チャコちゃん先生のつれづれ日記

きものエッセイスト 中谷比佐子の私的日記

願わくば花の下にてーーー

2019年03月31日 21時44分28秒 | 日記
桜が咲くと周囲がパッと明るくなる
花の力はすごい
花は自分の季節をしっかり覚えている
季節になれば忠実に我が仕事をすると
花には本能しかないのだろうか?
感情は備わっていないのだろうか?

それにしても東京の桜は老いてきた
花が白くなってきた
どこかで世代を変えないと東京のサクラは消えて行く

桜切るばか 梅切らぬ馬鹿
という例えがある
昨今の花見客は大人しいので桜の枝を抱えて飛び回る輩はいない
この輩のおかげで桜の樹木を染料にしたものだ

桜からはなんともいえぬ優しい薄紅が染まる
大人ピンクと名付けて楽しんでいると

老木からはあまり色が出てこない
若木の紅色は人の心に灯をともす

花をあしらうより歳とともに色を愛でる方が身にあっているかもしれない

#桜#薄紅色#老木#花見客#桜切る馬鹿#梅切らぬ馬鹿
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失敗を海に流す

2019年03月30日 18時52分51秒 | 日記
失敗をたくさん重ねた人生だと思う
今日は失敗を海に流してきた
失敗を前向きに「その失敗があったからか今がある」
という考え方で生きてきたけど
失敗は失敗

いたらなさ「の結果なのだからそれは真摯に受け止めて認識しなければいけない

今日久しぶりにフエイシャルをしていただいていたら、どういうわけか次から次に自分の過去の失敗が思い浮かび
顔を預けたまま思いにふけった

失敗には原因があるのだが
原因はただ一つ「いたさがわかっていない!」
人の痛さであったり、自分の痛さであったり、つまりは傷つけること傷つくことの怖さがわかっていない

とにかく顔を預けたままたくさんの失敗を思い出し終わった後電車に乗り海に出て砂に書いて流した

今後も失敗はするだろう
失敗の反対は向上かな

暗くなった帰ろう!
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着物が繋ぐもの 125

2019年03月29日 11時02分12秒 | 日記
芽吹きの時チャコちゃん先生の足は「魚の目」が活発になる
足元を美しくしたいという気持ちがあり6軒の足袋オーダーを経ていまは向島「めうがや」に落ち着いている
それでもこの春先魚の目が訪れる

痛い
足袋で四本の指を隙間なくくっつけているので指の間に魚の目が登場する
靴を履いている人の「外反母趾」も痛いらしいが
こちらも半端ではない
それでも涼しい顔をして歩いている
そして人の目を避けてこはぜを外したりしている
そんなに無理をするなら伸びる足袋でも履けばいいではないかと人は言う
それは許せない。恥ずかしい。自分に恥じることはしたくない
痛さを我慢すると肩がこり足全体の筋肉もおかしくなるそれでもじっと我慢(バカだねえ)

基本的に末梢の血液の循環が悪いのだと思う
そのためバレエをやって全身の血液の流れを活発にした
今年バレエのレッスンをサボっているためか久しぶりに魚の目に悩まされている

バレエを始めたのは運動不足解消もあるが
体の骨を自由にしたかった
仕舞もある日本舞踊もある。しかしまずは「着物」からの開放が目的であった
しかしバレエの骨の動かし方筋肉の使い方そのすべてが着物を着る順序に使う骨や筋肉と同じということがわかりバレエに没頭
舞台で踊るわけではなくひたすら体を開放し逆にまた着物との類似点を見つけては楽しむという時間になった
その他名何年たっても初級から上に上がらない 基礎が気に入っているのだ
しかしトウシューズは履きたかったのでしばらく上級に席をおいたが

だんだんスピードに慣れなくなって初級に逆戻り、基本がいい

バレエの動きは自分の体から視線を外さないことが美しい
丹田に力を入れながら腰を沈めていく
左右均等の動きが体のお全てを柔らかく見せる
こういうことは着物の立ち居振る舞いと同じだ
歩く時、手絵を上げる時、おじぎをする時バレエの動きの基本があると着物を着た姿が美しくなる

これはあくまでチャコちゃん先生の感じ方
日本舞踊をなさっている方の姿も美しい
茶道を極めた方たちの立ち居振る舞いも品がある
仕舞をしている方は凛として格調高い

それぞれその方の環境とか育ちなにより「美の目指し方」なのだと思う
どういう自分を自分が美しいと思うかだと感じる
それには自分が目指す師匠が必要であろう
本気を出して生きている本物を探り当てるのも人生かもしれない

魚の目退治を目指して4月からバレエを再開しよう痛さの前で深く思う

#魚の目 #着物 #バレエ #日本舞踊 #仕舞 #茶道 #足袋 #向島めウがや #舞台 #チャコちゃん先生 #中谷比佐子 #丹田




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着物が繫ぐもの 124

2019年03月28日 13時18分31秒 | 日記
「泥かぶら」という芝居を見たことがある方もいらっしゃるだろう
常に笑顔そして感謝の気持ちを持っていれば自分も変わる人も変わるという内容(そっけない内容説明だこと)
初演は新制作座で1952年 昭和27年 眞山美保作・演出
戦争が終わり7年 少し落ち着いて国民が未来の自分を考え始めた時代の演劇
日本全国を回って学校中心の演劇であったけど日本中を感動させ更に海外公演もこなしていた

昭和32年ころチャコちゃん先生の高校の同級生が新制作座に入団し舞台に立っていて一回だけ鑑賞したが
義理で行ったせいかあまり印象に残っていない
その後学校で舞台芸術という時間に眞山美保の父親の眞山青果の戯曲集を読まされたけど革新思想が受け入れられなかったプチブル女子大生としては不勉強のまま過ごしてしまった

ところが
ここでどういうわけか新制作座に呼び戻されてしまった
もちろん舞台に立つわけではなく、着物たちに手招きされたのだ
亡くなった真山美保さんが舞台衣装として購入したり要人のパーテイに団員の人たちに着せた着物や帯
さらには海外公演でのセレモニー用の着物などなど
残された着物や帯の数がどうやら半端ではなくある人を通じてひと通り見てほしいという依頼があり新制作座の本拠地高雄に出向いた

一山が新制作座になっていて
そこに劇場もあり寮生活もできるマンションも建っている
あの頃昭和30年のはじめに受けた印象とあまりにも違う環境で驚いたがそればかりではなく
拝見する着物の数の多さにただただ圧倒されおどろく
サラッと見ればいいかぐらいの気持ちはあっという間に吹き飛んでしまった

振り袖の数150枚 他に30棹の桐タンスに収められた着物や帯、その他履物ダンス 小物ダンス、下着ダンス、足袋ダンス、
一日二日で全部見ることなど不可能と早くも白旗を上げる

しかし
現れる着物や帯の素晴らしさ一晩中見ていても飽きない
昭和40年50年代のものづくりの素晴らしさに触れて感動をする
一枚一枚丁寧に見届けて購入をしていたという眞山美保さんの審美眼と劇団の人たちを美しくしたいという深い愛
「着物は人柄を表すからね」
とおっしゃりながら劇団員に着物を選んでいらしたようだ
「着物を着る前にきちんと自分を磨きなさい」
という言葉が選んだ着物に現れているようだったと劇団員は話す

丁寧に着物と帯そして長襦袢を揃えているので
製作者たちの意気込みも違う
心をこめて着る人を輝かせたいという思いで染めた、織った、刺繍した、絞ったそういうものが選ばれていた

着物の仕事をし始めて
着物に惹かれた頃の着物たちと再び巡り合ったことがさらに嬉しい

裏の選び方仕立てに至るまで眞山美保さんの心の目が光っていた

そしてチャコちゃん先生はこの眞山美保作・演出の「泥かぶら」を素直な気持ちで見たいと思っった
幸い8月には都内で行われる。いかなきゃあ

しばらく高尾通いが続きそう
それは嬉しいこと

#泥かぶら #眞山美保 #真山青果 #新制作座 #高雄 #チャコちゃん先生 #着物 #帯 #中谷比佐子 #桐たんす #戯曲
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着物が繋ぐもの 123

2019年03月27日 09時00分00秒 | 日記

呉服屋の女将さんの話をもう少ししてみたい
平成4年3月3日に私は「女将さんサミット」というグループを立ち上げた
その前から「婦人公論」で女将さんシリーズを書いていた

京都の問屋で取材をしていて気になる女将さんを追っかけて北海道や九州に飛んだ
そこで教わったのは女将さんたちのその地域での信頼度
今のようにカウンセラーなどない時代またコーチングを仕事にする人のいない時代
彼女たちはコーチングの名人だった

お客さんには着物を売るだけではなくお客さんの苦しみ悩みすべての解決者でもあったのだ
何でも受け入れ他言は無用ただ全身で心をこめて聞く
それだけ二時間をかけ暗い顔の客が輝くような笑顔で店を出ていく
しかも100万単位の買い物をして(いつの間に売ったの?とよく聞いた)

とにかくすごい
夫の世話子供の面倒も見る更には介護もある
それでもいつも堂々と明るく生きている姿それが私の目に写った女将さん

何軒か取材をしているうち
カウンセリングに明け暮れている女将さんのカウンセリングは誰がするのだろう
女将さんは疲れていないのだろうか
女将さんは悲しくないのだろうか
女将さんは今の境遇に本当に満足しているのだろうか
いつもお客さんを立て地味な着物を着てもっとおおしゃれをしたいと思わないのだろうか

着物を着て車の運転をし明るく賑やかに振る舞っているけれど本当のところ心から和むということはあるのだろうか
ご主人はゴルフだバーだ俱楽部だお座敷だと発散しているがおかみさんたちはただただ人の話を聞くだけ

「そうだ女将さんを遊びに連れ出そう、目一杯おしゃれをしてもらい少女のよう無垢な心に一瞬でもなってもらおう」
よせばいいのにこんな思いでチャコちゃん先生「女将さんサミット」を立ち上げた

おかみさんたちと遊ぶともう芸達者ばかり
娘の頃日本舞踊をやっていた、芸大のピアノ科の卒業、オペラを目指していた芸大出身者、三味線で小唄や新内までもできる人
とにかく大騒ぎで遠慮する人がいないので笑い転げながら夜が更けていく

芸が一段落するとせーの!で着物を着ていて肌襦袢を脱ぎまた肌襦袢を着るという競争が流行った
ということは女将さんの中ではだれも補正などしていないのだ
1等になった女将さんは「比佐子さんを自由に使う」ということで無理難題を押し付けられた(でも楽しかった根っこが優しいので)

今でもこの中のおかみさんたちの10人とはとても良い関係が続いている
亡くなった方も居るし現役を退いた人もいる

女将さんたちのコーチングやカウンセリングはどれだけの女たちを救ったことだろう
それで年間一億も売り上げるツワモノばかりだった時代があった(男たちはなにしてたんだろうね)

#女将さん #肌襦袢 #着物 #チャコちゃん先生 #中谷比佐子 #コーチング #カウンセリング


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着物が繋ぐもの 122

2019年03月26日 13時32分06秒 | 日記
くりまわしの続き
フランスの著名なデザイナーが「日本人のくりまわしの知恵」が美しいと思うことにこちらのほうが逆に「くりまわし」について再考してしまう有様
西洋から「パッチワーク」が入ってきた時
「このアイデイア着物の端切れで作るといいですね」と先輩に提案したら
「日本は昔からやってるわね」という一言で片付けられたことがある
もうすでに私の時代は新しい着物を購入するのが当たり前の時代に入っていた

日本でのくりまわしは布を平面にして使用するのではなく
全く新しいものとして誕生をさせるところに豪さがあるように思う

先日お会いした呉服屋の女将田家さんはくりまわしの天才で
いつおあいしてもくりまわしの着物を実に美しく着ている

90年以上続く呉服屋さんで
「祖母や母からの着物、また売れ残った反物そういう布を前にいろいろと悩むのが好き」という
特に大島紬が三代の女将さんが揃って好きだったようでいつもいつも大島紬のくりまわしに目を見張る

呉服屋の女将さんは布が好き 
われも負けじと「これは父親の結城紬に母の大島紬を市松に縫ったのだけどどう?」
「結城紬と大島二大紬の競艶ですか?」
「長襦袢は父と祖父の羽織裏をつなぎ合わせたの」

また別の女将が
「そういうときは帯は格がある上等のものがいいわね」
割って入ってきて、柔らかくなってきた父親の白大島を襦袢にした」と裾をめくる

着物を商いする女将さんたちは
「着物は着物にして生き返らせるものよ」
というしっかりした軸を持っているので決して簡単に切り刻んだ洋服にしたりはしない
最後の最後は「前掛け」その前掛けも端切れを縫い合わせている、風呂敷も油単もそうだ

どんなに小さな端切れでも実に見事にセンスよく着るものにしてしまう
これは布を愛しているからであろうか

しかし最近は針を持つ人が少なくなり、またくりまわしはいたしませんという縫い手が増えている
そこへ
「私くりまわし大好きいつでもおっしゃってください」と30代の若手の縫い手
女将さんに鍛えられたのだという、しかも布をどうやって活かそうかと思う時間が大好きなのだと

長く着物の世界にいながらチャコちゃん先生くりまわしのこと不勉強だったなとと感じ入っている
それを反省すると女将さんたちは
「比佐子さんは先へ先へと私達を導いてくださればいいのよ」
と慰めてくれる

傘寿の祝をしてもらっている西村艶子さんの右手中指には銀の指ぬきが光っていた
そういえば彼女の指にはいつも指ぬきがはめられている

#着物 #チャコちゃん先生 #指ぬき #パッチワーク #くりまわし #女将さん #中谷比佐子 #傘寿


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着物が繋ぐもの 121

2019年03月25日 13時05分21秒 | 日記
着物のくりまわしについて考えるようになったのは
姉が持っていたケリーバックの取っ手がぼろぼろになっていて捨てるというのを私が引き取ってからだ
取っ手だけが傷んでいて胴体はそんなに見苦しくない
もともと私はきものに恒例の数寄屋袋や布製のハンドバックを持ったことがなく
洋もののバックを持ち歩いていた
しかもバックお宅

バック専門のタンスまでも作ってバックを集めていた
海外に行くたびに新しいものを購入
また海外に行く人にもこういうのを買ってきての依頼をしていた

セリーヌを持ち、シャネルを持ち ヴィトンを持ち、カルチェ、グッチを持ちというように柔らかものではなくカチカチ形がお好み
であるから姉のお下がりの傷物でもケリーは嬉しかった

早速伊勢丹のエルメス店にそのバックを持っていき見てもらった
一週間ほどして連絡があり取っ手だけ代えるのに6万円だと!昭和50年後半だったと思う
6万円だせば他の店のバックがかえる
やめとこうとばかり引き取りにいき小田急デパートの修理屋に持ち込んだ。見積もりは15000円。それならと置いて帰った
一時間ほどで電話があり
「うちでは出来ませんね、同じ革は手はてにはいりません高くてもやはりそのお店に持っていったほうがーー」
そういうものなのかと納得してまた伊勢丹へ
半年後きれいになって手元に戻ってきたのを見るとどこを新しくしたのか全くわからにほどの新品になっている
しかし中を覗くと古いケリー

この疑問は後年こちらの社長さんにお会いする機会がありお尋ねした
バックの内側に職人さんのイニシアルがありそれを見ると年月がわかりどの革を使ったかも明瞭なのだという
使った革はしっかりと湿度を保って保管してあるとのこと

このことは日本のきものの「くりまわし」からのヒントだという
もちろん今の時代に始まったことではなく先祖が日本人の着物に対する知恵の数々を組み入れた結果だと

実にこのバックは着物に合う
まだ若かったから重くても平気しかもイニシアルがHであることも気に入ったのだ(HisakoのH)
そしてある日その店でマルジェラデザインの夏のコートに出会った

それは着物の紗のコートを彷彿される形と素材でかっこいい
とにかく素材が絹それに日本の紗より柔らかく糸が細い
形は羽織の襟はそのままだけど袖が細くなっていてとにかく羽織るだけという感じであった

よくよく聞くとこのデザイナー日本の着物が好きで
着物のように自由に着られる洋服を作りたいと着物を購入して研究しているのだという
このコートに出会ってから一年365日着物を着るという行動は「20年」でストップ

続きはまた明日

#着物 #チャコちゃん先生 #セリーヌ #着物感覚のコート #グッチ #シャネル #ルイビトン #エルメス #紗 #羽織 #ケリー
#中谷比佐子 #伊勢丹 #小田急デパート

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着物が繋ぐもの 120

2019年03月24日 11時18分20秒 | 日記
昨日の「比佐子つれづれ」では今年のテーマが「着物きたら大人思草」なのだが
「着物東西」二話が逸れてそれはそれで興味深いものでもあった
近年のようにテレビが発達、またインターネットの普及で日本列島総文化統一と思いきや
やはり職人の世界では先人たちの教えが息づいていて変えられない

衣食住のすべての細かいところに東西文化の違いが出ている

ここでは着物を中心に盛り上がった
顕著なところでは履物
特に下駄の鼻緒の挿げ方、これは草履にも言える
前ツボをきつくするのが東ではなおも後ろ歯の前で締める西は鼻緒は後ろ歯の後ろで締める
そうすると自然に前ツボがきつくなるのは東
緩くなるのは西

この鼻緒の挿げ方で歩き方が変わる
東は親指に力が入りやや前傾斜、西は後ろのかかと中心だからおっとりと歩く
歩き方が違うと着物の着方も変わる

裾を細くピシッと体に沿わせたい東
体の線を丸く丸く着付けてふくよかに見せたい西
それに連れて着物の色の好み柄の選び方も明らかに違ってくる

全体をシャープにしたい東は柄があってもなきがごとき江戸小紋や微塵柄を選ぶ
西はたくさんの柄があるのがご馳走
にぎり寿司とバラちらしの違いだといえば分かりやすいか

西の着物痛の人の取材も随分行った
こちらは自分の着物を着ていくのでその都度「はー東はそんな若くて年配風の着物着あはるんどすなあ」なんて言われる事しばしば
東では「カッコいい」と言われるコーデイネートも西の女たちの中に入ると艶やかさに劣る
そんな体験をいっぱいして自分流の着物のコーディネートになるのにたいそうな時間がかかった

チャコちゃん先生顔が江戸前ではないのに骨のありようが江戸前
ここに至るまで西の厳しい目を持つ友人たちに鍛えてもらった
気がつくと
江戸の人たちはあまりああでもない項でもないと言わない
装いは自由意志
西は「なんやのその着方」とチェックが入る
どちらが良いというわけではないが切磋琢磨する必要もありそうだ
だって昨今は短に着物を着ている人を見るのは稀だからーーー

東西長襦袢の襟の仕立て帯の作り方、第1帯の手先を左に持つか右に持つかも違ってる

地色の好み
柄の大きさ
着方
帯の位置とお太鼓の丸みの違い

その土地に住む人たちの流儀は根本的に変わらないものなのだと思う
これが古い文化を持つ日本独特の事柄かもしれない

四月に入ったら西の刺激を受けに厳しい友人に会いにいってこよう

#東西の文化 #比佐子つれづれ #ちゃこちゃん先生 #模様 #着物
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着物が繋ぐこと 119

2019年03月23日 13時09分40秒 | 日記
着物が日本の文化を濃縮していることが面白く
「着物」という軸を外れて着物という幹の「根っこ」に目を向けず
着物から教わるはりめぐされた枝にチャコちゃん先生は興味を持ちすぎたと今頃「ああーーそうだった」と頭をたれている
反省をしているわけではなく後悔もしていないのだがーー


野球のオチローさんの記者会見の中
「後悔なんてしもちろんない」
「小さいことの積み重ねが今のこの姿」
「記録なんてそのうち後輩が塗り替えるでしょう記録を打ち立てたことは評価できるけどそれが全てではなく、記録を出すための足元の努力の積み重ねがいろんなことを自分に教えてくれる」

今私の最も必要な言葉であった

神様ってこうやって必要必然絶妙なタイミングできちんと指導をしてくださる
これを知らんぷりしていると
また気が付かないでいると更にきついことが起こってきて抜き差しならない苦しみが与えられてしまう
そういう事は全て自分が勝手に引き寄せていることなのだけどーーー

ところで
着物の枝は伸び放題
「どうして左前ではいけないの?」
という疑問が養老律令で解決され「左は偉い」となるのだが
言葉としての左は左遷とか会社が左前など左をマイナスの言葉にしてしまう
こういうことをどうして?と思うと奈良時代の歴史が必要になりそこで聖徳太子の五行思想に出会いその五行から風水の勉強に入ってしまう

どんどん幹から離れて枝に飛びついてしまうのだまるで猿だね
風水が必要と思うと中国風水の導士に出会いなんと30年も勉強をしてしまう
五行の色の意味を深く知りたく思っていたらイギリス発症の「オーラソーマ」に出会いまたまた10年

しかしこの色は日本の草木染を凌ぐことは出来なかったのでまた草木染めに戻る

こんな枝ばかりを追求している間に着物本来の姿がおかしくなっていることに気が付き
あわてていま幹の大切さん気づく

残り時間は少ないが枝で教えてもらったことも活かしながら着物の道をきちんと歩いていかなければいけないなと思う

長年の友人にそのことをしっかりと指摘され自分自身も納得
やはりずっと見てきてくれた友の存在は尊い

人は「この人おかしい」と思ったら99%の人が黙って去っていく
その時とどまって諭してくれる人の言葉は神様からの言葉だと信じる

着物はいろんな文化をはらんでいるが
その一つ一つが独立して研究に足るものだと思う
50年着物に関わり着物から逃れられなかったのはこの文化性であることもよく理解できる
やはり面白い
着物は深くて面白い関わっていて楽しい美しい
今日はそんなことをつくづく思う日である
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着物が繋ぐもの 118

2019年03月22日 11時12分14秒 | 日記
桜の開花宣言があった
本来はこの宣言があると桜模様の着物はお休み
主役を桜に絞るという習わしがあった少なくとも昭和50年代まではーー
宣言が過ぎても桜模様の着物を着ていると先輩たちから「チャコは野暮だよ」と注意されたものだ

とにかく縛られることや決まり事に反抗していた若い日
「名残の花よ」と言いながら花びらだけの着物や帯を作ったり
夜桜模様の着物を染めてもらったり
背紋に桜の花を刺繍、八掛に桜吹雪、長襦袢に桜模様
などなど様々に工夫をこらして先輩たちの目をくらませることに躍起になっていた時がある

それくらい季節の花を身にまとうことが重要に思えたた時代もあった

それでは着物は売りにくいと云うので四季の花を全部入れて「季節に関係なくいつでも着られます」という着物もたくさん染められた

なんでここまで日本の女は季節にこだわるのかと過去の文学などを読み漁ったところ
「旬を大事に思う心」を知った
旬は宇宙のエネルギーが降り注ぎその旬のものを口にすることはもちろん旬を愛でることも
また旬の柄を身につける、旬の色を身にまとうことも
すべてが自然に感謝そして自然からいただくエネルギーによって身も心も健やかでいられる
その中に着物の旬の模様もある

日本の歴史の中では梅の花を愛でることのほうが古く
桜をみんなで大騒ぎで愛おしむことになったのは江戸時代に定着した模様
特に八代将軍の吉宗公は江戸の土堤の殆どに桜を植えているそのため東京はこれから街中が桜に彩られる

さてこの桜の模様と着物も時代とともに変化し今では桜満開の時あえて桜とともに桜の花の着物を着て花と共演するという感覚になってきている

きものサロンの初期の編集長故佐々木和子は「着物といえば桜柄」とばかり
春号になると桜模様ばかりを特集していた
それだけではなく沖縄に桜が咲いたと聞く1月末から弘前の桜が散るまでの3っヶ月余は桜に溺れて着物はすべて桜
便箋も封筒もお懐紙や名刺までそうだ年賀状も桜から始まっていた

桜模様は一年中オーケーとなった動気は小説家の宇野千代さんの桜の着物から始まっったかもしれない
宇野千代さんはご自分の着物の殆どは桜模様であった
これに力を借りて着物愛好者が一年中桜模様の着物を着るようになったのかもしれない

しかしチャコちゃん先生着物を着始めたときの諸先輩からの有形無形の忠告がトラウマとなっているのか
変に頑固なところもある性格のせいか
桜模様の着物は桜宣言とともにやすんでいただく
しかし夜桜とか流水に花びらなどの着物は弘前の桜が消えるまで手を通す
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