呼吸入れたあと「チャ子ちゃん先生事中谷比佐子さんは87歳です」

と最後の言葉に、皆さんわーとばかり笑顔になり一気に場が和んだ

 

「只今ご紹介いただきました87歳の中谷比佐子です」わーははは

自分の年齢がこんなに人を幸せにするのかと、なんだか不思議な気落ちのままお話を始める。和んだ場はそのまま楽しい愉快な場になっていく、司会の女性の機転が一気にみんなの心を一つにした

手作りの会大成功の一幕

それは「チャ子ちゃん先生を呼びたい」と思い続けてくださった岡村節子さんに対してのおもいでもあったであろう

 

 

 

 

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戦争はこれで終わりかな

2023年10月20日 09時47分49秒 | 日記

戦争は人が仕掛けておっぱじめている。ということがわかってきた

その仕掛人のことはいろんな方が記述しているのでそちらを読んで頂けばいい

旧約聖書に出てくる聖地が舞台になっているのがなんともやりきれない

戦争停戦という評決に「反対」を唱えたわが日本が恨めしい

それも今の日本の政府の状態をさらけ出してくれたということだろう

 

誰でも争いは嫌いだ、せっかく肉体を持ってやってきたこの地球で、殺しあって何が面白い。違いも承知それを認めて仲よく暮らしていきたい

だからいろんな人種を作ってくれたのでしょう?

今さらながら日本という国を選び、日本人として生まれてきたことを幸せと感じる日々だ

 

神様にささげる供物を見ても国の違いが分かって興味深い

日本の神様には旬の野菜と果物お米が上がる、海のものも生というのは少なく、干したものか焼いたものが上がっている。仏さまにも同じような

供物。しかし旧約聖書の律法の中には、神に背いた者の中でも偶像を拝する人はもっとも罪が重い、他には姦淫の罪、盗みの罪などの日常の悪さがあり、そういう人が神にささげる物は、羊や鳥などの動物がささげられる、まあ細かく祭壇の飾り付けや、拝礼の仕方などが記されている。そういう国との戦争は残虐であっても、また知恵を巡らし挑発して強いもの勝ち、という感覚のようだ

 

日本人は穏やかという外国の評価だが、それは自然から教えてもらうことが多く、自然をないがしろにできない精神があるからだと思う。自然を尊び感謝し、命の尊厳を大事に思う。こういう国民が日本という国を支えている

 

「悪いことをすると畳の上で死ねないよ」

という言葉を幼少の頃よく聞いた、縁側こみにていーで大人たちが話をしている、幼い子供たちはその大人の目の届く範囲で仲よく遊んでいる。いやがうえにも大人たちの会話が耳に入る

 

各国で起きている「パレスチナ支援」のデモも、挑発して戦争を仕掛け、それによって儲けている人たちがいる図式が多くの人たちに見えてきたからだろう

世界の多くの人たちが日本人の精神性に惹かれ始めている。一億の日本人が本来の日本人精神を取り戻せばすぐにでも戦争は終わる。それが集合意識

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着物を一度は着てみたい?

2023年10月19日 10時37分37秒 | 日記

久しぶりに浅草に行ってきた

目的は7足の草履のかかとを修理してもらった代金を支払いに行くことだった

鼻緒をすげるのを眺めながら、代金を支払って、更にあれこれ手にした下駄を選び鼻緒すげてもらう

「ちょっと前だけ緩めて」

「ここ右足の方を少し強めに」

など職人さんと話しながら、店主の女将さんにあれこれ教えていただく

店先に座って時を過ごすのは至福

前をいろんな国の人がそぞろ歩いている、その一人一人が必ず店をのぞき込んでいくのも面白い

 

目的の店は伝法通りにある「辻屋本店」、そこに行くには地下鉄を出て観音通りを行けばすぐなのだが、正しく仲見世通りから入り、観音様にご挨拶をして、更に浅草神社にお参りをし、大麻のしめ縄をつくづく眺め、神紋(三本の魚網、これは江戸解き模様の原点)をしげしげとみて拝み、もう一度仲見世を過ぎて「文扇堂」さんに行き扇を購入、更に豆や、せんべいや、和傘やでちょこちょこ買って、老夫婦二人がやっているレトロな喫茶店に行きロイヤルミルクテイでくつろぐ

この店の前の道は、ぞろぞろと絶え間なく人が通るのだが、店の中はがらんとしている

「ああいらっしゃい」女将さんがうれしそうに、タオルを持ってチャ子ちゃん先生に渡してくれる

「ねえ豆やさん無くなったのね」

「ええコロナでね、仲見世では一番古い方の店だったのよ」

「手焼きせんべいの店もなかった」

「それもねコロナでね」

7割の人が外国人なので、立ち食いできるものか可愛らしいものしか売れなくなったという。こういう世間話をしてると、だんだん客が増えてくる。日本人の観光客がほとんど、大体グループなので私はカップをもって隅に移動、そのうち私の座るところもなくなり

「またね!」

「きっとまた来てくださいよ」

と送り出してくれる

 

とにかく着物姿の外人さんが多い

それにしてもどんな体形の人にもきちんと着物を着せている着付け師の腕に感嘆する

着物を着ている男も女も本当にうれしそう

フイリピンの女性が10人着物を着てあちこち写真を撮ってはしゃいでいる

手招きするので仲間に入り写真に納まってきた

辻屋本店についたら日暮れになっていた

 

どの国の人にとってもきものはあこがれの衣服なのだなあ

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