チャコちゃん先生のつれづれ日記

きものエッセイスト 中谷比佐子の私的日記

人は光

2020年10月31日 14時04分31秒 | 日記

幼少のころからずっと見守ってっいたA子ちゃんの誕生日を昨日赤坂の「ラ・スコリエーラ」で祝った

その時

「報告があります」

「えっなあに」

「に妊娠三か月です、順序が逆になったのですけどすみません」

「おめでとう、おめでとう」

チャ子ちゃん先生思わず涙ぐむ

かねて結婚を前提に付き合っている人がいることは知らされていたので、これで逆に二人の気持ちが結婚に前向きになりよかった

 

「この写真見てください」

小さな物体が動いているよくよく見るとピカっと光る

「ここが頭で光っているこちらが心臓です」

今だ直径15みり、心臓が動く度にピカピカと光る

 

「人間は光の存在と聞くけど、正しくね、今はこうして命の尊さを認識できる世の中なのね、神々しいね」

と二人して感無量で見入る

この世の一番の奇跡は私が誕生をしたことだ。と常々思っているのだけど、頭で考えているより、現実を目の前にすると恐怖心にも似た荘厳な感じになる

奇跡としか言いようのない命をいただいている私達だ

最近はクローン人間も多いらしいが、奇跡を受け止めて誕生をしていないクローンはただの物体でしかない

 

いろんな研究の結果

私達はあちらの世から自分の母親を選んで生まれてくることが分かっている

国籍、性別、自分の使命、どんな家庭環境なのかも美醜も全て自分で決めてくる

チャ子ちゃん先生も「天敵」の母を選んでこの世に生を受けた。だからこそ母が何とか着せようと頑張っても、最も不必要だと思っていたきものが、私にいろんな道を見せてくれている。母の思惑通りに着物を着ていたら、ただの物としてしか理解しなかったであろうし、着物の想いを理解するこはなかった

 

人はそれぞれ「なにか」から深く教わっていく

「病」から「惜別」から「倒産」から「死別」、「裏切り」、苦しみや不幸から学んでいくことの方がどうも早道らしい

 

A子ちゃんは、お腹の中の子供に此れからいろんな事を確認していくという

「毎日、自分がどう変化していくのかノートに感情をつけいきます。二人きりの会話も綴ってこの子が成人になった日に渡そうかと思っているんです」

 

なんと夢のある話

体や心が日々変化していく10月10日。平穏無事に出産が出来ますようにと祈りを込めて、シャンパンで乾杯

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自分と遊ぶ

2020年10月29日 16時26分29秒 | 日記

突然思いついて自分を分刻みで眺めることにした

まず形から

美しい手帳を購入、キラキラ光るスワロフスキーのボールペン

 

今日で3日になる。一週間続けるつもり

起床時間から分刻みで何をしたかを、しかもその時の感情までを書き込む

楽しい、自分が愛しい、なにより面白い。やることいっぱいありその一つ一つが意味を持つ

人に見せる手帳ではないので、思いきり自分の感情をぶっつける。笑っちゃう。

一週間が終わったら燃やしてしまおうと思っている

しかもすべてが丁寧になり直観がさえる

自分自身がスリムになてくる。現実にkaradamosurimuになった

 

一番の収穫は

苦手な人と思っていた人のいい所ばかりが思い出されるようになり、苦手意識が消えた。たった3日で

つまりどうでもいい

今やらなければいけないことに集中していれば、それを楽しみたいので、たいていのことはもう過去の遠くのことになってくる

 

昔のお母さんが家事に誠心誠意を込めて行っていたのは、この楽しみを味わっていたのだ

工夫ということも生まれる。そういえば母もたのしそうだったもの、その明るさとかがうざかったのだ(反省)

優先順位もたちどころに決まる

時間が早くたってしまい、読書の時間もおおくなった

 

イヤー驚いた分刻みでの自分自身の内観

「追われる」という感覚もなくなったたった3日で

 

一週間後はどんなチャ子ちゃん先生になっているのかな

 

 

 

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チャ子ちゃん先生の妄想

2020年10月27日 09時03分24秒 | 日記

日本が世界の中心になる。というよりもうなっているのだが多くの人が認識していない

1995年に天地が「これからは日本が中心だよ」と教えた。もう25年が過ぎた

特に中心地になるのは淡路島、明石、兵庫、大阪などの関西

東京は武蔵野になる

ここからはチャ子ちゃん先生の妄想

東京は自然に囲まれた素晴らしい田舎になる

コンクリートの道ははがれて土が出てきた通路には馬車が行き来する

交通機関は馬車か徒歩

人がへり廃校になった小学校の校舎は養蚕、運動場は桑畑だ

みんな200坪くらいの屋敷でのびのびと暮らす

飛行機と新幹線はある(笑い)むろんITもいまのまま

 

みんなわらじや草履をはき、地下足袋で動き回るので「母指球」が発達して体幹が整い、体の免疫が上がって病気をしない、認知症の人なんて一人もいない

自給自足、身土不二の生活なのでみんな穏やかで平和、しかも自然素材しか身に付けないので町中埃が立たず清潔。山にはブナの木が青々としていて、水は清らか

手仕事が発達し、素晴らしい芸術作品が次々と出来て海外に輸出、世界中の人たちがその生活にあこがれ学びに訪れる

職人たちの活気に満ちた作業ぶりで町が華やぐ

 

今日は向島、浅草を人力車に乗って遊んだ

言問橋を渡るとき川を渡ってくる風の心地よさ

人力車の高さも丁度良く、リズムカルに走る車夫の足の運びがさわやか

360度の景色を眺めながら太陽の光を浴び、風がほほを撫ぜる気持ちよさ

 

人の世の悦びはこういうものだろうかとご満悦

 

やはりひとは楽しいとしあわせ、幸せは自分が作っていく

色いろと楽しい企画を考え、みんなと共に幸せを感じたいと思う

 

東京が武蔵野になるにはもう少し年月がかかるので、それまで地球にいないチャ子ちゃん先生は「今」を楽しむことにしようとお日様に誓った

 

 

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秋の日差し

2020年10月26日 16時38分18秒 | 日記

真っ青の空を背景に、色づき始めた木々の葉っぱが、お日様の光を受けて神々しく輝いている

今日は風もなくその光を静かに眺めている時間が幸せ

この空気感って何か遠い昔に感じたなつかしさがある

あなたもそういうことを感じることが在りませんか?

 

ひょっとしたら記憶のない幼い日かもしれないし

もっともっと昔に味わった前世なのかも

「この風、昔受けたことが在る」

「この景色の中に身をいたことが在る」

こんな思いを持つとき、私が今の私ではない、はるか過去の私に会っているのかもしれない

そこで私は何を考え、何をしていたのだろう?

そうして自分自身を俯瞰して眺める別の私が存在していて、別の私に少し身をゆだねてみる

 

予知夢を見る人は多いと思う

 

アメリカ人が日本の文化に挑戦する

というテーマのページを作ったことがある一年の連載で、伝統文化の体験をしてもらう企画だった

そのころ英語の個人レッスンを受けていて、チャ子ちゃん先生が日本語を教えるという「バーター方式のレッスン」をしていたのでその先生をモデルにした(彼は日本語がうまくなり、日本語を翻訳して英語で童謡を歌う歌手となって今も活躍中。対するチャ子ちゃん先生はからきし英語は上達しなかった!教え方が悪いんだよ)

茶道・華道・能・文楽・歌舞伎・香道・短歌・俳句などなど着物を着ての挑戦、その中で美濃の関の刀鍛冶のところへ行ったとき、その家の暖簾をくぐった瞬間!彼が号泣した。体が崩れ落ちるように座り込み只泣く

何事!

とみんなあきれたとき、彼は私の着物の袖を引っ張って

「ナカタニさんボクここにいた!」

「ゆっくり英語で話して?

まだ自分のややこしい気持ちは日本語では言えないので、辞書を片手に聞き取ると

「暖簾をくぐった瞬間に、自分が烏帽子をかぶって刀を作ってる画像がみえた」のだそうだ

懐かしくて懐かしくて、自分の本当の故郷に帰ってきた感じがしたという

 

そのあと刀鍛冶の装束をつけて仕事を始めるとうまいうまい、形もよく、そのまま刀鍛冶になれそうな腕前であった

 

前世とか全く信じない編集やカメラマンたちが驚き

「なんだか人生観が変わったな」

と帰りの新幹線で異様に盛り上がってしまった

「みんな何かの専門だった時代があるのよ、そのことを思い出したらなんでも上手にできるわよね」

とまとめたチャ子ちゃん先生

 

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着物が繋ぐもの 385

2020年10月25日 09時31分36秒 | 日記

本日は㈱カラーリアムの主催で「和文化継承家養成講座」の二期クラスの第二回目

蚕に学んだ「無条件の愛」がテーマ

感情がある限り無条件の愛なんてありえないと思っていた

しかし取材で養蚕研究所に2泊の研修をした時、蚕が黙って人間に命を差し出していることを目の当たりに見たとき、昔の人が「おかいこさま」と尊敬語をを使っていたことが理解できた

 

何もかも、本当に何もかもを人間に差し出している

それに対して人は何をしたか、感謝の意を表し一ミリも捨てない仕立て方を考案し、その形のものが1200年続いている

感謝の気持ちは「糸をいただく」という心がけにあった

繭の中の蛹にはゆっくり命を終わってもらうように、お湯の中で糸を繰る、または繭を塩漬けにして静かに眠っていただき、そのあとゆっくり糸を繰る

反物を作るにしても全て木でできた機で織っていく。このように手をかけ、心を込めて着物に仕上げ、古くなっても繰り回ししながら、布をとことん使っていく

 

こういう丁寧さには愛と感謝しかない

しかしこの愛と感謝は明治維新で一気に崩れて、蚕は利殖の標的になった

この時代に洋の文明が取り入れられ、人々はお金に異常に興味を持ち、金持ちが偉くて社会を支配する構図になった

蚕の扱われ方でその時代の人の心根がわかる

 

更に昭和、平成に入ると、蚕の遺伝子組み換えが盛んになる

それでも蚕は黙って人間の思うままに生きている

その恩返しであった着物を着る人も少なくなり、蚕は命を人間に差し出し、黙って消える

しかも絹の着物より石油繊維の着物にみんな飛びつく、何故なら洗えるからだと

絹は自分自身に浄化能力があるので頻繁に洗う必要なんてない

そういう知識も伝わらなくなった

 

人が狂ったように変わったのは明治維新からだ

怒涛のような機械文明の嵐、モノを持つことの優位、金の力、肩書の重さ、ぼつぼつそういう鎧を外すときが来ているよ

本来の日本人は「和,倭、輪、環」を生活習慣に持つ民族。着物の平面仕立てのように、水平の思想、洋服のような立体裁断である垂直思想ではない

 

バレエと日本舞踊が日本人の思考の違いを表している

骨の使い方はほぼ一緒なのだが、表現がまるで違う。両方稽古してそう思う

困ったことにチャ子ちゃん先生はバレエの方が楽しい。いやはや口幅ったいことは言えないよ

 

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ご褒美

2020年10月24日 10時12分16秒 | 日記

久しぶりに仙台で呉服商を営む女将から

「今名古屋だけど、久しぶりに東京に入るので逢えたら会いたい」という電話

「5時過ぎなら会えるかも、その前に一つ打ち合わせが入っているけど」

「その打ち合わせ終わったら電話いただけますか?東京和久傳で夕食をご馳走したい、8時に新幹線に乗りますので」

「歯を抜いたばかりで、まだかみ合わせがうまくいかないのでそういう大御馳走はまたの機会に」

「2時には東京に入るので、友人呼び出して5時まで時間つぶします。歌舞伎の一幕物でもみてます。東京駅付近でゆっくりですすね」

 

和久傳の料理大好きなのだが、この歯の調子ではねと断念

「きもの解体新書」をいち早く手にして読んでくっだらしく、それに対する質問もあるという

 

さて打ち合わせが早く終わり彼女の携帯に電話をするが、電源が切られている

そうか、歌舞伎を見ているんだなと思い、5時過ぎには会えるように東京駅に向かう

大丸デパートでウインドショッピングをしたり、冬用の靴をいろいろ履いてみたりして電話を待つ

 

17時30分になっても電話がなくこちらから再度するが応答なし

今度は本屋に入って立ち読み(一人で喫茶店に入れない性格)

18時に電話をしてもつながらない。ショートメールをして帰ることにした

 

家で好きな番組「科捜研の女」を見られてよかった!なと思ったし。続き番組の「七人の秘書」も面白かった

何よりその二時間の間に気になっていた羽織を全部解いてご満悦

最近は愛に抱かれる22時から2時の時間を大切に思うので、10時には床に就く

 

翌日件の女将から電話

「昨日はすみません、怒って電話に出てくれないのかと思って、朝早くから申し訳ありません」

「大丈夫よ22時には休んでいるので」

「ついつい歌舞伎に夢中で終わったのが18時過ぎていたんです」

「気にしないで、いろいろ楽しんだから、歌舞伎面白かった?」

 

地方の方は歌舞伎座で歌舞伎を見る機会はあまりない

「歌舞伎みられてよかったね」

「あまりにも失礼をして、お詫びに仙台のかまぼこを送ります。そして本を10冊送ってください。今日お金振り込んでおきます❕

やったね!

仙台の阿部のかまぼこ大好きで、女将はそのことをよくご存じで上京の度にいただいている

嬉しい、そして何より本の購入

ご褒美だ ご褒美だ!

呉服屋の女将の気働きというのは抜かりがない、これも着物が教えていることだと思う

そういいう女将さんたちから、おもてなしの実践をたくさん教わった

ありがたい人脈だとつくづく思う。それも着物のおかげ

 

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OIRU

2020年10月23日 12時32分49秒 | 日記

なんとなく、メガネの度数が合わなくなった気がしてイワキで検眼

初めて眼鏡を作ったときからずっとずっと資料が残っているのでそれと照らし合わせるといかに老いているかが一目瞭然

この度は乱視が進んでいた(初めて作ったころは眼鏡市場なんてなかったもん)

パソコンやアイパットの見過ぎであることは確か

度数を替えて作り替えることになった

出来上がるまで友がかってくれたハズキをかけて過ごすことにする

 

歯もしかり

歯は本当に弱く何回もあの治療イスに座ってもなれるということがない

ところが田中に紹介された歩いて5分の歯医者さんは、みんながやさしくて親切、医院が明るく清潔で何より医院長の「草間幸夫」先生の手早く適切な処置に感動

昨日は歯茎に埋もれた小さい歯(是が膿んで痛かった)を3本抜いたのだが、麻酔も痛くなく、抜くのもあっという間の手際の良さ「魔法みたいです」と言ったら静かに笑っていらした

こんなに近いところに名医がいらしたのに、はるばる両国まで何十年も通っていたのだ

その両国の先生はコロナ以降行方知れず、治療が途中なので、膿みを持ってしまったのだが、草間先生は前者の治療の粗雑さには全く触れず、粛々と手際よく治してくださる

思わぬ変化があると、いい先生とご縁が出来るのだなあと紹介者の田中に感謝

田中は前から「歯の先生替えたほうがいいですよ」とチャ子ちゃん先生にアドバイスをくれていたのだが、ここが私のいい所でもあり悪い所でもあるが、「お人との縁は決して自分からは切らない」というところがあり、半分以上田中のアドバイスを肯定しながらぐずぐず医師を替えないでいた

今回はコロナという非常手段で医師を変えていただきコロナ様様と感謝

 

78歳のとき台湾のある女性から「あなたは老女です。80歳にもなってーーーー」と罵倒されたことが在る

それまで自分の歳を数えることをしていなかったので飛び上がるほど驚いた

「そうか、それなら80歳になったら、自分の仕事と全く違うことをしてみよう」と声楽のコンサートを計画し、一年半その練習に没頭した

14曲を暗譜し歌い切ったとき自分の中で過去がすべて清算され肯定されて、全く新しい新生チャ子ちゃんになった

そう、「老い」は子供のようにいかに楽しく人生を遊びに替えることが出来るかという舞台なのだ

 

体は確実に老いていき、醜くもなる。しかし心はさらに清明、透明になっていく

喜び、楽しさ、感動、感謝がふつふつとわいてきてスキップしたくなる

 

起きることすべてを遊びに替えたらこんなに楽しい老後ない

さて

件の草間先生の話を友にしたら、すぐ予約を取ったという

ああ「私を信頼してくれているんだな」と嬉しくなった

 

 

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きもの解体新書

2020年10月22日 08時50分55秒 | 日記

たくさんの方から読書感が寄せられている

一番多いのが「装丁がきれい」

字が小さすぎ

内容はすごすぎ

いったいなに?という感想だ

 

その中で

「イヤー読み応えありました。ずしんと心に響き、静かなエネルギーが自分の中に沸いてきました。世の中にこんなに人の心を動かす本を書けるって素晴らしいです」

涙が出てきた

 

着物の存在に感動しているチャ子ちゃん先生なので、このうれしい言葉はそのまま着物に差し上げたい

 

これからはアングロサクソンの文明が終わり、日本の文明が世界に響き渡る時代と信じている

その時私たち一人一人が日本を誇りに思う生き方をしたい

その誇りに思う頂点に着物がある、絹がある、大麻がある、苧麻がある、仕立て方がある、作法がある、人の体を自由に動かす着付けがある。そのうえで茶道があり、日本舞踊があり、歌舞伎などの古典芸能があり、能があり武芸がある

 

これらの神髄を本来の日本人は求めていた

形だけではなくその心の深い所を求めていた

そこから人とのかかわり方、仕事の仕方、お金の使い方、働き方、男と女お役目が生まれてきている

 

コロナが教えてくれた本来の人の暮らし方

その本来の暮らしの見本が日本にあった、江戸時代以前にさかのぼる

明治維新から現在に至るまで私たちはアングロサクソンの文明にまみれてそれを追いかけていた

 

日本人らしさを失って苦しかった

日本人はもともと

楽しいこと

嬉しいこと

おかしいこと(興味深い)

が好きな民族、この世は遊ぶために来ている。どのように遊んだかによって神様に褒められるのだ

 

それには日本の文化をしっかり認識し、「わ」をもって世界に広げる役目

それがこれからの日本人

日本の文化が中心になることみんなで自覚しようっという想いで書いた本が「きもの解体新書」

ぜひぜひお読みください、確かに字が小さい

 

 

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着物が繋ぐもの 384

2020年10月21日 09時24分04秒 | 日記

いよいよ袷の季節になった

昨日は毎月第三火曜日開く「彩・色いろ」の第九回目、秋色の着物を着た方が多かった

連続講座なのだが無欠席という方は一人もいない、出入り自由の会でもある

講義をする方は何回か同じ話をすることになるが、聞いてる方は復習になるので良いのだそうだ

第九回目は「日本婚礼の色」について講釈を垂れた(笑い)

 

神代の時代から「結婚」という儀式の神聖さは変わらない

それはどうしてかということに頭が行く

陰と陽の結合によって新しい命が生まれる。それによって人類の発展が広がっていく

 

婚礼は初めから「白」が基本になっている

勿論古代は「生成り」だ

日本人は「白」を光としてみている、光に身を包むということが神聖なのだ

 

人生の筋目は「白」を用いることが多い

出産前の腹帯、産着、白無垢、死装束、斎服、武士の切腹

白をこよなく愛する民族だとつくづく思う

 

時代によって婚礼衣装が異なるので当然その時代を背景にした色が用いられる

色によって時代を読むこともできる

来月は「時代と色」をテーマにしている

この講座最終的には「自分のマインドの色を探す」ということになっている

来月からでも遅くないぜひご参加を面白いぞ

 

色は語る

本当に語る

好きな色と似合う色が違うことが多い、それは自分自身の思い込みなのだと感じる

自分自身が自分がどう思っているを、用いる色で解説が出来る

色はその人自身を語るのだとつくづく思う

 

色の陰に自分を隠してしまうこともできる

ある色彩心理学者が「色の神様がいて色をもてあそぶと必ず色のしっぺ返しが来る」

と怖いことをチャ子ちゃん先生に告げた学者がいらっしゃる

 

しかし今だに「色をもてあそぶ」ということが、どういう意味を成しているのかよく理解できない

その時お聞きすればよかったのに、その言葉の強さに押されて聞きそびれてしまった

色を追求して相手の心を読んではいけないということなのかな?とは思っている

 

日本人は植物染料から色を作り出してきたので、色の多さに驚くが、更に一つ一つの色の名前がこれまた美しい日本語だ

色にこのような名前を付けて色を尊ぶ民族は日本人しかいない

色の神様もきっとご満足

11月は17日午後1時から場所は四谷地域センター

レジュメを作るのでメールでお知らせを info@kosmos.ciao.jp

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着物が繋ぐもの 383

2020年10月20日 09時46分23秒 | 日記

秋色

やはり着るものは秋色になる

秋色紅葉が川に散って川面を紅葉で埋めてしまう

そういう景色を先人たちは帯や着物の模様にして楽しんだ。什器にもまた室内装飾にもその景色がうかがえる

自然を生活の場に取り入れたり、それを身にまとったり、日本人の感性って奥行きがある

 

絹一枚重ねただけで体が温まる。単衣と袷の肌感覚がこの時期敏感

この敏感さが日本人独特のように思うのだが

その敏感さが今は薄くなっているようにも見える

それは

赤ちゃんの産着やおむつの素材からもう肌感覚の劣れを強調している

自然素材を身に着ける習慣がなくなると、肌と自然との対話がなくなり、自然からのお知らせをキャッチできなくなる

此れってとても怖いし損

 

先日の夜いきなり人差し指が骨折したように痛くなった

季節の変わり目に体調を崩すという方とか、何となく、やる気がおきなくなるという方もいらっしゃる。また何かいいさなことに躓く、例えばうっかり電車を乗り過ごす、忘れ物をする、ダブルブッキングをしてしまうなどなど

そういう方は季節の変化を体がキャッチして、次なる用意に向けて心の準備、または整えるべきことを思いつくということだと思う

 

そう話を元に戻すと、指が曲がらないので、帯を結ぶのに手間取って、約束の時間の場所にぎりぎり

そこでは「楽伸流技力道」の中村先生に訴えると

急に冷えるよという御知らせだったのでしょうね、体を温めればすぐ痛みが取れますよ

エクササイズをして汗ばんだら静かに痛みが消えていった

 

こういう痛さのとき、昔の人は「体温めればーーー」というようなことを知っていたので、むやみに医者に駆け込まない

駆け込めば医者も商売病気を探す

その病名をもらうと安心して薬を飲む

そうして自然からどんどん離れていく

 

着物のおかげだと思う。自然はきっと喜んで教えてくれるのだ。自然とキャッチボールをすれば病気とは縁遠い

黄色、茜、柿色、だいだい色、辛子いろ、金色、生成り色、朱色 秋は体を温める色に満ち溢れている、秋色を身にまとうときっと体温も上がる

 

今日はこれから秋色の話をする会「彩・色いろ」九回目

 

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