チャコちゃん先生のつれづれ日記

きものエッセイスト 中谷比佐子の私的日記

歩き巫女

2021年02月27日 14時41分58秒 | 日記

着物のことに興味を持ち始め

着物の下着を一つ一つ何湯に必要?と点検しているうち、「湯文字」の不思議さにとらわれた

湯文字と腰巻は違う

どう違うかと言えば、湯文字には力布があり、腰巻には紐がついていて力布はない

この力布に秘密があるのだと察して、湯文字の形を調べていくうち「白湯文字」とか「湯文字巫女」とか「歩き巫女」なる名称に出会いますますこの秘密めいた湯文字の検索が始まった

この形の物花柳界では「二布」という名称もあることもわかった

 

湯文字は肌に直接つけるもので、西洋からはいった下履きが一般的になるまでは、多くの日本女性はこの湯文字か腰巻を下着として愛用していたのだ

その当時の女性たちはみんな自分で縫う。だから力布の下に浸ける布は、古い着物の余り布だったりして色物柄物があって可愛い

余所行きの着物を着る以外は裾除けなどは身に付けないので、この湯文字が下着の主人公であったとおもゎれる

 

色々調べていくうち「歩き巫女」「湯文字巫女」という呼び名に興味を持った

歩き巫女は特定の神社に属さない巫女だという、湯文字巫女はつまりは売春婦

後に歩き巫女も売春を兼ねるようになったのだが、そこは神事と共になす性技修業がある

今でいう精神的なかうんせっリングが出来て、性で相手を慰め元気づけるのだと思われる

 

歩き巫女の姿は、白い脚絆を付け、湯文字をつけ、肩に舟形の荷物を背負い、市女笠をつけている、美しくて若い。というのは修行をして37歳でその役は終わりだと書いてあった

 

こういう話を知るとますます湯文字が色っぽく見えてくる。と同時に神聖にも見える

着物がいろんな旅に連れて行ってくれる

日本って面白い

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春ですねえ

2021年02月22日 10時28分38秒 | 日記

庭のない家に住んでいるので、公園や街路樹の季節の推移を感じるのがうれしい。

桜をはじめ、木蓮、辛夷おつぼみが日に日に膨らんでいく姿を眺める時間がうれしくて仕方がない。

季節と共に自分の成長を進めている。

全幅の信頼を季節の推移に預けている姿は尊い。

人は疑い深いもの

 

では人は何に信頼を置くのが一番いいのかな?

そう思いながら歩いていたら、「それは自分自身にでしょう?」という内なる声が聞こえ「そうですわねえ」と納得。

自分を信頼する姿は乳幼児を見ているとわかる。

「あああの姿ですね」

 

そして三世代家族で暮らす重要性に気づく。

それぞれの世代にそれぞれの人がみんなで学び合う。

世代の分断が始まってから今日、孤独が始まった。

孤独を埋め合わせるために、人はお金やモノに頼ってきた。

 

もうその時代も終わりを告げようとしている。

お金やモノに執着させるのも、どこかのエリートたちの目的であったのだから。

それにまんまと乗せられていたことを気づかねばいけない時を迎えた。

 

自然はひたすら、人の気付きを待っていたようだ。

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人を紹介するとき

2021年02月20日 11時34分28秒 | 日記

紹介の仕方で相手の方が私の紹介した人をどうとらえるか、これ本当に難しい

チャ子ちゃん先生はお人の紹介で失敗し、深く反省をしている

そして気づいた

 

いまごろ気づくんだもん、おそいよ、どれだけの人を傷つけてけてきたのかと思いしらされる

私の世代はいや世代のせいにしてはいけない、親し友を別の友人に紹介するとき、つい親しさを出そうとして、「この人こんなところが面白い人なのよ」とカジュアルな紹介をしていた。もちろんオフイシャルな場合はきちんと職歴やいかに素敵な生き方をしていらっしゃる方かを紹介者に告げる。

問題は親しい友を紹介する場合だ、「この人ねこんなこと私にしたのよ」と面白おかしく話したりする。

ある日「比佐子さん私の紹介の仕方失礼よ、私傷ついた」

とまっすぐ注意されたとき、はじめて私の紹介の仕方は間違っていたのだと、今までの数十年を悔いた。

 

そして「傷ついたのよ」といった友人はその後、私が紹介した人から軽んじられさらに傷ついてしまった。

翻って私を叱咤した友人は私を彼女の友人に紹介するとき、どんなに素敵な人かを例を挙げて話してくれる。そのご彼女の友人は私をとても尊敬してくださる。

 

昔から「親しき中にも礼儀あり」という言葉があるけれど、まさにこういうことなのだと身に染みている

全く知らないお相手に、どういう紹介をするのかは、紹介者の愛と知恵が試される。

日本語は言霊なので、よきことをのみ告げるようにしないといけない。

 

その人の可愛い失敗など紹介できる相手はそれを理解できる人にではないといけないな。

人との付き合い方にこれでよし、ということはない。

「言葉」

またサムシンググレートからテーマを与えられた

 

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着物が繋ぐもの 413

2021年02月19日 14時14分36秒 | 日記

帯が生き返って帰ってきた。

こういう修理を嫌う人、できない人が多くなっている。

でも職人は「修理をすることで腕が磨かれる」という。

「昔の帯は質がいいから、修理しながら一生締めたほうがい」と仕立て職人のK氏。

新しい帯の方が楽だけど、古い帯が生き返るのを見るのも気持ちがいい。とおっしゃる。

K氏とも長い付き合いなので、新しい時に仕立てた帯がここまで利用されたのかと感心してくれる

今回頼んだ紗の帯は、さすがに処分しようかと思い、別件でうちにいらした時に見せたら、

「直してみようか、少し、幅が狭くなるけど」」

「勿論いいわよよろしく」

 

「修理をして使い続ける」という生活の仕方がいつから消えてのかと思う。

着物はまさしく循環衣裳だったが、今は平気で捨てる人も多いと聞く。

4年前、夏を軽井沢で過ごし、軽井沢のりさくるセンターを覗いた。戦前からの別荘族の家具が所狭しと並んでいた。由緒ある柱時計、車ダンスや箱ダンスの累、ヨーロッパ家具、コーヒー紅茶カップのセット、もちろんコペンハーゲンなどの有名メーカーのもの。ベットやピアノ、応接セット、とにかく古きよっき時代の家具食器の類が所狭しと並んでいた。

家具の中で一番安いのが桐たんす。一緒に行った友人は桐ダンスを二棹買った。8万に値切った。いい買い物だった。運送にお金がかかりそうだったが、自分で運ぶことが出来た。箪笥は三段に分けられるので乗用車でも運ぶことが出来る。箪笥のおかげで、運転手のみ乗車、私たちはてくてく散歩を余儀なくさせられた。

 

桐ダンスは3回削ることが出来る。50年に一回と言われているので、150年は使える。昔は木の物は最後には風呂の薪になっていた。そう思うと、目の前にあるもので、使いまわしのできないものはなかったのだ。

 

一時修理するなんてこと恥ずかしいという風潮があった。使い捨ての時代だ。しかし捨てきれないで物をため込んでしまう人も多い。そして今「断捨離」が大流行。ヨーロッパの人たちは、昔の日本人と同じように修理しながら使っている。古いものが手入れされて次の世代に渡されている。

 

世界を見渡すと、日本人が一番物を大切にしない国民かもしれないとおもってしまう。

物を大事に扱うことで、職人の腕も上がっていく。

綺麗になった帯を見つめて嬉しさがこみあげてきた

 

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「哀愁」と「ガス燈」

2021年02月18日 16時53分16秒 | 日記

美人女優が得ずるイギリスが舞台の二つの映画。

ヴィヴィアンリーとイングリッドバーグマン。

やらねばならないことがいっぱいあったのに、つい付けたテレビの画面に見入ってしまった。

今日の予定の二つが飛んで行った。まあ明日があるわね。

 

ロバートテーラー、ジョセフコットン、この二人もきれいな男優だ。

衣裳も調度品もゴージャスだし、何かといえばダンスに打ち興じる設定もいかにも上流。

あの優雅さに日本の政治家がはまり、鹿鳴館を作ったのもうなづける。

ダンスは発散する文化で、遠慮なく男女が抱き合ういいチャンス。

それにしても「洗脳」のこわさ、しかも一番信頼をしている人からの洗脳は身を亡ぼす。

「ガス燈」はサスペンスで妻を洗脳していく「シャルル・ボアイヱ」の目の演技がみごと。洗脳のをされるきっかけを与えられれば。自ら自分自身を洗脳していくものだという流れがよくわかる。桑原桑原

 

今私たち日本人はほとんどの人が洗脳の中にいる。

洗脳の怖さは「洗脳されている」という客観さをうしなうことだと思う

誰かがその洗脳を指摘する必要があるのだが、深く洗脳をされていう人はよほどのショックがないとだめだだろう。

 

哀愁は姉に連れられて行った映画,(そのころ中学生だったか、大人と一緒でないと映画館には入れなかった)

哀愁のテーマ曲が「蛍の光」(日本名、スコットランドの民謡なんだ)で、卒業式に歌う時なんだか違和感を覚えたのを記憶している。

ヴィヴィアンリーがあまりにも可愛く美しく、ずっと追っかけて彼女を観ていた。最後の映画が老女になったヴィヴィアンリーが、寂しさに若い男を恋人にして捨てられて自殺するという話に、「なんでこんな役やるのよ」と怒り狂って、悪酔いしたこともあった。

 

仕事が完成しなかったが、二組の美男美女をうっとり眺めて、ご機嫌なチャ子ちゃん先生

 

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着物が繋ぐもの 412

2021年02月14日 10時50分24秒 | 日記

今日からNHKの大河ドラマで「渋沢栄一」物語が始まる

渋沢栄一の生家は豪農で養蚕の指導家でもあった

養蚕作業の指導を東京農工大の横山先生がなさった。そのときちらりと色いろーーーとね

横山先生のことは大好き。学生に蚕は糸を吐くために存在しているということをはっきりと伝えている。そのためにまずご自分が着物を着なくては意味がないと、着物を着て講義をする日も多い。

 

「蚕のクローンを作ろうと研究を始めたの」

「いやーーだ」

「だけどやめた!」

「偉い!」

都内とは思えないくらいに校内は農地が広がり、桑畑も広い。その中でいろんな種類の蚕を飼育している。蚕は菌に弱いので、伝染病には細心の注意が必要。

 

本日一回目は横山先生の指導ぶりぜひ応援してほしい。

 

渋沢栄一さんに関しては多分ほめたたえるドラマになるのだろうと思う。富岡製糸場に対しても、並々ならぬ力を注いでいる。そしてその事業のおかげで日本の蚕糸業は世界一の発展を遂げた。日本の近代国家は「蚕」の踏ん張りがあった

しかし

蚕の側から見ると、ゆっくり糸を吐き、ゆっくり繭から糸をひいてほしいのに、あっという間に糸をひかれ、きっと目が回ってしまったことだろう。その挙句本来持っている艶も消されたのだもの。

 

近代化ということの陰に人の手作り部分は遠くに行き、自然と人間の信頼関係も薄くなっていく。それが近代社会に向かうことなのだと思う。

近代化を推し進め、金融の在り方、株式会社の作り方など、経済のリーダーとしても君臨した渋沢栄一。今まさにそのような時代からの脱却が伝えられているとき、私は渋沢栄一をどう理解しようとするのだろう。そういうチャ子ちゃん先生を見るのも楽しみ。でもテレヴィ離れをしている昨今毎週見るかどうかはわからない。

 

編集者現役のころ、王子にある渋沢栄一の邸宅跡でよく着物の撮影をさせていただいた。

品のある邸宅で、そこの車寄せに群生しているた日本すみれの可憐な美しさを今も思い出す。

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着物が繋ぐもの 411

2021年02月13日 11時14分38秒 | 日記

自然界に緑がない時期に緑を着るというのがチャ子ちゃん先生のお考えっ!

気のせいか樹木が喜ぶ。

黄緑,鶯彩、萌黄、鶯萌黄、若苗彩、苗色、花萌木、若草色、草色、青緑、若竹色、濡葉色、緑青、白緑、山葵色、苔色、若緑、浅緑、木賊色、黄木賊、柳色、裏柳、笹青、緑杉,青磁色、白藍、浅藍色

ああ疲れた。

この様な色が春まだ浅きときに自然の中で美しい

夏の緑、秋の緑、冬の緑はまた違う

これらは日本人が普通の生活の中で、太陽の色や、風邪の色などを敏感に感じて、この時期にはこの色が来ている人を美しくする。と決めたようだ

 

色で自然との共存共栄を図るなんて、なんと美に鋭敏な民族だろう

みんなみんな

こういう日常の中の美しい日本人の感性を思い出してほしいよ

 

緑は風を意味する。風の時代は緑色が主役かな?

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着物が繋ぐもの 410

2021年02月10日 15時25分10秒 | 日記

今朝早よからゲイの「こけし」が訪れた

「いくつになっても色気出してなきゃあね」

と着物姿を誉めたらそういう。

「へっ!」

「そうよ私らの業界色気なくなったら終わりなのよ」

「ほうーーそういえばkさん、こけしに会いたいって言ってたっわよ」

「会わせてよ、でもね、お話しするのはもうしんどいのよ」

「じゃあ―何するの?」

「-----話し相手というのじゃあないのね、そういう相手は比佐子ちゃんがいい」

「誉めてんの?喜ぶべきなの?」

「喜んでよ、もう男とは喧嘩できないのよ」

「私ももう喧嘩ネルぎーはないわね」

 

さすがに着物姿が決まってるこけし

「いい着物着てるのね」

「そうよ紬屋でそろえていただいたのよ」

紬屋というのは銀座にあった呉服屋で、芸者だった人が女将さんになり、着物研究家として一世を風靡していた

もうお亡くなりになっているが、きれいな方で、大将の着物選びも人気があり、有名小説家や、政財界人などの出入りが盛んで、紬屋と名を出して言うだけに、紬の選び方は最高だった。

女将さんサミットを立ち上げたとき発起人になってくださった先輩

着物姿はもちろん美しかったが、美的感覚の鋭い方だった、さすがに殿方人気は抜群!!その為男ものの着物選びには、着る男の色気を出すという色合わせに自信を持っていらしたな

 

色合わせが江戸前で、渋いけど品がいい、名を成した一流人が好むだけあって着物と羽織や、着物と裏地などの組み合わせが美術品。

今日のこけしも紺絣の結城紬を着ていて、黒い縮緬の半襟、黄金色のちゃんちゃんこをさらりと羽織り、その色の組み合わせがにくい。裏を見ると百人一首、それも薄墨で姫や坊主や殿を描き、かすかに色を掃いている。

「粋ねえ」

「比佐子ちゃんだからわかるのよね」

足袋も黒じゅすでぴっちりとした形が気持ちいい

「めうがやかな?」

「ほらやっぱりわかるdしょう?」

「羽織紐はもちろん道明ね」

「ふふふうれしい」

 

「写真を撮らせてよ」

「いやだよ」

「けち」

いい着物はやはりいい、男の色気のわかる女が選ぶ着物は、男を美しく見せるなあと感心してこけしを送り出した

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着物が繋ぐもの 409

2021年02月09日 11時35分20秒 | 日記

平日はYouTubeをやっている。夜の時間、20時30分から20分

「チャ子ちゃん先生のお考えっ!」繰り言なれど―――というタイトルだ。

このタイトルを考えたのは22歳の姿が美しい男。そして声もいい。

チャ子ちゃん先生が現役だったら絶対「モデルをお願い」と頼んでいたと思う。

そういう意味の男を見る目は確か。現役のころ、そうやって新人俳優を探し、雑誌や舞台に立ってもらったが、彼らはその後名を成している。その腕をひそかに自慢しているのがチャ子ちゃん先生である。

 

着物の仕事をするようになっても、今度は渋い男を見つけるのが上手になった。

時代劇俳優でもなく、歌舞伎役者でもなく、舞台俳優でもなく目をつけたのが「鳶職」「庭師」「武道家」そして「作家」や「住職」「力士」そういう人達を見つけては雑誌に登場してもらった。

名刹と言われている住職の衣裳は美しい。それは表の衣裳を言ってるんではなく、通常に着ている衣裳が美しい。色があって美しいのではなく、素材が美しい。つまり衣の下の衣裳の素材だ。おしゃれな方は本場結城紬の白無地を着ている。夏は苧麻。思いがけない上等の布に興奮することもしばしば。

鳶職、庭師、武道家は姿が美しい。体がキリっと締まっていて、体幹が整い、動きに無駄がない。

それでいて無口だけど目がやさしい。だまってエスコートをする作法が心地いい。

 

日本の男が美しいかった時代はもう過去のものになったのだろうか?と最近思うチャ子ちゃん先生

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着物が繋ぐもの 408

2021年02月08日 09時45分47秒 | 日記

いそがしい

季節の先取りを着ているのだけど、身に付けないまま季節が通り過ぎていくことが多い

立春を過ぎるともう冬の柄はおかしい、そして水仙も梅も自然界にお任せという感覚になって、身に付けるのがはばかられる。こういうことを言ってるので着物が廃れるという意見もある。

たしかにね、その為に一年中きられる着物や帯がたくさん出てきた。四季の花がすべて入っている着物とか、帯。それもいいだろうと思う。華やかだしね、百花繚乱。

縞や格子、無地の織の着物を着ていることの多かった昔に、女たちがせめて帯は季節感を感じたいと思って、季節を先取りする風習が生まれたのだ、いえもっと古いな、枕草子にも書かれている、このころは重ねの色目に季節があり、その季節が終わって、もまだ前の季節の重ねを着ている鈍いい女だ。というような表現がある。

日本人は大いなる昔から、季節をまとうということが最もお洒落だったのだ。季節の移り変わりを感じない女は「鈍い」それはすべてにおいて「鈍(どん)な女」とさげすまれていた。

鈍ナ女は周りの空気をよめない、気働きがない、笑顔がない、お辞儀が出来ない、声が低い小さい、口を開けないでしゃべるから聞き取れない、人をほめることが出来ない、自分をいつも卑下するか、高圧的になるか、と現代語にするとこのような女が「鈍な女」だそうだ。

清少納言は女をよく見ている。

「女専門」という男の作家も結構いるけど、ここまで辛辣ではない。だって男は女にもてたいからね。心の底におんなにおもねっている。そこが気持ち悪い

ある意味清少納言は女にエールを送っているのだ、とチャ子ちゃん先生は思う。イイ女は女に尊敬され憧れられる。清少納言はそこをついてる。

着物の着方や、趣味にかこつけて、女を批判しているが、あくまで理想の女を目指せと応援しているのだ。

 

最近着物を着る人がふえて、清少納言風に感想を言ってると面白い。そういうゲームを楽しんでいるチャ子ちゃん先生。

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