チャコちゃん先生のつれづれ日記

きものエッセイスト 中谷比佐子の私的日記

落ち葉掻き

2022年11月30日 08時56分53秒 | 日記

昨日の雨で木の葉が散り、道路は落ち葉の山

土の上に落ちた落ち葉はそこが安住の地になるのだが、歩道に落ちたおびただしい落ち葉は、風に吹かれてあちらにこちらにと揺れている

出来るだけ踏まないようにと歩いていたら、都庁裏に住む路上住民が落ち葉をかき集めていた

今時珍しい「高帚」をもって落ち葉を片付けている

年齢は60代だろうか、お家にいたときはきっときれい好きだったのだろう

どういう人生を過ごして、これから寒くなる日々を路上ですぐすのだろうか?

「ご精が出ますね」

「いやーいい運動です」

とにっこり笑って箒を動かしている

都庁裏の公園を住処にいしていた人たちが大勢いたのが、今から20年も前

その頃もいまごろの季節は公園住民は掃除に余念がなかった。あちこちに葵テントが張り巡らされ、一個のコミニテイーが出来ていた。公園でのラジオ体操が終わるころそこの住民はお茶の時間を持つ

いい香りがテント内から漂ってくる、ある日そのテントに近づいたら

「オネエサンどうですか?いっぱい」

といってロイヤルコペンハーゲンのマグカップを差し出されて驚いた。しかもキリマンジェロの味だ。思わず口にした

「おいしい!」

「ははは」

とおじさんたちが笑う

すぐ取材体制になるチャ子ちゃん先生

「贅沢なお暮しですね」

「仲間がいいですからね、居心地がいいですよ」

とその中の一人が衝立に隠れて(テントの中に衝立もある)パリーっとしたスーツに着替えて出てきた

「いってきます、ごゆっくり」

あっけに取られているチャ子ちゃん先生

「お勤めここから?」

「あの人は大学の教授」

「えっ!」

「詳しくは聞かないことになっているけどね、大企業に勤めている人もいる、そうそうあそこに朝出かけた人もいる」

と都庁を指さす

すごす

時々家に帰り、またここに集まって何となく将棋を指したり、マージャンをしてすごす。料理上手が買い物をして来て整える。それぞれ得意分野で分業をしながら、その人の背景には立ち入らず優雅な時間を持っているようだった

しかし都の意向で一掃され、今はこの公園は子供を中心にした場所になっている

 

おじさんの一部は都庁裏の路上に引っ越したのだろう、これから寒くなる

 

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団十郎襲名披露

2022年11月29日 11時55分36秒 | 日記

なんとなんと

三代の市川團十郎襲名披露を観たぞ!しかもお家芸の「助六」

第十一代目は形の美しさ、醸し出す華麗さ、江戸の男の切れの良さ、オーラ半端でない

第十二代目はおおらかな男の色気と茶目っ気のある親しみ深さに美しさが同居、我らが助六さまという感じ

第十三代目はちょっと線が細いカナ、形の美しさは抜群、でもそれにこだわっている感じもした(厳しいカナ)顔が十一代目と似ているので、これから大きな役者になるやも

息子の新之助は子供ながらにオーラ―がある、きっと大物になるのだろう

 

チャ子ちゃん先生の「助六」好きは、十一代目の「助六」を見てからだと思う

歌舞伎好きの叔母の「海老さま」詣でに付き合わされていた。重箱弁当とお小遣いにつられ、しぶしぶ大人の娯楽についていっていたが、襲名披露の「助六」に度肝を抜かれた

赤黒白、そして紫のハチマキの助六のなんとも粋でダンデイ

遊女たちのきらびやかな衣装の前に、助六の単色の美、この美意識が歌舞伎の醍醐味だったのだと、初めて気が付いた

 

叔母をはじめ、東京中の女たちが「海老様」にうかれ、彼女たちの「海老絶ち」のため築地では「海老」が売れなくなったという社会現象まで起こしたほど、市川海老蔵時代の十一代団十郎の人気はすざましかった

学生時代からそういう現象を斜めに見ていたのだが、1962年(昭和36年)の襲名披露を見たとき私は歌舞伎開眼した。この興行では当時のお金で1億円稼いだという。戦後の歌舞伎を復活させた海老さまだ

しかし襲名後たった3年で56歳の命が絶たれた

跡を継いだ第十二代団十郎さんは父親の居ない歌舞伎界で大変な努力の人だった。そういう同情もあって、着物の仕事をはじめたとき、すぐに海老蔵時代の彼の取材をたくさんさせていただき、着物姿の撮影も随分した。楽屋にも遊びに行かせていただいていたが、その海老蔵の美しさに、いつも緊張していたチャ子ちゃん先生

誠実な方で、私どものイヴェントにも顔を出してくださっていた

暫く歌舞伎から遠ざかってしまっていたが、歌舞伎鑑賞は人を元気にしてくれる大衆娯楽だとつくづく感じる。場内で食べることも許されているっていいよね

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赤帽さん

2022年11月28日 09時02分50秒 | 日記

ここの所外国からの旅行者が多く、大きな荷物をゴロゴロ動かして電車に乗ってくる

人間一人軽く入りそうな大きさをみてこの「ごろごろ」を考え付いた人は偉いなあ、先見の明があるなあ、と感心する

昭和の終わりまで、大きな荷物を持って旅をするとき、各ステーションに「赤帽さん」という荷物を運ぶ人がいた

赤い帽子をかぶって、歩きやすく裾を絞ったズボンに網靴を履いて、いとも軽々荷物を運んでいた

東京駅㋨赤帽さんに荷物を頼み、列車まで運んでもらう。そうするとその赤帽さんが私が降りる京都の赤帽さんに連絡を取ってくれて、京都駅に着くとホームに迎えに来てくれて、タクシーまで運んでくれた。赤帽さんたちの連携は完璧で、顔見知りになってくると、同じ人がいつも荷物を持ってくれる

 

そのころはまだ宅急便が発達していなかったので、人と荷物は同時に目的地に行く、その頃のスーツケースは車などついていなかったので、手で持つしかない。着物って結構重いので大荷物だ。赤帽さんはそれを軽々ともっていく。500円札があって荷物一個の値段だったかな。1000円をいつもポチ袋にいれて渡していたように記憶している

「こんどはいつ?」とか聞いてくるようになり、すっかり仲良しこよしになって、いつも着物を着ているので覚えやすいのだろう。何年もチャ子ちゃん先生のことを「裏千家の人」と思っていたらしく、どうしてだろうと思ったら、一番はじめが姉と一緒で、確かに姉は裏千家の人だったから、てっきりそう思い込んだのであろう

 

時代が下がって車のついたスーツケースをもって京都駅に降りたら、改札口でばったりいつもの「赤帽」さんがいて

「やっぱりこういう世界になったね」

とそれでも手持ちでタクシーに運び込んでくれたので、ポチ袋を渡そうとしたら手を振って受け取らず、静かにお辞儀をして見送ってくれた

そしてそれが最後になって、その後まったくお目にかかっていない

 

おおきなスーツケースが並んでいる前の座席を眺めながら、あの赤帽さんたちはその後どんな職業に就いたのだろうかと思いだしていた

時代って超スピードでどこに行くのだろう

 

 

 

 

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神様にかんしゃー--

2022年11月26日 09時27分27秒 | あんしゃー-

ここの所落とし物の多いチャ子ちゃん先生

シャトーシュのショール

購入したばかりの手袋右手

今度は「歯」がポロンと落ちた

 

「こんなに物を落とすっていったいどうして?」

と神様に聴く

元々の悪い癖で、細部にわたっての注意が足りないのだとすぐわかった

頭がいつも先に行っている

 

ところが手袋が出てきた!

雨の日たくさんの優美物を抱え、手が冷たいので購入したばかりの手袋を左手だけにはめて、右手ははめずにてに持って?出かけ、ポストに郵便物を入れてさて右手にはめようとしたら「ない」確かに手に持っていたはず、と思って着た道を辿るが見当たらない

あきらめてそれから三日目

郵便物を出そうと思いくだんのポストの近づいたらー--

ポストの上に右手袋があった!雨にあたり、そしてつぎの日の太陽で乾き、ポストの屋根に収まっていた!

何たる奇跡!「神様ありがとう」と嬉しくて抱きかかえた

 

多分あのとき、郵便物と一緒に手袋をポストの中に入れてしまったのっだ!郵便を集まる方が、ポストの上にきちんとおいてくれていたのだ!

何人もの人がその手袋に気が付いたけど、そのままにしておいてくれた!

そしてあれから三日目、持ち主の手に戻った!

 

なんと嬉しい!昨日は一日中嬉しさでいっぱい

「ハイ細部にまで心遣います」

 

それにしても神様の配慮ってすごい、守ってくれていることをこんな形で示してくださるのだ。感謝

 

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優先順位

2022年11月25日 07時55分33秒 | 日記

毎日の生活の中で「優先順位」というものがある

目が覚めた瞬間、優先順位を考える

毎日やることが在るというのは「生きていて今ここにいる」という証明だ

自分の優先順位なので、人の優先順位には従わない

 

多くの人は自分の優先順位を他人に従わせようとする

そうしていつの間にか人は他人の言う通りに動いていく

他人が運転する車に乗ってしまい、それが自分の「道」と勘違いしてしまう

確かに助手席に乗っていれば楽ちん

他人が主導権を握るので、その人のなすが儘になっていく

そこで主従の関係になり、他人の優先順位が自分の優先順位になってしまう

ある日気が付き

その路線から降りようとすると総攻撃を受ける。その怖さにまた服従、そう他人に服従してしまう

それが親であったり、学校であったり、会社であったり、夫であったり、友人や恋人であったり、国であったり

 

今世界中がそんな感じ

こういう世界はいつごろから続いているのだろうかと調べてみると、古い昔から人は他人の道を歩まされているのだとわかる。そしていま、そういう姿勢を正していこうよという感覚で世界が動き出したのかもしれない

自分は自分の人生を自分の足で、自分の考えで生きて行こうよ、という機運が高まっていて、だからこそいろんなことが明るみに出ているのだろう

 

自分の行動に従うのは「正しくなければならない」何を正しいとするのか、これまた難しい

本当はいとやすしだ、「何もかも与えられている」ことに感謝すれば、正しい道にしか向かわない

 

優先順位は

正しいかどうかで決めていくと毎日に「苦」が入り込む余地はない

 

ねえ「欲とか我、見栄、いい子ちゃんぶり」それがなかなか消えないね

 

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情報音痴

2022年11月24日 09時32分27秒 | 日記

イーロンマスクがツイッターを買収し、役員を退職させてトランプのツイッターアカントを復元させた

1月6日の真実がそこに隠されていた。トランプは支持者に「家に帰りなさい」と必死の表情で告げていた。議事堂に支持者を先導して乱入させたと信じ込まされていた人たちは、事の真相の前に言葉もない

 

どの情報を信じるかは、その人がどういう生き方をしているかによると思う

時に真実は自分にとって不利なときもある。しかし何をもって不利と見るかは、「自分の思いと違う」という感覚が先に出るからだろうか

 

ある匿名の方が

「あなたは本当の日本のいやらしさを知らない、日本は素晴らしい国だといってるが、侵略し他国民を殺害し、売春婦問題をどう考えているんだ、日本なんていいところなにもない、もっと真実を見るべきだと思う」

というメールをいただいた

 

長いこと情報を集めて分析してみる、腑に落ちないことは直接当事者に取材する。という姿勢を貫いているから、匿名さんの言うようなことも情報として知っているし、本当なのかなあ?というおもいがあり、調べるだけ調べた

そして私の中では、「日本はなかなかいい国だよ」という思いが定着いしている

それは着物を通してみた日本を見ていくと、どの分野で人がおかしくなっていくのか、どこの部分が日本のすばらしさを見せているのかが鮮明にわかる。いいも悪いもひっくるめてに日本国がある。そこを目指して生まれた自分がいる

 

この三年間不思議なパンデミックで、絶望したり、強い希望を持ったりした。しかしそれらはみな外から与えられる情報に一喜一憂していたにすぎない。与えられる情報と、自ら求める情報の違いというものに気づかされたのも、このパンデミックのおかげかもしれない

 

情報を隠す側の情報は、悪者を打ち立ててそれを攻撃し、その者さえいなくなればいい世の中になっていく、という論理で、人を妄信させていく。その目的は何だろう?と見極めると自分の立ち位置もはっきりする

大きく変わる今、真実の情報は自分自身の内側にあることだけは確かだ。「愛」から出ることしか信じない

 

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シャトーシュのショール

2022年11月22日 09時52分50秒 | 日記

いやー参った!

シャトーシュのショールを落としたか置き忘れてしまい、5日たってもでてこない

シャトーシュは世界で最も素晴らしい繊維、絹よりすごいといわれている

ヒマラヤに住む赤ヤギの顎や脇の生え変わりの産毛を集めて繊維にしたもの

産毛が生え替えるとき痒いらしく、磐に体を擦り付けて毛を落とす、それを集めて糸にする

そういうことを考えたのが京都の人

 

元々はその産毛を集めて布団の綿にしたり、綿毛を加工して帽子にしたりしていたらしい。たまたま繊維に詳しい京都の男性がそれを手にして、あまりのすばらしさに繊維にしてみたいと思ったのだ

3年試行錯誤してショールまで作れた。そして一手に販売を開始した。その村の人たちの生活も糸のおかげで豊かになり、産毛の生え変わるとき岩場で作業する人たちも増えてきた

 

糸が細いのだが暖かい、コート一枚分の暖かさで多くの人がそれを購入した。きっと今でも手にしている人は多い

所がイギリス人がその噂を聞き、「面倒だ!」とばかり羊の毛を全部刈り取ってしまい、またはさらに殺めてしまうという狼藉をして、ついに立ち入り禁止、持ち出し禁止となってしまった

 

日本人が自然のままの物を再利用して素晴らしい布を作ったのに比例し、やはり狩猟民族っだったイギリス人のやることは手荒い。

というわけで今はもう全く手に入らなくなった貴重なショールを手元からなくした

このショールはさらにぜいたくで、自然の糸はやや茶色(珍しい赤羊なので)その茶色の色を脱色し白にしたものを「pink」に染めてもらった。多分世界に一枚しかないシャトーシュだ。体をすっぽり包む大きさなのだが、たたむと大判のハンカチくらいに小さくなって、袂に入るしコートのポケットにも入る・40年使っている。

 

今まで二度置き忘れ、二度とも帰ってきた。40年の間虫にいくつか穴をあけられてもいる。人前で広げるとちょっぴり恥ずかしかった。

40年ありがとう

きっと大きな落し物の代わりに私から離れて行ったのだと思う。父の命日にお墓参りが終わり、姪とぶらぶら生まれた町を散策したり、甘味処でおしゃべりしているうち離れて行っちゃった!

誰かを暖かく包んでくれればそれもイイ

 

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便利が怖い

2022年11月21日 09時30分45秒 | 日記

世の中全てをデジタル化しようというう動きが止められない

アナログ人間としては、いたるところで立ち往生をしている

デジタル化についていけない人間は、抹消されるか奴隷になるか、山奥へ蟄居するか

「便利」を求めて私達は生活をしてきた

小さい時チャップリンの映画を姉とみて、題名は忘れたが、チャップリンが座っているだけで、機械が食べ物を口に運んでくる。しかし咀嚼する時間と機械が食べ物を口に入れる速度とが合わず、結局食べ物が顔じゅうにかぶさっていく。また洋服のボタン付けを機械やっていて、それが流れ作業なので、布でも紙でもとにかくボタンをつけていく。そして挙句にチャップリンが何もかも投げ出して、森の中で大の字になるという映画。パントマイムだった

 

姉が

「ヒサちゃんああいう世の中にこれからなっていくのよきっと、何もかも自動で機械がやってくれる、便利だけどなんだか怖いねえ、今のうちに大いに遊んでおきなさい」

昨日一日パソコンと格闘していたら、この時の幼い自分を思い出し、姉の言葉がよみがえった

「便利は怖い」

このことばはよくわからず、便利になって楽になれば時間が出来て楽しくなるのになあ、と考えたけど、大人だった姉は、よくわからないが背筋が寒くなる思いがあったのだろうか?だから生涯、便利と対極にある「茶道」を極めていたのだろう

 

世界の偉い人達の集まりで、「ワクチンパスポート」なるものが設定され、それを持っていないと渡航はできない、それどころかレストランや、コンビニまで入れなくなるという

そうして人の動きを規制し、中心にいる人が把握して、少しでも反抗的な人はすぐ軍隊か警察が来て取り押さえ、「牢屋」にぶち込まれ拷問の果て命を落とす

こういう時代が目の前に来ているのだ、あの戦争中の憲兵の怖さを思い出す人の多くは鬼籍に入っているので、その怖さを伝える人は少ない。しかし少し記憶にはある、意味なく裁判にかけられ拷問を受けた人たちがいたことをー--

 

のびのびと自然の中で暮らすことが人間には一番似合っている

そういう生き方を求めてこの地に生まれてきたはずだ。気持ちよく生きる方法は自然を友にすることだと思う。やはり「手づくり」が一番!

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アングラ劇場で

2022年11月19日 10時26分21秒 | 日記

都内はアングラ劇場が多い。劇場を探すのに骨が折れる

それだけ役者もたくさんいる。昨夜知人に誘われ芝居を観に行った。出演者の中に知人の知人がいたからだ(笑)

敗戦まじかの「回転魚雷」に乗り込む10代の少年たちの心の葛藤の話だった

誘った知人は途中で「つまらないから帰ります」とメモをよこして席を立った

「どうしてつまらないと思うのだろうか」

とチャ子ちゃん先生はその去った人のことを思った

・戦争物が嫌い?

・回転魚雷に何か深い思いがある?

・役者たちの演技が我慢ならない?

そういえばいつも正統派の演劇や大きな劇場で演ずるお芝居によくいらしている方だ

たまたま今回はよくご存じの方が舞台に出ているからという理由で私を誘ったのか?

訳も分からず誘われてひょひょいと来てしまうチャ子ちゃん先生も暇人だなあ。と思いながら進む舞台を見ていく

特攻隊というのはみんな坊主頭のはずだがとか、どうして長髪?そんなことが気にかかっていたりする

この当時は下駄をはくことが多いのに、普段着の着物を着た女性が草履?時代考証が気になったりする

 

内容は故郷に残した恋人へのラブレターが主役

そのラブレターを一冊の本の中の文字に印をつけて一つの文章になっていたという話だ

それが最後のオチなのだが、きっとそういう方も実際にいたに違いない。その思いが届く保証はないが、当時は誠実な日本人が多く、託された人は中身も読まずして、宛先の女性を探す。戦友というのはそれだけ深い絆で結ばれているということもわかる。目の前の生死を共にしているのだから、生き残った人は、散っていった友の思いを届けたいと思う。それがその残された人の「義」でもあるのだ。

哲学の本にたされた恋文は無事届きお互いの思いが通じていたことに涙する観客

途中で席を立った知人はこの結末にも不快感を持つのだろうか?

「終戦末期の狂気」が我慢ならないという思いがその知人にあったようだ。お互いにあらすじを読まずして出かけていくお粗末さに笑える顛末

 

しかしいままさに、日本も世界も「狂気」の真っただ中にいる

無垢な魂を持ち、本当の「正義」を全うして生きることが狂気を消すことにもなると思う。それは自然を見ることで感じることで培うことが出来る

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絹の落下傘

2022年11月18日 09時33分35秒 | 日記

いやーあ驚いたのなんの

「マスクを自分の都合で拒否する人はこの飛行機から降りていただきます」

という機長のアナウンサー

(やってください、絹の落下傘ならうれしいわ)と心で答える

 

昨日、とある会社の飛行機に乗った

改札の時から

「あのーマスクをしていただきたいのです」

「ハイ」

「マスクおもちでなかったら、こちらをお使いください」 不織布のマスクを渡される

「ハイ」

席に着く(不織布のマスクは皮膚が衰える成分、細胞を傷つける成分、活性酸素の巣窟と知っているので長時間は付けていたくない)

時々外す

「マスク付けてください」

「ハイ」

何回か繰り消している時、あのアナウンサー

アッ!思い出した!友人にビーズで作ったマスクを渡されていた!ごそごそバックの中を探し、飴玉と一緒に入っていたビーズマスクを取り出しつけた。不織布のマスクは前の網の中に入れておいた

それにしても

此れだけマスクをみんながしているのに感染者が増えている

これだけ液体を打っているのに感染者が増えている

此れだけ手を消毒しているのに感染者が増えている

然も液体四回五回打った方が感染している

いったいこの状態冷静に考えたら、マスクも液体も何の効果をもたらさない。ということか?液体うって二度感染した人を知っている

つまりマスク生活や液体は免疫力下げ、自然治癒力が衰えていく?

「盲従」という言葉がある

自分の頭で考え、自分の意思で行動をする人を昔から「変人」と呼ばれていた

「盲従」する人が偉く、「変人」は社会からはじかれてきた

しかしこれからはその「変人」が新しい社会を作っていくことになる

 

飛行中の放送で

「自分の都合でマスクをしない人は降りていただく」

どうやって?

 

日本の落下傘は絹を使っていたという史実があるし取材もした。それくらい日本の絹は丈夫で、豊富だった。たたむのも早くできたと取材の相手も言っていた。そうだろう軽いしあっという間に小さくたためる。

帰りはビーズのマスクで呼吸が楽だった

マスクらしきものをしていれば文句は言わない、これも不思議だ!ビーズだから菌は素通りだよ!

 

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